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2021年6月26日 (土)

小田急永山の47年

新百合ヶ丘から分岐する小田急多摩線の開業は1974(昭和49)年6月1日、小田急永山駅までの開業でした。プラットホームは1番ホームのみの使用。新百合ヶ丘方に渡り線が仮設され、到着した下り列車が折り返していました。

右隣は工事中の京王永山駅。京王はこの当時、京王多摩センターまでの工事真っ只中でした。

19740601_1013__12(再掲)

それから47年、改めて見ると随分と変わっていることに驚きます。左側の木が大きく育ち、枝で視界が遮られるホーム上屋は10両編成対応に延長され、同様に京王永山駅もその内部を望むことは不可能になりました。

20210507_0010_15_20210625115901 (再掲)

実は昨日のCedarさまからのコメント「可動ブラケット式だったのが普通の懸架式に変わっている」で刺激されました。そう言えば小田急多摩線は、将来の高速運転も可能なように、全線にわたり道路とは立体交差、曲線半径は1,000~3,500mの大半径(新百合ヶ丘取り付け部のみ555m)とし、架線設備も新幹線並みだと聞いていた記憶が戻りました。

下の写真はそれを示すように、諏訪隧道を駆け抜けてきた1700形のパンタグラフが接する架線、しっかり可動ブラケットに支持されています。

19740601_1015_13

同じ場所での今日の状況を示したくとも、今はこんなに線路近くに立ち入ることはできません。

諏訪隧道手前には電車見橋が架けられ、線路両側にはがっちりした柵が設けられてしまい、これが精一杯です。

20210507_0013_15

それでも架線支持が変わっていることは確認できます。

この変化がいつ頃だったのか? 撮りだめた写真を頼りに調査してみることにしましょうか。

 

 

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鉄道(小田急)」カテゴリの記事

コメント

架線支持の件、余計なコメント入れちゃってすみません。
高速運転と言えば、京王多摩線も「最高速度160㎞、私鉄の新幹線を目指す。」みたいな記述を読んだような記憶が~でも可動ブラケットじゃないですね(笑)。

 47年もたてば木も生長しますね。小田急も京王も開業時には20m車の10両が走るなんて想定外だったことでしょう。確か栗平は待避線を敷けるようになっていて、試乗会で社員の方が「俺が退職するまでには絶対できないだろう」といっていました。

◆ Cedar さま
余計なコメントではありませんよ。大歓迎です。
京王は「多摩線」ではなく「相模原線」ですが、確かに「あの14m車繋いでガタゴトゴロゴロ走っていた京王が高速運転?」と思った記憶もありました。今では多摩センターから先では110㎞/h運転していますけどね。

◆ モハメイドペーパー さま
仰るとおり両社とも20m車10連がバンバンですから隔世の感ありですよ。ABFの2連だった時代も懐かしいです。
栗平には今でも待避線用地がありますが、10両運転では前後用地が不足します。

私が小田急で唐木田まで通勤するようになったのが1993年か1994年ごろでした。
当時すでに2400系は亡く2600系や旧4000系、9000系は現役で旧5000系までこんなに早く姿を消すとは思いませんでした。新百合ヶ丘⇔唐木田の列車しかなかったところに多摩急行が登場したときは、職場の同僚たちと大喜びしたものでした。
唐木田に通いだしたころ尾根幹の街路樹も折れそうな苗木で夏の日陰にもなりませんでしたが、今や巨木になりましたね。

阪鉄車輛 さま
この道の趣味の人にとって、電車の変化は明確に記憶していても、日々見ている自然環境の変化にはなかなか気がつかないものですね。
多摩線の列車は、阪鉄車輛さまが通勤し始められた頃も、朝方だけ新宿行き各停が数本設定されていましたが、ニュータウン住民しか恩恵を受けなかったですね。

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