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9月26日、トロイの木馬ウイルスに感染しました。
マイクロソフトエンジニアの支援で駆除は終えましたが、暫く発信を控えます。ご了承ください。
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9月26日、トロイの木馬ウイルスに感染しました。
マイクロソフトエンジニアの支援で駆除は終えましたが、暫く発信を控えます。ご了承ください。
息抜きの塗装の後、モハメイドペーパーさまの予想通り屋根を銀色に塗装しました。この銀色の選択がポイントで、本命のステンレス車両で残った「シルバーメタル」。金属肌ではなく塗装の銀というイメージです。
そして、裾のグレーとの間に0.5㎜のストライプを入れてみました。カッティングシートを0.5㎜幅に切り出して。
まだ2両だけですが、残りの2両にもこの作業をしなければなりません。
所詮、息抜きのフリーですから、合間を見ていろいろ錯誤しつつ、ゆっくり進めます。
発売となった9月21日、一応買っておきました。折角なので2シート。
シート左下の標記を見たらなんと、OER3001氏が勤めていた会社。他所の会社でなくて良かった。やはり嬉しいものです。
取り上げられた車両で一番は当然これです! ただ、おそらく経堂工場に搬入直後の写真から起こした画と思われ、パンタグラフが上がっていないのが残念。こう言う所、しっかり監修して欲しいですね。
二番目はこれですよ、151系特急電車。運転台が2階にと宣伝され、パーラーカーを含む豪華さは夢のような存在でした。
そして三番目はモハ90、暗いチョコレート色ばかりだった国鉄電車の中、オレンジ色を纏って現れた101系は衝撃的でした。
夢の超特急と言われて登場した0系新幹線は、当時はイマイチ好きになれない存在でしたが、1号機関車から新幹線に加えてED75とEF510の寝台特急までが描かれた切手シートが、またコレクションに加わりました。
あのヨンサントウと言われたダイヤ改正直前の1968(昭和43)年8月12日の東京駅、時刻は13時30分頃と思われます。上野方から14番線に入線して来る「ひばり」。
到着すると「ひばり」が手際よく外されます。
そして「やまびこ」に交換。このヘッドマークは相当重いです。
こうして、実際に持たせて貰ったので良く覚えています。
15番線には新潟からの「とき」も到着。この当時の14-15番線ホームは日中、東北、上越方面への特急が発着していたものです。
今この場所は、東北、上越、北陸新幹線のホームとなっていて、風景は大きく変わりました。
因みに、夢を見ているような想い出の光景にを着色してみました。そうそう、こんな感じだったと思います。
54年前の記憶が戻ってきましたが、半世紀後はどう変わっているのでしょうか?
台風14号の接近による強烈な降雨の合間を縫って、都心へ出掛て来ました。最初はここ。先日の運転会で紛失したと思われるEF65の台車砂箱、ASSYパーツを探索に。丁度雨は止んでくれました。
都バスで向かったのが池袋のこのビル。
14階のギャラリー路草で開催中の写真展「地中海の木造電車」を見るためでした。
ちょうど後藤文男さんのお出迎えを頂き、その全てをゆっくり鑑賞させて頂くことができましたので、会場価格で販売されていた写真集を購入。
折角なのでご本人のサインを添えて頂きました。
100年前に製造された木造電車が、未だに綺麗に手入れされて活躍しているということに驚愕です。写真展は今日20日(火)16時までです。
久しぶりにつくばへ出掛けることになり、つくばエクスプレスTXを楽しみます。北千住でTXのホームへ上がると、一番少数のTX3000系が入線して来ました。
たった5編成のTX3000系なので、去りゆく後方を撮っておきました。
乗車予定の列車までの時間で、暫しホーム先端で撮影。直流区間専用のTX1000系が来ました。
続いては最大量数を誇る交直流車TX2000系。前面にV字形の赤い装飾を追加したので、より力強く感じるようになりました。
予定の列車は快速。ほぼ高架の線路を最高時速130キロで飛ばすのは気持ち良く、TX3000系とのすれ違いも一瞬です。
TXは全長20メートル車の6両編成。時速130キロメートルは秒速約36メートル。従って編成長120メートルが通過する時間は3.3秒。2編成がすれ違うのに必要な時間は・・・?
小学校の算数では、こんな問題が大好きでした。
OER3001氏が通った中学は、あの大女優になった吉永小百合さんと同じ、渋谷区立中学校でした。とは言っても、吉永さんを見たのは中学1年の時。既に高校生、いやもしかしたら高校卒業後? 校庭で黒山の人だかりでした。
その想い出深い中学の修学旅行は、155系「ひので」での京都・奈良でした。
宝もののハーフサイズカメラCanon・Demiで、バスの車中から慌てて撮っていた一枚がなんと貴重な記録。バスは四条通りを東に向かっていたのでしょうか、いや五条通かな? 鴨川沿いを走る京阪は1000系ではないですか!
