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2021年9月27日 (月)

八高線1968年

9月19日に「想い出の光景:32」で八高線を取り上げたところ、長く懇意にしているぬか屋さまぼっちぼちさまがそれぞれコラボレーションしてくださりました。シニアの半世紀前は、日時は違うもののほぼ同じような場所に出掛けていたようです。

今回はその際には主目的でなかった気動車を。高麗川駅から南側の線路脇には、ずうっと畑が広がっていました。最初に目撃したのはキハ17の2連でした。先日もこの場所を特定したくて、送電鉄塔を便りに調査したのですが、あまりに開発されて景色が違い、特定できませんでした。

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国土地理院発行の1/25,000地図を頼りに、さらに南へ歩いて小高い場所を見付けて登ってみました。久邇カントリークラブの西側あたりだと思われます。前2両がキハ20か25、後ろ2両がキハ17でしょうか。

19680318_0019_13

この場所が気に入ったようで、結構撮っていました。次に撮っていたのはキハ35の2連、もしかしたらキハ36とキハ30だったのかも知れません。

19680318_0021_13n

それにしてもこの辺り、変ってしまい今は線路脇に近づけないかも知れません。思えばこの時代は線路の犬走りを歩いて来れた時代でしたから・・・。

 

 

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鉄道(国鉄・JR)」カテゴリの記事

コメント

1960年代後半の八高線にはSL嫌い(当時はそんなこと言うと仲間外れになってしまう時代でした)のCedarでも何度か渡世の義理で出かけています。当時の写真をみるとまさに地方線区の表情~今どうなってるかは興味あります。

Cedar さま
そうだったのでしたか、やっぱりお出掛けに。
仰るようにホント地方線区でしたが、今では学校や企業も進出し、住宅も多くなり、首都圏の通勤路線と化してしまいましたから、当時の撮影ポイントまでたどり着くのが容易ではありません。

先日、八王子→(八高線・川越線)→川越まで乗車して、運転室の後ろから当時撮影した場所を特定しようと思ったのですが、一番良く通った金子坂でさえ三脚を設置した場所は分かりませんでした。でも久しぶりに単線のローカル線に乗って癒されました。

ぼっちぼち さま
でしょ。そうなのですよ、沿線の変わり方って半端じゃありませんよね。

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