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2022年4月

2022年4月30日 (土)

京阪の想い出

関西私鉄の記録に触れていたら、OER3001氏は結構京阪好きだったことを思い出しました。とは言え、今の京阪では無く、この時代の京阪ですが。

鴨川畔を行き交っていた時代、京阪三条駅に居るだけで楽しかった記憶があります。この画像、現特急車と2世代前の特急車ではありませんか!

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京阪三条からの京津線は魅力満載でした。いつかは作りたいと思いつつ、未だに模型製作していませんが、諦めたわけではありません。

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一度は撮ってみたかったこの場所に行ったのは、東海道新幹線300系の試乗会に参加した日。もっと居たかった場所でしたが時間的余裕が無く、数列車しか撮っていませんでしたが、8000系を撮れたので満足でした。

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右手が不自由なままでは、回復後にやりたいことがどんどん増えてきます。

 

 

2022年4月29日 (金)

関西私鉄の記録から

右手の不自由が続いているので、模型製作はお預け状態。仕方ないので画像探しをしていたら、関西私鉄の懐かしい時代がありました。小田急ファンでもしっかり撮っているのですよ。模型製作に必須の屋根上を撮ろうとしていたのでしょうか?

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折角なので、モノクロ写真のカラー化ソフトでちょっと遊んでみました。雰囲気は出るものですね。

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ついでに京阪も。こちらでの撮影は、模型製作に大いに役立ちました。おそらく今はこの場所に上がれないかも知れません。

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これもカラー化してみました。まあ何とか雰囲気は・・・。

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阪急京都線の特急も、京阪特急もそれなりになるものだと気をよくして5扉車5000系もカラー化してみたら・・・、

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とんでもないことになってしまいました。特急カラーの5000系誕生ではありませんか!

モノクロ写真カラー化ソフトはあてになりません。記憶が一番です。

 

 

2022年4月27日 (水)

HB車の想い出

叔母の逝去に絡んで取り上げてきたモハニ101形、1200形でしたが、折角ですからその仲間にも触れておきたいと思います。

1200形とともにHB車(H=hand・手動進段、B=Battery)の一員だった1400形のうち1406は引退後、教習車となって長く経堂の研修所に置かれていたのが懐かしいです。このツートーンカラーで本線を走って欲しかったです。

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デハ1400形の相棒はクハ1450形でしたが、1200形の2連と連結した3両編成も多くいました。

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小田急から引退したHB車は、地方中小私鉄に転じて活躍した車両も少なくありませんでしたが、暑い夏の午後、 燕から東関屋まで乗車した新潟交通のクハ47(元デハ1414)。

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小田急時代の扇風機や車内表示が残っていて嬉しかったことを記憶しています。

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未だ不自由を余儀なくされている右手、回復したらまたHB車も増備したくなりました。やりたいことがたくさんあるのに、出来ることが少ないというストレスは溜まるばかりです。

 

2022年4月24日 (日)

1200形を偲ぶ

1927(昭和2)年生まれのモハニ101形(小田原急行鉄道)に触れたら、後の1200形にも。

40年以上前の1980(昭和55)年から1981年にかけてペーパー自作していましたが、今となっては気掛かりな部分もあって、再度製作したくも思いますが、今は叶いません。

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残念ながら今できるのは、先日入手したソフトで、モノクロ写真をカラー化して見ることくらいです。

そこで、撮影していたHB車の中から1200形の画像を探し、遊んでみました。1967(昭和42)年2月には結構な積雪に見舞われました。

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代々木上原-東北沢間にあったホッパ線脇には度々出掛けていました。今では代々木上原駅ホームの西端あたり。警手が居た(代々木上原2号?3号)井の頭通り踏切が懐かしいです。

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車番が解読しづらいですが、1211-1351+1352-1212 1217-1351+1352-1218の編成と思われます。ホッパ線を左に、東北沢への勾配を上がって行きました。

モノクロ写真カラー化ソフト、不自然な部分はあるものの、これらの画像ではなんとか当時の雰囲気が出せたようです。

 

2022年4月22日 (金)

昭和2年生

まだギブスで覆われ不自由な右手、痛みもあってキーボードの操作はなかなか思うように行きません。そんな中、一人暮らしだった叔母(実母の妹)が旅立ちました。享年94歳。

叔母は1927年5月1日の生まれ。1927年は昭和2年、昭和2年と言えば小田急が開通した年。4月1日に新宿-小田原間を、一部区間が単線ながら一気に開通させていた年で、そのちょうど1ヶ月後に叔母が生まれたと言うことから、何か特別の縁を感じていました。

叔母が生まれた日、既にこれが近所に走っていたのです。モハニ100形、後のデハ1200形です。

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残念ながらこの車両は保存されること無く、全車解体されてしまいましたので、模型で当時を偲ぶことしか叶いません。

