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2022年6月

2022年6月30日 (木)

永山隧道

電車に乗って前を見るという行為は、子どもにはもちろん、大人になっても魅力的なものです。童謡の歌詞ではないですが、鉄橋やトンネルを通るときには特にワクワクするものです。

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このトンネルは「永山隧道」が正式名。建設当時に取締役会長だった安藤楢六氏の自記筆による、砲金製銘板が取り付けられています。

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銘板が読めるように、トンネルから顔出す電車を撮るのは結構難しいものです。

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因みに平行する京王相模原線も同時代の建設なので、鉄道施設は同じように造られています。

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しかし・・・、隧道銘板を入れる用意までしていながら、一度もここに銘板が取り付けられたことはありません。

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当時の社員から聞いた話しでは「小田急さんの真似はしない」と、途中で取り止めになったそうです。

 

 

2022年6月29日 (水)

ゆめ70の想い出

小田急開業70周年を記念して、1997(平成9)年に「ゆめ70」とネーミングされたイベント列車が登場しました。

3100形NSE車の第4編成である3161~3171が、先頭車はラウンジ風に、他の座席柄を紺系デザインに変更し、外部塗装は白・赤・紺3色を用いた独特のデザインとなって、各種のイベント列車として2000(平成12)年4月まで走行しました。

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黒川隧道を抜けて来る上り(上画像)、新百合ヶ丘の小田原線跨線橋の大カーブを走る下り(下画像)と、多摩線内を走行したのも良き想い出となりました。

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小田急開業は1927(昭和2)年、100周年まではあと5年。その時はどんな記念列車が登場するのか楽しみです。

 

 

2022年6月28日 (火)

重ねての暑中見舞い

今年の関東地方、梅雨入りが確か6月6日だったのが・・・、僅か20日間でも梅雨明けと発表されました。ただ暑いとしか言えませんので、こんな時はこれで。

昨日掲載の北陸鉄道浅野川線に乗った後は富山に宿泊。LRTを楽しんだ後に訪れたのは富山地方鉄道でした。宇奈月温泉は流石に豪雪。電車は除雪された雪が、両脇に高く積まれた線路を進みます。

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上市に戻ってきたときも、果たしてホーム終端まで電車を突っ込めるのかどうかと思うほど。

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やはり、若干手前に停車していたようです。

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稲荷町の車庫を覗いてみましたが、編成を解かれて留置していた車両の屋根。この間を歩くのは危険なようです。

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豪雪地帯の鉄道は凄く頑張っており、頭が下がる思いでした。

 

 

2022年6月27日 (月)

暑中見舞

いや~暑いですね、一昨日、昨日と。そして今日も猛暑日との予報で。そんな折りですから、10年前の寒かった北陸の画像で、暑中お見舞い申し上げます。

出張業務終了後、ホテルへ行く前に立ち寄ったのは、北陸鉄道浅野川線。終点の内灘で、元京王井の頭線3000系の元気な姿を収めました。

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日没の内灘駅、その佇まいがなんとも魅力的でした。

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折り返して到着した金沢駅は立派な地下ホーム。

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その電車の床下は、この地が雪国であることを証明していました。

 

2022年6月25日 (土)

丸窓電車入籍

丸窓電車として親しまれた上田交通モハ5250形。1980(昭和55)年夏の、千曲川橋梁で撮った想い出は忘れられません。

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TOMIXから発売されたこの模型、暫く手つかず状態でしたが、インレタ入れや色差しなどを終え、漸く入籍となりました。折角なので上の画像と類似アングルで。トラス橋が異なりますが、そこはイメージということで。

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河原に下りてみたらこんなイメージかと。

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千曲川橋梁の上田方からは、きっとこんな感じなのでしょう。

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組み立て途上の真鍮キットを先置いての入籍は、モハ2321に次ぐ2両目の上田車両となりました。

 

 

2022年6月24日 (金)

最後のレーティッシュ鉄道カラーに

箱根登山鉄道の路線は小田原起点とは言え、小田原から箱根湯本までは、車庫のある入生田から先以外は1,067㎜軌間となっており、小田急の車両が行き来していますから、一般の乗客には箱根湯本までが小田急と思い込んでいるかも知れません。

