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2023年4月

2023年4月29日 (土)

元・京王3000系の撮影&貸切乗車

アルピコ交通への日帰りバスツアーの主目的は、元・京王井の頭線の3000系の撮影と貸切です。

幹事さんが入念にアルピコ交通さまと打合せされていたのでしょう、先のED301とともに、目的の車両が撮影向きの位置に並べられていました。

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手前が、昭和30年代に導入された日車標準車体のモハ10のカラーにラッピングされた3003-3004の編成、奥が今回の貸切列車に充当される3007-3008編成。

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両車の方向幕は「貸切」で、共にアルピコ交通のおもてなしで作成された京王線ヘッドマーク様の副票「団体」が掲げられています。

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方向幕を「ALPICO」に変えてなど、十分な時間で撮影が楽しめました。

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いよいよ貸切列車となる3007-3008が庫外に。その全容を撮っておきます。

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新島々方の3007側からも。天気にも恵まれ、文句無し光線状態です。

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この模型を製作する気はありませんが、折角なので床下機器配置もわかる真横からも。新島々方3007はモハ、元は京王デハ3107で1971年東急車両製。

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松本方の3008はクハ、元は京王デハ3057で1966年東急車両製。パンタは集電用ではなく霜取り用なのです。

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3007の台車はTS-801、軸受がクルクル回るのが目視できるタイプです。

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 3008の台車は、残念ながら形式を確認できませんでしたがTS-801Aと思われます。

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庫内に居た3003-3004は、4月1日で休車となっているので、東武20000系改造の新型車両への置き換えが進むと廃車されるのでしょう。

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その東武20000系からの改造車も既に2編成、この日は第1編成の20101-20102が我々の撮影会のために用意されていました。

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「地下鉄線直通」や「団体専用しなのじ」、イメージキャラクター「渕東なぎさ」などと表示して楽しませて頂きました。

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撮影会の後はいよいよ貸切乗車。12:40に松本へ向けて発車。

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これは松本で折り返した後の信濃荒井駅だったか、3005-3006の「なぎさトレイン」と交換です。

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森口駅での17分停車を利用して、またまた撮影会状態。

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思い思いのアングルでカメラに収めます。

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3000系本来の運転台ではなく、中間車からの改造に際して6000系の運転台を活用した運転台も。

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計器盤に時計が備えてあるのがなんとも言えません。新島々までの乗車は、楽しんでいるとあっという間の43分でした。

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新島々駅から先があったのに、台風による土砂災害の影響もあって1985(昭和60)年1月1日をもって廃止。14.5キロポストの先には枕木の車止めが設けられていました。

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先に交換した「なぎさトレイン」の到着、折り返しの後、新村車庫に向けて出発です。

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京王OBの方々の企画と準備、アルピコ交通さまの心温まるはからいによって、今回のツアーもまた充実して楽しいものとなりました。心からお礼申し上げます。

 

2023年4月27日 (木)

信濃鉄道1型電気機関車

この標題から機関車のカタチを連想できる方は相当な知識人ではないかと思いますが、奇麗に手入れされて保存されている姿を見ることができました。

この日はこのツアーに参加させて頂きました。

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昨年晩秋の富士山麓鉄道日帰りツアーに続いて、京王電鉄OBの方々のイベントに参加させて頂きました。

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向かった先はここ。松本電鉄と言った方がわかりやすい?アルピコ交通上高地線の新村(にいむら)駅。

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主目的は元京王の車両、井の頭線から転属した3000形ですが、新村車庫ではアルピコ交通さまのお計らいで、保存機をパンタを上げた姿で用意してくださりました。

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1926(大正15)年ボールドウィン・ロコモティブ・ワークス(機械部分)およびウェスティングハウス・エレクトリック社(電気部分)で3両が新製された1型の内の3号機。信濃鉄道1型→国鉄ED22形→西武鉄道A1型→松本電鉄ED30形ED301 という経歴で2005(平成17)年に除籍、以来ここ新村車庫での静態保存となっています。

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最近手入れされたようで、車体色はぶどう色2号とは違う色。ぶどう色1号なのかな? 輝く姿を太陽光の下でゆっくり観察することができました。

