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2023年2月

2023年2月28日 (火)

近隣の変化

一度もお話しする機会はありませんでしたが、きっと相当なファンなのでしょう。OER3001氏の自宅から直線距離で1キロ程の場所に、廃車となった貨車が奇麗な姿に保守されて、しっかりした軌道上に永年置かれていました。腕木式信号機もあり、併設された立派な小屋と共に、時折集会が持たれていたようです。

Eukfhukvkamtind_202102(画像はtwitterより

その「ヨ5001」が、突如移動することになったようで、1月17日に搬出されたとのこと。

Fmpxigfakaqfbmm_20230123(画像はtwitterより

ヨ5001が搬出された後です。

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そして、斯様な地に引き取られて行ったと、後にtwitterで知ることになりました。

Fmuomjbacaacgg1_20230118(画像はtwitterより

これがどのように活用されるのか楽しみです。

ヨ5001が去った地にはまだ、ワラ16687と書かれた車体が残っているのですが、ワラの左妻に怪しいものが無造作に立て掛けられていました。

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妻側に回ってみればこんな状況です。

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一応私有地なので立ち入ることは控え、敷地外からズームアップしてみたら・・・

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上野駅の常磐線発車時刻表ではありませんか。いつのものかは過去の資料で調べなければなりませんが、昭和50年代のようです。

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これを、管理者から譲ってもらうことになった友人が引き取りに来るというので、現地に行ってみると・・・。

Get出来た喜びで満面の笑みではないですか。全部で何枚あったかこんな大きなアクリル板、全てをこのワゴン車に積むのだと。

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なんだかんだ悪戦苦闘して、欲しいだけ積み込み完了。その満足げな表情と併せ、緩むおなかも少々消しておきました。

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これだけの物量、いったいどうするのでしょう?

先が心配楽しみです。

 

 

2023年2月26日 (日)

明治に会って来ました!

とある事情から、曇天下の都心で生じた3時間余りをどう過ごすか。

定年後2年半にわたり利用していた“ゆりかもめ”に乗ることにしました。五輪談合の根源・電通本社を背に、新橋駅へ入線して来たのは44編成。

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豊洲方先頭の7341、ゆったり最前部席を確保しました。この風景も懐かしく思うようになったのが不思議です。

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下車したのは終点・豊洲の一つ前、新豊洲。芝浦工業大学付属中学高等学校100周年記念事業として、西武鉄道から寄贈を受けた「旧鉄道院403号蒸気機関車」が、2022年11月から復元保存公開されています。先ずは校舎側から。

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校舎を背後にした姿がこの地での主なのでしょうが、どうも公式側ではないので違和感があるのは仕方ないことなのか。

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それでもこんなに奇麗になったのは素晴らしいと思います。復元と言えども自動連結器や前照灯形状に違和感ありですが、これも我慢しましょう。

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機関室内は、アクリル板で防御されていますが奇麗です。

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正面左には、簡潔ながら適切にまとめられた案内板。

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併せて機関車の土台が、「高輪築堤」の築石を港区教育委員会と東日本旅客鉄道株式会社の寄付により、オブジェとして設置したとの説銘板も。

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この築堤オブジェに乗った機関車の姿、その時代に心を寄せると見飽きません。

 

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メトロ有楽町線・豊洲駅からも徒歩10分弱なので、わざわざ“ゆりかもめ”を利用することもありません。とは言え、これを見るためだけにここまで足を運ぶのはちょっと、と思っていたのですが、今回はちょうどよい時間つぶしとなりました。

 

 

2023年2月24日 (金)

予期しない一瞬

この日、バイオリンリサイタルに出掛けていました。

あれは2005(平成17)年の春のこと。とある鉱泉旅館に泊まった時、バイオリンの音色に魅かれてロビーに行くと、宿泊客が奏でていました。聴衆はそのカップルのお相手とOER3001氏だけという幸せなひと時のご縁から、お付き合いが続いていた次第。

会場は新宿2号踏切傍のホール。開演前にちょっと外の空気をと、踏切に行ってみれば何と!

コンデジをズームアップ、南新宿ホームをゆっくり進んで来る姿を捉えられました。

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場内信号は警戒現示なので超ゆっくり。助かります。それならと、ワイドにして旧小田急本社ビルを入れて。

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目前をゆっくりゆっくり過ぎて行く後部もしっかり収められました。

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やや、な、なんと、地下ホーム進入ではありませんか!

