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2022年1月 5日 (水)

富士と富士

正月と言えば何かと富士山の画像を目にすることが多くなります。コロナ禍の外出自粛時にせっせとデジタル化したネガフィルムの中から見付けました。1992(平成4)年1月2日、三島-函南間の竹倉踏切近くに、小3と中1の息子たちを連れて出掛けていました。

その中から見付けたこの一枚は、長男と次男どちらかの撮影で、一部をトリミング、色補正してみたものです。

19920102_0013n

こんな線路近くの場所に、子ども連れで立ち入ることができ、しかも警笛も鳴らされない時代でした。

残念ながらEF66 44の顔が架線柱の陰となってしまいましたが、富士を背景に「富士」とのコラボレーションが捉えられていました。

因みにOER3001氏の撮影はこちら、ポジフィルムでしたが、遠くの富士に合わせた露出は「富士」を暗くしてしまいました。

19920102_180207_n15

この時、向こうの竹倉踏切に人影があったのですね。今になって気付きました。それにしても何度も通ったこの地でしたが、富士山を綺麗に拝める機会は少なかったですね。

 

 

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鉄道(国鉄・JR)」カテゴリの記事

コメント

 竹倉に何度も通っているとは、恐れ入りました。私も鉄道ファン誌のガイドを見て一度行きましたが、途中で道に迷って伊豆箱根鉄道の大場に出てしまいました。

◆ モハメイドペーパー さま
はい、当時は函南町の山の上にちょこちょこ出掛けていたものでしたから、朝練がてらに行っていましたが、ブルトレが消えたらその気も失せました。

最近の「撮り鉄」によるトラブルや事件がクローズアップされ、SNSなどで炎上すると、必ずといっていいほど「昔のSLブームの頃も酷かった」という意見が出てきます。それもわかりますが、当時は撮り鉄の方も危険をわきまえていて、今のように「一線」を超えないように行動していたと思います。また絶対数も今と比べて少なく、鉄道側も障害にならない範囲であれば黙認していたという気がします。簡単に当時と今と比較して論ずることはできないと個人的には考えております。
今回のお写真も、鉄道側から見れば子供さんが保護者と撮影しているから、敢えて警笛など鳴らさなかったのではないでしょうか。下写真に写っている人だって、今なら非常停止されると思います。

◆ 所長失格 さま
仰る通りですね。この頃は、側溝の内側には入らない(架線柱の外側)という鉄則を遵守していればOKでした。そもそも線路に柵なども有りませんでしたから。

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