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2022年6月 2日 (木)

多摩線開業48周年 -2

当時最新鋭だった9000形を入れたのは“お祝い”のためだったようで、新百合ヶ丘-小田急永山を2往復した後は、多摩線から出て行ってしまったようでした。

4000形もこの日の運用に就いていましたが、もう1運用は4022Fと、これまた4000形の最新編成でした。小田急永山から折り返して行きます。

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建設中の京王相模原線の隧道上から見た小田急永山駅。上屋も短く良く見渡せました。

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建設中の線路を歩くことも出来たので、永山隧道を抜けて黒川を目指す4000形を収めています。

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この場所からはこんな撮影も出来ました。諏訪隧道を抜けて永山隧道に向かう1700形。新幹線並みの高速運転に対応できると宣伝していた線路に、吊り掛けABFと言うのには少々ガッカリ。未だ「電車見橋」はありません。

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京王相模原線との間で、暫く撮影していたようです。

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そのまま京王相模原線の線路を歩きます。まさかここに、はるひ野が建設されることになるなんて、考えてもいませんでした。

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30年後の2004(平成16)年、この線路下を潜る道路予定のトンネルは埋められて、画面左手にはるひ野駅のプラットホームが建設されたのです。

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この日運用に就いていた4022Fには、その後祝賀ヘッドマークが付けられていました。

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48年後の今、線路は唐木田まで延長され、10両編成の急行も行き交う時代。隣の京王相模原線と共に、当時とは様変わりしました。

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コメント

 懐かしいですね。私がちょうど大学に入った年でした。休講の時間に試乗に行きました。ABF車に乗ったのも初めての経験でした。残念ながら、カメラを持っていなかったので、写真がないのが残念でした。

 この時期、なぜか小田急から足が遠のいていました。多摩線も開業時に鉄道友の会の見学会で乗ったくらいです。新塗色にいまひとつ馴染めなかったのが一因かも知れません。

◆ 工房5丁目 さま
休講の時間に試乗でしたか。それはそれは、随分遠くまで行かれたのですね。

◆ モハメイドペーパー さま
小田急から足が遠のいていた時代があったとは驚きです。「新線」だと思っていたものが48年なんて、すっかり新鮮ではなくなりました。

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