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2022年10月

2022年10月31日 (月)

山王川改修事業

11月11日深夜、線路切換工事のため、新松田~小田原間で一部列車が運休と報道されています。その場所を見て来ました。

足柄駅を出てしばらくの所を流れる山王川は、箱根外輪山の一部である明星ヶ岳(標高924m)付近を水源とし、北東に流下後、久野丘陵を経て足柄平野を貫流し、小田原市浜町で相模湾に注ぐ流域約26㎢、幹線流路延長約4.1kmの河川とのこと。

たびたび水害を発生していることから、川底掘り下げと川幅拡大等の改修工事が行われているようです。ちょうどGSEが下って(箱根湯本行)行きました。

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昨年の8月にはこんな状況で、仮囲いは有りませんでした。

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下流側を並走する伊豆箱根鉄道大雄山線が、立派なPC桁だった理由が解りました。山王川のこちら側は改修済みだったのですね。

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小田急の上流方には西耕地橋が架けられており、そこから通過する電車が見えると言えば見えますが・・・、通過して行ったのは折しも最新の5000形5061×10の試運転でした。

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足柄1号踏切から小田原方を望みます。既に下り線(左)は大きく仮線に迂回、元の下り線の一部が出庫線として使われています。現上り線の右側に、切り替える仮上り線が敷設されていました。

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足柄駅の跨線橋から見るとこんな状況。なるほど、迂回した下り仮線に設けられた分岐器に出庫線を繋ぎ、上り線を仮線迂回させた後は、上下線の橋梁を撤去すると言う事なのですね。

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河川改修が終わって、新しい橋梁を上下線が行き交うようになるのはいつなのでしょうね。神奈川県や小田原市のホームページにも、完工時期の記載はありません。

 

2022年10月29日 (土)

千歳船橋駅1961年

OER3001氏が初めて手にしたボルダ版フィルムの2眼レフで、最初に撮った小田急電車がこれ、1961(昭和36)年の千歳船橋駅下りホームでした。

車両は最新型のHE車、2466-2416-2415-2465の編成。撮影月日不明ですが、前後のコマから推測すると真夏にはなっていないようです。

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方向幕が2行なので折り返し運用なのでしょう。右は「新宿」ですが左は上が「成」からの3文字 、「成城学園前」と思われますが「成城?」です。こんな表示があったのですね。

そのフィルムの次は、立川駅北口行の西武バス。どこへ何しに行ったのかさっぱり分かりませんが、日野のエンブレムとブルーリボンというブランドネーム、ナンバープレートが懐かしいです。国旗が掲げられているので「旗日」だったのでしょう。

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で、2枚目の小田急が1600形1606。同じ千歳船橋駅下りホームでの撮影です。

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こちらは方向板を下げる時代で、「新宿 向ケ丘遊園」。その方向版上部にアルファベット表記もありましたが、スペルがはっきりしません。訓令式だったかも知れません。

それにしても改めて60年前の写真を見ると、ボルダ版のフィルムからでも忘れていた様々なことが思い出されます。

 

2022年10月27日 (木)

今日の一枚 No.147

写真そのものはダメダメの出来なのですが、オリンピックが初の東京開催となった1964(昭和39)年8月、家族旅行で泊まった湯河原温泉からの帰路、湯河原駅ホームから通過するブルートレインを撮っていました。

10時前だったのでしょう、「さくら」のヘッドマークを掲げたEF60が勢い良く通過して行きます。

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ハーフサイズカメラでの撮影故、つぶさに見ていなかったのですが何か変。特急用塗装ではないのに車号は513と読めます。同年に川崎車両で新製された車両でした。

調べてみたらなんと、513号機は手違いから一般塗装で新製されていたのでした。しかも特急寝台の牽引は1年ほどしかなかったようで、そんな歴史的事実を知っていたなら・・・、と後悔しても始まりませんが、貴重な証拠を収めていたということで自己満足としましょう。

 

2022年10月25日 (火)

京急蒲田

コロナの影響で3年ぶりの開催となった鉄道模型ショー。京急蒲田駅近くの大田区産業プラザ(PIO)での開催と、これまでと変わらないものの、会場は1階の大展示ホールから、2階・小展示ホールと4階・コンベンションホールの2か所に変わりました。お陰で4階のテラス(?)から、行き交う京急空港線を眺めることができました。折角なのでカメラに収めます。