小田原-箱根湯本間の運行を担う車両は、特急車以外は1000形の4連が充当されています。レーティッシュ鉄道カラーを纏った4編成が充当されていましたが、制御回路などの更新がされない編成は次々に廃止され、残るは1058Fの1編成だけとなってしまいました。丁度その車両が待っていたので“乗り鉄”を楽しみました。

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箱根板橋でEXE-αを待ちます。期待しましたが案の定、新幹線は通過してくれませんでした。

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マスコンとブレーキ弁の操作という当たり前だった光景も、もう直ぐ過去の想い出になってしまうようです。

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小田原に停車した赤い1000形の向こうで待機していたのは、未更新の1000形6両編成1253Fでした。

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フィルム時代にはできなかった何気ない日常も、デジタルカメラだからこそできるコマ目に撮っておくことの大切さ。

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これらもきっと、やがては貴重な記録になっているのでしょうね。

 

 

2022年6月23日 (木)

スイス・レーティッシュ鉄道

箱根登山鉄道が、スイス・レーティッシュ鉄道との姉妹鉄道として提携してから43年。箱根登山鉄道の箱根湯本-強羅間開通から60周年を記念してのことでしたが、既に104周年となります。

強羅駅を降りると目の前に、まるでホームで乗り換えが出来るような光景が広がります。平日で空いていたので、斯様な画像を収めることができました。

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レーティッシュ鉄道の客車は、ご丁寧にも台車もそれらしく描かれていて、OER3001氏は気に入っています。

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この前に、アクリルケースに収納したOスケール模型などを走らせたら最高なのですが、保守・管理を考えたら無理な話でしょうね。

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それを実現するのは模型の世界。

我家には登山電車のレイアウトがありますが、レーティッシュ鉄道まではとても手が回りません。

 

 

2022年6月22日 (水)

あじさい電車

近所では紫陽花が満開なので、梅雨空ながらちょっと出掛けてみました。

平日だし空模様もイマイチだから、そんなに人は居ないだろうと思っていたら・・・、それは大外れでした。大平台駅近くは結構な人、人なので、気弱なOER3001氏は遠慮して離れた場所へ。

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強羅まで行っては見たものの、沿線の紫陽花は以前より地味になっているようです。仙人台信号所などはだいぶ剪定されてしまっていました。

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結局、大平台界隈が一番華やか。しかも駅近くが。

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ということで、最後には人、人、に仲間入りさせて頂き、斯様なアングルで収めてみました。

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もう少し経った方が、華やかさは益すかも知れません。

 

 

2022年6月21日 (火)

マッハ模型店 鉄道調色塗料

マッハ模型の鉄道調色塗料の内で、在庫限り、生産休止品がかなり出現しているとこのブログに掲載してからほぼ一年。そして遂にマッハ模型が全ての事業を終えると発表された今、市中在庫の買い漁りが進行しているようです。

既に必要なものは一生分(?)確保している筈なので今更、とは思っていたものの、立ち寄った模型店にこれが残っていて。

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とりあえず確保しておくことにしました。缶入りのものも相当量有るのに、一応、念のため。それにしても「小田急電鉄イエロー」と「小田急ブルー」って、こういう不統一な所もマッハですな。

思えばこの塗り分けが、OER3001氏にとっては最も思い出深く、好きだった時代でしたから。

 

2022年6月20日 (月)

校正続行中

前回は「 ♫ 6がつ6かに あめザーザーふってきて・・・」の6月6日でしたが、それから2週間。またまたデスク上は同じような状況になっていて、折角“その気になってきた”模型製作には取りかかれません。

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しかしこちらも、楽しいことであることに違いはありません。書店に並ぶ時を楽しみに、今はアカ入れに邁進することと致しましょう。

 

 

2022年6月19日 (日)

刺激を得た集い

弟君を喪われて落ち込んでいるであろう旧友のお一人を励まそうと、土曜日の夕刻7人が集まりました。

励ますどころか逆に励まされることとなってしまったのが、集まった7人の内のぬか屋さまが、早々に鞄から取り出されたこれ。ぬか屋の徒然日記で拝見していた実物を、目の当たりにすることができました。

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内台車とでも言うのでしょうか、1.2t真鍮板から抜いたしっかりした枠。直線に仕上げ直角に組むという単純そうに見える工作ですが、精度の高いことに感心するばかりです。

