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2022年3月

2022年3月31日 (木)

満開のサクラに誘われて

先ずは名所となった近所へ。富士山にかかった雲はなかなか晴れませんでしたが、サクラを絡めて撮っておきました。

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午後になって向かった先は宮下橋。

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南を向けばこんな感じ。

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北を向けばこんな感じ。どちらも線路西側のサクラを絡めた撮影が楽しめます。

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その宮下橋近くのここが目的でした。

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あの宮下洋一氏の作品展が開催中です。

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店内の一角に、いつもながらの息を飲むほど作品が10店ほど。

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撮影OKなので、カメラを近づけて何コマか撮りましたが、ここでは全体像だけを。

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作者にはお目に掛かれませんでしたが、じっくりと拝見できました。4月10日(日)まで、是非ご覧くださることをお勧めします。

そして次に向かった先は阿佐ヶ谷。

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あの方の個展に。久しぶりにお話しすることが出来、楽しいひとときとなりました。

 

 

2022年3月30日 (水)

鵠沼海岸11号踏切で

3月12日のダイヤ改正、なぜか今回小田急は、ダイヤ変更と称しています。所用で湘南海岸へ出掛けた序でに、各停折り返し運行になった藤沢-片瀬江ノ島間を見て来ました。その中、鵠沼海岸11号踏切からの模様を取り上げます。

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片瀬江ノ島駅を発車した藤沢行きを収めます。この日の運用は1253Fと3227Fの2本でした。

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鵠沼海岸方面からの3227Fを思い切りズーミングしてみました。

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片瀬江ノ島駅場内入線に際し、減速して通過して行きます。3277の右には27キロポスト、相模大野からの距離です。

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この場所、55年前の1967年に撮影していました。当たり前ですが、27キロポストは踏切の直ぐ向こう側で変わっていません。変わったのは警報器と遮断機が設けられていること。そして、走行車両が大きく変わったこと。

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この時はSSE車へ改造が始まっていた時期で、8両のSE車による「えのしま」の乗車が目的でした。時代の変化とは言え、魅力的だった“ロマンスカー”から連接車が消えて行くことは寂しい限りです。

 

2022年3月29日 (火)

被災地脱出

2泊3日予定の今回の東北旅行、2泊目の夜に見舞われた震度6強の地震で交通機関が途絶え、3泊4日となってしまった4日目の日の出は雲の中でした。

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運転再開した仙山仙石線の駅までは、ホテルのマイクロバスが送ってくれました。

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松島海岸駅、意外にひっそりしています。

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9:21発の仙台・あおば通り行きが来るようです。

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しかしやっぱりダイヤ通りとは行かず、この電車が到着したときは「さあ、帰れるぞ~!」と若干の興奮を記憶しています。

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この風景も想い出となるかも知れません。

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遅れながらも仙台までの所要時間はまあまあ。地下の仙台仙石線ホームから5番線に上がってみれば9:26に白石行きがあるようですが、今既に10:10。いつ来るのでしょう?

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隣のホームからは、ANAが臨時便を飛ばすと言う仙台空港に向かう電車が発車して行きます。

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それを見送りながら、いつになったら来るのか判らない白石行きの到着を待ちます。

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やっと、白石行きの到着です。いよいよこれで!。

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発車したのは何時だったか覚えていませんが、これまた女性運転士。霙が降る中ビュンビュン走る、カッコいいな~!

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乗務員室には地震後の線路点検のための要員が、計測器具をセットして乗っていました。

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被災地を走る車両だけあって、車内には斯様な表示が。前日の夜中は、津波注意報の緊急放送やスマホの警報に度々緊張していただけに、備えが大切であることは身をもってわかります。

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途中で何度か停止信号に遭いながらも何とか白石に到着したものの、白石で発車を待っていた福島行きは、どんな事情が生じたか判りませんが運転見合わせに。急遽代行バスが用意されました。

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左のオレンジ色に乗ります。この時白石駅には冷たい霙、いやほぼ雪が舞っていました。

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代行バスは「やまびこ223号」が脱線した東北新幹線高架線の下を行く国道4号線で福島に到着。

ここからは動いているはずの東北本線でしたが、いつ来るか判らないとの情報に、同行のたかべーさんの判断から迷うこと無く一目散で バス案内所 へ。 運転を再開していた常磐線を利用することとして、路線バスでいわきを目指します。

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NHKの取材班が、行列の取材中でした。

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13:50発予定の福島交通バスも、10分ほど遅れて満席で出発です。

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途中渋滞にも遭いながら、16時過ぎて小雨降るいわきに到着。ここまで辿り着ければ安心です。

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いわき発17:15の水戸行きに乗れば、途中駅できぬやまスカンクさんから差し入れを頂きました。

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緊張の連続だった旅行の後半、水戸18:38発品川行き車内で漸くほっとすることができました。差し入れのおつまみとハワイアンビールがどれほど癒やしてくださったことかきぬやまスカンクさん、ありがとうございました。

今回の体験で得た教訓①スマホ充電ケーブルと予備バッテリーは必携のこと。(持って行って助かりました。)②常備薬は多めに持参すること。③靴下、下着の類いはプラスワン。④PETボトル飲料と軽食類は必携。というところでしょうか。備えあれば憂い無しです。

 

 

2022年3月28日 (月)

線路のある気仙沼線から仙石線へ

BRTで着いた柳津に、キハ110-124が到着しました。折り返し13:30発のこれに乗りますが、その前に辺りを一回りです。

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到着したキハ110-124の先に伸びるのは線路を撤去したBRT専用路です。

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立派な車止めが構築されて、先へ行くことはできなくされました。

