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2022年12月

2022年12月31日 (土)

2022年を送る

遂に、大晦日となりました。

今年は波乱にとんだ一年だったようです。ロシアによるウクライナ侵攻で、諸物価高騰など生活回りにも大きな影響があった他、旅先での大地震被災(3月)、右手首骨折(4月)、詐欺被害(9月)と、なかなか体験できないような災難が続きましたが、なんとか2023年を迎えられそうです。

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模型製作ではこの20系フリー客車編成の他、流電52系編成、天賞堂製0-6-0レストアなどの他、Oゲージコンテナ貨車が竣功しましたが、大物は年越しとなってしまいました。

一方、“SL銀河”や“パレオエクスプレス”など、久しぶりに蒸機列車の撮影に繰り出すなど、趣味中心の生活のお陰で“心の健康”を維持できたことは何よりです。

この一年、多くの友人や拙ブログをご覧頂いている皆さまには様々な面でお世話になりました。謹んで感謝申し上げますとともに、来る2023年が、皆様に健康で災難の無い一年となることを祈るばかりです。

 

 

2022年12月29日 (木)

今日の一枚 No.151

いよいよ今年もあと3日になってしまいました。定年退職後は、毎日の生活は自分のペースでできるので、月末/月初だとか期末/期首だとかということとは無関係になっていますが、年の暮れだけは違います。やっぱり一区切りです。

こんな画像がありました。会社勤め初めて2年目の秋、鉄道趣味の管理職たちと訪れた北海道。ここが何処だったのか記録が無いのですが、追分だったかと思われます。

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澄んだ秋の空に月! 停泊するD51767のナンバープレートと共に、写せるかどうか分からないまま長時間露光してみた記憶だけがあります。

この一枚が、何となく年の瀬に相応しい気がして・・・。

 

2022年12月27日 (火)

ED42形電気機関車

言うまでもなく、信越線横川-軽井沢間のラックレール区間で活躍したアプト式機関車です。

国鉄大宮工場見学の際、工場北寄りの試運転線横に置かれた廃車体の中に、ED42 1号機を見ました。正面窓ガラスが割れていたり、ドア窓ガラスが無かったりと、無造作に置かれているようでした。

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しかしこれが、後に復元され保存されることになるとは。この年の10月14日に、準鉄道記念物に指定されて横川駅構内に移設されたということです。その後には動態化もあり、現在は横川の庫内に収められています。

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残念ながら保存車を屋外で見る機会はありませんでした。写真撮りづらいですが庫内に収納されていることで安心できます。

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復元保存にあたり、ナンバープレートも形式入りの大きなサイズに交換されていたのですね。恥ずかしながら写真を見て比較するまで気づきませんでした。

 

 

2022年12月25日 (日)

御殿場線の小田急

小田急の御殿場線乗り入れが開始されたのは1955(昭和30)年10月1日のこと、既に67年の歴史があります。

最初は当時のロマンスカー塗装と同じ、黄/紺塗装の気動車キハ5000形でしたが、増備されたキハ5100形と共にクリームに朱帯姿になって、1968(昭和43)年の御殿場線電化まで走りましたが、今思えば僅か13年間とは短いものです。

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電化となった1968年7月1日からは、3000形SE車を5両編成に短縮改造されたSSE車に交代。キハと同じ山北-谷峨間の第一酒匂川橋梁で撮影しています。

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SSE車「あさぎり」は1991(平成2)年3月15日まで23年間に渡って運用されますが、この間は度々撮影に出掛けていました。それでも奇麗な富士山と共に収められる機会は多くありませんでした。

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国鉄の分割民営化でJR東海となって、両社共通仕様の特急車両を新造して沼津までの相互直通運転となり、小田急が用意したのが20000形RSE。谷峨駅でJR東海の371系と交換する姿は、どうしても記録しておきたいものでした。