いかし構造的には昭和30年代の香り漂うウォーム1段減速スプリングベルト連動という代物。ジャンク屋で見付けたと言う100円ほどのモーターを使った台車を2組。

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手で抜いた台車枠には、高価な稲見製軸受け等のパーツを付け、良い雰囲気になっています。

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完成した模型を見るのも楽しいですが、こうした製作途上のものを見るのはもっと楽しい。ぬか屋さま、大いなる刺激をありがとうございました。

 

 

 

2022年6月18日 (土)

久しぶりに方眼紙

方眼紙を使う機会も少なくなりましたが、久しぶりに斯様なことを始めています。IT時代の中で昔ながらの手作業です。

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左に見えるのはEXCELで出力した寸法表。・・・窓柱-側窓-戸袋窓-吹寄せ-側扉-・・・と入力した実寸を所定縮尺に一括計算して出力し、模型化し易いように1/2㎜単位に適宜調整。これを方眼紙上に描いてみました。R部分は円定規で。

大事なのは妻板です。これらをコピーして厚紙に貼り付け、紙厚分小さく切り抜いたものを当てて、ペーパールーフ一体の展開寸法割り出します。

さてさて、どんなのが誕生するか・・・お楽しみに。

 

 

2022年6月17日 (金)

渋谷の心象

日に日に変化して行く渋谷。あまり撮っていなかったのですが、渋谷区立小学校を卒業したOER3001が学んだのは、「渋谷は谷なので、地下鉄がそのまま渋谷に来ると地上高く走る」ということでした。

黄色というかオレンジ色というか、営団銀座線が無くては渋谷の風景は成り立ちませんでした。

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まだ2000系が主力だった時代、ビルの上から見下ろすことも出来たのですが。

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それどころか“谷の地下深く”走る地下鉄も出来て、こんな光景だったことが忘れられる時代も、もうすぐそこまで来ているようで。

 

 

2022年6月16日 (木)

続:東海道線跨線橋

東海道線跨線橋、過去にもありました。まだブルートレインが現役だった23年前、会社の部での旅行がありました。

ホンネを言えば決して好きでは無かった義理としての行事。確か金曜日の仕事を終えてから貸切バスで向かった江ノ島の旅館。朝食後の解散で、向かった先は藤沢駅でした。もちろん東上して来る一連のブルトレを撮るためでしたが、その合間は東海道線と小田急のトゥーショットを期待します。

先ずはこのトゥーショット、JR215系と小田急は4000形でしょうか。215系がもう少し早く来てくれていれば・・・。

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113系が接近してきたとき、7000形LSEはどんどん右方向に。

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185系の時は9000形。辛うじてという感じでした。

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7000形LSEの時には113系が来るのが遅くて遅くて・・・。

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と言う具合に、この手の撮影はなかなかタイミングは合いませんね。

 

2022年6月15日 (水)

東海道線跨線橋

所用で湘南海岸へ出掛けた日、梅雨の合間の青空も見えていたので、帰路にちょっと寄り道してみました。時刻は16時過ぎ、藤沢駅西方の東海道線を跨ぐ小田急江ノ島線の橋梁付近です。こういう場所に来ると、どうしてもJRと小田急のトゥーショットを狙いたくなります。

最初は東海道線上りのE231系、上に小田急は来ませんでした。

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藤沢発の上りが橋梁に差し掛かったときは、残念ながらJRの列車は見えません。

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折角サフィール踊り子が来てくれたのに残念です。

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その少し後、やっと狙えたかと思ったトゥーショットでしたが、向かって来る東海道線下りと、藤沢に向かう小田急下り。タイミングが合いません。

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丁度良い位置にE231系が来た時は、上の小田急は最後部がやっと見られる程度(涙)。

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ガッカリして橋梁を見上げると、本年4月に塗り直して綺麗になっていたという表示。興味深い内容が記載されていました。

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さらにここで粘ってみたのですが、相模大野行きが橋梁に差し掛かろうとするとき、やっぱりJRとはタイミングは合いません。

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JRが来た時は、小田急の姿は見えず。

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どうも相当長い時間、ここで粘ってみないとトゥーショットは無理のようです。結局30分弱で引き上げることとした次第です。

