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2021年9月

2021年9月30日 (木)

今日の一枚 No.129

本シリーズは今回で129回目。129は“いずきゅう”とも読めることから今回は伊豆急を。

OER3001氏にとっては伊豆急と言えばやっぱり開業時に用意された100系。名車とも言われましたが、それは車体のデザインだけかとOER3001氏は思います。足回りに関しては台車は親会社・東急の青ガエル5000系のTS-301を発展させたようなTS-316ながら、機器類は国鉄153系に類似したものでした。将来の国鉄編入なども考慮されていたようだからやむを得ないかも知れませんが。

1997(平成9)年8月、家族での夏休み旅行の途中、R135のドライブイン駐車場から撮ったこの画像、冷房化と共にサロンカーの1801を連結した7両編成が気に入り、後日模型化に至った次第。

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サロンカー1801の熱海方は、両運のクモハ103でした。

 

2021年9月29日 (水)

上田丸子モハ2321

まだ正式な竣工ではないのですが、工場出場前に記念撮影となりました。

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上田の広い田園地帯で撮影したかったのですが、生憎線路は既に無くなっているものでやむを得ず山形方面で。

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こんな風景の中がお似合いかと。

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こんな小さな電車でも、見上げると存在感があります。

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さてさて、フィニッシュワークを終えれば本当に竣工です。

ことの始まりは7月に行ったいさみやで見付けた、はと工房なるメーカーの3,200円(本体価格)のペーパーキット。

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大作の合間にちょっとした息抜き代わりに始めた工作にも、ついついのめり込んでしまいましたが、これにて一件落着として、大物に戻ることといたしましょう。

 

 

2021年9月28日 (火)

八高線1968年-2

この日、八高線に行った目的は、終焉迫る蒸気機関車の活躍を記録することでした。気動車を撮った場所で待ち構えました。重連のD51が力強く近づいてきましたが、残念ながら煙で後方は隠れてしまいました。

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これを撮ってから高麗川駅に引き返す途中で、下り勾配を下ってくるD51重連が。

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石灰石を下ろしての回送だったのでしょうか、凄い迫力で下って行きました。

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電化された今、ここを走るのはステンレス車体VVVF制御の電車だけとなってしまいました。勿論こんな線路横に近付くこともできないでしょうね。

 

2021年9月27日 (月)

八高線1968年

9月19日に「想い出の光景:32」で八高線を取り上げたところ、長く懇意にしているぬか屋さまぼっちぼちさまがそれぞれコラボレーションしてくださりました。シニアの半世紀前は、日時は違うもののほぼ同じような場所に出掛けていたようです。

今回はその際には主目的でなかった気動車を。高麗川駅から南側の線路脇には、ずうっと畑が広がっていました。最初に目撃したのはキハ17の2連でした。先日もこの場所を特定したくて、送電鉄塔を便りに調査したのですが、あまりに開発されて景色が違い、特定できませんでした。

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国土地理院発行の1/25,000地図を頼りに、さらに南へ歩いて小高い場所を見付けて登ってみました。久邇カントリークラブの西側あたりだと思われます。前2両がキハ20か25、後ろ2両がキハ17でしょうか。

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この場所が気に入ったようで、結構撮っていました。次に撮っていたのはキハ35の2連、もしかしたらキハ36とキハ30だったのかも知れません。

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それにしてもこの辺り、変ってしまい今は線路脇に近づけないかも知れません。思えばこの時代は線路の犬走りを歩いて来れた時代でしたから・・・。

 

 

2021年9月26日 (日)

細かい工作

上田丸子2320形が現存していた頃は、ワイパーアームは多分メッキではなく塗装だったはずです。そこで、洋白エッチングパーツのワイパーを塗装することになりました。端材の端に差し込んで面相筆でチョコッと塗りました。

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前面窓下部に0.5φの穴を開けて差し込んで見ました。

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苦労したパイピングと共に効果抜群ではと、自己満足しています。

 

 

2021年9月25日 (土)

車内工作

モノが小さな1両ということでつい、普段はあまりやらない室内にも凝ってしまいました。

カツミのプラロングシートの下側をカット、1×5のマホガニー材から切り出した袖を付けて車内にセットしました。

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運転台はIMONの小型電車運転台の下方を切断して使用。マスコン上部は金色に、ハンドルのアタマに黒をちょんと。ブレーキ弁はハンドルに焦げ茶を。中央の圧力計を白く色差ししておきました。