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パンタから下がるロープは、架線の無い場所でパンタの上昇を抑えるためのもの。適度な高さに調整してくれました。

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左右に取り付けられている製造銘板、本物なのか複製品なのか判りませんが奇麗です。

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MER(松本電気鉄道)の銘板も輝いています。

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社紋もナンバープレートも立派なもので、まるで生きている機関車のようです。

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露出を開けて、下回りも撮っておきました。

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制御関係機器は床上の機器箱内なのでしょうか、床下は比較的簡素で、こちら側にはブレーキシリンダー。

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反対側は制御抵抗器。 

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こうして観察していると、フクシマのキットがあったことを思い出します。

ということで、電車の事は別の機会に。

 

 

2023年4月25日 (火)

紀勢本線の旅

紀勢本線は、関西本線亀山駅から紀伊半島を一周し、和歌山市に至る全長384.2kmの路線。紆余曲折を経て全通は1959(昭和34)年7月15日と、比較的新しい路線。路線名に「本線」が付く幹線ながら、非電化区間、単線区間もあり、半島南部の新宮-白浜間は1日2000人以下の輸送密度であるとして、廃線も視野に関係自治体との議論が進む可能性があると報じられているようです。

その紀勢本線の旅は今回が初めて。新大阪発の特急「くろしお」で紀勢本線に入ったのは和歌山駅なので、正確には紀勢本線の和歌山-和歌山市間3.3kmは未乗車となります。

白浜での観光を終え、再び紀勢本線に乗ります。

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白浜駅停車場中心は275K360Mであると、プラットホーム側壁に表示されていました。

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歴史を感じる古レール製のホーム上屋、形状が独特で風格を感じます。

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この日も何やら途中であったようで、4分ほど遅れてパンダ編成の「くろしお1号」 が到着です。

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本州最南端の紀伊半島、その風景を楽しみます。

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車窓には気持ち良い風景が続きます。

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日本の捕鯨発祥の地にある太地町の太地駅を通過、一日平均乗車人員は100人に満たないということです。

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「くろしお1号」はJR西日本とJR東海の接続駅である新宮まで行きますが、紀伊勝浦で下車。パンダを見送りました。

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紀伊勝浦駅には驚かされました。期待していた売店も無い! あるのは観光案内所だけ。みどりの窓口は2019年に営業終了し、一日平均乗客数は300人台だというのだから無理もないのか?? いやそれにしても観光客の一人としては誠に困りました。

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跨線橋は2006年に那智神社をイメージしたものになったと言うが・・・。

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不満を抱えつつ、ここ始発の特急「南紀6号」に乗ります。

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新型のハイブリッド気動車HC85系への置き換えが進む中、キハ85系に乗車しておくことも今回の目的。この貫通部も見納めになりますね。

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新宮を出て鵜殿を過ぎると車窓には、熊野市までの約22kmの海岸線、七里御浜が展開します。

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その後はいわゆる山線、いくつものトンネルを快速で抜け、松阪ではまるで第三セクターかと思うような、JR東海のキハ11-305を発見。

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次の停車駅は津って、子どもの頃から一番短い地名だと有名でした。あらためて車内のLED表示を見ても、「次は」と「津」の間はLED故障?とも思えるほど。

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その「津」はやっぱり近鉄イメージですよ。隣に近鉄を見ると安心します。

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紀勢本線の旅はここから亀山に至りますが「南紀6号」は、関西本線川原田まで旧国鉄伊勢線を継承した第三セクター伊勢鉄道の線路を進みます。高校の授業で「鈴鹿山に於いて、蜂、盗人を刺し殺しし・・・」があったことを思い出す「鈴鹿」が、こんな質素な高架駅だったとは驚きました。

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コンビナートの四日市を過ぎ、桑名で東急7000系発見! 近鉄傘下の養老鉄道で東急の車両を見るのは、知ってはいても何か違和感があります。

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その近鉄を横目に見つつ、名古屋の見慣れた光景へ。

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紀伊半島を一周したものの、紀勢本線は頭部分の亀山-津間15.5km、尻部分の和歌山-和歌山市間3.3kmが未走破となってしまいましたが良しとしましょう。

 

 

 

2023年4月23日 (日)

わくわく旅の始まり?