 

2022年6月14日 (火)

綺麗な仕上げと雑な仕上げ

利用する度に新型車両を眺めていて、小さな発見を。小田急が増備中の5000形は、川崎重工業、総合車両製作所、日本車輌の3社で製造されています。画像は9本目となる5059F、日本車輌製です。

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側面の非常コック用扉、車体裾部のRに合っているのですが・・・。

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川崎重工製の5054Fの非常コック用扉は平面で、車体裾部のRと不揃いです。

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こちらは総合車両製作所製5053F。やっぱり平面で不揃いです。

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こういう細かいところへの心配りに差があるのですね。

 

2022年6月13日 (月)

長野電鉄開業99周年

河東鉄道と言われていた1923(大正12)年に開業した須坂駅 - 信州中野駅間が、長野電鉄の始まりだったようで、来年100周年なのですね。

屋代や木島にも伸びていた路線も長野 - 湯田中のみとなってしまい、全車両が他社からの譲受車両になってしまいましたが、模型の世界ではいつまでも想い出を残せます。

スキーに行った時に利用したモハニ131が忘れられません。

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この時はモハ101と連結した2両編成でした。吊り掛けのモーター音が、身体全体に伝わってきたことを想い出します。

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探したらありました、その時の車内の一コマが!

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スキーを持って乗り込んだ乗客、板張りの床、淡緑色ペイントの室内。丸いグローブの車内灯は白熱電球だったのでしょうか?

 

2022年6月12日 (日)

遺作を仕上げる

昨年暮れ、地元の模型仲間としてお付き合い頂いていた怪社さんこと柚木明宏さんの急逝には大変ショックを受けたものです。立春を過ぎた頃、お仲間たちと弔問に伺った際にお預かりした遺品。クモユニ81201を漸く完成させました。

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氏のセンスをそのまま残すべく、動力(WB-31)を装備した以外にOER3001氏が手を入れさせて頂いたのは、①Hゴムの描き入れ、②灯具へのレンズ装着、③窓ガラス入れ、④方向膜に「荷」表示入れ、⑤パンタ(TOMIX PS16)搭載、⑥インレタ入れ に留め、灯具点灯化は尾灯部分に手が入れられないことから断念しました。

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⑥のインレタ入れが難儀極まりなく、車号は一文字ずつ拾ったので不揃いになってしまったのが残念。

とは言え、約束(各自遺品を完成させたら、ご家族を招いて完成報告会兼偲ぶ会を開催する計画)を果たす準備は出来ました。果たしてお仲間の進捗は如何に?

 

 

2022年6月11日 (土)

町田駅ビル竣工の頃

昨日掲載の町田駅ビル、小田急百貨店町田店の開店は1976(昭和51)年のことでした。この年の4月11日に新原町田から町田へと駅名変更、そして9月23日に駅の上に百貨店が開店しました。

その日の写真がありました!

昨日とほぼ同じアングルですが、見てください! この広々とした風景を。回りにほとんどビルは無く、生憎の曇天でしたが遠くまで見渡せました。

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向かって来るロマンスカーは、まだ屋根上に冷房装置を搭載していない原型のNSE。良く見ると屋根両脇に黄色い線で区分されて滑り止めが施された歩行スペース(ランボード代わり)が確認できるので、後半の3編成(3081F、3201F、3221F)のどれかです。

「祝 開店・小田急町田店」のアドバルーンが複数上げられていたのが印象的でした。

 

2022年6月10日 (金)

町田駅ビル屋上で

町田駅ビルとは、小田急百貨店町田店のことですが、所用で出掛けた折、空模様も心配なかったので久しぶりに屋上へ上がってみました。

丹沢山地が望める西方は、JR横浜線を跨ぎ相模大野に向かう築堤カーブを行き交う列車が見られます。

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ちょうど青いロマンスカーMSEが! 架線ビームや電線を避けるのが難儀ですが、なかなか良い画が得られます。

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しかし時折、とんでもない(飛んでもない)最大の邪魔が画面を横切ります。屋上の縁を行き来するハト(矢印)。

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このハトを避けながら、暫し楽しみました。

 

 

2022年6月 9日 (木)

流電竣工!