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駅名標も、先はマスクされてしまいました。

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20分で石巻線との接続駅 前谷地に到着します。ちょうど向こうから女川行きが来ました。

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13:50到着、13:52発の女川行きへの乗り換えは同じホームで容易です。

女川行きだから乗務員も女性! ここでは気動車運転資格を持つ女性運転士は3人だけだとか。ラッキーなことです。

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鹿又だったでしょうか、列車交換でした。

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途中の石巻手前では、右から近付いて来た仙石線と併走、ちょうど仙石東北ラインのハイブリッド気動車HB-E210系が前を走ります。

東北本線松島駅と仙石線高樹町駅間の接続線を設け、2015(平成27)年から運行開始した列車です。

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宮城県第二の人口を擁す石巻市だけに、石巻駅も賑わいが感じられます。こちらは石巻線の気動車キハ110系。ホーム向こうにはコンテナ列車も見えます。

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仙石東北ラインのハイブリッド気動車HB-E210系。交流20,000Vの東北本線と直流1,500Vの仙石線を通るため、交直両用車を製造するよりハイブリッド気動車を選択したようです。

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直流1,500Vの仙石線は、首都圏から“都落ち”した205系、改造された3100番台が活躍、どちらも4両編成です。

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貨物列車の牽引は新型の電気式ディーゼル機関車DD200が担い、9号機が入換中でした。

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ここではまだ仙台方面に向かわず、再び石巻線の先を目指します。

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向かった先は石巻線の終点、女川。女川駅は3.11の津波で、停車中のキハ40もろとも流さていました。現駅は内陸部へ150m移設されています。

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改札を抜けると、緩い坂の向こうに女川港の海が目に入ってきます。

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復興された駅前通りと、ともに魅力的な駅舎です。

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9分の折り返し時間で、街をゆっくり見ることは出来ず、急いでホームに向かいます。

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再びキハ110-240の乗客となります。

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震災で甚大な被害を受け、内陸側に500m程移設された野蒜駅では3分停車、ハイブリッド気動車HB-E210系との交換です。

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仙石東北ラインとの接続駅である高樹町でも3分停車。

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交換する205系はラッピング編成でした。

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この後、次駅の松島海岸駅へ向かいました。そして・・・、まさか自らが被災することになるとは考えてもいませんでした。

 

 

2022年3月27日 (日)

BRTに乗る

あの3.11、東日本大震災で甚大な被害を受けた鉄道の復旧に際し、BRT(Bus Rapid Transit) に転換して復旧させたのが、気仙沼線 柳津-気仙沼間と大船渡線 気仙沼-盛間。まさか鉄道好きがBRT全線に乗ることになるとは・・・。

三陸鉄道で着いた盛、JRの線路があった筈のところはこの通り。

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駅舎の中に、Nゲージジオラマでその様子が展示されていました。

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線路があった場所は舗装されてしまいました。三陸鉄道からの分岐器が、JRの線路があった時代を伝えているようです。

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“2番線”が大船渡線BRTの乗り場。最初は陸前高田行きに乗車します。

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踏切だった場所では、BRTが通らない時は一般車の誤進入を防ぐための遮断機が設けられています。BRT接近に伴い、遮断機がが上がり、一般車側は停止して通過を待ちます。

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車窓に広がる風景は、3.11の津波が如何に酷いものだったのかを伝えています。

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単線を道路に転換したので、対向車とのすれ違いは出来ません。要所要所に待避所が設けられ、対向車と交換するところは鉄道のシステムです。

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高台に移転した陸前高田駅は、立派な駅舎ですが、線路はありません。ここで気仙沼行きに乗り換えでした。

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これがあの“奇跡の一本松”。右には津波で全壊した陸前高田ユースホステルの建物が残されています。堤防が造られたことで見ることが出来なくなった広田湾に面したこの辺り一帯が、高田松原だったのですね。

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気仙沼でも駅舎にはNゲージジオラマが展示されていました。

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洒落た駅舎になっています。

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ここからは一ノ関方面への線路があります。

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残念ながらここから気仙沼方面は、線路は撤去されてしまったのです。

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OER3001氏は気仙沼線のBRTに乗り換えます。

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山間部で続くトンネル、線路があって気動車が往来していた姿が偲ばれます。

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ここでも“列車交換”です。

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BRTの終点は柳津駅。左側の道路を来たBRTは、乗客を降ろして車庫に行きました。ここからは線路の上を走れます。

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僅か10分程の乗り換え時間で、この柳津駅の様子も刻んでおきました。終わってみればBRT区間全線走破などという貴重な体験、二度目は無いでしょうね。

 

 

2022年3月26日 (土)

岩手開発鉄道を見る

盛駅にはJR東日本と三陸鉄道の駅舎が並びます。しかし線路があるのは三陸鉄道だけ。JRはBRTに転換され、線路はありません。

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駅舎右手の跨線橋に上げれば、三陸鉄道の検車庫と収容線が見渡せます。

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その横にもう1社、駅舎が無い貨物専用鉄道の線路があり、車両が停まっていました。岩手開発鉄道です。大船渡市内陸部の大船渡鉱山から産出される石灰石を、同市赤崎町にある太平洋セメント大船渡工場まで輸送する、全長11.5㎞の路線。

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4両のディーゼル機関車を所有するが、ここで見られたのはDD5652。DD13に似た形状だが、エンジンは直噴式のDMF31SDI(600ps)に換装されているとのこと。

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線路脇公道から、ちょうど良い角度で撮ることが出来ました。

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OER3001氏が、斯様な模型製作に挑むことなどあり得ませんが、一応貨車も撮っておきます。