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371系は1編成しか無いため、定期検査時には小田急車が代行。そのため2編成の20000形RSE「あさぎり」が並ぶ光景も貴重な記録となりました。

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しかし、2012(平成24)年3月17日のダイヤ改正で小田急60000形MSEの6連による片乗り入れに戻り、運転区間も当初の御殿場までとなってからは、御殿場線区間での撮影に出掛けていないのです。

華やかだった時代が忘れられませんが、60000形も撮りに行かなくてはなりませんね。

 

2022年12月23日 (金)

今日の一枚 No.150

前回、「今日の一枚 No.149」に寄せられた“ぼっちぼち”さまからのリクエストにお応えして・・・

廃車解体待ちのD50 27を。1924(大正3)年9月、川崎造船所兵庫で9900形として新製、1928(昭和3)年にD50に形式変更 27号機となったもの。

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常磐線での活躍後、1950(昭和25)年以後新鶴見区所属を経て1957(昭和32)年から大宮工場内の入れ替えに従事。1960(昭和35)年に廃車となっていたようで、なんと廃車後7年の姿だったようです。

 

2022年12月21日 (水)

今日の一枚 No.149

この日は国鉄大宮工場の見学に行っていました。知り合いのお力添えで実現したと記憶しています。

外の試運転線では、検査後のC58 184号機が行ったり来たり。

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まだ蒸気機関車の定期検査をしていた時代だったのですね。今となっては貴重な記録です。 C58 184号機が進む先には、解体を待つD50 27号機の姿もありました。

 

2022年12月19日 (月)

花巻電鉄保存車両

「SL銀河」撮影行の最後は、JK氏のご希望から花巻電鉄の保存車両「馬面電車」を見に行くことにしていました。保存車両の所在地は花巻市材木町3番17号とのことで、レンタカーを返却する新花巻駅からはそう遠くはありません。

その地は現在休館中という「市民の家」がある材木町公園。

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1933(昭和8)年に宮沢賢治が亡くなった時の追悼集会の開催場所になった旧花巻町庁舎を、1970(昭和45)年に現在地に解体移築したものだということでした。

その建物の左横(北東)に、しっかりした屋根と金網で覆われた保存車両が確認できます。

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前に遊具が設置されていて、子ども達の遊び場になっているようです。

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花巻電鉄の路線図と、保存されているデハ3の説明板が役立ちます。

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「想い出の花巻電鉄」と称した案内板には、1969(昭和44)年8月31日の最終営業日の情景が紹介されていました。

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早速近づいて観察します。先ずは公園側から見て左手前から。

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時計回りで正面を。金網の間からレンズを入れて撮るため、全体を収められません。

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仕方がないので下方は別に。

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左奥へ移動します。代用品を使ったと思われるこの前照灯だけは頂けませんね。

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それでもしっかり手入れされ、奇麗な姿を保っていることは素晴らしいことではありませんか。

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真横を収めておきます。

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さらに左へ移動して。

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公園側の右手前へ移動します。

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最後にしっかり、雨宮製作所の板枠台車も。金網からレンズを入れての撮影なのでどうしても左右が収まりません。

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この画像を見て今、主電動機を撮影していなかったことに気付き、悔やまれますがやむを得ません。

 

2022年12月17日 (土)

「SL銀河」撮影行⑤

釜石駅近くの甲子側で撮った後は陸中大橋へ急ぎます。

いかし残念ながら現地への到着は「SL銀河」同駅発車時刻間際だったので、発車シーンを諦めてここに。それでも人々の間からレンズを入れるのが精一杯でした。

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次なる場所は、煙は期待できない下り勾配区間ですが、足ヶ瀬-平倉間の開けた場所としました。

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道路に横一列に並んだカメラ前を行く列車、キャブから手を振ってくれています。こちらに手を振ってくれる乗客たちに、撮影が終わって手を振って返礼、11時28分のことでした。

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この後、遠野で約2時間停車する「SL銀河」なので、ゆっくり昼食を摂ることにします。

