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高校時代に慣れ親しんでいた京王線桜上水駅、残念ながらろくに撮影しておらず、こんな写真しかありません。OER3001氏が創設した鉄道同好会の社会貢献活動として、登校前に駅前広場清掃をしている光景。今では母校の校史資料室に掲載されているのですから、凄いことをやっていたものです。
桜上水駅での他の写真は、下校時に後輩女子を撮っていたこれだけだったというのは笑えます。今はどうしているのだろう?
桜上水駅の当時の写真が無いので、京王本線 (fc2.com)から見つけました。OER3001氏が卒業して11年後の撮影ですが、地下駅化されていてもまだ、構内踏切は職員専用として残っていたのですね。写真右方には桜上水工場がありました。
その桜上水駅、高架化工事も進んでいて、海(南)側には橋脚も建ち始めました。
工場があった山(北)側の場所は、留置線と駐車場になっています。
その留置線、収容可能両数に限界があります。緑線でくくった9番線には6両編成までしか入線できないのですが、定期利用が無くなったからなのか、線路が妙です。
アップするとこんな感じ、「入線注意!」と警戒色にペイントされているような。
でも良く見ると塗装ではなく錆のようですが、こんなに奇麗に錆を発生させるのも素晴らしいではありませんか。
構内踏切の地上駅から地下駅を経て橋上駅となった今、この日はコンコースから西の山並みは見られませんでしたが、昭和の時代には富士山も見られたはずです。
やがてここも高架と変わり、13m級の車両が走っていた時代のことなど、記憶のかなたとなる日も近そうです。
箱根登山鉄道は何回も訪れているので沿線も熟知していると思いますが、やはり大平台で降りるのがコスパが良いようです。アジサイはスイッチバックの先から展開します。
1日乗車券「のんびりきっぷ」を生かして、一駅だけ乗車、駅舎が良い雰囲気を醸し出している宮ノ下駅に降りてみます。
先程の列車にみんな乗ってしまって、上りホームに人は居ません。
下りホームも人は・・・
と、思ったら、アジサイに合う色合いの服をお召の女性がひとり。
「尾根遺産+アジサイ+ついでにお電車」をお望みである某氏の存在を思い出しました。
ズームアップしてみたら、何やら探されている様子。誰もいないホームに一人って、なかなか良いと思います。
上り電車(箱根湯本行)が下りて来た時、下りホームにはその尾根遺産の他に父子一組。アジサイにスマホを向けていた尾根遺産は電車に振り向きました。
この駅で交換する下り(強羅行)が出発して行った後は、ホームは古の尾根遺産たちで賑やかになります。
こちらは強羅駅のホームから。ちょうど下って来たケーブルカーの線路沿いにもアジサイが。
因みに先の尾根遺産、強羅駅でアジサイを撮っている姿を目撃しましたが、鉄子さんだったのかどうか?
強羅から乗ったのはラッキーなことに唯一の「非冷房車」となった旧型車両。
窓が開いていて、外気に触れつつ山下りを楽しめました。
3000形、3100形アレグラも既に8両となり旧型車両の引退も迫る中、昭和の時代を思い出しての乗車を楽しめました。
一年のうちで、最も昼の時間が長い「夏至」の日、ちょうど降雨の予報が無いので出掛けることにしました。東京の日の出は4時25分、日の入りは19時01分だそうで、有効に使います。とは言えど、起床は4時10分だったものの、いつもの通りゆっくり朝食、そして朝ドラ。結局9時過ぎの出発でしたが。
沿線のアジサイはどこも見頃です。先ずは大平台で。この付近にはガードマンが立っていました。
小路を縫うようにして向かった場所に、先客はシニア一人だけ。言葉を交わしながら譲り合って撮れました。
次はトンネル側に廻って。この付近、あの2019年の台風被害から土留めをしていますので、少々景色が変わりました。
宮ノ下駅は奇麗に飾られています。プランターが並べられているのですが、観光客はそれを楽しんでいました。観光客を入れずにカメラに収めるのは苦労します。
乗客を入れずに撮る苦労は、ホーム横に深沢銭洗弁財天と火伏観音がある塔ノ沢駅でも同じです。最後の旧型車となった104-106+108が停車中、慌てて撮っておきました。
2005-2203-2006の「グレッシャー・エクスプレス(氷河特急)」塗装が戻って来ました。
ちょうど「あじさい電車」のヘッドマークを掲げた1003-2002-1004編成が。1000形にはやっぱり、デビュー当時のこの塗装が似合います。
箱根登山電車1日乗車券「のんびりきっぷ」を買ったので、1駅だけ乗ったり降りたり、気の向くままに撮影を楽しめました。勾配の細道を登ったり降りたり、ホームを行ったり来たりと、だいぶ疲れたので帰路はロマンスカーを奮発。良いウォーキングとなりました。