もう一枚、電車が写っていました。フィルムの巻き上げがコマ外れで次のコマとダブってしまっているのが残念ですが・・・。
「34」と車号が読み取れます。複雑な経緯を持つ33-34の2両編成ではないですか! レイルロード刊「
京阪電車形式集.3」の25ページを読んでその経緯を知りました。前方の34は後方の33より側窓が1個多く、全長も1m程長いという貴重な記録。この場所いったいどの辺りだったのでしょうか?
その後、これをご覧になった大津市在住のkoganemaruさまからご教示がありました。現在の琵琶湖ホテル前あたりから浜大津方面を撮っていたようで、当時は軌道際まで湖だったということです。道路と線路の間が用水路のように見えた訳が判明しました。koganemaruさまありがとうございました。(2022.9.18追記)
フィルムを全てデジタル化したお陰で、小さなコマに写った画像も、モニターで大きく見ることができて発見した次第です。せっかくこんな貴重な電車が走っていたのに・・・、ただバスに乗せられて神社仏閣巡りに終わった修学旅行。自由時間があったらどんなに素晴らしかったことか。
サフェーサー姿のフリー客車、フリーだけに手間はかけたくない。費用もかけたくない。安価に気の向くままに楽しみたいと、空き時間に床下機器を製作してみました。
手元在庫の10㎜角材を利用して、先ずは水タンクのつもり。水タンクらしくないって? いいえ、スイスでは斯様な形状なのです、と言ってしまえば良い。
空気溜も木材をドリルレースで端部を球面仕上げしたもの。
これらを適当に付けてしまえば終わり。
一気に4両分完了です。
何せスイス風のイメージ優先フリーですから思うまま。思い返せば1960年前後の時代、模型づくりは手近な材料を駆使して使うというのが主流だったと思います。たまには原点帰りで、こんな工作も楽しいですよ。因みにこの床板も、品名は忘れましたが1㎜厚のペーパーなのです。
朝の気持ち良い日差しの下、広瀬川車両基地に佇む12系客車を繋いだデキ201を。
小前田駅方向に移動し、武川から影森方面に向かう貨物列車を撮影。デキ507でした。
貨物のスジは、休日ダイヤでもほぼ1時間間隔で引かれているようですが、運休は少なくないようです。その間は電車を撮影しますが、深谷市らしく深谷葱の畑を入れてみました。
経営上、斯様なラッピングは大事な収入なのでしょうが、電車ファンとしてはどうしても好きになれません。
電機も色々なカラーが登場していますが、かって松尾鉱業鉄道から譲受した電機のカラーが標準色に。
グリーンで裾にホワイトを入れたデキ505はあまり違和感を感じずに済みます。
でも、旧来のこの色が一番落ち着きますね。秋の花とのショット、なかなか良いでしょ。
いかんいかん、電機に目が行くとつい、また余計な妄想が・・・。
サンフランシスコは坂道と霧で有名なアメリカ西海岸、カリフォルニア州の北部に位置する都市です。日光・いろは坂どころではない、曲がりくねったロンバード・ストリートの勾配には驚きます。
こうした地形から、市内交通として運行されているケーブルカーは、日本の鉄道開業の翌年1873年の開業と言うから来年で150周年ということに。
「寺子屋運転会」の帰路に立ち寄った東北自動車道那須高原サービスエリアでは、そのケーブルカー車両を見ることができます。多分ホンモノかと思われますが、経緯などの詳細はわかりません。ただ悲しいことになんと、ここでは「トロリーバス」と呼んでいるのです。
フードコートに立ち入ったところで、これを発見! Nゲージの東北新幹線E-5系が走り回っています。
那須のポイントを凝縮したジオラマでした。
このジオラマに沿ってテーブルが設けられ、走るNゲージを見ながらの食事が楽しめます。
「制作 川島工房」とプレートが貼られていました。
調べて見ると、福島県いわき市にある会社のようで、ホームページでもこのジオラマが紹介されていました。ほっとできる空間演出、大歓迎です。
拝観料が必要な景色? ただ見せん!