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半室運転台も同様です。

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運転台の窓から覗き込んでニンマリしています。

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2段窓のガラス入れ終えたら、ついやってみたくなってしまいました。小さな1両だからできることです。

2021年9月24日 (金)

小物塗装

朝方から薄日が射すこともあれば暗くなったり安定しなかったのが、外出から帰った午後には夏のような日差し。早速、窓入れが終わっていた上田丸子2320タイプ小物塗装となりました。

避雷器、前照灯、ベンチレーターにランボードと、独特な色でした。勿論こんな色のラッカーが市販されているわけもなく、市販されていたとしてもこれだけのために数百円も支出する気はありません。

そこで、全て手元の日光モデル製ラッカー、白をベースに上田丸子用の紺を垂らし、そこに京浜東北の青22号を少しづつ加えて作りました。それをいつものハンドスプレーでシューッ、シューッと。

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早速ベンチレーターとランボードを載せて確認です。

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息抜きのつもりの軽い工作の予定だったこれ、常時目に入るところに鎮座しているのも気になって、つい。

 

 

 

2021年9月23日 (木)

窓ガラス入れ

EF60の再生を完了した後、塗装を終えている上田丸子2320タイプの窓ガラス、勿論ガラスではなく塩ビ板を入れる作業を進めます。

ところがこのペーパーキット、ご丁寧に2段上昇式窓のお陰で塩ビ板ののりしろが少ない少ない。最初に取り組んだのがこちらの妻面。向かって右の運転台窓は1枚窓。左は2段上昇式、貫通扉は桟入りという具合。

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半室運転台の仕切りを付けてしまったので余計作業がしづらくなってしまいました。全てピンセット便りになりました。

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反対側の上段窓には4.5×9.5㎜サイズに切った塩ビ板を、サッシの幅で接着するという技が必要になりました。

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ここまでやって疲れ果て、しばし他のことやって休息。

気を入れ直して側窓に取り掛かりますが、それでも先ず乗務員室後の上段窓4カ所入れただけで休憩!

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たった1両なのに・・・、これではいつになったら窓入れが終了することやら??

 

2021年9月22日 (水)

中秋の名月

なんでもこの日の月は8年ぶりの満月とか。皆さんが撮られているようなのでOER3001氏も真似してみました。

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この国の政治家と称する方々も、心静かにこれを拝まれては如何でしょうかね。

 

2021年9月21日 (火)

今日の一枚 No.128

残ったフィルム消化のために中野駅で撮影したこれ、東陽町の方向幕を掲示した営団5000系でした。

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屋根上には独特の平べったく大きなカタチのベンチレーターが並ぶ、実用一点張りのすっきりした車両でした。

コンパクトデジタルカメラとなった今では“残りフィルムの消化”こそありませんが、この場所ではやっぱり同じような撮影をしているのだから不思議です。

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東西線は東へ延び、東陽町ならぬ東葉高速鉄道直通となっているのだから。

 

2021年9月20日 (月)

EF60入籍

ヤフオクで落としたEF60、目出度く入籍となりました。

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いろいろ調べた結果、運転台の側窓形状から2次車となるので、川崎製の34号機としました。 塗装はご覧の通りぶどう色2号、灰色のHゴムが目立っていた時代です。スカートに500番台のジャンパ栓が残っていますが無視しました。

そもそも我家に到着した時はこんな姿でした。落札価格6,760円で埼玉県からやって来ました。

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カツミのEF60に特別の想い出があることは9月1日掲載の通りです。到着して直ぐに塗装剥がし。

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側窓の修正や正面ステップの取り付けなど加工の後、メタルプライマーを吹きました。

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その後塗装。

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車体にナンバー、製造銘板を入れたり、Hゴムを書き入れたり、ホイッスルに金色を差したりとチマチマした作業が続きました。そして配線。前照灯にはアクリルレンズを入れ、後方に電球色LEDををセットしました。

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エッチングのナンバーや製造銘板もお安くありませんが、1,430円もするスカートのステップが一番高価でした。ブレーキホースにはアクラスのEF64用プラパーツを利用しました。もっとも台車はやむを得ず現行製品を購入、加工したものに交換していますが。・・・ありゃ、ナンバー文字がずれちゃいましたね。修正面倒だからこのままにしておきます。

