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2022年5月 3日 (火)

5月3日

38年前になりますが1984(昭和59)年は、HE車2400形が主力の時代でした。

“ガーデンシティ多摩’84”を掲げ、新百合ヶ丘-小田急多摩センターの折り返し運用に就いていたのは2475Fでした。 多摩線では斯様なマークを掲げた列車が運行されていました。

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それより4年前の5月4日に撮っていたのは、その後にはるひ野駅が建設されることになる場所で。黒川隧道を抜け、諏訪隧道に向かって力走するクハ2450を先頭とする2499Fにレンズを向け、若干流して撮っていました。

19800504_081005__n_15

序でにその後のカットがこれ。

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果たして今日は、いったいどんな列車が走っているでしょう?

 

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鉄道(小田急)」カテゴリの記事

コメント

高校、大学と一番世話になった車両です。乗り心地はよかったけど、デハは80km/hを超えると車体が震えてくるし、M1は抵抗器の熱で床が熱くなる。クハはほとんどがタイヤフラットでカタカタいって走っていました。車体幅が狭いのにシートの奥行きは深いから、通路幅は2600形の半分くらいの感じでした。

◆ モハメイドペーパー さま
あの~、山側床下台車間をほぼ埋める程の主抵抗器は、海側の主制御器とともにM2(偶数車)でしたよ。
それにしてもまさにこの時代の小田急の主力車でしたね。

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