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海老名のロマンスカーミュージアムに、近郊用に用意されたモハ1形が保存されているので良しとしましょうか。

ちょうど雨上がりの爽やかな青空に、叔母が旅立つのを見送って来ました。5月1日まで生きていてくれたら95歳になれたのに・・・(涙)。

 

 

 

 

2022年4月19日 (火)

2日連続で0番、そして・・・。

ほぼ隔月に開催される横濱模型鉄道俱楽部さまのO,OJゲージ公開運転会、4月11日(月)には第33回が開催されました。会場はここ、横浜市の施設「アートフォーラムあざみ野」の2階、セミナールーム2,3ぶち抜きで使用します。

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立川で開催されたJORCさまの運転会翌日、久しぶりににお邪魔させて頂きました。その模様は「世界のLOCOに魅せられて」でご覧頂けます。OER3001氏が会場に到着したときには、憧れの「こだま形」が走っていました。外幌も付いた8両編成なので、151系に改番される前の20系だったようです。

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主宰者KS氏らの素晴らしい作品群の中で恥ずかしながら、前日に続き、“セリア・コンテナ”を走らせて頂きましたが、今回は牽引に他所さまの手を借りず、弊社唯一の動力車でもある小田急1600形に牽かせました。

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最初はギア噛み合わせが拙くて不調だった1600形も、ちょっと調整したら快調快調。

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あまりに気持ち良く走り抜けるので、ピントが追いつきません。

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少々流し気味でなんとか。

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蓋を開けたコンテナに搭載したチョコレート、ここでも皆さんに振る舞いました。

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調子に乗って、車両の前から進行に合わせて連続シャッターを切っていた時です。次はこんな画像に(涙)。

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そしてさらには・・・、すれ違う南海の屋根だけ。

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足を取られて後方にひっくり返り、思わず付いた右手が・・・! これが骨折の瞬間、13時46分の出来事でした。

「注意一秒、怪我一生」と言いますが、身をもって体験してしまった次第。1週間経った今、まだギブスを外すには至りませんが、お陰様で良い方向に向かっているようです。

不自由な右手に負担が無い範囲で、ぼちぼちブログ再開したいと思います。

 

 

2022年4月12日 (火)

暫くお休みします。

お恥ずかしいことに、転倒した際に右手首を骨折してしまいました。

そのためキーボード操作に不自由を来していますため、暫くの間、ブログ更新をお休みします。

 

2022年4月11日 (月)

0番コキ デビュー

100円ショップ・セリアのコンテナを利用したフリーのコキ、ご厚意に甘えて運転会に参加させて頂きました。

遊び心から製作した2両のコキは、ぬか屋さま製作のコキとコキフに挟まれて、立派なスケール機関車に牽引して頂きました。

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会場はここ、立川の子ども未来センター、2階右端の会議室です。

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お邪魔したところは伝統あるクラブ。

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大御所各位へのご挨拶代わりに、蓋を開けたコンテナにチョコレートを入れ、エンドレスを周回させて頂きました。

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こんなコンテナ貨車が6両勢揃い。左がOER3001氏のコキ2両。中央はぬか屋さまの2両。右端がモハメイドペーパーさまの“たから号”。

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シニアばかりで大人げなくはしゃいだ一時でした。

JORCの皆さま、ありがとうございました。これに懲りず、またお邪魔させて頂けましたら幸いです。

 

 

 

2022年4月10日 (日)

モノクロ写真のカラー化

夢みたいな道具があることは知っていましたが、遊び心で入手してしまいました。

早速遊んでみたのでご紹介します。結論を言えば、鉄道写真には向きませんね。人物写真なら、服装の色が変わっていても、肌の色に違和感なければ、遊び程度に使えると思いますが・・・。

先ずは御殿場線電化で旧型国電が入った時代の写真。周りの緑が鮮やかすぎますが。スカ色の電車はなんとか見えます。酒匂川面から撮った先頭はクモハ60ですね。

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同じ日の午後、渋沢-新松田間に移動し、田植え風景を入れてNSEを撮っています。NSEのバーミリオンがなかなか赤くなってくれません。

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この画像は相当弄りました。SSEのバーミリオンが出るように弄ると、どうしても手前の緑が強くなりますので、別のソフトで加工してみたのがこれ、同じく渋沢-新松田間。

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所詮遊びに過ぎませんが、人物写真なら顔色がいきいきして楽しいです。

 

 

2022年4月 9日 (土)

LSE運転!