知ってはいたものの、新大阪で入線を待っているといきなりこれが。初めてこの287系「パンダくろしお」に乗る機会に恵まれました。ちょっと間抜けな顔に見えるのはOER3001氏だけでしょうか。

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新大阪発13:13発の車内は、既にパンダさまご一行で満席でした(笑)。

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3.11東日本大震災の教訓もあって、近い将来に必ず起こるとして警戒されている南海トラフ地震に備え、津波到達予想地域を走る列車内には、このようなカードが各座席に用意されています。

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本年3月18日から使用開始となった地下ホームに13:17停車。

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1分停車して13:18に発車する予定が・・・、15分くらい停車していただろうか。原因はなんと、このホームドアトラブルだったようで、様々な車両のドア位置に対応するホームドアというものが、車両のドアの前が開いていない状態でした。

おかげでOER3001氏としては、久しぶりの大阪市内をゆっくり楽しめます。天王寺駅入線前の停車時、隣には好きな221系を観察できました。運転室の窓ガラスは下辺が数センチ上げられていたのですね。

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御坊駅では、信楽高原鉄道から導入した紀州鉄道KR205を確認できました。

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結局、14分遅延と放送していましたが、終着駅で改めて車体のラッピングを観察。

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女性客には好評な車両のようですが、OER3001氏にはどうも・・・。

まあ、乗客誘致に寄与するなら良しとしましょう。

 

2023年4月21日 (金)

微妙に異なるポンチ

合計404か所にも及ぶステッカー貼り作業は気が遠くなります。

その中で、円形のステッカー160枚を抜くのに、この工具ポンチを使うことに。これまで5.0φのものはヘッドマークを抜くのに使用していましたが、今回は3を調達することになりました。

どちらも日本製で、左は(有)高芝ギムネ製作所、右は藤原産業(株)の製品。

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穴直径3mmと表示されたそれぞれのポンチで、アイボリー紙を抜いてみます。一見差は無いように見えます。

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が、使用するのは開けた方ではなく、切カスである円形の方。微妙にサイズが違うのです。左は3.1φ、右は3.2φあります。

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製作した側扉窓に貼る「ドアに注意」のステッカー、右のポンチでは余白が多くなってしまうのです。

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最初に調達した右のポンチで抜いたステッカーが貼られた車両を見てなんか違和感。あらためて左のポンチを調達して抜いてみたらなんとかOK。あらためて160枚抜いて、先に貼ったものを剥がして貼り直しです。

あ~あ、疲れます。

 

 

2023年4月19日 (水)

天賞堂&カツミ 古(いにしえ)の鉄道模型展 -2

その2はカツミ編。天賞堂の展示ブースの反対側に、ガラスケース4本で展示されていました。

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正面に掲載のメッセージボードに、株式会社エーツーに買収されて子会社になったことは語られていません。

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そのカツミと言えばこれが原点の一つかも知れません。EBやEDの自由形電機、いや当時は“電関”と言っていたものです。

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クリスマスや誕生日に、こんなセットを買ってもらった経験者も多いのではないかと思います。デパートのガラスケースで良く見たものです。

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しかしその少し前の時代は3線式Oゲージが、子どもたちの“友”でしたね。タップ式トランスで速度制御し、進行方向の切り替えは床下の転換スイッチ。国鉄の新性能電車は高額で買ってもらえませんでした。

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新幹線のセットもあったのですね。手前のHOゲージと比べると大きくて短い!

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そのカツミの歴史が、雑誌に掲載された広告で懐かしく思い出されます。

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OER3001氏が誕生した頃はこんな広告だったようです。フレッシュな構想で軌道を邁進するのだそうです。

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しかしOER3001氏が刺激を受けたのは、下段の1959(昭和34)年の広告、完全にHOゲージ中心になっている中で、KD26、FS307という私鉄電車の台車が発売されたという内容でした。当時Oゲージでの新型電車用台車はDT23しか無く、小田急好きな少年にとっては嬉しい内容。これを期に、1/80スケールに転向することとしたものでした。

