相模線電化直前
今、相模線100周年イベントが開催されていますが、全線電化となるのは1991(平成3)年のこと、今から30年前です。その歴史は今の相模鉄道の手により建設されつつも、複雑な経緯を経て国鉄線となりますが、電化はJRになってから。100年の歴史の7割は石炭や軽油などによる列車運行でした。
その非電化最後の鉄道記念日である1990(平成2)年10月14日、そう31年前の今日、二人の息子を連れて、橋本から茅ヶ崎への旅を楽しんでいました。
所謂“相模線色”になったキハ35系の2両または4両編成でした。
列車交換待ちの相武台下駅でのシーンですが、この時既に架線が張られていました。眠気を誘うディーゼルエンジンの音も懐かしく思い出します。
そして電化開業と同時に活躍を初めた205系500番台も、間もなく新鋭E-131系に置き換わろうとしています。
205系を撮っておかねばなりませんね。
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DC時代は昼間に単行もあったので、キハ10、20、30、40と両運転台の形式が主力でした。相武台下の駅周辺は今でも西側がほとんど農地です。海老名駅ができたのが一番大きな変化ですね。
投稿: モハメイドペーパー | 2021年10月14日 (木) 09時56分
相模線は、寒川支線が廃止になる時以来訪れていないですね。相模線色の気動車は撮影していません。
廃止最終日、TBSのカメラクルーがいてつかまりそうになりましたが逃げました。
205系も最後なので撮影に行きたいのですが、非常識な撮影者が多いので行くのには・・・です。
投稿: 八千代運転所 | 2021年10月14日 (木) 13時02分
◆ モハメイドペーパー さま
キハ20の時代も記憶していますが、写真を撮っていたかどうか?
相模線は厚木で小田急の下を行く単線ローカルと思っていたのが、海老名で乗れることになろうとは! です。
◆ 八千代運転所 さま
気動車時代を撮影されていなかったとは驚きます。OER3001氏より先輩なのに・・・。
最近の“非常識な撮影者”には本当に困りますし、同族に見られたくないですよね。
投稿: OER3001 | 2021年10月14日 (木) 13時31分