それは、昨年8月27日に取り上げた「捨てるのも気が引けて・・・。」の、歌川模型のクモハ52型紙から始まりました。

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9月6日には「捨てるの止めました!」と宣言して窓抜き開始。その3日後には「顔づくり」まで進んでいましたが、所詮遊び心で始めた息抜き題材でした。

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それが引き金となって、下着の台紙で中間車を作る羽目に陥ってしまいましたが、この度漸く竣工となりました。

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この類いの題材は、小田急ファンのOER3001氏には不向き故、実車に詳しいお仲間方も多く、“ちゃんとした流電”に仕上げるのはあまりに敷居が高すぎるので、好みにモディファイして、あらゆる意味で存在しない車両に仕上げました。

塗色は大阪-神戸間の急行電車時代としましたが、スカートは外されて、雨樋は4両とも張り上げにと。埋め込み前照灯に加えて尾灯も左右に埋め込みと。実車の尾灯は砲弾型で片方だけでしたからね。

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サロハは66016と実在したナンバーながらこんな外観の時代があったかどうか?

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サハも同様で、48030ですがこの姿は実在していなかったようです。

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それが好みで作れるところが模型の楽しさ。知らない戦前の姿を基本に、雰囲気重視としたのだからと、パンタグラフは安価なKATOのクモハ40系用を使用。配管等のディテールは全て省略してしまいました。

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車体の標記類は、車号と3等車のⅢはパソコンで製作、透明シールにプリントしたもの。2等標記は高価なくろま屋のインレタからⅢのⅠを削ったものです。

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そんな模型でも、走らせてしまえば誰が見てもあの流電と思ってくれるはずですから。

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築堤を見上げるようなアングルでは、なかなかの存在感がある車両だと思います。

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あの歌川模型の型紙を活かした作品。これこそがSDGsと言うものではないでしょうか。

なんて満足していないで、そろそろ本命再開としなければなりませんね。

 

 

2022年6月 8日 (水)

今日の一枚 No.143

ブログ掲載ネタが尽きたときは「今日の一枚」シリーズですが、気づけば前回は5月2日。既に1ヶ月以上前となりました。

それなら堂々と「今日の一枚」ということで、56年前の1966(昭和41)年、地上駅だった東北沢駅を。

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ハーフサイズのCanon・demiで撮っているのでピントもシャッター速度も問題ありの一枚ではありますがお許しを。

今、この地は地下化された線路用地を再開発しての「下北線路街」に。下北沢から上り勾配を駆け上がって来たのは1600形の通勤準急快速準急・新宿行のようです。対比している各停は2220形、下り線の待機は2600形NHEですが、まだ5連の時代だった筈です。

昔の一枚から、いろいろなことが思い出されます。

 

2022年6月 7日 (火)

3000形SSEとサクラの頃

「小田急電車形式集.4」の校正を終え、レターパックをポストへ投函したら・・・、改めて当時の記録が気になって。

SSEが元気に活躍していた頃は、玉川学園構内の線路側にあったサクラも画に取り込めました。

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今は構内再整備の結果、こうした長閑な光景は見られなくなってしまいました。

線路を挟んで広がる構内に架けられた古レール組みの松陰橋と共に、線路に沿って植えられたサクラが見事でした。

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当時は線路脇の側溝近くまで寄っての撮影が可能だったのですが・・・、強固な鉄柵が設けられてしまった今は、この季節になってもここへ足を運ぶ価値が消えてしまったのが残念です。

 

2022年6月 6日 (月)

校正中

「 ♫ 6がつ6かに あめザーザーふってきて・・・」という歌詞の歌があったけど、その通りに今日は雨! 一日降り続くようです。そんな日は、模型の塗装などできません。デスクワークに限ります。

丁度、デスク上は斯様な仕事になっています。

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漸く、漕ぎ着けられそうです。

 

 

2022年6月 5日 (日)

好きな光景

ず~っと昔から、この光景が好きでした。

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川端康成の小説ではありませんが、トンネルを抜けた向こうは、トンネルに入る前とは違う世界が広がるような期待が。春にはサクラでピンク色の世界が広がるここ。梅雨入り前は新緑が眩しいのです。

2022年6月 4日 (土)