すっかり冷えてしまった身体を温めるべく「遠野そば まんてん」に入ると、壁面に掲げられた地産地消に魅かれます

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きのこそばにしました。

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空腹を満たした後は、岩手二日町-荒谷前に向かいます。先ずは12時55分、釜石行きの「快速・はまゆり」が来ました。

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温かいそばを食べたと言えど、さらに1時間ほどをここで待ちます。ようやく目的の列車が来たのは14時5分のことでした。

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最後の場所は宮守等を諦めて高速で新花巻へ向かうことにして、花巻-似内で待ち受けることにしました。15時12分に撮影完了。この日の「SL銀河」撮影予定は終了となりました。

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「SL銀河」撮影の後にも一つ計画がありました。それは次回と言うことに。

 

 

2022年12月15日 (木)

「SL銀河」撮影行④

二日目の朝を、満室の「ホテルルートイン釜石」で迎えます。

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前日から2日間の“足”はこれ、2103です。

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間違えました、こちらの2103。カローラフィールダー盛岡500 わ 21-03でした。

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「ホテルルートイン釜石」が満室で取れず、少々お高い釜石駅隣接の「ホテルフォルクローロ三陸釜石」にお泊りのRO氏のお迎えです。

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JR釜石駅の右端に三陸鉄道釜石駅。

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9時3分発の盛行の発車も近かったので、以前から撮りたかった製鉄所バックの撮影のため、甲子川を渡った側に急ぎましたが、既に何人かがカメラを構えていました。

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3月に訪れた際にこの鉄橋を渡って盛へ向かったことを思い出しつつ、製鉄所バックの姿を収めることができました。

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その後は主目的の「SL銀河」撮影ポイントを探索します。前日見た洞泉駅へ向かうことは断念し、釜石駅に近い甲子側橋梁で撮ることとしてトレーニング。釜石8時57分着の列車はキハ100の4連です。先頭(右)から16-13-15-27、結構な乗客数でした。

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釜石駅からは9時3分発の2本の列車があります。先ずは久慈行きの三陸鉄道が2両編成で。

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同時刻発の筈ですが、JR釜石線花巻行きキハ100の2両編成はなぜか1分遅く通過して行きました。

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9時27分になると宮古からの三陸鉄道が来ましたが、今は数を減らしている創業以来のキハ36形でした。

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そうしているうちに、釜石駅で出発式を終えた「SL銀河」が通過して行ったのは9時59分。

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この場所で待機している間に岩手日報の記者から声を掛けられていましたが、その岩手日報には向こう岸でカメラを構えるファンの姿と共に捕らえた写真と記事が掲載されたようです。

 

2022年12月13日 (火)

番外編:釜石での反省会

「SL銀河」撮影行の初日は早朝からの活動ですが、冬の陽が山に隠れる16時前にはその“任務”は終えてしまいます。早々にホテルにチェックインするのですが、こんな経験は初めてのこと。なんとチェックインカウンター前に長蛇の行列。30人くらい並んだ大部分方々の目的は、「SL銀河」撮影だったようですから、同じ時間に用事が終わり、同じ時間に夕食に繰り出すことになります。従って、数少ない地元の飲食店は激込みで入店できないことも予想されます。

今回はRO氏の判断で、評判が良いと聞いた店を予約してくれていたので大いに助かりました。18時過ぎから反省会となりました。

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先ずは無事に計画を終えてカンパ~イ!