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その頃、1号機関車や弁慶・義経にも憧れましたが“見るだけ”の存在。

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キットはしっかりした奇麗なパッケージに収められていました。ほぼドライバーで組み立てられるものが多かったような。

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OER3001氏に購買意欲は湧きませんでしたが、満鉄パシナは一目置く存在でした。

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本店に行くと天賞堂同様に、外国型Oゲージも多く展示されていたことを思い出します。

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今回の展示を見ると、所有の有無はともかくとして、趣味人生の歴史を振り返ることができたような。他にもたくさんのメーカーがあるにしても、天賞堂、カツミという2社は、今までの趣味人生を支えてくれた大きな存在だと思います。買収されたとは言っても、この先も続いてくれることを願っています。

 

 

2023年4月17日 (月)

天賞堂&カツミ 古(いにしえ)の鉄道模型展 -1

4月1日から23日までの会期で開催中の「天賞堂&カツミ 古(いにしえ)の鉄道模型展」、ようやく見て来られました。

1947(昭和22)年創業のカツミが、この3月31日付で株式会社エーツーに買収されたとのニュースが流れた時期に、カツミ有楽町店の移転に伴う旧店舗スペースで、鉄道模型の2大老舗メーカーの歴史を振り返るとして開催されたとのことながら、買収関連については一切語られていないのが不思議です。

今回は天賞堂の展示からいくつかを。

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手前のガラスケースでまず目をひいたのは151系こだま。小学生から中学生の頃にかけて、ずっと憧れの存在でした。小学6年生の時だったか、友人がこれを所有していたのを羨ましく思っていました。

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同じケースの上段には、当時の天賞堂銀座店で見ていた“アメリカの機関車”が。当時はまだ、代々木にワシントンハイツと言われた駐留米軍施設があった時代で、天賞堂で品定めしているガイジンを良く見たものでした。

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下段にあったのはOゲージのオリエント・エクスプレス車両。いったいどんな紳士が買うのだろうなどと思いながら、成功に作られた車内を覗いていたことを思い出しました。

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奥の2台のケースには、外国型主流だった天賞堂が1970年代以降に続々と製造した蒸機、電機などが並べられていましたが、OER3001氏にはさほど心に響くものではありませんでした。

その中で、OER3001氏1歳の1951年の“入門セット”に目が止まります。Cタンク(例の0-6-0ではありません)と米国型ボギー貨車5両に木製道床レールが、「Tenshodo」プレートが取り付けられた木箱に収められています。

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上段に並べられていたのはフルグレックスブランドで売られたSBBの名機。これらは大人になってから、F模型の製品だったことを知りました。

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そのF模型が製造していた私鉄電車群、最初に発売されたのは小田急1600形でした。“ポリテール”という商品名だった信越化学のポリエステル樹脂による屋根板、床下機器を使うというユニークな製品でした。

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これにも目が止まりました。「いったいどんな人が買うのだろう?」と思いつつ、こんなので走らせるレイアウトがあったらイイなと眺めていただけの凄いパワーパック。

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ということで今回は、カツミは後回しとさせていただきました。これらの中で我が家に来たものは・・・?

 

 

 

2023年4月15日 (土)

苦難の過程

これはとにかく随分と悩みました。新型車両の先頭部パーツですが、先ずはプラバンから加工しました。

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しか~し、思うように光が透過しません。そこで次に、いつも窓ガラスに使うエンビ板をエポキシで張り合わせ、その断面から道光させることを考えて試作しました。

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これは結構透明度が高く、またエンビ板の青味がかった色が、透過光の色に影響するのでボツ。

来る日も来る日も、適当なプラスチック素材を探していて目に止まったのがこの接着剤でした。

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いえいえ使うのは接着剤ではなくこの板。エポキシA剤とB剤を混ぜるときに使うもの。この乳白色が気に入って使うことにしました。

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4枚を重ねてエポキシ接着、なんとかヤスリでこんなカタチのものができました。

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だいぶ透明度が下がり、良い感じになったかと思ったものの・・・、裏側に設けるチップLEDの光源が意外にはっきり見えてしまうようでボツ。

