悲しい記録
クハ1658の振り子試験車両の見学を目的に、大野工場に出掛けたのは53年前のことでした。
その時工場建屋の横で、1968(昭和43)年川崎車両製の4015×3を多くの職員が取り囲んでいる光景に出合いました。
この日の朝、踏切事故に遭ったということで、早々に修理に取り掛かっていたところです。側面の傷付けられた箇所は既にパテ状態。
4065から取り外された側扉も無残です。この扉は交換されたのでしょうね。
2両目の4115小田原方妻面は雨樋等が外され、鉄部の補修作業中。
OERの切り抜き文字には痛々しい傷跡。
側面の傷は、新宿方4015の文字にまで及んでいました。
翌日の新聞で、この事故は無免許の21歳の製材工が、警報機の鳴っている踏切で起こしたものだと知りました。
1970(昭和45)年10月31日午前8時35分ころ、神奈川県高座郡座間町入谷の警報機付き踏切。新宿発小田原行急行に座間町入谷、高進木材会社製材工岩井野二平(21)のトラックが側面衝突。約3メートル引きずられてコンクリート製信号柱にぶつかり大破。岩井野は全身打撲の重傷。ほぼ満員の約500名の乗客の内、2両目に乗っていた46歳会社員男性が頭に重傷、30歳と20歳の女性が手足に軽いけがとのこと。
とんでもない輩が起こした事故。この輩、今は74歳の筈。損害賠償も負って、いったいどんな人生送っているのかね。
現場は今の座間9号踏切ではなかろうか。この頃、新宿から4000形3両の急行があったのだろうか? 相模大野で分割した後の事なのか?
事故後約1時間不通となり、9時20分頃に開通とありますが、今だったらそんなに早く運転再開できないのではないのかな。長閑な時代だったかも知れません。
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