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雲行きが怪しいので塗装は諦めざるを得ません。
だからと言って、お絵描きばかりと言うわけには行かず、先ずはこれを切り出してみました。手描き図面のコピーを厚紙にスプレー糊で貼り付け、それをガイドに1㎜小さめに切り抜きます。
この周囲に厚紙を巻いてみて、展開寸法を算出しました。机上の計算とは、ペーパールーフとする板紙の厚みによって、机上の計算とは微妙に異なり、166㎜となりました。
それが算出されたら、早速罫書きに入ります。久しぶり、ホント30年ぶりでしょうか、1/45は流石に大きい! 30㎝の定規では誤差が出そうなので、途中で画像の60㎝の定規を買いに行く始末。モノが大きいとは言え、老眼鏡が無ければ正確な罫書きはできません。
車体の罫書きは直ぐ終わるので、窓抜きを始めてしまいました。
だがしかし、R部を抜く彫刻刀の種類がいつもと違う! 幸い手持ちの彫刻刀で間に合い、側扉上部は4.5㎜、戸袋窓、側窓は3㎜としました。
それにしても、フリー客車の設計したかと思えばSBBの資料見て嵌まり。一夜明ければ0番製作開始なんて、一体どうなっているのでしょうね。
ではありませんが、いろいろと気になって・・・。
これは“LSE”、小田急ロマンスカーではありませんよ。Luzern-Stans-Engelbergのメーターゲージ車両で、台車はシュリーレン。日本流に言えばサハですが、お絵描きしたイメージに近いと思っています。
一方全長26.4mにも及ぶ標準車体の客車も気になります。車体は長いですが、幅は2.825mとほぼ日本と同じです。この車両の台車はアルストム形ですが、フィアット製。
それにしても横位置を撮ろうとすると、標準レンズに収めるのは大変でした。ドイツ車ですがミンデン形ではない台車です。
この当時、客車の台車に空気バネは無かったのですが、今はどうなっているでしょう。
序でに機関車も気になって来ました。RE4/4 II というこれ、ナンバーを見ると11158。11158~11161と11249~11253の9両が、このTEE色だったようです。
こうして昔撮った写真見ていると・・・、いかんいかん、深みに嵌まりそう。
天候がイマイチなので塗装はできない。あれこれやりたいことはヤマほどあるので、お絵描きしてみました。
車体長16メートルなので1/80では200㎜、A4の方眼紙にちょうど収まるサイズ。上段が1等車で下段が2等車。
シュリーレンのストックが無くなっていたので、ミンデン台車(FS345)を置いてみました。
こんなことを始める切っ掛けは、この本が悪いのです。1978~1982年にSBB(スイス国鉄)が発行した3冊。
掲載車種は全て、しっかり図面が載っているので思わず買ってしまいました。
この電機も大好きな車種で、見ていると深みに嵌まります。
この図面を参考に、日本の線路を走行できるようにマイナーチェンジした客車。悪くないと思うのですが・・・。
新型コロナ感染拡大の影響から開催が見送られた昨年でしたが、新規感染者数が減少に転じない中での今年、何とか2年ぶりの開催となりました。
1921(大正10)年から使用されている白河駅の駅舎は、東北の駅百選に選定された立派なもの。
その駅から数百メートルの距離にあるお寺の本堂で、早朝から斯様な設営作業です。
そのお寺はここ、大統寺。「夏季寺子屋 鉄道模型運転会」が2日間にわたって開催されるのです。
本堂手前の横には5吋ゲージ線路も敷設され、EF510擬きの機関車も待機しています。
本堂では恒例となった、新白河駅長も駆けつけられての開通式も執り行われます。
始まった運転会、本堂を覗くと普段とは大違いで、なんと賑やかなことでしょう。
南北朝時代の都の仏師の作と推定され、福島県の重要文化財に指定されたご本尊様の下で、母子も走る模型に見入ってくれます。
今年は地元の高校生4人が、1ヶ月半ほどで作り上げたという、白河駅のジオラマを展示してくれました。駅舎はもちろん、カフェ、交番、ロータリー、市立図書館、大福屋(老舗蕎麦店)など、忠実に再現していた素晴らしいものでした。