落ち込んだ日々が続いていた時、ふと立ち寄った100円ショップで見つけたこれが何とか利用できないかと。

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そう、結束バンドです。好都合なことにスリット状の模様、本来は結束する際に逆戻りしないようにする部分ですが、これが役立ちそうです。

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所定寸法に切り出し、図面合わせで曲線にカット。

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こんなカタチに仕上げて淵をペインティングしました。

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一方、LEDの基盤は、黒色板紙に銅箔テープを張り付けて製作。

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これに1006サイズ他のチップLEDを6個ハンダ付け。

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ダイオード等はユニバーサル基板を利用することとして、必要な寸法に切り出します。小さくなって抑えづらいので適当なアガチス材にビス止めして糸鋸で切ります。

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抵抗、整流ダイオードやCRDは3セットが必要です。

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車体への組み込みにあたって自由度が必要なので、余裕を持たせた長さのウレタン線で接続します。

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なんとか車体にセットして通電試験。う~ん、一応狙った通りのイメージにできました。若干光漏れが生じている部分はこの後修正することにしましょう。

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ということで、概ね完成していた車体でしたが何とか灯火類の悩みが解決しました。

 

 

2023年4月13日 (木)

変わり行く新宿西口

新宿・グランドターミナルを目指して再開発が進められている新宿西口。所用で出掛けた序でに、その現況を見て来ました。

小田急百貨店が2022(令和4)年10月に本館での営業を終え、シンボル的存在であったビルは仮囲いで覆われ、解体工事が進行中です。

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ほぼ同じ位置からの2021(令和3)年3月の情景、これが長く親しんできた風景でした。

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地下広場から見上げる情景は、新都心という熱気の中にもほのかな安らぎさえ感じられたように思います。

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このビルが竣功したのは1967(昭和42)年だったのでした。

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当時の最新型車両2600形NHEの2編成と、4000形1編成を、特別塗装にしてPRしたものです。

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もうそれは過去のもの。西口ロータリーの向こうに構えていた生命保険会社のビルも取り壊されたおかげで、小田急本社が入っていたビル(屋上にOdakyuのロゴマーク)が見えるようになりましたが、実は既に小田急はその権利を、明治安田生命に売却しています。

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小田急は、子会社のホテル小田急が運営していたハイアットリージェンシー東京の事業と、第一生命と保有していたこの不動産も売却しました。

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こうして得た資金も、西口再開発に必要だったのでしょう。

 

旧小田急本社ビルは、最新の5000形(Ⅱ)が傍らを行き来するようになった今でも健在なのに。

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しかし、このビル横を行くVSEの姿は、間もなく過去のものとなってしまいます。

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小田急ファンとして、親しんできたものが消えて行くことに郷愁を感じますが、新たな景色を見ることもまた楽しみです。

 

 

2023年4月11日 (火)

運転会で出会った車両たち

今回のシニアの運転会で出会ったお仲間の車両たち。

先ずは東武鉄道のキハ2000形。K氏がShop-KIHAのペーパーシートを組んだというもの。懐かしの二色塗り時代で快調に走っていました。

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貨車が好きなH氏は、いつも個性的な自作車両を持ち込まれます。どこの車両だったか聞きそびれてしまいました。

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東武ファンであられるK田氏は、更新後8000系をペーパー自作。なんと分散クーラーも全てペーパー自作という力作の6両編成。

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所有者のI氏ご自身も、どこの何という車両か詳細をご存知無い(笑)と仰るドイツの気動車を。

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晴れてシニアの仲間入りを果たしたA氏をご招待。某誌に掲載されたペーパー自作の新作、名鉄電車を持って参加されました。

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午後のひと時をシニア仲間でわいわいがやがやと楽しんで、ふと窓の外に目をやればこの気持ち良い空。

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陽が沈む前から、お仲間と飲むビールがまた旨いのですよ。

ただ、話題は段々カラダにかかわることが増えて来てしまいました(笑)。

 

 

2023年4月 9日 (日)