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若大将が丹精込めて作ってくれたこの“お通し”、特に右の牡蠣が何とも言えぬ旨さだったこと。

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親父夫妻と息子さんが切り盛りしている様で、家庭的で居心地が良い店です。大将お勧め刺身盛り合わせを頂きます。鯛。

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つぶ貝。

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ほうぼう。

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鮪。

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ヤリイカ。

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子持ち昆布。

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これらを楽しんで頂くうちにもちろんビールは空。地元産の清酒を頂かなくてはいけません。釜石の酒蔵は株式会社浜千鳥(釜石市小川町3-8-7)が製造する“仙人郷”としました。魅かれるではありませんか、陸中海岸国立公園に程近い北上山地の地底600mに湧く「仙人秘水」を仕込み水として採用したお酒とのことですから。

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まろやかですっきりした口当たりでカンパ~イ!です。

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この頃には刺身も胃の中に納まってしまったので追加したのは海老と烏賊のから揚げ。

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最後はしっかり寿司を頂きました。

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こうして「あそこの煙は良かった」とか「雨に降られず何よりだった」「それにしても凄い人だったね」などと、しっかり反省し、二日目に備えました。

 

 

 

 

2022年12月11日 (日)

「SL銀河」撮影行③

一日目の最後はやっぱり陸中大橋です。「SL銀河」7分停車の間に、乗客が機関車を見に降りて来ます。

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上り「快速・はまゆり」との交換を待って・・・。

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いよいよ発車です。

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数十人のカメラを前に力強く発車して行きました。

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我々3人は、明日の撮影場所を探索します。RO氏のご案内で訪れた洞泉駅。なかなか良きポジションではありますが、ホーム先端には既に明日の場所撮り用三脚が3組。

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ここは諦めることとして、ホームの柿を撮って退散しました。

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釜石へ着くと、ちょうどC58 239が転車台上。長い汽笛を吹鳴しつつ何と540度の回転。明日に備えて庫に収めるだけなら180度の回転で済むのに、ギャラリーへのサービスで1.5回転してくれるのでした。

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その脇を盛行の三陸鉄道の気動車が、ゆっくり通過して行きます。

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その乗客に、転車台の掛員が手を振っていました。

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転車台で蒸気機関車を方向転換するという、昔は当たり前だった光景が、今では大イベントになっているようで。

 

 

2022年12月 9日 (金)

「SL銀河」撮影行②

前半の最後は12時9分、綾織-遠野間、ローソン遠野綾織町店の北側なので、晴天だったら逆光になる場所かな? 曇り空で助かりました。

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「SL銀河」が遠野で1時間19分停車するので、その間に次なる撮影地を目指します。青笹、岩手上郷、平倉を経て、足ヶ瀬の手前にしましたが、13時20分でこの状態。

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場所決めをしている時にキハ110-3他3連の「快速・はまゆり」が快走して来ました。

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13時34分にはここまで増えました。

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道路に停まった車列は400m程になっていたでしょうか。

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「SL銀河」はほぼ定刻の13時54分、力強くやって来ました。

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一斉に鳴り響くシャッター音の中、「快速・はまゆり」とは違い一歩一歩進む感じです。

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ここでも乗務員や乗客が、撮影者たちに手を振ってくれました。撮影を終えた人たちもそれに応えるように手を振るという、ほっこりする一瞬でした。

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この後は仙人峠を越え、陸中大橋に急ぐという“お決まりコース”。駐車していた車列が一斉に動き出しました。

 

 

2022年12月 7日 (水)

「SL銀河」撮影行①

ひょんなことから、斯様なことになってしまいました。

切っ掛けはおよそ1か月前のこと、仲間内運転会後の“反省会”で出た「客車の老朽化でSL銀河の運行止めるんだってね」という話に、OER3001氏同様に電車好きのJK氏が行ってみたいと言い出したのです。3月に行って被災もしたOER3001氏なのに、勢いから「それなら行こう」となってしまった次第でした。その後その話を聞き付けたRO氏も同行することとなり、3人で行くことになった次第です。

4時半起床で大宮から「はやぶさ101号」に乗車します。

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1か月前の予約でも、ホテルとレンタカーは厳しい状況でしたがなんとか確保。この事情に詳しいRO氏は「新花巻のレンタカーの手続きだけでも20~30分並ぶらしい」と言うことで、前日入りして「はやぶさ101号」到着前にOER3001氏が予約しておいたレンタカーを受け取り、駅で迎えてくれました。