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折角なので何とか地下から出てくる姿も撮りたかったのですが・・・、開演時間が迫り残念~ん。

クライスラー、ドビュッシー、サンサーンス、ヴィヴァルディ、モーツァルト、サラサーテ、モンティ等々、心地よいメロディーに酔うことが出来たので良しとしましょう。

 

 

2023年2月22日 (水)

ブリキ貨車再生

トフを仕上げた序でに、箱の中で長期にわたり忘れられていた石炭車で遊んでみました。

スケールものではなく、入門用に簡略化した製品。たった2両しか保有していないことから石炭車にしておくのにも無理があるので、随分昔に「ホキ」としていたのですが・・・、保線用車両として小田急に居たホキ300様のカラーにしてしまいました。

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台枠に小田急イエローを纏ったねずみ色一色ながら、内側は錆止め風のカラーに塗り分けてみたら、砂利を積んでそれが見えなくなるのがもったいなくて積み荷無し。

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フリーですから当然牽引機もフリー。天賞堂のバーゲンで入手していたEB10の車体を利用、1t真鍮板から新製した床板にWB26B装備のブリル台車という、全軸駆動の強力機ED201が充当されます。

 

 

2023年2月20日 (月)

今年の増備第一号

3月も間近になって、第一号です。

大物で手こずっている間に、横道にそれていた方が一足、いや若しかしたら二足早く完成としました(笑)。小田急の貨車トフ100形、何年も前に蒲田の模型ショウで買っておいたモデルワークスのペーパーキットを仕上げました。

なかなかインレタが入手できず、フィニッシュとはいかなかったのですが、まあいいやということで。

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1968(昭和43)年にこの写真を撮っていたので、車号は102としました。

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当然、ED1010形に牽引させます。

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砂利列車に必須の1両ですが、それ以外の貨物列車でも殿にぶら下がっていた可愛い奴です。

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当然、砂利列車の時には自車にも砂利をということで、積み荷も用意しています。

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この類は1両で楽しめます。のんびり走らせるのも良いですよ。

 

 

 

2023年2月18日 (土)

経堂車庫

代々木上原から登戸までが複々線となった小田急ですが、経堂という地に小田急の重要な車両基地があったことを知らない世代も増えて来たようです。複々線化工事の進捗に伴って、1994年3月27日をもってその機能を喜多見に移管した経堂車庫。

この日、この地で生まれ、ずっと見て来た経堂の風景記録のため、上下ロマンスカーの展望席を確保して臨みました。先ずは新宿発、7000形LSEの展望席から。

経堂車庫が見えて来た時にちょうど“走る喫茶室”のアテンダントがオーダーを取りに。

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嫌な予感が見事的中。手が! お陰でこちらの手元も動いてしまいブレた写真になってしまいました(涙)。

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気を取り直して乗った上りは10000形HiSE。今度は何とか邪魔されずに全景を収めることが叶いました。

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車庫線の横を通過するのは、車庫に休む車両を眺められるのが楽しいのに、喜多見じゃ線路から直角方向に離れた場所で地下。全く見ることが出来ずつまらなくなりました。

経堂車庫には朝晩、たくさんのロマンスカーが休んでいた頃が懐かしいですね。

 

2023年2月16日 (木)

稲田登戸1948年

前回ご紹介のデユニ1002の撮影地は、稲田登戸(現・向ケ丘遊園)駅と判明しました。

そこで今回は、稲田登戸駅でその翌日に撮影された、Y.T氏撮影の一枚を。解読しづらい車番ですが1502であることが確認できます。

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戦時中のいわゆる“大東急”から分離独立、新生小田急電鉄は1948年6月1日に誕生しますが、この一枚はその3か月後。荒廃した姿のままで、閉まっていない側扉、窓ガラスがの無い窓も。車体中央の車号の上部は、何かペイントで消されているようです。

2両目は旧帝都のモハ200形、転台のデハ160014501458です。戦争中に車両のやりくりをして、帝都線(井の頭線)から2両を受け入れた姿です。新宿方にクハ1502(旧帝都クハ502)を連結して、新宿-稲田登戸の折り返し運用に就いています。荒廃した車両であっても、半室運転台の反対側座席最前部、開けた窓から風を受けつつ前方を眺められた時代。羨ましいなどと思ってはいけませんね。

この後方に確認できる屋根は、まさしくギャンブレル屋根の北口駅舎です。この駅舎だけは今も美しい姿が維持されていますが、周囲の様子は想像できない長閑なものです。

 

*モハメイドペーパーさまからのコメントから、本文の一部を加筆修正させて頂きました。

 

 

2023年2月14日 (火)

撮影地は何処か?