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貨車はホキ100形。国鉄セキ3000形貨車との同一設計の35tホッパ車で、1960(昭和35)年から2000年(平成12)年にかけて製造された52両の内、45両が現役のようです。

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下部荷卸開戸は電動式だそうで、台車はコロ軸受けのTR213C形とTR225形

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誰かが“作りたい”と言ったときの参考になればと、念のため細部ディテールも押さえておきました。

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ホッパ車なので上からの眺めも重要です。

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どれも良く整備されている感じでした。石灰石を満載しての走行を撮りたかったですが、ダイヤも知らず残念です。

 

 

2022年3月25日 (金)

やっと三陸鉄道に

我が国初の第三セクター鉄道として1984(昭和59)年に誕生した三陸鉄道。一度は訪れてみたいと思いつつもなかなかその機会を得られないまま、度重なる災害と経営難にもかかわらず、3.11後には見事な復旧を果たし、JR山田線 釜石駅 - 宮古駅間の移管により、盛-久慈間をリアス線として営業している三陸鉄道。今回初めて、旧南リアス線区間の釜石から盛まで乗車することができました。

7:41発の盛行きは、JRから少し離れた元南リアス線のホームから発車します。

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右手に日本製鉄工場を見つつ、甲子川に架かる4連トラス橋梁に入って行く、後ろ姿を収めました。

 

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OER3001氏が乗る8:33発まで時間があるので、7:50発の久慈行きを見送りました。元JR山田線区間なので、JRホームからの発車して行きます。右前方の青いのはC58の専用庫。

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OER3001氏が乗る8:33発は、元JR山田線・宮古からの列車。8:29到着を構えていました。

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C58が庫から出てくる時、36-716がホームに入って来ました。

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直通列車は元JRのホームを利用します。いよいよここから乗車です。

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36-700形は2013(平成25)年から導入された車両で、乗車した36-716は、2019(令和元)年3月導入の新潟鉄鋼製最新バージョンの1両でした。

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車内には、地元釜石のラグビー選手の肖像とサインが掲示されていました。

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「唐丹」読みづらい「とうに」で交換しました。

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3.11被災の光景をこの目に刻むことも目的のひとつにしていましたが、こうして海岸線には堤防が構築され、陸側の殆どはまだ未整備状態の光景を目の当たりにして、ぱっぱり言葉を失います。

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それでも「小石浜」漁港のある地区の駅名を2009(平成21)年に「恋し浜」と改称。ホームに「幸せの鐘」設置や、待合室に来駅記念に地元「恋し浜ホタテ」の貝殻を絵馬にして吊るし、「願い」を掛けることができるなど、“恋愛パワースポット”にするなど、上客誘致に取り組んでいるのです。

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駅銘板にも「愛の磯辺」と。

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これが「幸せの鐘」、ついていたら列車は行ってしまいます。少なくとも1時間は、この世界を二人で独占できそうです。

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やがて列車は海辺から離れ、山間をトンネルで抜けていきます。

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このトンネルの右に流れる川(恐らく綾里川)、その先では滝になっていますね。

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49分の乗車を終え、9:21盛に到着です。

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盛に到着しましたが、ここから先へは乗客が乗ることができる列車も線路もありません。

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OER3001氏が乗ってきた36-716は、一番左の留置線に収容されて一休みとなりました。

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この先、あった筈の線路は無く、専用バスのみが走ることが出来るBRT専用道路になってしまいました。

 

 

2022年3月24日 (木)

「SL銀河」用客車

東北地方太平洋沖地震(東日本大震災)からの観光復興を後押しする目的で誕生した「SL銀河」は、岩手県営運動公園に保存されていたC58 239が注目されますが、釜石線の陸中大橋-足ヶ瀬間の上り勾配区間に於ける機関車補助として、JR北海道の札沼線電化で余剰となった気動車を譲受して改装した“客車”も、鉄道ファンとしては見逃せません。

釜石駅で機関車から切り離された“客車”は、翌日の上りに向けて自力走行により転線して来ました。

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折角なので順番に4両全てを観察します。花巻方1号車はキハ142-701(←キハ142-201←オハフ51 30)、DMF13HZE形 (300PS) を2基装備する。

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2号車はキサハ144-702(←キサハ144-103←オハフ51 10)。

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3号車はキサハ144-701(←キサハ144-101←オハフ51 7)。

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そして釜石方の4号車はDMF13HZD形 (450PS) を1基を搭載するキハ143-701(←キハ143-155←オハフ51 27)という編成。

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この車両だけ台車は他のDT-22A・TR-51Aではなく、2軸駆動式の空気ばね式ボルスタレス台車N-DT150A・N-TR150Aを使用する。

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塗装は一見、青15号のような単色と思うが実は、各社の前後で明度が異なる「青」が使われ、釜石方からだんだん明るい青になっていたのでした。

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秋田新幹線E-6や「サフィール踊り子」E261系、「TRAIN SUITE 四季島」などのデザインを担当した、(株)KEN OKUYAMA DESIGNによるデザインプロデュースだとか。

一応“客車”のディーテールも取材してきましたが、決して模型製作など計画しませんので(笑)。

 

2022年3月23日 (水)

東北へ

震度6強を記録した地震に見舞われることになる旅、そもそもはこれから始まりました。東京駅7:16発「つばさ101」の入線を待ち受けます。

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向かったところはここ、イーハトーヴ (宮澤賢治)。

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最初の目的は、客車の老朽化に伴い、2023(令和5)年春をもって運行を終了と発表された「SL銀河」試運転の撮影でした。OER3001氏は所謂“SLファン”ではありませんが、鉄道ファンの一人として、“客車”と表現されている気動車にも興味があり、今回の旅となりました。