日陰の車両を走らせる

多摩川畔でのシニア運転会、この日は普段は裏方にあって、表に出てこない日陰の車両たちを持っての参加となりました。

最初はこれ、天賞堂が初めて発売した私鉄電車、小田急のデハ1600。大学を卒業した1973(昭和48)年、入社式後約1か月にわたる本社での研修期間だった時に、閉店時間直前に神田・カワイモデルに駆け込んで買った2両が最初。初任給60,000円だった当時の価格はM無しで5,800円。決して安いものではありませんでしたが翌々月、さらに1両を追加購入、後に2両を電装したものです。

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小田急・相模大野工場の入れ替え用として活躍したのを最後に消えたデキ1050形(EB1051)。アダチのキットを組みましたが、新宿方/小田原方で異なる端梁のディテールを作り変えています。牽かせた2両のトフ100形は真鍮自作とペーパー自作。

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後年は相武台前構内が居住地となっていた保線用のホキは2010年に製作したもの。TOMIXのホキ800キットをベースに、2両に車掌室を設けてホキフ とした3両編成(ホキフ 301-ホキ302-ホキフ303)。

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その牽引を務めるのはデキ1010形(ED1012)。アダチのキットですが、パンタはPT42、列車無線も搭載した後年の姿に仕上げています。

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最後は思いっきりフリーの世界。クモル24もどきのデト10形(11、12)の間に、昔のつぼみ製セムから色替えしたホム400(401、402)を挟んで。

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公開運転会では出番が無い車両たちを抱えての楽しい運転会となりました。

 

 

2023年4月 7日 (金)

懐かしき銀座4丁目

日頃より何かと良き刺激を与えてくださるCedarさまが、銀座4丁目交差点近くの三愛ドリームセンター解体と都電5500形について、ブログ“Cedarの令和瘋癲老人日記”で連載掲載してくださりました。

出掛けた序でに早速現地を確認して来たのですが、Cedarさまと同じ写真撮影しても仕方ないので撮影はせず、現地観察だけして来た次第です。そこで勝手にコラボレーション、ダメダメ写真ながら都電5500形を通して、都電最後の日を偲ぶことにしました。

1963(昭和38)年完成のビル、最上部の広告は1990(平成2)年5月まではずっと三菱電機でしたが、以後は何度か広告主が変わっていました。

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この日最初に見た5500形は品川行、残念ながら車号が確認できませんが、改装工事中の三越にも「ご苦労さまでした、都電銀座線」が掲げられていました。

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この日、フィルムにあった和光の時計から見ると、14時頃から銀座4丁目に出掛けていたようです。

すっかり日が暮れても、フィルムを白黒に変えて粘っていたようですが、この時間までどのように過ごしていたのか記憶がありません。装飾された5503、運転士さんにもレイが掛けられていたのですね。

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その5503が日本一の地価を誇る鳩居堂前に差し掛かる時、都電を惜しむ人混みで車両が撮れません。

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そんな中、和光の時計が午前0時近くを示す頃にやって来た5500形。車号が読めません(涙)。

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5501だったようです。もちろん車内は満員。

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続いて、これは55012ですね。多分、和光の時計を入れて撮ろうとしていたのでしょうが、とんでも無く軌道に近づいている1名。

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いやもう、大変でしたこの時は。

これらのフィルムを確認すると、どうも0時20分頃までこの場所にいたようです。23区内に住んでたとは言え、良く帰れたものです。

 

 

2023年4月 5日 (水)

小湊鉄道へ

久留里線を訪ねた後、そのまま家路に就くには勿体ない。五井で途中下車です。ここに降りたらお決まりのスポットでまず、車両基地の全景を。JR側の側線に止められた錆びた2両は廃車解体待ちのようです。

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その代替でしょう、JRから購入した3両が確認できます。

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この日は運用が無い「里山トロッコ」も、運転台を備えたクハ100形を先頭に休んでいました。

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今回は小湊鉄道の乗車を楽しむまでの時間は無く、五井だけで現況に触れることとし、乗車する際には気付かないであろうことに目を向けてみることとしました。跨線橋を降りたところでまずこれ、五井駅の郵便ポストはキハ200形。

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そしてその先、小湊鉄道の敷地には「こみなと待合室」なるカフェ併設の施設が整備されていたではありませんか。

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当然のことながらここに足を踏み入れれば、止まっている車両群を眺められます。

