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2021年9月28日 (火)

八高線1968年-2

この日、八高線に行った目的は、終焉迫る蒸気機関車の活躍を記録することでした。気動車を撮った場所で待ち構えました。重連のD51が力強く近づいてきましたが、残念ながら煙で後方は隠れてしまいました。

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これを撮ってから高麗川駅に引き返す途中で、下り勾配を下ってくるD51重連が。

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石灰石を下ろしての回送だったのでしょうか、凄い迫力で下って行きました。

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電化された今、ここを走るのはステンレス車体VVVF制御の電車だけとなってしまいました。勿論こんな線路横に近付くこともできないでしょうね。

 

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鉄道(国鉄・JR)」カテゴリの記事

コメント

八高線の蒸気機関車ですか。D51重連は、いわゆる金子坂と言われる場所と拝島で撮影しています。
拝島は八高線と青梅線に挟まれた場所で、今ならその場所では撮影出来ないでしょうね。

良い煙だし、本務機も写っているし、霜降りの煙で迫力のある良い写真じゃないですか。時には煙が巻いて本務機が全く見えないこともありますよね。

◆ 八千代運転所 さま
やっぱり 八千代運転所さまも行って居られましたか! 当然ですよね、あの時代なら。
OER3001氏は残念ながら金子坂には行っていません。そもそも蒸機に然程嵌まっては居ませんでしたから・・・。

◆ ぼっちぼち さま
ありがとうございます。それにしても当時の写真を今になって見れば、如何に未熟だったかと気付かされる次第です。ピントもそうだしシャッター速度も。さらには手前の枯れ枝の処理なども。

久しぶりに貴ブログを拝見。
列車に珍しいホキ5300が繋がってますね。走っている写真は珍しいと思います。
元は焼結鉱運搬用で遮熱板が付いていました。この時は石灰用に使用しているようです。
たぶんホキ400と共に空車で影森の秩父鉱業へ石灰を積みに行くところでしょう。
運用は影森-浜川崎。

はるせい さま
久しぶりとは! それでも嬉しく存じます。
貨車にコメント頂けるとは思ってもいませんでした。はるせいさまでなければ開設不能かと。ご教示に感謝いたします。

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