お仲間のたかべーさんの運転するレンタカーでの追いかけが始まりました。最初はここ、土沢の手前だったようです。

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次の場所が12分ほど停車する宮守の手前で。

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しっかり気動車の後方も撮っておきます。

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そしていよいよ、今回の一番の目的地であった宮守川橋梁に向かいます。2002(平成14)年に土木学会選奨土木遺産、2009(平成21)年に近代化産業遺産に認定された橋梁です。かつて読んだ「銀河鉄道の夜」のモチーフとなった橋梁ということで、童話での空へ駆け上がるイメージを求め、川面から見上げる角度で収めてみました。

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撮ったら乗って移動という“体育会系撮り鉄”で向かった場所は、遠野より手前の道路との併走区間でした。鱒沢-荒谷前だったようです。

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綾織付近でも撮れました。

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足ヶ瀬の小さな踏切では同業者20人は集まったでしょうか。何とプロカメラマンA氏にお声がけ頂きました。

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この日の最後は陸中大橋の発車を。

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釜石では転車台で向きを変え、専用の庫に収まります。

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これでこの日の計画終了! 夜の部へと向かいました。

 

 

2022年3月22日 (火)

思わぬ体験:旅先で“被災”

旅先で大きな地震に見舞われて津波注意報発令、町の防災放送や館内非常放送、スマホへのアラームなどで、まともに眠れなかった一夜は、皮肉にも綺麗な朝陽で開けました。

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幸いにもしっかりした建物のホテルに泊まっていました。

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しかし、館内を見回ってみれば、廊下の隅では斯様なひび割れ。

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1階ロビーの天井照明器具が落下していたようです。

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また、天井の化粧板も落下していました。

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帰路の交通手段が閉ざされてしまったため、ここでもう一夜過ごした方が安全と判断。とりあえず外に出てみました。

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コンビニの棚からはパン、おにぎりの類いが消えています。物流が閉ざされたようで、供給が間に合いません。

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仙石線の最寄り駅に行ってみました。

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石巻行電車を思われますが、駅を出たところで停車。そのまま朝になっても動かせず、踏切は遮断機が下り、警報器が鳴りっぱなしという状態でした。

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踏切脇の柱には津波からの避難所も掲示されていて、あの3.11以来様々な防災対策が採られていることを実感しましたが、まさか自ら“実地体験”することになるとは。

 

 

2022年3月21日 (月)

再訪:「想い出の光景:11」

2020年12月16日掲載の「想い出の光景:11」の地を再訪してきました。

この日の目的は、あの3.11被災地の現状を、この目で見ることでした。釜石から石巻まで海岸線に沿って移動、松島で宿泊と予定していました。石巻からの仙石線205系先頭車から見えた松島海岸駅です。

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ここで下車、乗ってきた電車がトンネルに入っていくのを見送ります。

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そうです、ここが1967年5月にトンネルから出て来たクモハ73を撮っていた地です。

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島式プラットホームに、ぶどう色クモハ73を先頭に後部には仙石色(気動車色)のクハ79が停車しました。

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それが55年後の今は、島式だったホームは下り専用、上りホームが新設されていました。ホームの石積みに当時が偲ばれます。

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55年前にホーム仙台側にあった踏切の姿はありません。駅立派なものに立派なものに変わりました。

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観光客を出迎えるに相応しいものになっていたのは好ましいことです。

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駅前から少し歩けば松島周遊観光船の乗り場。その海岸には「3.11東日本大震災伝承板」が設けられていました。

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ここへ来て本当に大地震を体験することになるとは、この時は思ってもいませんでした。

温泉に入った後、生ビールと宮城県の地酒で、地元産品での夕食を堪能して就寝しかけた23時36分、最大震度6強の地震で目を覚まされたのでした。

 

 

 

2022年3月20日 (日)

VSEの想い出 -10

50000形VSEが定期運行から引退して早1週間。想い出を綴ってきたこのシリーズ、これまでに記録してきたシーンをご紹介して終えようと思います。

2017年春には、相武台前-座間間の“お立ち台”には上がって行かれないように柵が出来てしまい、やむを得ず場所を変えて撮りました。

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翌年にはこんなアングルでサクラを絡めて撮りました。

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よみうりランド前-百合ヶ丘間のカーブでは1000形との離合も。

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9月には新宿2号踏切から。

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11月に開成-栢山間で撮ったのは、前照灯が中央2灯のみの点灯でした。

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2019年5月には、新宿2号踏切に掛かる跨線橋から。

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2020年1月の代々木八幡-代々木上原間、霙が舞う寒い日でした。この頃はエバンゲリオンとかなんとかのステッカーが貼られていていました。

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2月には改良工事が終了に近付いた代々木八幡駅の新しいプラットホームから。

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この日は、代々木上原方に移動しても撮っていました。

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気候が良くなった5月は開成-栢山間へ。田圃にはまだ水を入れていないときです。

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2日連続で撮影していたようで、翌日は箱根登山線内へ。東海道線とのツーショットを期待していましたが叶いませんでした。

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12月には代々木八幡-代々木上原間に。箱根ゴールデンコース60周年ステッカーが貼られています。

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箱根板橋に向かって33.3‰を下りてくる姿、露出合わせに苦労する場所です。

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2021年8月の暑かった日、油断しているときにやって来たのは、コンデジで流してみました。

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70000形GSE登場により若干陰が薄くなったようでも、まだまだ我が国を代表する優秀な車両です。消え去る前にドタバタ撮るのではなく、こうして日常を記録してきて良かったと思っています。最終運行日となった3月11日、OER3001氏は喧噪の中には行かず、自宅で想い出に慕っていました。