母校(高校)の同窓会から、コロナ禍で4年ぶりとなる学園祭に於いて、同窓会展示に協力せよとの要請に従い、鉄道模型の展示となりました。準備日午前、シニアを中心に教室で机配置や開梱、設営が進みます。
最年長のOER3001氏は、後輩各氏の心遣いで肉体的作業を軽減され、こうして準備作業の記録係を務めます。
教室内44台の机配置を現場で調整しつつ、Nゲージの3エンドレスを中心に展開することになりました。
OER3001氏より若い多くのメンバーはNゲージ中心。現役高校生も当然Nゲージです。そんな中で16番ゲージは、最寄りの京王線車両の自動往復運転としました。
線路長の制約から初代5000系の2両編成(5070番台)と、富士急へ転属し富士登山電車となった2両編成を適宜入れ替えて。
自動往復運転なので一日中触る必要なく、もっぱらOBメンバーでの語らいが主。当然その語らいは日中だけで終わる訳はなく、準備日に加えて開催2日間の合計3日間、まあ良く飲んだ、良く食べたものです。
という訳で、観客を迎えた会場の撮影を失念していました。
京王線・明大前は、小田急線・下北沢とともに井の頭線における唯一の他線との乗り換え駅。下北沢は小田急線の地下化に伴う大改良工事が終了し、今は京王線の高架化に伴う大改良工事が進行中。外出時の乗り換えはしょっちゅうなのに、なかなか観察、撮影の機会はありませんでした。
この日は乗り換え時間を利用して、ホームで観察していました。京王ライナーが登場してから、客扱いをしないのに明大前に停車していたという謎は、ホーム先の明大前1号踏切の列車検知と作動時間が関係していると聞きました。下高井戸から勾配を下って来た上り列車が、その明大前1号踏切に差し掛かります。
それにしても、結構な勾配だったのですね。ズームしてみると良くわかります。
その線路の海(左)側一体は、一部を除いて立ち退きも進んでいました。
新宿方を見ると、上りホーム中央部が上下に波打っているように見えます。長年にわたり列車編成長に合わせてホーム延長を重ねて来たこともあり、ホーム形状もマチマチであることが良くわかります。
走行しているうちにやって来たのは、ピンク色のサンリオピューロランドのラッピング編成でした。
さらに続けて、グリーンのラッピング編成が。2本続けてラッピング編成とは、なんと珍しいことかと。
と言うことで、乗り換え時間を有効に使うことができた日となりました。。
梅雨の合間の晴れ間を有効にと、この日は新宿都庁で開催中の写真展(関東大震災から100年、震災復興の記録)を見てから、紫陽花を求めて歩いてみることにしました。
結果は予想通り、小田急線の脇に紫陽花は見られません。花らしい花を見たのはここ(参宮橋4号踏切)だけでした。
そのまま線路に沿った小径を進んでみましたが、参宮橋6号踏切までの間ではやっぱり線路際に紫陽花はありません。
そこで視点を変えてみることにしました。上の画像に見える参宮橋5号踏切へ戻り線路脇を暫く進むと、この春の小川記念碑に出合います。
一度、この記念碑を入れて撮ってみたかったのです。
ここにはかつて清らかな小川(河骨川こうほねがわ)流れており、この地に住んでいた国文学者・高野辰之がしばしば散策していて、後に小学唱歌となる「春の小川」を作詞したということです。
現在、河骨川は暗渠となって、線路脇を流れています。
ということで、文学に触れた後はまた「鉄」に。代々木八幡駅を通過して来た5000形を撮ります。
代々木八幡駅駅ホーム新宿方にある参宮橋6号踏切まで歩いたら、一応定番の画像も収めておかなければなりません。慌てて撮ったので高層ビル上部が切れてしまいました。
この後は勢いで京王線・幡ヶ谷まで歩いてしまうという、良いウォーキングとなりました。
紫陽花の季節です。大雨になる予報の前に、薄いながらも確認できた陽射しを逃すまいと、急遽出掛けてみることにしました。
西永福で降り、線路に沿って場所探し。結局浜田山を過ぎ、高井戸との中間地点くらいまで歩いたところで落ち着きました。
運良く「あじさい」のヘッドマークを掲げたラベンダー色が。
この場所には他に3人。適度な間隔で譲り合って撮ることができました。
ベージュ色は少々地味ですね。
グリーンだと映える気がします。
ブルーもイイですが、アジサイとのコーディネーションと言う面で如何でしょう。
やっぱりピンクはフィットしますね。
残念ながらこの日はレインボーカラーの編成は出動していませんでした。また折を見て出撃するとしましょうか。
ロマンスカーとは言っても、「のようなもの」の方ですが、海老名に2021年春オープンしたロマンスカーミュージアムの前には、ロマンスカーのような木製のオブジェ(?)がありました。
一体何に使うものなのかわかりませんが、受付カウンターとしても使うものなのでしょうか?