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それ以外のパーツは極力昭和のカツミ製品の味を大切にしようと、パンタも昔のものにしましたが・・・、これは近日多少良いものに交換しようかと思っています。

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ともかくこれにて一応入籍としました。二軸貨車をたくさん繋いで、早く走らせたいですね。

 

 

2021年9月19日 (日)

想い出の光景:32

八王子と高崎を結ぶことから名付けられた八高線、しかし正式には八王子-倉賀野間92.0㎞を結ぶ路線です。

OER3001氏が初めて八高線に乗ったのは、高崎の親戚宅に行く際に、通常は高崎線の80系で向かうところ、父親がたまには珍しいのに乗せてやると行って、多分キハ17に乗った時と思うので1960年代前半のことだと思います。

それが今では「八高線」とは言えど、八王子から高崎に直通する列車は無く、八高線の雰囲気を味合うには非電化区間の高麗川以北でなければなりません。

1968(昭和43)年3月に高麗川から南へ歩き、蒸機の撮影をしていました。

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この場所、高麗川駅からそう遠くは無い場所の筈なのですが・・・、すっかり開発が進んだ今は、残念ながらこの場所が特定できません。

 

2021年9月18日 (土)

消えないうちに・・・

久しぶりに東急沿線に外出。天気も良かったので乗り換え駅で、暫し行き交う電車を眺めていました。眺めていただけでなく、勿論手軽にコンデジでの撮影も。

ちょうど、間もなく置き換えで見られなくなるであろう7000系と10000系のトゥーショットが叶いました。

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それにしてもこの風景、東京メトロ車のトゥーショットを東急線内で撮るとは。相互直通が進んだ結果、走行車両から撮影地を判別することが難儀な時代になって来ました。

 

 

2021年9月17日 (金)

続・塗装

折角ベランダを養生したのに。EF60だけの塗装では非効率です。序でにもう1両、上田丸子の2320タイプも塗ることにします。

あらかじめ塗装済の車内に色が入り込まないように、丁寧に窓を内側からマスキングしてからクリーム色(日光モデル・クリーム色10号)を吹きます。

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塗装台の上で車体をひっくり返し、何回か吹きました。

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充分に乾燥させてからクリーム色部分をマスキングして、今度は腰のダークブルーを吹きました。

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このダークブルー、日光モデルから「上田丸子 紺」が発売されているのですが、OER3001氏の印象からもう少し明るめにしたく、青15号と混ぜた色にしてみました。

さて、ここまでで日没が迫り、この日はここで終了です。

 

2021年9月16日 (木)

塗装

陽が射している間に早速塗装です。

最初はEF60から。洗浄済みの車体を太陽光で温め、先ずはメタルプライマーを吹きました。

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床板も同様に。背後のラックが赤いのは、スイス風登山電車の色です。

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充分に乾燥させた後、前面の飾り帯をマスキングして、全体にぶどう色2号(日光モデル)を吹きました。

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床板はねずみ色、好みで炭酸マグネシウムを入れて艶を押さえています。この塗装台(?)、床板のようなものはフックに吊り下げても塗装できるので極めて都合良しです。

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横にしても念入りに吹いておきました。

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これでとりあえずEF60の塗装は完了。Hゴム入れなど細かい作業が待っています。

 

 

 

2021年9月15日 (水)

我が社の塗装場

久しぶりに陽が射したこの日、朝から塗装の準備となりました。

南面の小さなベランダがその場所。春先に大規模修繕工事を終えて綺麗になったので、汚してはいけないと新聞紙で徹底的に養生します。

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胸の高さ程まで養生し、床面もラッカーを垂らしても汚さないように新聞紙を敷き詰めます。

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小テーブルに100円ショップで購入したパーツをセットしますが、ここまででおよそ15分かな。折角ここまで環境を整えたのだから、溜まっている塗装に励みましょう。

 

 

 

2021年9月14日 (火)

総武線複々線化完成直前

9月12日掲載の“総武線複々線化工事の頃”(1971年)の翌年、1972(昭和47)年の記録がありました。東京~錦糸町間の開業によって、本格的に快速電車が走るようになる前日の記録です。

