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2021年10月13日 (水)

今日の一枚 No.132

東海道本線は湯河原駅を出て大きく左にカーブすると、湯河原温泉から流れる千歳川を越えて、東海道本線では丹那トンネルに次ぐ長さの泉越トンネルに入り、神奈川県を離れて静岡県入りとなります。

100キロポストは、その千歳川を越える橋梁上にあります。

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この時は背後に写る会社の保養所で一泊し、朝から上ってくるブルートレインの撮影に専念していました。

貫通路のステンレス製幌座がオレンジ色に塗りつぶされてしまったのは残念でしたが、大きな前照灯にパノラミックウインドウの低運転台153系の顔、大好きでした。

当時は何の障害も無く立ち入ることができたこの場所なのに・・・、当然今は立ち入ることはできません。

 

 

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コメント

保養所の屋上にはきっちり社名が~ITもスマホも無かったけどいい時代でしたね~

前回のコメに書いたD51はこの記事に写っていますhttps://cedarben.blog.ss-blog.jp/2010-12-21-1

 大井工場は独創的な改造をする反面、結構無精というか手抜きをする傾向があり、このクハ153前面の幌座塗りつぶしや、サロなどの回送運転台がある妻面の塗分けを省略したりしています。急行「東海」のクハ153は幌座の塗りつぶしがなく、引き締まった感じでした。

◆ Cedar さま
はい、者名バッチリ。実はそれも狙ってのアングルでした。保養所の朝は、トンネルを抜けて上ってくるブルトレを、ベランダから望遠で撮るのがお決まりでした。
田端のブログ、ありがとうございます。昭和37年にフジペットもってって、凄い小学生でしたね。斯様な散歩をされていれば、鉄の道に入り込むのは当然の成り行きだったのでしょう。


◆ モハメイドペーパー さま
大井工場の功罪ですか。「東海」の車両はステンレス製幌座そのままだったことは知りませんでした。

良い場所に保養所があったのですね。当方の職場にも全国的にありましたが、場所は駅裏などが多かったです。
駅での撮影は良いのですが、走行撮影は不可でした。
大型ライト、低運転台の153系は良いですね。

八千代運転所 さま
はい、お陰様でここ湯河原だけはサイコーの場所でした。
ただ、駅から歩くのには凄い急坂。クルマで行っても1速全開で、クラッチの使い方で上手い下手がはっきり判る運転技術の要る道を上がらねばなりませんでした。

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