そして前庭の「北斗星」ヘッドマークを掲げたバッテリー機関車。来場の子どもたちを乗せて周回します。
OER3001氏が持ち込んだ車両群の中で、真面に撮影できたのはこれだけでした。
地元福島県の有志に加えて、宮城県、山形県、茨城県、東京都と、開催に協力させて頂いたメンバーの交流もまた、お寺の導きなのでしょう。楽しい2日間でした。
デッキ付きの旧型電気機関車には独特の風格を感じていました。一度、そのデッキに乗って風を感じてみたいなどと思っていましたが、それは叶うはずがありません。
Canon Demiで撮ったハーフサイズフィルムの中に、1967(昭和42)年9月17日の中野駅に進入して来る姿を捉えた2枚がありました。
デッキ手摺がナンバープレートの一部を邪魔していますが、これはEF10 23でしょうか。2軸貨車を連ねています。
同じく2軸貨車を中心とした貨物を牽いてやって来たのはEF11 1でしょうか。中央線の貨物列車には、こうした旧型電気機関車が充当されていて、101系快速電車の間を縫って、頻繁に運行されていました。
この当時は線路北側の道路から、線路の直ぐ近くまで寄ることができました。今はもちろん、立ち入ることができないようになっています。
モハメイドペーパーさまのブログ「夏は海、昭和40年代の夏ダイヤ」を見て、その頃の記録を探してみました。1967(昭和42)年の海水浴に行った時の撮影がありました。この日は着いて直ぐ、海に入る前にまず撮影していたようで、房総東線は鵜原-上総興津間です。
キハ28先頭の急行「外房」、後方にキハ26と思われる車体が確認できますが、比較的揃った編成です。
しかしこちらの急行「外房」では、2両目にキハ23らしき姿があるではないですか。
上総興津方向から来た急行「そとうみ」は、キハ26が先頭でした。
外房線と名を変える前の房総東線は、気動車王国でした。夏の多客期だからこそ、こんな編成もありました。先頭から2両はキハ35系、その後はキハ26を挟んでキハ28系が続きます。まるで有るだけの気動車を連結した鉄道模型のようです。
キハ17はまだ大活躍の時代でした。キハ17ばかりを連結した6両編成は、なかなか魅力的でした。
左に写っているのはきぬやまスカンクさん。ふたりでこうしてカメラ構えていても、列車接近時に片手を上げれば、警笛も鳴らされずに済んだ長閑な時代でした。
TOMIXが1/80で183系500、1500番台ディーゼルカー(N183系)を製品化するとの発表がありました。実はこれ、結構好きな車両だったのです。
時は36年前の1986(昭和61)年12月3日のこと、苫小牧と海岸線、支笏湖を眺めつつ、羽田からのB747は千歳空港への着陸態勢に移行していました。
この当時の千歳空港は、今の新千歳空港の西側にあり、今は自衛隊の千歳飛行場となっているところ。札幌市内に向かうほとんどの乗客は、高速道路を通る北海道中央バスを利用していましたが、OER3001氏は、ターミナルビルからちょっと歩いて、国鉄が1980(昭和55)年に設けた千歳空港駅へ向かっていました。
新千歳空港開設後は、南千歳と名を改めたこの駅から、この日に初めて、新製直後のN183系に乗ったようです。
先頭の1号車、2列目の座席を得ることができました。キハ183-1507だったのですね。
札幌到着後、降りた5番ホームからしっかり撮っていました。
さらに積もった雪に足を取られないよう注意しつつ、6番ホームに移動してまた撮っていました。この時「北斗」が「おおぞら」に変わっていたとは、プリントを見るまで気付きませんでした。
このカラーリング、東武の6050系にも通じる心地よいカラーだと思っていました。
側面、台車など、仕事に向かう前にしっかり撮影していたようです。
この後、札幌の自社オフィスに向かったことは間違いありませんが、183系に乗れたことは相当刺激になっていたことは確かです。
さてさて、TOMIX製品が市場に出て来たとき、どうしましょうか?