運転はOER3001氏となり、最初に目指したのがここ小山田-土沢間でしたが既にこの状況、驚きです。

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彼らの仲間に加わり、最初の一コマは10時46分でした。

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撮影後は速やかに次の目的地・岩根橋-宮守を目指しましたが、タイミングが間に合わずまともな撮影ができませんでした。そして次はあの宮守-柏木平間の眼鏡橋へ向かいますが、道の駅の駐車場もほぼ満杯。一般観光客らしき人々も大勢居るのでそれもカメラに入れました。

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乗務員は超サービスで煙は上げるは汽笛を長く吹鳴し、見物客に手を振ります。乗客も手を振り撮影を終えた人々も応えます。

 

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11時41分ここでの“お仕事”を終え、前半最後の場所に移動でした。

 

 

 

2022年12月 5日 (月)

架線見学

遊園地はとっくに閉園されて無いのに、駅名は“向ケ丘遊園”のまま。ギャンブレル屋根*の北口駅舎と共にレールで作られた跨線橋は、今となっては貴重なもの。昭和の歴史を伝えてくれるので好きな駅です。

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高架複々線化されて、跨線橋というものも随分少なくなった感じがしますが、電車の屋根上を観察するには無くてはならない施設です。

が、今回は鉄道施設の観察。上下線の架線ビーム上に架けられた太い2本の電線が、パンタグラフが接触するトロリー線に電力を供給する“饋電線”です。英語だとfeeder、模型と同じですね。

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跨線橋からだとその饋電線を間近に見られます。上下線とも2本の電線が使われ、大量輸送区間の設備であることが実感できます。

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鋼心アルミより線(ACSR:Aluminum Conductor Steel Reimforced)に代表される複合アルミ電線が使われているらしい。中心に亜鉛メッキ鋼より線、外周に硬アルミより線という構造のようです。

P311(一社) 電線総合技術センター電線の基礎知識より引用

 

ちょうど、この駅で折り返す東京メトロの車両が入線して来ました。

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こうして電線にまで興味を持って鉄道を見ると、鉄道資産が如何に大きな資本がを必要とするものなのかが実感できます。

模型で考えてみれば、レイアウトに必要な電線やプラグがどれだけ必要なのか。レールの必要本数は直ぐ考えられても、電線の必要長さや収納スペースについては中々頭が回らないという現実も(涙)。

 

*小田急電鉄社史などで称されているマンサード屋根とは、左図のように4方向に向けて2段階に勾配がきつくなる「外側四面寄棟二段勾配屋根」、対してギャンブレル屋根は「二面切妻二段勾配屋根」のことだそうです。

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  従って、向ヶ丘遊園駅舎はギャンブレル屋根と言うことになります。

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2022年12月 3日 (土)

9000形走る

シニアの運転会、今回はお仲間のご要望で小田急9000形の走行となりました。

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模型は1975年の竣功。当時は今のようにパーツもなく、車体は側扉に真鍮プレスパーツ利用のエクセルアイボリー紙ペーパールーフ。床板はt1.0の真鍮版。クーラーは原型を木片とペーパーで製作し、シリコンゴム型によるポリエステル樹脂による量産品。屋根上の避雷器、ヒューズ箱等も角材から自作。

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パンタ車にV-19モーターと14:2ウォームギア、インサイドギア駆動を装備という当時の標準的動力で、力強く快走してくれました。

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空気溜以外の床下機器も、カワイのホワイトメタルパーツからルーバー部分だけを切り出して利用するなど、殆ど自作です。

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レイアウト中央のトラス橋を行くシーンで、相模川橋梁を思い出します。確かこの鉄橋を架け替えた時の宣伝ポスターで、9000形が渡るシーンを見た記憶があるのですが、残念ながらOER3001氏はここで9000形を撮っていませんでしたので1000形でご勘弁。