ロマンスカーミュージアムに出掛けました。昨年の開業以来3回目となる今回の目的は、佐野衡太郎さん製作の1/40、32㎜ゲージの50000形VSE模型を見ることでした。

しかしラッキーなことに、これを入手することが出来てしまいました。

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一応、順路に沿って一通り進みます。

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今回は時間的ゆとりがあったので、以前から気になっていた線路面からスカート下端までと、線路面から車体裾までの寸法をメジャーで実測して来ました。

その後、目的はじっくり楽しませて頂きました。

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1階ロマンスカーギャラリーの一番奥で開催されているVSE50000形特別企画展に、特製アクリルケースの中に入れられた佐野衡太郎さんの作品が展示されています。運転会で何回か拝見していた車両ですが、あらためて素晴らしい作品だと感心させられます。

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シミュレーターの時間まではゆとりがあるので、ゆっくりジオラマパークを楽しみます。

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上下2層式の新宿駅は、西口高層ビル群とともに見事です。

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箱根湯本に到着するVSE50000形、実物が定期運行を終えてもなお、フラッグシップであることは間違いありません。

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指定時刻にシミュレーターに行き、選択したコースは「上級 秦野→本厚木」。たっぷり楽しむことが出来ました。

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今回は家内と一緒だったので大奮発。ステーションビューテラスでプチ贅沢な時間も過ごすことが出来ました。

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そしておまけ。再入場してもう一回り。女性にとっては歴代ロマンスカーの実車より、ジオラマが楽しいようです。

 

2022年4月 8日 (金)

「こだま」デビュー

少年時代からの憧れだった151系「こだま」、昨年末に知人から譲り受けたカワイモデル製品12両フル編成。綺麗だったので殆ど手を入れることは無く、車号のレタリング(手書き)とサボ類の貼り付けの他、足回りのクリーニング程度で入籍。自宅ではフル編成での試運転にも無理があり、この度漸く、多摩川畔の模型店2階を借りて走らせて来ました。

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編成中の動力車は3両、L-3モーターによる17:2ウォームギア、インサイドギア連動。最大電流は1.2A、8Vで快調に走ってくれました。

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それにしても12両編成は存在感充分です。

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フル編成で走らせればディテールなど気になりません。

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小田急ファンにも憧れだった151系「こだま」、漸く入籍となりました。

 

2022年4月 7日 (木)

南新宿の記録

一昨日の「過去vs現在-12」で取り上げた南新宿という駅、撮っていた記録を探してみました。1968(昭和43)年5月4日の夕刻、「フラワー号」のマークを掲げた特別塗装2661Fの各駅停車・相武台前行きが発車して行った所を撮っていました。カーブしていた旧駅の状況が解ります。右方には小田急電鉄本社社屋も見えます。

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1972(昭和47)年の暮れには、跨線橋上から参宮橋方向を撮っていました。各駅停車・相模大野行き2655Fが、上りのNSEとすれ違います。このNSEは、車番は不明ですが3181F、3201F、3221Fの何れかです。屋根上左右に検車歩行用に滑り止め加工がされていました。

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1973年7月12日、夜勤明けからの帰宅時に乗車した車内から、新駅プラットホーム新設工事の模様を撮っています。

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1973年12月20日、陽が落ちてだいぶ暗くなってしまった時間帯ですが、旧駅の最終日を記録していました。

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今の新宿2号踏切は、この時は南新宿1号踏切だったはず。踏切警手が遮断機操作をしていた建屋横から、新宿方向を見ます。

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跨線橋に上がって、上りNSEと下りSSEの行き交いを収めていました。

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このカーブしたホームは17m車6連には対応していたものの、2600形の20m6連が収まらず、上りは新宿方、下りは小田原方1両の扉は閉め切りだったことが思い出されます。停車中は踏切に差し掛かるので、通行人はイライラしていたことと思います。

 

 

2022年4月 6日 (水)

E5系“はやぶさ”復帰

3月16日の地震で脱線、那須塩原-盛岡間で不通となっていた東北新幹線。3月22日からは不通区間が郡山-一ノ関間に短縮されていましたが、なんと4月14日に全線開通させるとのニュースが入ってきました。土木設備、軌道、電柱他、多大な被害を受けながら、1ヶ月以内の全線復旧とは凄いことです。

それに先だって、辻堂海浜公園の交通展示館内HOゲージジオラマでも、修理中だったE5系“はやぶさ”が復帰しました。

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先の休館日に調整実施、早速公開となっています。

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ただ、これとは別に、設備の老朽化により一部の電源関係が故障しており、別途大幅な修繕、またはシステムの入れ替えなどが必要な状況。

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完全復旧までには相当な期間が必要ですが、来館する子どもたちの笑顔、歓声を思うと、早く何とかしてあげたいと思うのですが・・・。

 

 

2022年4月 5日 (火)

