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2021年5月 5日 (水)

上田交通の想い出

ぼっちの旅日記」で2回にわたり1970年夏の上田交通を取り上げていらしたので、勝手にコラボレーションさせて頂くことといたします。

OER3001氏が初めて上田を訪れたのは、1969(昭和44)年12月31日大晦日のことでした。大学1年の冬休み、菅平へのスキーで降りた駅。バスの乗り換え時間に友人達から一人離れ、僅かな時間で電車を見に行ったようです。

フィルムをケチったからなのか、それともフィルムを取り出すときのミスなのか判りませんが、光が入ってしまった残念なものになってしまっていますが、真田傍陽線の庫内構内に佇むモハ4250。

19691231_0001_15

こちらは国鉄上田駅南側の別所線だと思います上とは反対側を望んだもの。左がモハニ4250、右が入線してきたモハ4250。上はパンタ側、こちらは非パンタ側と、都合良く両方が撮れていました。

19691231_0002_15

上田電鉄上田駅と掲示された、ローカル私鉄としては堂々たる駅舎を撮っていましたが、この駅舎が真田傍陽線のものだったか別所線のものだったか? 肝心な電車は光線が入ってしまったフィルムなのに、駅舎は綺麗に残っていました。

19691231_0003_15

午前中に撮影している筈なので、光線の角度から判定すれば真田傍陽線の駅舎だったようです。 

この年の5月31日に会社名は「上田交通」となっていますが、駅舎には「上田電鉄」、バス停は「上田丸子電鉄」と、歴史ある社名が混在しているのが滑稽です。

 

追伸;トゥルーリさまからコメントを頂いたことから記憶を修整、該当本文を修正させて頂きました。

 

 

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コメント

かってにコラボをありとうございます。私の訪問より6ヶ月ほど前ですね。私は駅舎の丸い屋根しか写していなかったのですが、駅舎の全容はこんな感じだったのですね。貴重な写真をありがとうございます。

ぼっちぼち さま
こちらこそ、勝手に失礼いたしました。それにしても懐かしいですね、この頃が。

はじめまして。トゥルーリと申します。

2枚目を別所線と書かれていますが、この写真も真田傍陽線の
電鉄上田駅だと思います。1枚目とは逆を向いて撮影されたもの。

左側に信越本線の立派な架線柱もたっておりますし、右端には
貨物ホームも映っております。別所線ではこのアングルには
ならないかな。

トゥルーリ さま
ご覧頂きありがとうございます。また、貴重なご教示に感謝申し上げます。
しっかり覚えているつもりでも、50年の年月は確実に記憶を薄いものにしています。
早速ご教示に基づき、本文を修正させて頂きました。
ありがとうございます。今後ともよろしくお願いいたします。

モハ4250は鶴見臨港から来たものですかね。静鉄、銚子にも同形車がいましたね。

Cedar さま
お詳しいですね、そのようです。
千の桁4は主電動機出力60kw、百位2はHL制御、十位5は全長15メートル級を意味する形式で、出自の異なる車両が居ましたが、うち2両は鶴見臨港鉄道からでした。

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