津田沼駅に、この日が最後の運行となる101系による木更津-中野の快速が千葉工科工業大学を横目に進入して来ます。

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全車非冷房が当たり前だった時代、101系の窓には全開の箇所も。

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101系快速が新装なった上りホームに停車。この光景はこの日が最後となりました。

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その後、快速線ホームに配給電車が。新設の幕張区への輪軸輸送なのでしょうか、先頭はクル29、021のようです。

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後部のクモル24、020と判読できます。

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この日の津田沼駅改札口、翌日の快速線開業に先立ち装飾されていました。

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駅前も複々線開通と祝賀ムード。OER3001氏はここから京成バスで大学へ向かいました。

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49年前の情景、今とは大違いでした。

 

 

 

2021年9月13日 (月)

いつものことなのに・・・

出掛けるときに、電車を待つ間に反対方向の電車を撮ることは良くありますが、この時も何気なく撮っていました。しかもホーム先端では無く3両目ほどの位置から。

ところが!

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撮った画像を良く見れば、運転士は女性。しかも右手を挙げているではないですか。まさかOER3001氏へのご挨拶?

 

2021年9月12日 (日)

総武線複々線化工事の頃

大学3年となった1971(昭和46)年、漸く講義時間も毎日9時からという日々から開放されたのでしょう。6月18日のフィルムにはこんな場面がありました。東武野田線船橋駅。

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旧型車を地下鉄日比谷線乗り入れの2000系のような車体で更新した3000系が主力でした。塗色はロイヤルベージュインターナショナルオレンジのツートンカラー時代でした。

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船橋駅の時計は12時15分を示していますが、この後には昨日取り上げたキユニ19の2コマを撮影しています。そしてその後が下の画像。

快速線線増のための改良工事が進む津田沼駅。上屋骨組みが進む新設ホームの右側に、津田沼折り返しの101系が停車しました。

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跨線橋から千葉方面を撮っているようです。左が1番線で千葉方面へ向かう下り線。向こうのクレーン右手は千葉工業大学と思われます。

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カメラをさらに右(西)へ振って撮っていました。上り線を西側に大きく振り、その間に快速線を入れたのでしょう。

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今になると、この時期にもっと撮って記録しておくべきだったと思いますが、小田急ファンにはもったいないフィルムの使い方だと思っていたのだから仕方ありません。

 

2021年9月11日 (土)

キユニ19

ひょんなことからキユニ19というのを思い出しました。

こてはし鉄道日記でキニ16を作られていることを知り、そう言えば撮っていたような?と、デジタル化されたフィルムを探索して見付けたのは、大学生時代に津田沼(?)で撮ったこれ。

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ところが、よく見たらキユニ19でした。当時は両国から千葉方面に、この列車が運行されていました。

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よく調べてみたら、複雑な経歴の車両だったらしいことが判明しました。

元はと言えば1953(昭和28)年に“湘南形”の顔を持ち、3両編成で登場した電気式気動車の中間車キハ44200形。それが1956(昭和31)年から1957(昭和32)年にかけて液体式に改造されてキハ19形となった後、1964(昭和39)年に常磐線の荷物輸送に充当する目的でキハ19 1、キハ19 3~キハ19 5が片運転台全室荷物車のキニ16形キニ16 1~4に改造され、さらに翌1964(昭和39)年に郵便荷物合造車のキユニ19形キユニ19 1~4に再々改造されたものだと。

写真のキユニ19 4は、千葉から亀山、伊勢、奈良と転属した後、1980(昭和55)年に廃車されたらしい。登場から10年あまりで3回もの改造を経た最終時の姿を捉えていたことになります。そうと判っていたら、もっと撮っておくべきでしたね。

2021年9月10日 (金)

都心へ

おそらく銀座天賞堂でしか入手できないパーツを求めて、久しぶりに都心へ。こんな時しか撮らないであろう新幹線をコンデジで。

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目の前を進む姿を追ってみました。きっと車内はガラガラなのでしょうね。

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で、目的のパーツ(WB26Bケース)は入手できませんでした(笑)。

 

2021年9月 9日 (木)

顔づくり

歌川模型のクモハ52型紙、ハコにしたところでお顔が無いのが気がかりで気がかりで、結局歌川模型さまの設計に従って、ここまで進めてしまいました。窓部は欺し欺し曲げて腰板の上に重ね、屋根板の下に3ミリ厚程度の朴ノ木を挟む構造です。