過去vs現在-12

久しぶりに「過去vs現在」。フィルムの変色で見苦しい画像ですがお許しください。

30㎞/hの徐行予告標識があるのは、2回目の新宿駅大改良工事が進んでいた時代。2872先頭の準急・江ノ島、今は引退して見ることが出来ない車両と、新宿発では消えた行先。後方に見える跨線橋は、1973(昭和48)年12月20日まで使われていた旧南新宿駅のもので、取り壊し前です。参宮橋方に150m移転した、新しい南新宿駅上りホームからの撮影でした。

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ほぼ同じ場所からの現況は、車両はステンレスの3000形に代わり、延長されたホームには上屋が設けられたため、空が見えない景色になってしまいました。

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空を仰ぐには広角でなければなりません。そうすればニューヨークマンハッタンのエンパイヤステートビル擬きのDocomoビルを画面に入れることも可能です。

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1日平均乗降客数が3,000人強と、小田急の中では足柄駅と並ぶ最下位クラスだそうです。

 

 

2022年4月 4日 (月)

今日の一枚 No.142

この顔が出たときは衝撃でした、帝都高速度交通営団6000系。小田急との相互直通運転が開始された1978(昭和53)年、玉川学園前駅で。

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恐らくサンフランシスコのBARTの影響を受けたデザインだったのでしょうが、そのBARTを初めて見たのは1983年秋のこと。

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初めてのアメリカ出張の時、路面電車(MUNI)LRTの車庫があるバルボアパークまで利用しました。当然ながらアメリカの鉄道は右側通行なので、営団6000系とは運転台位置が左右反対。

 

2022年4月 3日 (日)

サクラに誘われ

都心まで出掛ける用事があったのですが、その前の小一時間、玉川学園前に出掛けてみました。

近年は玉川学園校内も新しい施設の建設などで、植栽も大きく変わってしまいました。辛うじて見応えがあるサクラは駅の山側だけですが、電車との撮影にはイマイチ。

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44年前の1978(昭和53)年には、線路脇まで枝を伸ばしたサクラも見られたのですが・・・。

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町田方のサクラはだいぶ伐採されてしまい、些か寂しい限りです。

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僅かな本数になってしまったサクラを入れての撮影には苦労します。

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同時に、華やかな特急車両も少なくなってしまい・・・。

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右側のサクラ、26年前の1996(平成8)年にはこんなに堂々としていたのに残念です。

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最後に上りホーム後方から。

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ここがサクラの名所だった頃が懐かしいです。懐かしい序でにこんな一枚も。

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NSEと正面2枚窓の2200形のすれ違い、玉川学園校内のサクラをバックに。

 

 

2022年4月 2日 (土)

E5系“はやぶさ”試運転

「E5系“はやぶさ”試運転」とは言っても、3月16日の震度6強の地震で脱線した車両ではありません。模型のお話し。

先月下旬から我家に入場していた、辻堂海浜公園・交通展示館内ジオラマで走行しているE5系のこと。一部車両で破損した、特別仕様の車両間電気配線パーツの修復でした。実車は10両編成ですが、ジオラマでは2号車を抜いた9両編成。それを我家で試運転するというのは大変です。

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810Rのエンドレスに組成して、グルグル走らせるだけなのですが・・・。

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その全景をカメラに収めることは難しいです。

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こうすれば何とか編成全体が収まりますが。

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自宅に常設線路がある方が羨ましい。こんな時「あの方が近くに居られたら助かるのに・・・」などと思ってしまいます。4月4日に現地搬入・調整の後に、再公開は4月5日の予定。折があれば是非、現地を訪れてみてください。

 

 

2022年4月 1日 (金)

満開のサクラ

今日から4月、都内各所でサクラが満開のようです。

OER3001氏にとって、サクラを入れた鉄道写真と言えば、先ずはここが定番のひとつだったのですが、近年は跨線橋も立派なものに架け替えられ、この場所にも立ち入れなくなってしまいました。

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京王井の頭線も、井の頭公園駅はサクラの下でしたが、今は強剪定されていてこの時のように雄大ではなくなってしまいました。

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今は高井戸駅の方が凄いかな。でも日中はほぼ逆光になるのが悩みです。

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都内ではありませんが、御殿場線にも良く出掛けていました。谷峨では小田急20000形RSEとJR371系との交換が撮れました。

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山北の桜祭りは有名です。20000形RSEが活躍しているときは、朝早く出掛けて半日ここで過ごしたのも良い想い出です。

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先日出掛けた巣鴨も、231系の時代は今よりサクラが大きかったように感じます。

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コロナ禍の影響か、提灯飾りが無いことも質素に見える要因かも知れません。

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サクラが満開になると必ず強風や雨に見舞われて、なかなか思うような撮影も出来ませんが、今年も近場に出掛けるべきかどうか悩みます。この地も撮りにくい場所になってしまったし、魅力的な車両も走らなくなってしまったし。

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そんなときは模型弄りに限りますね。

 

 

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