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2021年12月 5日 (日)

東急8500系の想い出

着々とその数を減らしている東急8500系ですが、そもそもは渋谷ー二子玉川園間(現二子玉川)の新玉川線(田園都市線)への導入を目的に、地下線火災対策基準「A-A基準」を満たして登場した車両でした。

新玉川線開業時の二子玉川園は、現在大井町線のホームとなっている所が、新玉川線ホームで、急勾配を上がって来てホーム直前で一旦単線となりホームに到着するという、独特の配線だったことが印象的です。

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当時は営団半蔵門線は未開通で、行先は「渋谷」でした。編成も6両、屋根上にクーラーが載っているように見えても、全て“冷房準備車”、地下線内はトンネル内温度上昇を控えるために、冷房使用は停止されていた時代です。

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1980年(昭和55年)の南町田(南町田グランベリーパーク)駅での一コマ。この時の行先は永田町。田園都市線はつきみ野までしか開業していません。

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文字通り田園都市の発展を支えてきた8500系も、東急の線路から見られなくなる日も近くなりました。

 

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コメント

当時の田園都市線沿線民にとって、水か空気か8500くらいに身近な存在でしたが半世紀経ってラストラン近づきました。身近すぎて全盛期に写真殆ど撮らなかったのが悔やまれます。

チャッピー さま
コメントありがとうございます。「水か空気か8500」って素晴らしい表現です。OER3001氏にとっては次第に編成が長くなり、途中から挿入した中間車や改造車で末尾番号が揃わなくなって、さっぱり判らない代物になってしまいましたが、いさみやのバラキット組んで、無塗装、無電解錫メッキで仕上げた4連を大切にしています。

私が東京へ転勤してきて田園都市線沿線に引っ越してきたのは1990年でした。
当時の田園都市線は東急8500と営団8000の二種類だけの運用で変化が少なくて、小田急沿線のほうがよかったなぁと思ったものです。
確か東急8500は1975年の阪急6300ブルーリボン受賞のときのローレル賞だったと思います。
南海高野線で通学していたので、ローレル賞の東急8500によく似た南海6200にもよく乗車しました。当時南海6000はまだ冷改前でしたので、夏場は6200や6100が来ると嬉しかったものです。
そんな6200系の外観や内装の造りにそっくりな8500は、少し懐かしいような印象もあったのですが、同じ東急車輛製の本家筋なのに南海6200に比べて内装がずいぶん質素なことに驚いたものでした。

阪鉄車輛 さま
“人生と共に”歩んだ想い出をご紹介頂きありがとうございます。
確かに南海は、古くからPⅢ台車を使うなど、東急車輌とは強い繋がりがありましたね。関西にあって1,067㎜軌間と言うこともあって、OER3001氏好みの存在でしたよ。それに比して・・・、お気持ちは良~く解ります。

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