と言う程景色が良い、福島県・会津若松駅と新潟県・小出駅までを結ぶ只見線(JR東日本)。
2011(平成23)年7月の豪雨災害によって、長らく不通となっていた会津川口-只見間27.6㎞が、紆余曲折を経て進められた復旧工事により、運転再開が10月1日と発表されました。6日に自治体関係者や報道陣向けの試乗会が会津川口-只見間で実施されたとのこと。その撮影に向かったOER3001氏の友人も何人か居たようです。
豪雨で流失した橋梁は第五(会津川口-本名)、第六(本名-会津越川)、第七(会津横田-会津大塩)只見川橋梁。第五只見川橋梁は2005(平成17)年夏に撮影していました。
この時は会社の仲間との青春18きっぷを使っての“呑み鉄”旅行。小出から乗った列車は蒲生を出て暫く、第八只見川橋梁に差し掛かります。
この先、本名で下車、5㎞あまり歩いて向かった民宿で一夜を過ごしました。
翌朝、民宿の親爺さんに早戸-会津宮下間までクルマで送って貰い、そこから会津宮下までの5㎞強、暑い中を歩いて歩いて得られた第三只見川橋梁の撮影でした。
さてさて、10月1日の運転再開が待ち遠しいですが、再びここを歩く勇気と体力はありますかね。機会あれば再訪して見たいです。
小学生の頃、「国鉄の駅で、日本で一番高いところにある駅は?」という問いかけがありました。
鉄道が好きだったOER3001氏は、地元の小田急線全駅を暗記していたなど、クラスメイトより“もの知り”だと自信があったので「小海線・野辺山!」と答えたら・・・、なんと「東京」だと。
なんで?? 全ての列車は「下り」で発車するからということで、標高ではなかったのです。それは良いとして、東京駅という存在は何か特別なものを感じざるを得ません。丸の内駅舎は壮観で素晴らしい存在だと思いますが、その全景はなかなかカメラに収めきれません。
背後に高層ビルが建ち、少しアップしなければ威厳が伝わって来ません。
ここまでアップすれば何とか。とは言え、この中央部の屋根は北口、南口のドーム経常に比べると貧相です。
折角なので、和田蔵門まで下がって御幸通りの街灯を入れてみましたが、今度は背後のビルや屋上サイン、クレーンが邪魔になります。
雨が降り出しそうな天気だったので人出が少なかったですが、好天時だと撮影に苦労します。
半世紀以上のお付き合いを頂いているモハメイドペーパーさまのブログにも、遂に登場「今日の1枚 」が! OER3001氏の「今日の一枚」とは微妙に異なる「今日の1枚」という拘り(?)も。
取り上げられた一枚はターコイズグリーンの京阪10000系。2006年10月22日に交野線・郡津での撮影でした。なんと、同じ10002編成を1年前に宇治線宇治で撮っていました。
おそらく撮影後はコレに乗って、反対側の10052の運転台を撮っていました。
OER3001氏もこの撮影が目的で訪れた訳ではなく、京都での国際フォーラムに出張した帰路の寄り道でした。それでもこうした“努力”が、今は見られなくなってしまったターコイズグリーンの貴重な記録となっています。
ハコにしたら、手際良くその先を進めたくなりましたが、どうしても天候の影響を受けます。①プライマーをかけ、②パテを盛って、③乾燥したら削って、お日様が顔出したタイミングを見てベランダで④サーフェサー吹きました。
ダイソーで調達したコレは便利。塗装はもちろん、サーフェサー吹きでも大活躍です。
乾燥させたら⑤ペーパーかけて。そして④と⑤を3回は繰り返し、それでも気掛かりな部分は再度④と⑤の作業。
その甲斐あって漸くここまで辿り着きました。食卓に並べてにんまり。
EUの客車をイメージした深い屋根、高い位置のテールライト。手前が1等車なので、窓上には黄色い線が入れられます。
こちらは2等車、後部は1等車と同じです。床板が落下しているのはご愛敬です。
そもそもこの客車、雨で本命の塗装ができないことからお絵描きしていたやつ。このまま進めてしまったら本命を追い越してしまいますね、いかんいかん。
多摩川畔の模型店2階で開催されるシニアの集まり。今回は、あの天賞堂の歴史ある名機(?)0-6-0タンク機関車を持ち寄ろうということから、OER3001氏は今年になってから入手、整備した7号機、8号機を持っての参加となりました。
フリー客車を4両持ち込みましたが、内2両は昨年12月のイベント装飾のママだったのでここでは出さず。残った2両だけを重連で走らせました。
その後に登場したお仲間の機関車も、それぞれの独自の列車を牽いてエンドレス周回。気付けば全6両の0-6-0大集合となりました。
弊社の7号機、8号機の前後にも同型機。「廃車機が並べられている」と言っていましたがとんでもない。全機現役ですよ。
良い歳した(?)シニアたちが少年時代に帰ったように、大いに盛り上がったひとときでした。
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