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2022年11月 1日 (火)

野川改修事業

(本編は昨日アップ後、SEとSSEが逆に表記されていたことに気づき、本文を一部修正しました。)

昨日、山王川改修工事について触れたところ、花見牛さまから「子供の頃の野川改修で成城学園前-喜多見間が大きく迂回していたのを思い出します。」とのコメントを頂きました。「NSEが身をくねらせて急なカーブを通過していくのを、陸橋から見おろすのが楽しみでした。」とのこと。

それなら当時を思い出してみようと探したところ、1967(昭和42)年の記録を見つけた次第。御殿場線乗り入れに備えてSSEへの改造が始まったとき、8連のSEの記憶を留めておこうとして乗った時でした。先ずは新宿から新装なったSSE(3015×5)に乗車。成城学園前を過ぎ、喜多見にかけての下り勾配を駆け下ります。が・・・、「制限70」の標識。

19670819_0029_13

元の上下線を左に、大きく右カーブします。仮線は木製架線柱だったのですね。

19670819_0030_13

以上は下り線を行くのSSE車からの撮影。

 

代わって上り線も。今度は8連のSE(3021×8)車内からです。喜多見を通過して上り勾配にかかるあたりで70㎞/hに減速。ちょうど速度制限標識がピラーにかかってしまいました。

19670819_0211_13

迂回する仮線を進んでいるとき、1700形が下って来ました。

19670819_0212_13

元上下線を右方に見つつ、勾配を駆け上がります。

19670819_0213_13

ここがちょうど、仮・野川橋梁の上です。先の左カーブを過ぎれば成城学園前。

19670819_0214_13

実は運転台、SEとSSEとでは微妙な相違点があるのですが、これらの写真でお判りになったかどうか?

 

1968(昭和43)年秋に、改修工事が終わって元の直線となった線路を下って来る列車を撮影していました。この時は特別塗装の2600形。「フルーツ号」の運板を掲げていました。

19681118_0007_13

それからおよそ3か月後となる1969(昭和44)年2月、仮線の盛り土が残るも立派な橋梁と架線柱となった本線を、あの跨線橋から撮影していました。

19690209_0010_13

さらに20年後に再び大工事が行われ、NSEが進む先は地下線に。写真右手は喜多見電車基地となるなんて、想像もしていませんでした。

 

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コメント

 この工事は覚えているけど、写真は撮っていません。その後、車両基地ができると決まり、喜多見駅の近くに本線と直角になる短い線路が敷かれました。単線で長さは100mそこそこ、喜多見から入るようにカーブしていたけど本線とはつながっていない。なんのための線路だったのか、今でも疑問です。

◆ モハメイドペーパー さま
9号線用地だとかとも聞いていたし、将来の鉄道用地だという主張からだったのでしょうなね。
その写真が無くて残念です。

拙コメントを早速引用くださったばかりか、迂回当時のすばらしい写真(SE、SSE先頭部からというのがすごいですね)まで掲載していただいてありがとうございます。
そうそう、カーブの具合はこんな感じでしたね。現在は車両基地がある線路北側は、まだ一面の荒れ地でした。
モハメイドペーパー様のコメントにある、謎の引き込み線のことも覚えています。車両が入線しているのを見たことは一度もなく、なんでこんなものを作ったのか、子供心にもいぶかしく思いました。

◆ 花見牛 さま
いやいや、どういたしまして。懐かしい記憶をお寄せ頂いたことが嬉しく、画像検索してしまいました。
本線とつながっていない謎の線路、どうなるのか楽しみにしていたのに、いつの間にか無くなってしまいましたね。遠い日の思い出です。

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