ステンレス地の1000系がやって来ました。

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上下に京急を収めたくなるのが人情? しかしなかなか良いタイミングになりません。

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「京急蒲田駅」という壁面とともに、上下の京急電車を撮りたかったのですが・・・。このカットは京成になってしまいました。

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ここに来た目的は撮影ではないので、これ以上タイミングを待つのを諦め、会場内を楽しんだ次第でした。

 

 

2022年10月23日 (日)

暗闇から

普通ならなら屋外光線の下で撮影するのでしょうが、あえてこんな撮影を試みています。

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後方に自然光があることがポイントかも知れません。

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暗いので当然、早いシャッターは切れませんが、ギリギリに挑戦です。

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もうしばらく、こんなことに挑戦せざるを得ないかも知れません。

 

2022年10月21日 (金)

刺激を頂いた作品

合同運転会は、走らせて楽しむのは勿論ですが、他の人の作品に出合えることも喜びの一つです。今回はN村さんの作品にから多くの刺激を頂くことができました。

ときわレール倶楽部のレイアウトに並べらた常磐線のステンレス電車、この3編成はどれもペーパー自作です。

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近年パーツも高騰している中、床下機器もその殆どが角材と紙片他の材料を駆使した自作。制御関係機器は実に見事なものです。

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交直流電車の集電関連機器は、パーツを買おうとすれば、ほぼ樋口一葉さんが飛んで行くという状況なので、創意工夫を重ねて自作されています。

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この車両の屋根上も同様です。

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このように、創意工夫を重ねて自作する鉄道模型こそ、OER3001氏には良い刺激、お手本になるのです。

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そうして完成した3編成、たっぷりと拝見させて頂きました。N村さんありがとうございました。

 

2022年10月19日 (水)

番外編

3年ぶりの合運なので、つい羽目を外したくなる方もいらっしゃいます。“その時”に備えて、OER3001氏は低重心&車体傾斜装置を備えた高速試験車両クモヤ93000形を用意していました。今夏の第21回JAMでの50m直線に於いて最高速度を競うスピードコンテストでは、実物換算1,208.893km/hを出して出場車中4位となったものです。

対してここでは、曲線エンドレスを3周するというレースで、最高速度がどんなに速くても曲線通過できなければ失格となります。

試合前に3人並んで記念撮影。

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I門さんの東海道新幹線試作電車1000形A編成は1686.23km/h(第19回JAM)、2002.557km/h(第21回JAM)の記録保持車です。

K野さんの小田急3000形SSE車は891.95km/h(第19回JAM)の記録保持車。

両車並んで・・・

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真鍮製車体の新幹線電車は重心が高くご覧の通り。哀れな結果となってしまいました。

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まあ他人のことは言えません。初回の3周ではクモヤ93000形が楽勝だったのですが、再挑戦を受けた2回目では曲線区間での減速に失敗。並走するSSEともども転倒してしまいました。

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いい年した大人、しかもシニアが、こんなことに熱狂して良いのでしょうか。反省しなければなりません。

・・・でも、さらに曲線通過性能を上げるためにはどんな施策が、などと考えてしまう次第です。

 

2022年10月17日 (月)

二十歳の頃

「二十歳の頃」という企画テーマが掲げられた「第20回 鉄道模型関東合同運転会in埼玉けんかつ」では、参加者有志がそれぞれの作品を展示しました。OER3001氏が展示したのはこれ。

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東急玉川線で活躍したデハ80形の2両編成。デハ80形の誕生はOER3001氏と同じく1950(昭和25)年、そしてこの作品の完成がOER3001氏の20歳の誕生日だったということで、52年前の作品。今回の企画テーマにピッタリでした。

52年前の材料は白ボール。カワイモデル製のブリル台車、カツミのPS16パンタのタスキを張り替えて1本シューに改造。正面のジャンパ受けを真鍮パイプから作り、標識灯や排障器もすべて手作りと、今なら利用できるのパーツがあるのに、床下機器など何もかも手作りでした。

小型の縦型モーターだった動力をパワートラックに換装し、連結器をIMONカプラーに交換して、今も元気に走ります。

 

2022年10月15日 (土)

昭和の小田急集合

徹底的に昭和の小田急を持ち込んでの合運参加。歴史の順番で今更言うまでもなくペーパー自作、釣り掛け式2100形から。正面の渡り板を上げたままの撮影だったようで残念です。

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小田急ファンでなければ“同じ”に見えてしまうかも、こちらはWNカルダン駆動の2220形。もちろんペーパー自作。