長年にわたって大切に保管していた写真もデジタル化して保存することにし、少しづづスキャンニングしていた次第です。

その中、OER3001氏が生まれる前に撮影されたこの一枚。既に故人となられたY.T氏から頂いたものと思いますが、プリントの裏には「デユニ1002 昭和23.9.15 稲田登戸」とありました。

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貴重な一枚なのですが、「稲田登戸」はどうしても納得できないのです。「稲田登戸」駅は1927(昭和2)年4月1日の小田急線開業と同時に開設された駅ですが、1955(昭和30)年4月1日に「向ヶ丘遊園」に改称されています。従てこの写真撮影時は「稲田登戸」で良いのですが、どうも撮影場所を間違えて記載されているのではと思っています。

その理由は・・・、

1.背後の駅舎と思われる建物の屋根形状が異なります。「稲田登戸」駅舎の屋根はギャンブレル屋根です。

2.光線状況から海側(南側)からの撮影と思われます。

3.デユニ1002は、制動管とパンタグラフ位置から、小田原方からの撮影と思われますが、この当時は経堂の転車台で車両の向きを変えていた可能性もあり断定できません。

4.この写真のデユニ1002が、「2」のように海側(南側)からの撮影だとすれば、駅舎らしき建物は山側(北側)にあることとなります。

5.この駅はホーム屋根から待避線をもつ大きな駅ですが、山側に斯様な屋根形状の駅舎を擁する駅。

ということで、さて何処だったのでしょう? 推測できる方、ご教示ください。

 

と書いてから・・・、

左端にある屋根をギャンブレル屋根だとして「稲田登戸」と見た場合、これは海側からの撮影ではなく西日を浴びる山側からの撮影となるが、だとすれば右側(海側)にギャンブレル屋根ではない南口駅舎があったのだろうか?

そうか、南口の小規模な駅舎があったかも知れません。この時代から南北に駅舎があったとすれば、「稲田登戸」駅は凄い駅です。新宿~稲田登戸がサバー区間と呼ばれていたことも理解できます。

 

【その後】

このブログをご覧頂きたお二方からご教示がありました。

古くからの友人KM氏からは、「小田急線沿線の一世紀」なる書籍に掲載されていた複数の写真情報を頂きました。

また、コメントを頂いた下北さわさまのご教示で、国土地理院の「地図・空中写真閲覧サービス」を見ることが出来ました。

その結果、掲載画像は現・向ヶ丘遊園駅で間違いなく、線路の小田原方山側からの撮影であることが確認できた次第です。KMさま、下北さわさま、ご教示ありがとうございました。

 

 

2023年2月12日 (日)

ゆ~きやこんこ・・・

OER3001氏は猫は苦手。犬派かな? と言うことで、雪が降り出したので庭を駆け回って来ました。

最初は8000形。廃車された仲間もあるので、いつまで雪の風景の中で撮ることが出来るのか? 多摩線から小田原線に転線して急行・新宿行に。

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貫通扉に雪を張り付けて、30000形EXE-αが来ました。雪の中では赤いGSEや青いMSEが映えるのでしょうが、ちょっと残念です。

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早々に多摩線に移動します。多摩線3つの隧道の内、最短の黒川隧道を狙いました。

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その黒川駅ホームから栗平方向に転ずれば、雪が強まる中、栗平から新鋭5000形が勾配を駆け上がって来ます。

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既に5000形も12編成となったので、頻繁に出会うことが出来ます。はるひ野駅では上下列車を捉えることが出来ました。

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仕上げは唐木田駅。馴染みある場所とは言え、足元には注意が必要になって来ました。

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雪が降ってもウォーキング。歩数を稼ぐにはちょっと電車を利用して、下車した駅でもホームの前後で撮影すれば軽く450mです。2駅でほぼ1キロ。好きなことして健康維持です。

 

2023年2月10日 (金)

昔の写真から

永年撮りだめた鉄道写真のフィルムは、既に全部デジタル化してあるのですが、たまたま気が向いてネガの無い紙焼きのデジタル化をしていました。

高校の修学旅行で訪れた九州。今のように「Google Map」がある訳でもなく、貸切バスに乗せられての団体行動だし何処をどう移動していたのか。その中、大分県の高崎山自然動物園に行った時に撮っていたこの写真に目が止まりました。

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ED76は1965(昭和40)年から製造された機関車で、撮影当時の1968(昭和43)年時点では1~26号機までしか登場していません。写真では番号が判読できませんが、スカート形状から1967(昭和42)年製造の9~26号機の登場直後のものと思われます。

次位の荷物車に続く客車には2両のオロ11とオロネ10、オシ17が確認できます。東京からの寝台急行「高千穂」だったのでしょうか。

 