0-6-0と2-6-0

多摩川畔の模型店2階で、0-6-0を走らせたら、こてはし鉄道さまは2-6-0を持ち込まれました。同じ天賞堂製品ですが、先輪を付けたバージョンも発売していたのですね。もっともこてはし鉄道さまのは完成品そのものでは無く、手が加えられていて好印象です。早速、重連とさせて頂きました。

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後ろ姿もなかなか。電車ファンのOER3001氏でさえ惹かれてしまいます。

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そうしたら、この日に集まったシニアのお一人は「家にもあるよ!」ということで、9月に“大集合”させることとなりました。もう1両調達しようかな、などと考えないことにしますが。

 

 

2022年6月 3日 (金)

シニアの運転会

梅雨入り前の好天に恵まれた日、多摩川畔の模型店2階で楽しき一時を過ごしてきました。

今回は、製作中の旧国流電擬きの試運転を目論みましたが、流石に未完成品ということでトラブル続き。先頭台車が謎の脱線を繰り返すので撮影終えたら即刻収納でした。

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それならと言うことで、OER3001氏らしからぬ完成車を走らせます。先にレストア終えた天賞堂の0-6-0、我が社の7号機となった機関車に2軸貨車を繋げて。

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これが実にスローが利きます。レイアウト1周するのに何分を要したことか。広い本線に走らせるのでは無く、小さなテーブルレイアウトや入換を楽しむのに向いているようです。

 

2022年6月 2日 (木)

多摩線開業48周年 -2

当時最新鋭だった9000形を入れたのは“お祝い”のためだったようで、新百合ヶ丘-小田急永山を2往復した後は、多摩線から出て行ってしまったようでした。

4000形もこの日の運用に就いていましたが、もう1運用は4022Fと、これまた4000形の最新編成でした。小田急永山から折り返して行きます。

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建設中の京王相模原線の隧道上から見た小田急永山駅。上屋も短く良く見渡せました。

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建設中の線路を歩くことも出来たので、永山隧道を抜けて黒川を目指す4000形を収めています。

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この場所からはこんな撮影も出来ました。諏訪隧道を抜けて永山隧道に向かう1700形。新幹線並みの高速運転に対応できると宣伝していた線路に、吊り掛けABFと言うのには少々ガッカリ。未だ「電車見橋」はありません。

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京王相模原線との間で、暫く撮影していたようです。

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そのまま京王相模原線の線路を歩きます。まさかここに、はるひ野が建設されることになるなんて、考えてもいませんでした。

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30年後の2004(平成16)年、この線路下を潜る道路予定のトンネルは埋められて、画面左手にはるひ野駅のプラットホームが建設されたのです。

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この日運用に就いていた4022Fには、その後祝賀ヘッドマークが付けられていました。

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48年後の今、線路は唐木田まで延長され、10両編成の急行も行き交う時代。隣の京王相模原線と共に、当時とは様変わりしました。

2022年6月 1日 (水)

多摩線開業48周年

6月1日、小田急多摩線が開業した記念すべき日です。

“陸の孤島”などと言われた多摩ニュータウンへの鉄道として、小田急は百合ヶ丘-柿生間の線路を改良し、中間に設けた新百合ヶ丘から小田急永山までを開通させました。48年前の1974(1974)年の今日のことは、今でもはっきり覚えています。

新百合ヶ丘駅3番ホームに停車する9404F(先頭は9704)が、この日の一番列車。ホームの時計は5時54分を示しています。

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この一番列車に乗って、小田急永山駅へ向かいました。ホームの時計は6時19分を示しています。 一番列車にはOER3001氏のような“一番乗り”を楽しみに来た乗客も多く、早朝だというのに賑わっていました。小田急永山駅は1番ホームだけの使用です、上りはここで折り返し。

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将来の上りホームへ上がって、これから延長される小田急多摩センター方向を眺めると、線路には枕木が括り付けられていました。

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暫く観察しているうちに、新百合ヶ丘まで向かった9404Fが、砲金の隧道銘板が輝く永山隧道を抜けて戻ってきました。1番線から折り返すために仮設された渡り線、ホーム上に設置された出発信号機も懐かしい記録です。

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隣の京王相模原線はこのときまだ建設工事中。その線路を歩いて、行き交う小田急の撮影に向かいました。

 

 

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