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2023年4月 7日 (金)

懐かしき銀座4丁目

日頃より何かと良き刺激を与えてくださるCedarさまが、銀座4丁目交差点近くの三愛ドリームセンター解体と都電5500形について、ブログ“Cedarの令和瘋癲老人日記”で連載掲載してくださりました。

出掛けた序でに早速現地を確認して来たのですが、Cedarさまと同じ写真撮影しても仕方ないので撮影はせず、現地観察だけして来た次第です。そこで勝手にコラボレーション、ダメダメ写真ながら都電5500形を通して、都電最後の日を偲ぶことにしました。

1963(昭和38)年完成のビル、最上部の広告は1990(平成2)年5月まではずっと三菱電機でしたが、以後は何度か広告主が変わっていました。

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この日最初に見た5500形は品川行、残念ながら車号が確認できませんが、改装工事中の三越にも「ご苦労さまでした、都電銀座線」が掲げられていました。

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この日、フィルムにあった和光の時計から見ると、14時頃から銀座4丁目に出掛けていたようです。

すっかり日が暮れても、フィルムを白黒に変えて粘っていたようですが、この時間までどのように過ごしていたのか記憶がありません。装飾された5503、運転士さんにもレイが掛けられていたのですね。

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その5503が日本一の地価を誇る鳩居堂前に差し掛かる時、都電を惜しむ人混みで車両が撮れません。

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そんな中、和光の時計が午前0時近くを示す頃にやって来た5500形。車号が読めません(涙)。

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5501だったようです。もちろん車内は満員。

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続いて、これは55012ですね。多分、和光の時計を入れて撮ろうとしていたのでしょうが、とんでも無く軌道に近づいている1名。

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いやもう、大変でしたこの時は。

これらのフィルムを確認すると、どうも0時20分頃までこの場所にいたようです。23区内に住んでたとは言え、良く帰れたものです。

 

 

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コメント

都電1系統の撮影は銀座で撮影されていたのですね。小生は品川駅前で撮影しました。この時5503を撮影しました。
この後三田の車庫を訪れました。前にもコメントしていたと思いますが、車庫は開放状態で撮影者で溢れていました。整理していた職員が、「お前らそんなに好きなら、タダであげるから好きなやつあげるよ。だけど運搬費だけは出してね。」といっていました。

てっぺん越えで撮影とは、凄いパワーですね。本文にも書いてますが、その頃から人混み嫌いでしたので、ダメだこりゃ、と日没後すぐに有楽町から国電で帰宅しました。
このようなバカ騒ぎは他の系統廃止時には無かったですね。我が家最寄りを走っていた20番廃止の時なんか、気がついたら消えていた感じでした。

私も沿線歩きながら撮りましたが、夕方寒くなり傍の模型屋産で話し込み早々に
門限までに帰宅した事思い出しました。
此の後知事が替わり歩行者天国に成ったと記憶しております。

 私は暗くなる頃まで銀座4丁目で撮影し、それから品川まで乗車。翌日が西武鉄道801系の見学会だったので、20時くらいに引き上げました。

◆ 八千代運転所 さま
小田急ファンだったOER3001氏、そもそも都電にはさほど興味が無かったもので。まあ騒ぎに乗って銀座まで行ったというところでしょう。タダであげるというセリフ、3000形SE車の前で言われましたよ。


◆ Cedar さま
この時は確か父親と出掛けていたことと思います。でなければ流石に高校生でも午前様は許されなかったのではないかと。


◆ ぬか屋 さま
そうそう、OER3001氏も間違いなく4丁目の模型店には立ち寄っていた筈です。


◆ モハメイドペーパー さま
それにしてもその後に出合い、今に至るまでお付き合いすることになる人たちと、この日この場所に居たということが何とも・・・。

あれから56年の年月が過ぎたのですね。あの日は、友の会から招集が罹っていまして、夕方に銀座4丁目の交差点に集合ということで、バイトを早めに切り上げさせて貰い、時間まで天賞堂等で時間潰しをしていました。夜9時頃に「電車の道」の歌詞を渡され合唱する羽目になりました。普段でも人通りの多い場所で、些か恥ずかしい思いをさせられ事が記憶に残っています。

◆ きぬやまスカンク さま
想い出をありがとうございます。その「電車の道」っていう歌、知りませんが有名な歌なのですか?
それにしてもJRCで歌えと指示飛ばしたのは何方だったのでしょう。まさか交通局に居られたM.I氏ですか?

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