次の写真、キハ58系列の急行「にちりん」だったのでしょうか。それも貴重ですが・・・、写真の右下にもう1本、架線が張られた線路が確認できます。

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撮影当時は知らなかったのですが、今になって調べてみれば大分交通別大線。1,067mm軌間の軌道が写っていたではありませんか。上半クリーム、窓下グリーン塗装の500型などが走っていたようです。

残念ながら鉄道写真はこれら2コマだけで、前コマには高崎山の猿、後コマには担任教師や友人たち。少ないコマ数ながら貴重な記録になっていました。

 

 

2023年2月 8日 (水)

小田急多摩線諏訪隧道

諏訪隧道と聞いて何処かわかる方は相当な小田急ファンかも知れません。ここです。

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と言ってもまだ良くわからない? ここまで下がればようやくおわかりになるのでは。多摩線に3か所ある2番目の隧道です。この2枚は小田急永山方です。

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はるひ野方からは上り勾配を登りきったところで隧道突入となります。多摩線の隧道は黒川から小田急永山にかけて黒川隧道(全長207m)、諏訪隧道(全長345m)、永山隧道(全長429m)とあります。

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各隧道ともポータル上部には建設当時の会長、社長、副社長の筆による隧道名の砲金製銘板が取り付けられており、2番目の長さのここ諏訪隧道には取締役副社長・広田宗の名前があります。

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この隧道を抜けると・・・、右手には京王相模原線が並び、時に並走してワクワクする区間です。

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ウォーキングがてらに電車に乗るという、楽しいひと時でした。

 

 

 

2023年2月 6日 (月)

久しぶりの新京成

多摩川畔でのシニアの運転会。ここのところ機会が無かった新京成を久しぶりに走らせました。

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ペーパー自作のN800形6両編成。動力の搭載、小田急車なら2両とするところを新京成なので経費削減。EN22モーターとMPギアの装備は1両だけですが、ここの勾配線も問題なく快走します。

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こちらは尾灯点灯の後追い姿。

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ステンレス車体でも、この新京成のカラーリングは映えますね。

 

2023年2月 4日 (土)

本年最初の竣功(?)車両

東京都の西端、山梨県側から流れる丹波川と小菅川などからの水を貯めた奥多摩湖。一級河川の多摩川はそこから始まります。その流域地名では上流側から京王多摩川(京王)、和泉多摩川(小田急)と来て、二子玉川(東急)に。多摩川が玉川に変わります。しかしその下流には多摩川(東急)、さらには東急多摩川線も走りますが、西武多摩川線とは走行地域も全く異なるもの。何故、二子は多摩から玉になったのでしょう?

さて、その二子玉川で開催されたシニアの運転会。今回はまずこの試験走行を。

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電気機関車ではありません。牽かれる貨車がそれ。またまた気分転換したくなって手を出してしまった小田急トフ100形。随分前に蒲田の模型ショウで入手してあったモデルワークスのペーパーキット。

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3日ほどでここまで仕上げたものの、インレタが無く竣功には至らないものの試験走行を。走らせてみたら、ブレーキホースが無かったことにも気付きましたので、またチマチマと気分転換が楽しめそうです。

 

2023年2月 2日 (木)

電車に乗ってウォーキング

この日のウォーキングは趣向を変えて、電車に乗って出掛けることにしました。大人一人680円で東急全線が一日乗り降り自由と言う“東急線ワンデーパス”をPASMOに書き込んで出発。渋谷での井の頭線からの乗り換えだけで相当な歩数が稼げます。

先ずは横浜IMONへ向かい、必要な材料調達。

東急新横浜線開業を2か月後に控え試運転も始まったようですが、ここで暫し撮影です。賑やかなラッピング編成が来たと思ったら、SDG'sトレイン。3月までの運行予定だから、撮れる時に撮っておかねばという感じですね。

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それにしても賑やかなラッピング。

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初めて三田見た都の6500形。どうも好きになれないカッコ悪いデザインです。

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東急5000系をベースの横浜高速鉄道みなとみらい線Y500系はなかなか良いのではないでしょうか。2004(平成16)年登場とは言え陳腐化していません。   

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残念ながら試運転の相鉄車両には出会えませんでしたが、東武やメトロの車両にも合わず。ちょっとしたひと時を過ごしてからここへ。田園調布駅です。

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1923(大正12)年建造の旧駅舎、2000(平成12)年に田園調布駅のシンボルとして移築復元された姿に落ち着きます。暫しこの街を歩いた後、東横線、大井町線、田園都市線経由で、中央林間から小田急線での帰宅。19,164歩のウォーキングとなりました。

 

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