 

 

2022年3月19日 (土)

VSEの想い出 -9

つい3日前にも、あの日と同じような大地震がありましたが、2011年の“3.11”後、首都圏も計画停電に伴う運行列車の大幅削減などが行われていました。

それが一段落した後の大型連休中、OER3001氏は箱根湯本発14:18の「スーパーはこね24」先頭10号車の展望席で新宿に向かっています。入線して来た下りを、ホームから撮りました。国道にはちょうど小田急バスも。

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「がんばろう日本」のステッカーは、VSEにも付けられました。

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最前列右の12D席だったと思います。この場所からの眺望にはちょっと不満もありましたが、箱根湯本からは登山線の1,435㎜軌間との3線区間です。

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ここ箱根板橋は、既に1,435㎜軌間が外され、小田急の車両だけで運行されるようになっていました。

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小田原を出ると、ロマンスカーらしい軽快な走りが楽しめ、この時は現役バリバリの20000形RSEともすれ違っていました。

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リニューアルされた7000形LSEとすれ違ったのは百合ヶ丘。

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百合ヶ丘駅を通過してカーブに差し掛かると・・・、見慣れた御仁を発見!(矢印)

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さらに近付くと、笑顔で手を振る友が

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展望席に乗ることを伝えたら沿線で待ち受けてくださり、こちらを撮って頂きました。Yいちさん、ありがとございました。

新宿駅では最後の降車乗客になり、室内を撮っておきました。

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この時はまだ、新宿駅1番ホームから撮ることが出来たのに・・・、今は入場出来なくなってしまったことが残念です。

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展望席乗車を記念に、外からその光景を撮って頂いたなど、貴重な記録、想い出となりました。

2022年3月18日 (金)

VSEの想い出 -8

小田急のフラッグシップとして活躍する50000形VSEも、時代とともに変化が生じていました。

受動喫煙防止の法施行もあって、特急ロマンスカーを車内全面禁煙としたことから、3・8号車に備えられていた喫煙コーナーを2007(平成19)年3月18日をもって使用停止、以後はパンフレットスペースになりました。

LSE車とHiSE車が、部品の一部に不具合が見つかったことから全面的に運用離脱とされたことによる代走として2010(平成22)年1月20日、初めて多摩線への入線となりました。この機会をOER3001氏が逃すわけは無く、これで帰宅することとした次第。特急専用ではない2号線に静かに入線してきました。珍しい光景を見に来た人も少なくありません。

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20:10発の小田原行が発車した後の20:15発唐木田行「ホームウェイ75」となります。

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「ホームウェイ75号・唐木田」の表示は初のことです。

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こんな贅沢な帰宅で良いのかななどと・・・、思わずに乗り込みました。

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車内の案内、なかなか新鮮なものでした。

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暫し優雅なひとときを楽しんでいると、あらかじめ乗ることを伝えていたようで、会社の友人氏が小田急多摩センター駅の上りホームで手を振ってくれていたのでした。

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窓越しに手を振ったら、車内表示が「まもなく終点 唐木田 です。」と。

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結局、乗客はこちら方面へ帰宅する人より、物珍しさに乗り鉄した乗客の方が遙かに多かったようでした。

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改札を出たOER3001氏は、折り返しで喜多見車庫に引き返して行くVSEを、側道から見送りました。

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その隣にはメトロ6000系の「多摩急行・綾瀬」行が。良き想い出です。

 

2022年3月17日 (木)

VSEの想い出 -7

華々しくデビューした50000形VSEは、この年の最優秀車両として鉄道友の会のブルーリボン賞を受賞。授賞式が行われた2006(平成18)年9月10日、OER3001氏は新宿駅の式典には行かれず、開成-栢山間で待ち構えていました。

11時過ぎのここ、日当たりが真正面からと言うこともあり、いつもとは違う海側から構えましたが、正面に受賞記念ステッカーを付けたVSEが疾走してきました。

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午後になり、折り返した上りは山側から陽射しを受けるので、反対側にまわって撮りました。

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受賞記念ステッカーは、その後も暫く付けられていました。午前中からの御殿山での昼食を挟んだ会議を終えて、夕刻から熱海で開催される会議に向かった12月6日には、新幹線では無くVSEを利用した次第。

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正面の受賞記念ステッカーをしっかり撮っておきました。

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3・8号車側面にも、同じデザインが描かれています。

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この年VSEは、日本デザイン振興会から2005年度グッドデザイン賞も受賞し、Gマークが掲げられました。小田原城天守閣を入れて撮りたかった1枚です。

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30000形EXEで“普通の特急車両”感に魅力低下していたロマンスカーブランドの再活性化に、大きく貢献していたことは明白でした。

 

 

2022年3月16日 (水)

VSEの想い出 -6

OER3001氏が初めて営業列車に乗ったのは、運行開始3日目の2005(平成17)年3月21日のことでした。乗車する列車の到着を待ち構えていました。

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家内に記念撮影してもらった後、1号車に乗車。座席は残念ながら「1」ではなく、「2AB」しか取れませんでした。

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代々木上原構内手前で、すれ違ったロマンスカーは塗色変更していた7000形LSE。

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注文しておいた特別弁当とお茶のシートサービスで、暫し優雅なひとときを楽しみました。窓辺のプレミアムコーヒーと共に、このVSE就役に合わせて登場したグラスも懐かしいです。

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昼食後にはお決まりの車内見学。サービスコーナーが設けられている3・8号車の天井採光はなかなか好ましいものでした。

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もう1本のVSEと、開成ですれ違いました。

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小田原からはまだ3線の時代だったのですね。1,435㎜軌間のレールも光っていました。

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箱根湯本の装飾も、新宿駅同様にVSEの特徴を伝えるものでした。

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降車後は例によって、折り返しを撮っています。

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この光景は、先月撮っていた下の光景と殆ど変化が認められません。

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なのに・・・、今日は定期運行から引退して早4日。イベント列車として再びここへ来る日はいつになるのでしょうか?