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勢いで2両やってしまいましたが、昭和の時代にはどうやって接着したのでしょう? 今は瞬間接着剤という代物のお陰でだいぶ楽になりました。腰板との隙間が凄いですが気にしません。パテも昭和の時代には無かった良いものがありますから。

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机の上が削りカスで凄いことになってしまいましたが、根気良く屋根板、オデコを削って整形後、全体にラッカープライマーを染みこませ、そしてサーフェサーを塗りました。 

雨も止んで陽が射してきた夕方、いつものベランダの簡易塗装台にセット、缶サフェーサーを吹いておきました。

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ざっとこんな様子。

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これから耐水ペーパーでの磨きが続きますが、とりあえず今はそのエネルギーが無くなりました。 どうせちょっとした悪戯なので、暫く放置になることと思います。

 

 

2021年9月 8日 (水)

EF60レストア

9月1日付“心機一転”で取り上げたカツミ製EF60のレストアですが、何とダイキャスト製台車が折れてしまいました。

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そこで、やむなく台車を修理するのではなく、新規調達することとしました。ほぼ同じ形状のカツミ製EF65用台車セット、税込4,400円でした。

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台車枠に形状の異なる揺れ枕・枕バネパーツを嵌め込んでDT115(上)とDT116(下)となります。砂箱も別パーツで、左右を入れ替えることで、前期/後期車の違いを表現できるのですが、このパーツが入れづらくて、全ての爪をヤスリ整形せざるを得ませんでした。

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左が新規調達したDT115(上)とDT116(下)、右が中古品の台車です。どちらも軸受けメタルが入っています。

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新規調達した台車DT115(上)とDT116(下) の枕梁は、MPギア仕様となっています。

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当然ながら中古品台車DT115(上)とDT116(下)はインサイドギア仕様。何処が違うかって、枕梁の幅が違い、新規調達品には幅が広い枕梁が入りません。

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このためにMPギアにするには余りに費用がかかり、ヤフオクで入手した価値がありません。インサイドギアでレストアすることにして、枕梁の幅を詰めることとしました。こちらが前後台車のDT115用。

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中間台車DT116にはウエイトが装着され、前後台車からスプリングで引っ張る構造です。

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これらの枕梁の幅を全てスリムに成形、MPギア仕様の台車枠を付けられるようにしました。

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万力に挟んでただガリガリ、根気が必要な作業でしたがなんとかなりました。

 

 

2021年9月 7日 (火)

雨が止んだ日曜日の朝

雨が止んだとは言っても、雲は低く垂れ込めたまま。小雨がしとしと来てもおかしくない朝でしたが、思い切って朝飯前にウォーキング&撮影に出掛けました。現地まで1,800歩ほど。着いてみるといつもは静かな住宅地の歩道に先客3名。目的の列車が来るときにはさらに5名、驚きました。

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先月の走行ではパンタを上げていなかったのですが、今回はしっかり上げていました。

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折り返しもほぼ同じ場所で走り去る後ろ姿を。これを撮ってゆっくり帰宅、ちょっぴり遅い朝食となりました。

1000形1051Fの連結はいつまで続くでしょう。撮れるときに撮っておきたいものです。

 

2021年9月 6日 (月)

捨てるの止めました!

悩みましたが歌川模型のクモハ52型紙、ちょっと窓抜きの練習してみました。

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5円で買えた“ボン・ナイフ”で窓抜きした時代を思い出すような時間でした。

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ここまでやって、この日は就寝。一番の難物はコレ、正面の窓。果たしてこの設計でできるのか? と言う代物です。

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数日後、つべこべ言わず、歌川模型さんの現設計通りに、とりあえず2ハコ組んでみました。ペーパールーフのOER3001氏にとって、このような構造だと左右側板の平行とズレが生じないように組むのに難儀します。

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不安を感じていた通り案の定、正面の窓は合いません。仕方なく未装着。

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連結面妻板の組み立ても、OER3001氏の設計ならやらない方法なのですが、ここはあくまで歌川模型さんを尊重します。

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やれやれ、昭和の懐かしい想い出に浸りながらの工作は大変。始めるんじゃなかったな~。