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この両者が車両基地で並ぶと、確かに同じように見えてしまいます。

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さらにその先には、前照灯が2灯になった2400形HE車が。

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2400形HE車は谷川製真鍮キット組ですが、正面に開けられていた列車種別表示窓を埋めて、新製時の第1編成を仕立てました。

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残念ながら、走行写真を撮っていたのは2400形HE車だけでしたが、どれも快走してくれました。

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黄色と紺だった一般車両の中に現れた「小田急百貨店全館完成記念」特別塗装の2600形NHE車は、谷川製真鍮キット組です。

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築堤を行く情景を流し撮りするも、架線柱にかかってしまい残念! でもイイんです、十分楽しめましたから。

 

 

2022年10月13日 (木)

SE車で愉しむ

コロナで開催が見送られていた「第20回 鉄道模型関東合同運転会in埼玉けんかつ」は、3年ぶりの開催となりました。自分たちで好きなように楽しめる非公開の運転会はサイコーです。「二十歳の頃」という企画テーマに合わせ、昭和に活躍した車両を持っての参加としました。

先ずは小田急3000形SE車。ミュージックホーンも高らかに快走します。

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下北沢を思い出す町並みを行きます。

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子供の頃、踏切を通過する電車を見るのは楽しかったなぁ。

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こんな踏切は何処にでもあったけど、高架化や立体化でどんどん消えてしまいました。

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線路脇の桜と言えば、玉川学園前か相武台前付近か。玉川学園の桜はだいぶ伐採されてしまいました。

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伊勢原を過ぎれば、丹沢の山々を背景に、水田が広がっていました。

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大根(現・東海大学前)を過ぎ、トンネル(秦野隧道)を抜けたら、広々とした築堤を行きます。

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今回から登場した築堤モジュールは良い撮影ポイントになりました。

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ということで、モジュールレイアウトならではの走行を堪能させて頂きました。流し撮りにもチャレンジ。

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お陰様で鬱憤晴らしができました。サークルの皆さま、ありがとうございました。最後に実車が活躍していた頃の姿を。

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東北沢駅、2600形NHEを退避させて通過して行きました。

 

 

2022年10月11日 (火)

453系

国鉄初の交直両用急行形電車として1962(昭和37)年に登場した451系。13組製造されたMc-M’ユニットは100 kWのMT46形主電動機だったが、翌年には120 kWのMT54形変更して現れたのが453系。21組が製造されたようです。

1965(昭和40) 年からは抑速制動を装備した455系に移行されたので、453系は影の薄い形式になってしまった感じがあります。

その453系、たった1枚だけですが撮っていました。

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左端に客車列車が停車していたので、先頭の1.5両しか映っていませんが、拡大するとクモハ453-4と判読できます。平駅でのハーフサイズの一枚でした。

 

2022年10月 9日 (日)

竣工前の試運転

シニアの運転会で、入籍前のフリー客車の試運転をして来ました。

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先頭に立った機関車はED201としたフリー。懐かしい天賞堂のEB10ベークライトボディーを利用、下回りは1t真鍮板で床板を作り、ブリル台車にWB24.5を2台装着した強力機。赤いパンタはドイツ風です。

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牽引機を交換してさらに走らせます。

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この牽引機は、鉄道模型社のED58。レストアと同時に、試験塗装のEF58 4号機もどきのツートーンカラーに仕上げています。

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この客車を牽かせてみたら、フランス国鉄SNCFの列車のようにも見えて来ました。テールライトの位置が「ヨーロッパ」でしょ。

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気分を変えて、C11スタイルの蒸機にも牽かせてみました。

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どう見てもC11とは程遠いカワイモデルのフリー機。思い切ってグリーンに塗ってしまったら、これはこれでまたという感じになりました。

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バック運転良いですね。

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そう言えば、グリーンの車体に赤いパンタを載せたED14風機関車にも牽かせたのですが、走行写真を失念しました。

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いずれにしても、グリーンに塗られた機関車に似合う客車となった自負しています。細かいことを言わない大らかな運転会では、こんなフリースタイルを楽しむのも良いですね。

 

 

Oゲージストラクチャー

天袋の奥から出てきたこんな箱。妻面に「№3ホーム」とゴム印が押されています。。

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早速取り出してみたらこれが! 何せ60数年前のものですから、部分的には錆もありますが、まあまあ奇麗です。