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9000形だったらこんなシーンだったことと思います。

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動力車2両/4両編成だけに、この勾配線も問題無く完走してくれました。

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精魂込めて製作した47年前の作品。実車はとっくに引退してしまいましたが、模型はまだまだ活躍してくれそうです。

 

 

2022年12月 1日 (木)

富士山麓電氣鐡道 日帰りツアー

この趣味を持ってきたことで、若い時から鉄道で働く多くの人々に出合い、お付き合い頂いていることで、豊かな趣味生活を楽しめるようになったと思います。今回もそのお一人であられる京王電鉄OBからのお声掛けを賜り、元京王5000系を訪ねる日帰りバスツアーに参加できました。

旅の始まりは京王線北野駅南口ですが、OER3001氏はJR八王子駅みどりの窓口前からの参加です。

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8時10分までの集合に、流石電鉄会社OBだけに、ゆとりを持って集合していました。

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この表示が掲示された京王のバスに乗ります。

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八王子ICから中央道へ入り、9時42分には最初の見学先であるリニア館へ。ここの見学内容は前回をご覧ください。

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リニア館見学を終えて、一同を乗せたバスは河口湖駅へ向かいます。河口湖駅では3番線に、京王時代のアイボリー塗装となっている2両編成「団体専用」貸切列車が待機しています。

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この「5863」の京王時代の1枚がありました。府中競馬正門前駅でのものです。

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因みにこの編成は2009年6月からはこの塗装にされており、アイボリー塗装となったのは2012年10月からのこと。なんだかんだで既に10年なのですね。

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早速乗り込んだ車内、座席モケットや腰掛袖部が現役時代とは異なるものの、天井のイメージは京王帝都そのものです。

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1996年に撮影していた写真と比べてみてください。

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鴨居上部のスピーカーは、富士急に転属したときに覆われたカバーが外され、KTRのデザインがしっかり見られます。

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富士急転属で「1001」と改められた車番の上に、京王時代の「5113」が表示されています。

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京王時代の「5113」、1984年笹塚駅で撮ったのがありました。

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しかし運転台の番号は「1001」のまま。おそらく富士急としての車籍は「モハ1001」のままなのでしょう。

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団体専用列車となったアイボリーカラーの2両編成、スイッチバックの富士山駅では約30分の運転停車。ここでも充分撮影ができました。

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嬉しいことにここでお弁当が積み込まれ、車内で頂きます。特別包装紙が何とも言えません。

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お弁当を食べていたら、つり革の1本にピンクのハート形のものがあることに気付いた次第。

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貸し切り列車は東桂で25分の撮影タイムです。先ずは「特急・高尾」のヘッドマークを掲げて。

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次は「陣馬」に掛け替えて。お行儀良く和やかな撮影ができました。

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貸し切り列車は大月までは行かずにここで折り返し、河口湖を目指します。河口湖到着後は定期列車の合間を縫ってJR車両も休む車庫線に入れ替えです。

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ここからが撮影タイム本番。参加者一同の集合写真撮影後に、富士登山電車となった1200形と並べて、ヘッドマークを掲げた雄姿を収めます。

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が、OER3001氏の目的はこれでした。実車が乗るレール上にペーパー自作の模型を置いて、実車と模型のツーショット。

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全体で20分程しか無かった撮影タイムだったので、模型の傾きを修正できないままとなってしまいましたが、参加の皆様方のご協力もあって実現したものでした。

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模型とのツーショットを終えて最後は、大晦日から元日にかけて運転された「迎光号」の撮影。

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大満足の一日を楽しんだ後は、渋滞などどこ吹く風というくらい順調な中央道で高尾山口、八王子みなみ野、多摩境の各駅で希望者が下車、お開きとなりました。

この企画にお誘い頂いたM村さまはじめ京王OBの皆さま、富士山麓電氣鐡道の皆さまに心からお礼申し上げます。

 

 

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