 

 

2022年3月15日 (火)

VSEの想い出 -5

50000形VSEの運行は2005(平成17)年3月19日土曜日から開始、新宿駅には盛大な装飾が施されていました。営業運転の一番列車には、何かの事情で立ち会うことは出来ませんでしたが、15時過ぎの状況を見に行っています。

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16時過ぎの到着と出発を見に行ったようです。この時代、1番ホームは降車専用として使われていました。

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物珍しさもあって、多くの人が見物したり撮影したりしています。車止め周辺にはVSEの装飾がなされ、新型ロマンスカーデビューを宣伝していました。

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車止め背後にはVSE(Vault Super Express)の特徴である高い天井を原寸大で紹介しています。

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そして降車専用1番ホームにかけて、デザインコンセプトが紹介されていました。

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続いてそのデザインプロセスも。左から右へと見ていきましょう。

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最右端には先頭部の側面透視図が。展望席と運転席がどう構成されているのか、よく判ります。

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折り返しの発車前に、透視図と実車を一緒に撮っておきました。

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これだけ力を注いだ車両だったのに・・・、誰がその定期運行が17年間で終えることを予測していたでしょうか?

 

 

 

 

2022年3月14日 (月)

VSEの想い出 -4

2005(平成17)年3月6日午後は、多摩線で開始されていた試運転の模様を撮りに出掛けていました。15時過ぎ、はるひ野-小田急永山間の諏訪隧道上に架かる電車見橋で待ち受けます。諏訪隧道を抜けて、VSEが顔を出したところを撮れました。

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唐木田から折り返して来る上りは、その電車見橋から。

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季節は異なりますが、ここの風景も今と比べればまだ背後のマンションも無かったのですね。

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新百合ヶ丘で折り返して来る下りは、永山隧道手前で撮っています。

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さらに、その折り返しまでには永山隧道の上に上り、後追いで。

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白いロマンスカーの勇姿をできるだけ収めておきました。

 

 

2022年3月13日 (日)

VSEの想い出 -3

営業運転が開始される前の2005(平成17)年3月5日、こんなことがあったようです。2月6日に入線した第2編成と試運転中2編成が、小田急多摩センター駅の3・4番線で並んだのです。記憶が曖昧ですが、この日は招待客の試乗会が実施されていたのでしょうか。

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お隣の「京王多摩センター」の表示とVSE、貴重なショットでした。

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その後は小田急永山駅で、招待客を乗せた試乗列車を撮っていました。

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アルミハニカム構造の車体はリニューアル改造に向かないとか。へ~、そうなんだ。そう言えばそうした事例は聞きませんね。700系などの新幹線も使用停止になるまで15年ほどだとか。それにしてもな~。

 

2022年3月12日 (土)

VSEの想い出 -2

試運転を開始した50000形VSEを、OER3001氏が初めて撮ったのがこれでした。当時は上下線とも副本線を備えていた小田急多摩センター駅へ9時56分進入。

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この日、多摩線内の試運転を追いかけていたようです。10時24分には黒川で下りを捉えています。

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前年の2004(平成16)年12月11日に小田急70番目の駅として開業したはるひ野駅では、諏訪隧道を抜けて来た上りを捉えることができました。この時10時55分、架線と饋電線の陰がお顔を傷つけてしまいました。

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12時51分に、唐木田に到着、一旦収容線に入ります。

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12時59分、収容線に入った姿を確認しました。一番右(西)側の33番線です。

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この時の唐木田は、多摩急行としてやって来た東京メトロ6000系ばかりでした。

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小休止の後の13時28分、2番線に入線した50000形VSE。午後の試運転に向かいました。

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定期運行の終了とは、本当に残念です。

 

 

2022年3月11日 (金)

VSEの想い出 -1

本日をもって定期運行を終了する50000形VSEは、3000形SE、3100形NSE、7000形LSE、10000形HiSEと続いてきた“ロマンスカーは連接車”というイメージを壊した30000形EXEの投入で、ブランドイメージが低下がしていたロマンスカーに、久々に小田急が力を入れて開発した車両でした。

その50000形VSEをOER3001氏が初めて目にしたのがこれ。2004(平成16)年11月23日13時過ぎの大野工場。

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前日深夜というかこの日の未明、メーカーである日本車輌から甲種回送されて、到着したばかりの姿でした。全身をすっぽりシートで覆われています。

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近くに寄りたくても、手前の留置線や洗浄線などに常時車両が出入りするので、その姿を捉えるのに苦労。公道からはこれが限界でした。

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実車はこの後、検査整備、11月29日の「お披露目式」で初めて外観を公開した後、12月24日から試運転が開始されました。

試運転期間中の2005年(平成17)2月には、こんなモックアップを作っていろいろと検討していたのでした。

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一番悩んでいたのは、実車のような連接構造の再現方法でした。模型製作でモックアップを作って検討したのは3100形NSE以来となっていたのですが・・・、結局完成させられないままに、実車は定期運行を終了してしまうこととなりました(涙)。

 

2022年3月10日 (木)