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上屋にはスクリューソケットに電球をねじ込む方式の小さな照明器具が付いています。

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やや、上屋から下げられた案内板には・・・、

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小学3年生の時かな? 小田急がHE車4編成を導入するという駅貼りポスターに刺激されて書いたようです。なんとも微笑ましいではありませんか。そうして今に至っているのです。

 

 

2022年10月 7日 (金)

ED27

詐欺に遇ってから、ブログ更新が疎かになっていますが、OER3001氏はほぼ日常を取り戻しています。

今回は“序で撮り”していた中から、もっとちゃんと撮っておくべきだったと後悔することになる画像を。1964(昭和39)年10月(だったと思われる)の青梅駅。工房5丁目さまのご指摘から氷川(現奥多摩)駅だったようで、訂正させて頂きます。

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南武鉄道1001形として1929(昭和4)年に製造された1両で、国鉄買収後ED34形を経て2代目ED27形となった機関車。昭和初期の香りぷんぷんの味のある機関車だったのに・・・。この一枚しか撮ってなく残念でなりません。

 

 

2022年10月 5日 (水)

3線式Oゲージ線路発見

天袋の奥から、こんなものが出てきました。「平行 切換ポイント右左」とゴム印が押された馬糞紙のような紙箱。

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丁寧に開けてみると・・・、ガラレールの平行ポイント。大事にして遊んでいた小学生低学年時代を思い出しました。

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手動切換てこ1器が付いていて、真鍮線で連動しています。中央レールはコレクター集電ですから、分岐する箇所でショートしないように絶縁されていますが、その絶縁体はどうも竹材のようです。

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ところが、反対側の絶縁材は赤く示したように剝がれていました。そう言えば、ここで車両が止まってしまい、原因が判らず落ち込んでいたことがあったような・・・。

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さてさて、こんな歴史的に貴重なものが見つかってしまいましたが、この先どうしましょうね。

 

2022年10月 3日 (月)

落胆から脱却すべく

詐欺に遇い、多大な損賠を被ることになった我が身の愚かさに落胆しています。立ち直るには相当な時間がかかりそうですが、まずは日常を取り戻そうと。

PC画面いっぱいの「ウイルス感染」との表示は、一種の「広告」だったようです。恐喝広告を強制的に表示させ、電話を掛けさせる。その上でPCをリモート操作するという手口。一旦嵌るとなかなか抜け出せないものですね。冷静に考えれば何度も抜け出す機会はあったはずなのに、巧妙な手口に腹が立つばかりです。

で、おそらくOER3001氏のPCは、ウイルスには感染していないのでしょうが、不安な気持ちが落ち着かないのでPCも買い換えました。そのためデーターやアプリの移行がまだ終えず、不便な状況が続いています。

 

そんな中で気分転換。小学4年生の夏休みに作った“保存機”が出土しました。

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運転室を中央に構えた凸型ディーゼル機関車。前後の機関室(?)の長さが異なります。

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長い方は取り外し式で、中には単三電池が収まるようになっていました。この車体は白ボールで作っていて、裏側は何の処理もなされていない“素”です。

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台枠というか床板というか、蒲鉾の板をそのまま使っています。

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それに糸鋸でガリガリゴリゴリと、一生懸命穴を開けた痕跡が生々しく残っています。キャブ裏側にマブチモーターを付け、DT16台車の片軸にウォームギアで伝導しようと試みていたのでした。

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3線式Oゲージで遊んでいた時代なので、単三電池で動かすにも床下に方向切り替えスイッチを設ける必要がありました。面倒臭い配線を良くやったものですね。

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連結器のパーツが凄い。復元ばねが仕込まれたパーツ、お小遣い握って自転車漕いで、太子堂にあった北沢教材社で買ってきたものだったと思います。

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冒頭の画像で確認できる前照灯は、水彩絵の具のキャップをセメダインで接着しただけ。小学生が当時持てる知恵と技術を集積して製作した筈の一品、今更何の価値もないとはいえ、どうしても捨てられませんね。

 

2022年10月 1日 (土)

落ち込んでいます

9月26日のトロイの木馬ウイルスに感染したというのは・・・

残念ながらマイクロソフトを名乗る詐欺でした。

警察には届けています。

多大な損害を被り、心が折れています。

ショックから、パソコンも買い換えました。

おかげで様々な再設定に苦労しています。

通常運転までもうしばらく猶予を賜りたく思います。

どうぞご了承ください。

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