 

 

2021年9月 5日 (日)

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この日の目標はほぼ往路で達成しているのに、復路も白久-武州日野間、長瀞駅と撮っての帰路、寄居駅に停車してるパレオエクスプレスの先回りできることに気付き、オマケの撮影となりました。

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ほぼ平坦な区間のため、煙突からの煙など期待しませんが、ここ桜沢駅で15:45、通過を修めることが出来ました。

 

2021年9月 4日 (土)

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白久-武州日野間で撮った後は長瀞を目指します。往路の沿線学習で、概ね状況が把握できていたことが助かります。早めに着いたこの場所、直前には同業者も10人弱になりました。

それにしても気温が高い真夏には、煙突からの豪快な煙は期待できません。発車直後のこのシーンだけで我慢です。

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目前に来た時にはもう、斯様な煙状態。

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まあ煙モクモクはファンには嬉しいですが、地域の生活環境や地球には歓迎されませんからね。そもそもOER3001氏は電車ファンでもあるし、これで良しとしましょう。

 

2021年9月 3日 (金)

C58363を撮りに-3

三峰口からの折り返しは先ず、白久を通過して武州日野に向かう姿を修めました。逆光気味であまり好ましくない環境下、ISO値を800と設定、1/500シャッターで絞りを+0.7設定とし、黒一色の機関車が潰れないようにしてみました。

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それにしても機関車も客車もピカピカ。手入れが行き届いていて嬉しいです。

 

2021年9月 2日 (木)

山形交通 ハフ1、2

ぬか屋の徒然日記で山形交通 DB151、ハフ1、2が紹介されました。OER3001氏は詳細を知りませんでしたが、そういうことだったのかと改めて理解できました。

そこで、OER3001氏が撮っていた貴重なカラーをご紹介しましょう。手前がハフ2、奥がハフ1です。

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これは去る8月12日の“レッドアロー号ブルーリボン賞!”の時に撮影していたもの。カラーポジもだいぶ変色していたので色味が赤っぽくなっています。本来の色は次の画像と同じと思います。

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山形での運転会に行く道中、高畠町に保存されている「高畠広場」に立ち寄り、保存されているモハ1を見て来ました。残念ながらOER3001氏は山形交通が活躍している時代を見ていませんでした。

 

 

 

2021年9月 1日 (水)

心機一転

このブログで利用していたココログ、2013年1月1日に開始して以来遂に、2Gの容量を超えてしまい、新たな書き込みが不能になっていましたが、あれこれ考えたあげくにサーバー移転をせず、有料契約に切り替えました。毎月450円(税別)が発生しますが・・・。

そこで心機一転、再発進しようと思います。その最初は“火遊び”のようなちょっとした悪戯の経過を。

カツミのEF60をヤフオクで入手してしまいました。EF60は学生時代、後輩から譲って貰った中古を当時の新塗色であった青15号のクリーム腹に塗り替えたのがありましたが、当時は日本一の高さを誇っていた霞ヶ関ビル36階での展示中に盗難に遭ってしまいました。これがそのイベント、1972年に開催された“走るぼくらの汽車ポッポッ展”、我が国の鉄道開通100周年と騒がれていた時代でした。

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これが36階天望回廊での展示風景、専用のガラスケース内での展示だったのが、犯人はどうやって盗んで行ったのでしょうか? 被害者であったOER3001氏には、主催者が架けていた保険が支払われましたが、自分の手をかけた模型は戻ってきません。因みに保険で得たのは天賞堂のEF62でした。

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そんな想い出のあるEF60なので、ヤフオクを見てつい参戦してしまいました。着荷して直ぐ哀れな姿は先ず分解、シンナープールで塗装剥離しました。

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乗務員室側窓が妙な形状に加工されていました。これは前照灯ケース形状が変形六角形の1次車の側窓。

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前照灯は台形形状のままとしたかったので、側窓形状を修正します。

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再び洗浄し、残っていた塗料も極力剥離。

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そして破損していたスカート前方のステップを、1,430円もするそれはそれは高価な天賞堂のロストパーツを奮発、交換してしまいました。

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他にもあれこれ製作中の最中に手を出してしまったEF60、所詮は“火遊び” のような悪戯ですから、天気の様子を見ながらゆっくり進める予定でいます。

 

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