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なんと、小湊鉄道本社の駐車場に止められた社員の自家用と思われるクルマには「里山トロッコ」が描かれたご当地ナンバープレートが。

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社用地のシダレザクラが見事でした。

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車輛見学などの時には見られない、保存機関車の後ろを観察します。

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五井踏切方に回り、夕日を浴びた車両群を眺めます。

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その時頭上にはJAL機が。羽田を離陸して東京湾上を飛んで来たのでしょうか。

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高いところを見上げたら、高いところに上ってみたくなりました。駅西側のサンプラザ市原11階から見下ろしてみました。

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最後は再び五井踏切に向かい、16:54発を撮っておきました。

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今回はここが目的ではなかったので、改めて乗り鉄を計画することとしましょう。

 

 

2023年4月 3日 (月)

廃線危機の久留里線に乗る

2022(令和4)年7月28日にJR東日本が発表した地方在来線区間別収支で、同社中で最も低い収支率0.6%とされた久留里線の久留里-上総亀山間9.6km。3月9日JRが千葉県と君津市に協議の場設置を求めたことから、バス路線など代替交通への転換を検討するとみられます。 そこで早速、再び現地に行ってみることにしました。

木更津からの上総亀山行は一日5本、6:25、7:25、13:01、15:53、19:50発で、東京多摩在住のOER3001氏が日帰りで乗ることができるのは13:01、15:53発の僅か2本だけです。乗客が減少しているから廃線したいのか、こんなダイヤだから乗客が増えないのか?

この日は13:01発に乗り、終点を目指します。久留里駅進入は斯様な状況で、折り返しの木更津行が待機していました。

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木更津から乗って来たのはこのキハE130-102と101の2両編成。

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久留里を出発した後、不安定との予報通り雨が降り出しました。

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平山、上総松丘と2駅を過ぎると久留里線最初の三本松トンネルへ。

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続いて二つ目の名殿トンネルへ。

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名殿トンネルの先は下り勾配。

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間もなくすれば、終着・上総亀山駅が見えて来ます。

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幸いなことに雨も止んでいます。島式ホームに降り、駅舎に向かいます。

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長閑な終着駅。島式に見えたホーム、実は片側にはフェンスが設けられ、乗降は不可能でした。

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乗降不可能な線路、実は分岐器が撤去されて線路は繋がっていないのでした。

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駅舎に掲げられた駅名標は風格あるものでした。

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しかし駅舎は、駅名標に気付かなければ駅であることに気付きそうにない質素なもの。右方に設けられたトイレの方が立派に見えます。

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ホームの先まで伸びる線路の車止めを確認しておきます。第二種車止めでした。

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その車止めから、やがて廃止されることになるかも知れない上総亀山駅に停車する列車を収めておきます。

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折しも駅の周りのサクラが見ごろ。あと何回この情景を見ることができるのかと考えながらアップで。

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駅周辺のサクラはこんな感じで、まさに見ごろでした。

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15分の折り返し時間で可能な限り記憶に留め、14:27発の木更津行きの乗客となりました。

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前述したように久留里線全線乗車を楽しみたくも、この折り返し列車に乗らなければ次は17:15発。この周辺で3時間を楽しむ方策、残念ながらOER3001氏には立案できません。

 

 

2023年4月 1日 (土)

久しぶりに新京成

お仲間のご自宅に展開された組み立て式(?)レイアウトにお招き頂くも、生憎の空模様。傘もあるのでなるべく荷物も軽量化と、小型車両での参加となりました。

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小型車が活躍していたOER3001氏の学生時代が懐かしくて製作したペーパー自作の300形。

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8両が在籍していた車体更新後の300形の内、305-306、307-308を製作。

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モハ45形と同様の車体に更新されながら307(3両目)だけはアルミ車体が試用されたため、窓枠が外部嵌め込み式サッシとなるなど、他車とはちょっと違いがありました。

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小型車ながら2+2の4連は、模型的には実に好ましいものです。

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最後はお仲間が持ち込まれた都営5000系(カツミ製品)と共に、引き上げ線に落ち着きました。

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今回もまた、楽しいひと時にご招待頂いたS様にお礼申し上げます。

 

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