田舎の隠れ家運転会の序で、然程遠くはない武川に寄って見ました。折しも507号機が、満載のヲキを牽いて停車中でした。
そこへ運良く、空のヲキを牽いた103号機が。
構内に佇む102号機横を通り、構内に進入します。
構内に停車していた102号機がパンタを上げ、出場態勢となりました。
庫横には黄色い502号機と青い501号機が佇んでいます。
先に空のヲキを牽いて来た停車中の103号機をあらためて観察します。
秩父の電機の魅力をたっぷり味わいましたが、模型まで手を出すつもりはありません。しかし念のため、万一手を出すようなことになった際には、電機だけで済ませられませんから、念のため貨車も観察しておきました。
ヲキとヲキフ。荷重(35t)を揃えるために、ヲキフは若干全長が長いことを発見した次第。自重はヲキ14.9t、ヲキフ16tでした。
それにしてもこれらを模型化するって、ヲキ群20両ですよ。気が遠くなりますよね。
京王帝都を集結させた田舎運転会には、“元京王帝都”も登場です。グリーンの2010系と並んだのは富士急行に譲渡された旧5100系。あのデザイナー氏の手に掛かり、富士登山電車と言う代物にリメイクされてしまった奴です。もちろんペーパー自作ですが、一番苦労したのが彼方此方に施された文字や意匠でした。
あのデザイナーのデザインは全く賛同できませんが、このアテンダントのホスピタリティーは大いに評価できるものです。KATO製品を元に、富士急社員にリメイク。相当な魂をつぎ込んでの作品です。
このアテンダントを2号車に乗せ、エンドレスを快走してくれました。
2013(平成25)年正月には実車とのツーショットを撮るために、誰もいない大月駅のプラットホームで奮闘していたのも良い想い出です。
それにしてもこのデザイナー氏、赤富士をイメージしたカラーリングと言いながら、その後にほとんど同じカラーリングで信濃路を走る電車を登場させるなど、何とデザインの引き出しが少ないワンパターンの方ですこと。
本来なら今日から2日間、3年ぶりに横浜市は野毛地区センターの「鉄道フェスタ」 、斯様な公開運転会だったのですが・・・。
新型コロナウイルス感染症拡大のため、また中止となってしまいました。
掲載画像は3年前の2019(令和元)年。地元に敬意を表して先ずは京浜急行。
そして相模鉄道。
東京急行(東急)と、3社の車両を走らせました。
が、それらはどれも昭和の車両。来場した子どもたちは知るはずもない地元車両で、子どもたちに知られた車両はお仲間に委ねざるを得ませんでした。
春先から漸く平常な活動ができるようになるかと期待していたのに。所属サークルのメンバーでも感染者が複数発生、友人、知人の中でも濃厚接触者や感染者は彼方此方に。そんな現状になってしまいました。
早く収束して、落ち着いた活動が出来る日が早く来ることを、祈らざるを得ません。
田舎の隠れ家オーナー氏に敬意を表し、桜上水と杉並区をキーワードに持参車両を決めたので、弊社の京王帝都3編成大(?)集合です。
この中最新作が、日立のKBD-102という独特の台車を入手できたことから製作することになった、OER3001氏と同い年の2600系です。IMONの1527D両軸モーターとMPギアを新宿方デハに搭載した1M2Tで快調な走りを見せてくれました。
なんと言っても京王帝都の花形は5000系。2700形の台車、電動機、制御機器等を流用した“偽新車”5070系を含む2+4の6連は、オーナー自ら楽しまれていました。
桜上水区の光景を想い出しつつ、こんな姿も撮っておきました。
あっ、背後に京王帝都ではない車両。まあイイじゃありませんか。これが仲間内の楽しみの良い所ですから。
いよいよ8月。その最初の日は、久しぶりに古の京王帝都を集めて走らせることにしました。走らせる場所はお友だちのお屋敷の一角。そのご報告はまた別途として、出場予定車両を。
京王帝都が誕生して最初の新造車両2600系の3連。2019(令和元)年のペーパー自作です。
その3年前の2015(平成27)年には年号と同じ2015×4をペーパー自作。所謂「t」(スモールティー)と言われた電装解除の旧型車を挟んだ編成です。
東日本大震災があった2011(平成23)年には、井の頭線の旧型車4連をペーパー自作しています。1400+1300+1700+1700です。
井の頭線唯一の荷物電車101は2017(平成29)年にペーパーキット利用で製作。
花形の5000系は、これらの模型では最古で2009(平成21)年のペーパー自作。5071×2+5701×4の特急です。
これらに加えて3連の6000系も以前に製作していますが、今回は20メートル車は除外。5車種18両の運転を楽しみます。小田急ファンのOER3001氏とは言え、お隣を走る京王帝都を見捨てるわけには行きませんから。
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