今日の一枚 No.141

本日は3月10日。明日はあの2011年3月11日の東日本大震災から11年目、そして50000形VSEの定期運行最後の日。両方とも悲しいことです。

50000形VSEの営業運転は、2005年春から開始されました。その年、ここサクラで有名な撮影地には、多くのファンがカメラを構えていました。

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意欲的な新機軸を多く採用して、高速運転時の安定した乗り心地を実現した車両なのに、17年間での定期運行終了とはあまりに短いです。

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東海道線の線路で、SE・3000形やLSE・7000形が試験走行したように、この車両も走って欲しかった。間違いなく最高の乗り心地だったことでしょう。

 

2022年3月 9日 (水)

遺品を授かって・・・

昨年12月に亡くなられた奇車怪社さんこと柚木明宏氏の弔問に、お仲間とご自宅を訪れた際、奥様から1両づつ遺品を授かりました。OER3001氏が授かったのはこの1箱、クモユニ81201と記されています。

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実は遺品はそのクモユニ81201だけではなく、それを収納する箱もです。富士ゼロックスで製品のパッケージング設計をされていたという“プロ”にとって、模型の保護・収納などは“屁のカッパ”だったのでしょう。妻にアガチス材、天、底と側が白ボールの曲げ加工ですが、蓋は一重、本体は折り返しの二重構造として強度を持たせるという見事な構造です。

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その中から取り出すと、側はクモユニ81そのもの、顔がクモニ83というペーパー製のフリーです。だから200番台にしたのですね、納得。

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丁寧に綺麗に仕上げられて、窓ガラスやパンタを載せれば完成するというところまで来ています。

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台車はDT16だし、床下機器もクモユニ81そのままに取り付け済ではありませんか。

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とりあえずは非動力で仕上げられていましたが、いざ動力可しようと思えば、この部分を床板ごと外し、WB-31を付ければ良いと言う設計でした。

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遺品を授かったお仲間たちと、各自遺品を完成させたら、ご家族を招いて完成報告会兼偲ぶ会を開催する計画です。

当初は窓ガラス入れてパンタ載せるだけで良いじゃないか、と考えていましたが・・・、いやいやLEDで点灯化もしたいなどと考え出すと、結構な手間がかかるかも知れません。

 

 

2022年3月 8日 (火)

0番コキ塗りました

大方出来て、さてどんな色にしようかと考えていて・・・、グレーが良いかなと思っていた矢先、以前富士急の富士登山電車を塗ったスプレーが大幅に余っていたことを思い出し、こういうときに使うべしと赤茶にすることにしました。

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この日は朝早く起きたので、朝食前にプラーマーを塗り、サフェーサーまで済ませました。ちょうど暖かな陽射しに恵まれたので、朝食後にベランダを養生し、ご覧のような作業が始まりました。プライマーだかラッカーだか判別できませんね。

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塗装はマスキングは不要でも、表裏左右前後と、多方向から吹き付けては乾燥させてからまた吹きつけと、結構な時間を要しました。

折角ベランダ養生したのだから、塗装待ちの他車もと思っていたのですが・・・、だんだんと風が強くなり、吹き付け塗装には迷惑。他の塗装は諦め、昼食後には近所をウォーキング。

仕方ないので帰宅後は、コキの仕上げに取り組むこととしました。昔のインレタストックを見付け、車番を入れたりステップに色差ししたり。外してあった台車、連結器を取り付けたいよいよ完成です。

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手をかけたデッキににんまり。ステップの白が効果的でした。

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車両全景、如何でしょう?

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台車には、60年以上昔の製品も使用しているし、スケールとは言えませんがまあ良しです。

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国鉄の最初のコンテナ貨車がチキ5000(→コキ5000)、その後にコキ5500となっているし、別にコキ500も存在するようで、あれこれ考えて形式はコキ50形としました。幸いにもかなり昔に購入していた“DECAdry”のインレタ数字が使用できました。数字はあってもカタカナは描くしかありません。

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セリアのコンテナには何の加工もしません。床下に4個積み、大型3個積みのどちらにも対応できるような位置に、丸いネオジウムマグネットを付け、これで“固定”します。

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なんだかんだで様々なデザインを小さいのは4個づつ、大きいのは3個づつ買ってあるので、気分で多様な積み替えが楽しめます。

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さて、できたは良いけど、走らせたくても牽引する機関車がありません。そもそもセリアコンテナを飾るための小道具として製作した貨車ですが、0番の運転会にお邪魔して、モハメイドペーパーさまのEF65あたりに牽引して貰いたいです。

 

 

 

2022年3月 7日 (月)

ほぼ出来た!

発端は100円ショップ“セリア”で売り出したコンテナ擬きの小物入れを買ってしまったことが間違いの始まりでした。連結器付けて、台車も付けてと、0番コキは完成に近付いています。

リビングルームのサイドボードに置いて、眺めています。

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これで次は塗装できるなと思って、ついニヤニヤ。

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しかしどうも寂しい、なんで?

・・・・・

 

そもそもスケールものでは無いので凝る気は全く無いのですが、なんか寂しい。そこで遂に、ハンドブレーキハンドル(?)を付けてみることにしました。模型作るつもりでコキを観察したことが無いので、ネットから参考になりそうな画像を検索です。

ブレーキハンドルにはスナップの雄側を利用。適当なサイズだし丸いからハンドルに見えるでしょ。

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デッキ下のステップも作りました。アングル材を切り、0.8t床板の端材からステップ部分を切り出してハンダ付け。台枠裏に接着しました。無いより全然引き締まり満足しています。

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コンテナは固定せず、台枠裏のマグネットで積み替え自由です。コンテナは製品そのままの小物入れですから、運転会にお邪魔するときにはキャンディでも詰めて行きましょうか。

いよいよ塗装に進めますが、どんなカラーにしましょう。あれこれ考えるのも楽しいですね。

 