それが、ふと立ち寄った6月7日、まさにNSEやLSEのカラーになっていたのでびっくり。
室内側は従来のまま木肌です。
この角度からみれば、屋根上の運転台窓も表現されていて、LSEに見えて来ます。
経年変化した木肌を保護する目的だったのかどうかわかりませんが、これはこれで面白いですね。
一方、ロマンスカーミュージアム前のペデストリアンデッキには、NSE、LSEの意匠を纏った飲料自販機が置かれていました。
それが、左側にSEが追加されて3台となっていたのです。
ご丁寧に背面も描き分けられています。
右のSEの連結部は、本来バーミリオンなのですがね。まあいいか。
今月のシニアの運転会でも、多くの刺激を頂くことができました。生憎写真を撮り忘れた車両も少なくないのですが・・・
こてはし鉄道さまのペーパー自作車両には乗客がいっぱい。これだけ多くの人形を取り揃えるのは、手間も費用も大変なことでしょうね。
KWさまのペーパー自作・小湊鉄道キハ200は、OER3001氏らと競作したもの。こちらはキハ202、OER3001氏は204と214を作っていました。
同じくKWさんはキハ22 243を。側面片側だけ自作サボが掲げられていましたが、こちら側は?
懐かしい73系3連。嘗ての鶴見線かと思ったら横浜線だそうで。HAさんのペーパー自作。2段上昇窓の表現が見事でした。
クモハを先頭にした方からも撮っておきました。
極めつけは近鉄「ひのとり」、急遽お越しいただいたNSさんが、終盤にこれを抱えて飛び入りでした。いや~素晴らしい。でも、先頭部の灯具は点灯しないのだとか、残念!
各位それぞれ工夫されて作られた自作車両の数々に出合える運転会は、何よりの「学校」です。今回も多くの刺激を頂くことができ、さらに会場を移して補講(笑)まで。
デニーズの駐車場を出ようとしていた矢先、入って来たベンツに接触されて損傷した後部の修理に愛車を出した折り、まだ雨が降っていなかったのでここへ。
ちょうど新5000系がやって来たので慌てて1枚。
少し待って、8000系の特急も収めておきます。
次の予定もあったので、早々に移動しようと河原を後にした時、思いがけぬアングルに遭遇。これこそ「京王」です。
このビルが京王電鉄本社ビルです。
そう言えば首都圏の大手私鉄各社は、本社機能の郊外移転が流行りのようです。新宿に遭った京王がここ、聖蹟桜ヶ丘に移転したのは1988(昭和63)年でした。
小田急も新宿にも本社機能が残るようですが、鉄道事業にかかわる機能は海老名本社として移転しています。
西武は池袋から所沢へ、京急は品川から横浜へ、京成は押上から八幡へと移転済み。残るは東急と東武だけになってしまいました。
沖縄・先島諸島が台風2号の影響を受けて荒れている最中、首都圏はまだその影響を受けずに陽が差す天気に恵まれました。多摩川畔の模型店2階で開催されたシニアの運転会。今回はTMS・1975年5月号(No.323)に掲載された5000形を持っての参加となりました。
先ずは厚木の相模川橋梁を渡るシーンを想像した1カット。
橋梁を見上げる角度もさまになります。
この場所は以前から気に入っているので、つい枚数が増えてしまいます。
製作当時の標準仕様であったV-19モーターと14:2ウォーム&インサイドギア駆動で勾配があるレイアウトでも軽快に走ってくれました。
ステンレス車体10両編成の新5000形が出来ても、1973(昭和48)年に製作したこちらの5000形も元気です。
半世紀経ても壊れないペーパー車体、当時は思ってもいないことでした。
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