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2023年3月22日 (水)

鶴見臨港鉄道を偲ぶ

2回にわたって取り上げた“初体験”ですが、今回はその鶴見線を開業させた鶴見臨港鉄道を偲んでみたいと思います。JR京浜東北線の鶴見駅は、東海道貨物線を挟んで島式ホーム1番線を横浜方面行、2番線を東京方面行が発着します。東海道・横須賀線を挟んだ西側の高架線から行き交うのが鶴見線。従ってここでは線路は繋がっていません。

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従って、鶴見線の駅名表示板は終端駅であることを示しており、駅ナンバリングも京浜東北線のJK 15 ではなくJI 01」。

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立派な緩衝装置の車止めを擁した対向式ホーム2面2線で、ホーム番号は京浜東北線に続く3、4番線。

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4番線ホームの壁面に、80周年までの足跡が掲示されていました。この鶴見駅は、1926(大正15)年に貨物鉄道として開業した鶴見臨海鉄道が、1930(昭和5)年の鶴見仮駅までの延伸と旅客輸送開始を経て、1934(昭和9)年に設けた駅だということです。

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従って、この味のある上屋も、開業当時からのものなのでしょうか。

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そう思って上屋を眺めると、鉄骨の形状などに独特の雰囲気があります。

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3番線のホームは上屋の先にも伸びており、4両分の有効長があります。

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ところで、上屋の先端辺りに不思議な階段があることをご存じでしょうか? 残念ながらホームから階段を撮っていませんでしたが、階段を下った踊り場からホームを見上げるとこんな光景。

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踊り場で階段は90度曲がり線路下に至りますが、そのカーブした壁面がなかなかの雰囲気です。

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線路下はこのような状況。

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一部に板張りの部分がありますが、ここはその昔さらに下る階段でもあったのでしょうか?

現状は単に3,4番線を行き来するだけの通路で、何の表示もありませんし、利用する人もまず居ません。鶴見臨港鉄道時代にはここが改札口に至る通路だったのか?などど考えると興味が尽きません。

ご存じの方、ご教示頂けたら嬉しいです。

 

 

 

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コメント

鶴見線シリーズ興味深く拝見いたしました。と言うのも、、、
55年ほど前、亡父はT社鶴見工場に勤務しており、海芝浦までよく遊びに行ったからです。子供が親の工場に入れる、そんな長閑な時代でした。
海芝浦の景色はその当時とあまり変わっていない様です、非常に懐かしく感じました。その後、父は管理部門に異動となり、海芝浦から新芝浦に転勤しました。
資本の論理に翻弄され会社の存続すら危ぶまれる事態を、一介の技術屋だった父はどう見ているのでしょうか、、、一度私も潮風に当たりにいきたいものです。

鶴見線鶴見駅について一言。
ホーム先端部の連絡道については残念ながら全く記憶にありません。
ただ、その頃、奇妙に感じたことがあります。京浜東北から鶴見線に入るのに改札があったことです。
私鉄時代の名残と言う事なのでしょうが、そうなると私たちが使っていた改札は国鉄連絡口、前方が直接入る改札と考えるのが妥当と思われます。
従って、OER3001様の読みを私も支持致します。

◆ シグ鉄 さま
鶴見線の深く大切な思い出をご紹介いただきありがとうございます。
ご尊父様はあそこでご活躍なさって、日本の経済を支えてくださったのですね。
是非、近いうちに海芝浦に出向いてください。駅先の公園ベンチに腰を下ろし、遠い昔のことを思い浮かべてみるのも素晴らしい時間の過ごし方ではないかと思います。
鶴見駅の考察、ありがとうございます。

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