 

2022年3月 6日 (日)

今日の一枚 No.140

都立高校なども合格発表が終わり、卒業式のシーズン。ちょっと画像を探っていて“通学列車”を見付けました。奥羽本線米沢駅、まだ国鉄時代の8月下旬。こんな旧型客車での通学が日常だったのですね。

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出張の帰りに撮っていた一枚でした。

この後忘れもしない、帰路の特急「つばさ」は指定席が無く自由席に乗ったら福島までは座れませんでした。夏休みを終えて東京に戻る学生団体や旅行客で溢れていて、ビジネスだったOER3001氏には過酷な列車旅となりました。

それも今となっては懐かしい想い出。

 

 

2022年3月 5日 (土)

新5000系の昼休み

斯様な標題にした今回は、朝晩の“京王ライナー”が主な任務となる新5000系の昼間の姿を。

この日、廃車解体作業の都営10-300系を見た後、久しぶりに若葉台基地の奥まで足を運んでみました。公道からはこの季節でも枯れた雑草が邪魔をして、手前は良く見残念ですが残念です。右から3番目の線路に、新5000系が居ました。

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その左は都営10-300系、9000系が2本と続き、また新5000系が。

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さらに、検修庫を挟んだ2線目にも新5000系。

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全6本の新5000系の内の3本は、若葉台で昼休みです。それにしても稼働率が低い車両ですね。それなのにさらに1編成が、間もなく登場のようです。今度はリクライニング機構が備わった座席になるようで。

 

2022年3月 4日 (金)

廃車解体準備

鉄道ファンにとっては悲しい廃車、解体ですが、模型と違って実車は輸送サービスを提供するための設備機器のひとつであるため、安全確保のために定期的な保守・点検が欠かせません。それでも老朽化に伴って保守経費と更新の経済性を検討した結果、役割を次世代に引き継いだ後は、廃車されるのはやむを得ないことでしょう。

友人からフェイスブック(fb)を通じて得た情報から、京王若葉台工場で都営10-300系の解体が進行中と知り、早速見て来た次第。近くのショッピングセンター駐車場にクルマを停め、公道から外周を歩き始めると、一番端の線路に、その姿を確認しました。

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上下させることができる入換機の連結装置にしっかり繋がれて、作業に合わせて建屋内を移動するようです。

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先頭車10-390は既に空調装置が取り外されていました。

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2両目のパンタグラフが外されていることも確認できました。

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こうして再利用できる主要機器を外した後、クレーンで吊り上げ、解体場所に輸送するトレーラーに載せられるのでしょう。鉄道車両の最後を見るのは悲しいです。この日10-390Fは、本八幡方の2両しか見ることできず、他の車両は既に搬出されたことと思います。

 

 

2022年3月 3日 (木)

台車取り付け

センターピンの穴開けには、床板を貫通させないように、深さを6㎜で止めなければなりません。2.5φドリルにマスキングテープで目印を付けます。

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それでグリグリするとこうなりました。

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3㎜タップを立てます。

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真鍮板から作った枕梁を付けます。こちらはベッテンドルフ台車の枕梁。

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アンドリュー台車の枕梁はこんな感じ。

20220227_0006_20

台車を取り付けて見ました。ビス長を詰めなければなりませんが、感じは良いようです。

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アンドリュー台車の方も良い感じです。

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ここまで来れば、再分解して若干のディテール工作が楽しめそうです。それでも完成までにはまだ時間がかかりそうです。

 

 

2022年3月 2日 (水)

台車取り付け準備

連結器を取り付けたら、その高さを調整する必要があります。本来なら台車を付けた車両に、連結器高さを調整しつつ取り付けるのが正しい手順ですが、事情があって逆になっています。

ベッテンドルフ台車に仮乗せしてみると、唯一の2線式0番車両であるデハ1600との高さは1㎜程度低いようです。

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台車の枕梁高さの違いから、アンドリュー台車ではさらに低くなるようです。

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そこで、枕梁を作り分けることで対応することとしました。0.5t、1.0tの真鍮板を万力で固定し、所定寸法に切り出します。

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0.5t(左)、1.0t(右)の4枚、2両分を切り出しました。

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1.0tの方は2枚重ねてハンダ付けの後、センターピンのタップを立てます。

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センターピンは3㎜ビスとすることとし、スリーブを用意することにしました。外形4㎜と4.5㎜の真鍮パイプから切り出します。

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さて、これらを床下に付けなくてはなりません。

 

 

2022年3月 1日 (火)

連結器入手

0番でコンテナ貨車を」をアップしたのが2月6日、それからだいぶ放置していましたが、やっと連結器を入手できました。

Kadeeを使うつもりで探索していたところ、0番に使えるKadeeは#804~806の3種があるようですが、IMONのWebだけでは商品の詳細を理解できず、高価な#806は対象外として#804、#805の両方が在庫している池袋店に行って、現物確認した上で、#805を買って来ました。因みに#804はプラ、#805がダイキャストの違いでした。

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パッケージを開けると中身はこれら。HOと同様に予備のスプリングもhが行っています。

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これを取り付けるための穴開け作業にかかります。端部から8㎜の位置に下穴を開けますが、床上まで貫通してしまわないような配慮が必要です。下穴ドリルは必要な長さ(深さ)だけをピンバイスの先から出し、タップにはマスキングテープで目印を付けて作業です。

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これ以上はグリグリしてはいけません。

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良い感じで取り付けられました。

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まだ端梁を製作していませんが、いよいよその寸法を決められます。

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気の向くままにあれこれ弄っている中で3月に突入、お陰様でやることが多く、暇無しの3月となりそうです。

 

 

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