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2023年11月23日 (木)

南新宿の思い出

前回の「南新宿で」に頂いた、この地に思い出のある方々からのコメントに嬉しく思い、それならと調子に乗って記録を辿ってみました。

最初は1968(昭和43)年5月の夕方近く。現在解体中の小田急百貨店ビルを背後に「あしがら」が新宿1号踏切に差し掛かります。NSEはまだ冷房強化工事施行前で、屋根上がすっきりしていた時代です。

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この時はNSE(3100形)よりNHE(2600形)のこの色を狙っていたと思います。

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NHEは各停に投入されることが主だったので、待てば出会える。何気なく撮った南新宿での1コマから、当時の状況が蘇るようです。

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新宿1号踏切には踏切保安掛が常駐、迫り来る列車に振っている旗が確認できますが、これも古の思い出。

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続いて1969(昭和44)年の記録。地下ホームから出て来たのは3両編成の4000形ですよ。大都会のターミナルに3両編成が発着していたなんて。左側の貨物ホームには1300形が停車中です。

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この年の積雪は2月ではなく3月だったのですね。吊り掛け式駆動のABF車も優等列車で活躍していたのです。1600形×4を先頭にした8両編成が、小田急本社ビルと山野ホールの間を新宿に向かいます。

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後は1900形でした。大きくカーブしたホームは前後を踏切に挟まれ、大型6両編成(2600形)は上下列車とも先頭車両はドア締め切りでした。

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時を経て1973(昭和48)年7月、長編成化のための新宿駅改良工事たけなわ。地下ホームは閉鎖され、地上3線で全ての列車折り返しを行っていたときでした。地下線アプローチを長くとるため、路盤の掘り下げが行われています。

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同時に新・南新宿駅設置工事が進みますが、7月時点ではまだホームの基礎工事。

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2か月後の9月になってホームのコンクリート板が置かれ始めました。

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それから3カ月で完成するとは、早いものですよね。12月21日に新駅移転となりますが、その5日に前南新宿駅下りホームから撮った写真。こちらに向かって来る列車の位置に、新駅が確認できます。

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この日は日没後でしたが、フィルムをトライXにして奮闘していました。小田急本社ビル向かいの南新宿駅舎。当時は代々木八幡や代々木上原、東北沢などと似た、昭和の高度成長期に造られた鉄筋コンクリート製でした。改札口と出札窓口外の自動券売機があった時代だったのですね。

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駅舎左の壁面に、移転のお知らせが掲示されていました。

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小田急本社ビル前の新宿2号踏切から、その構内を記録しておきました。右が下りホームです。

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踏切を渡って下りホーム方から上りホームを。右手前には踏切保安掛が常駐していたのです。

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最後に上りホーム先端から参宮橋方向を。

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こうしてみると、ついこの前のことと思っていても、半世紀前と言う時代はいろいろな意味で今とは格段の差があるものだと、再認識させられてしまいます。

 

最後に新・南新宿駅での思い出を。1999(平成11)年7月16日、この日で引退となる3100形NSEの最終列車を撮りに行きました。

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振り返って後追いを1枚。下りホーム最後部の危ない所で撮っていた輩が居たのですね。黄色い線どころか白線まで超えて。

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オマケは今の南新宿駅を。10両編成対応のホーム幅は狭いものの、全体に上屋が設けられた姿になっているのです。

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上りホームから下り列車を撮ると、背後は山野ホールのガラス張り外壁が。

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駅舎は線路下に慎ましくです。

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南新宿、つい調子に乗ってしまいましたが悪しからず。

 

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コメント

南新宿でこんなに話が膨らむとは。赤白のド派手な2600形は確か「お買い物電車」の看板がついていたかなと記憶しています。同じ色は4000にも1本ありました。その4000、3連でも中型車の4連相当ということで、日中に新宿まで出てきていました。南新宿駅が移転する頃は小田急に乗る機会も減り、工事中の記憶はほとんどなし。いつの間にか新しい駅になっていたという感じでした。
ターミナルを出るとすぐに踏切、なんていうのも今や小田急くらいでしょう。京急の八ツ山は近い将来なくなるけど、こちらはまだ立体化の計画はなさそうですね。

大都会のターミナルで3連!と仰られても、、、名鉄も近鉄も未だに2連がおりますが。名古屋は大都会ではない、ごもっとも。
でも、この頃の小田急って単行ディーゼルもいましたよね。小学校の遠足で喜多見あたりの踏切をバスで通った時、見かけて驚いた記憶があります。
小田急とは縁が薄かったので、新宿ー代々木間で総武線築堤に邪魔されながら、山手から垣間見るだけでした。派手色のHEと出会っていたら驚いただろうなぁ、、、

◆ モハメイドペーパー さま
こんなことでもないと話題になりそうもない駅ですものね。
特別塗装の2600形に「お買い物電車」の運板が付いていたのは登場(1967.11.23)から3,4カ月だけだったと思います。その後は向ケ丘遊園でのイベント関連で「フラワー号」や「秋の味覚号」などが掲げられました。掲載写真は「フラワー号」です。


◆ シグ鉄 さま
キハ単行や2~3連の御殿場行き特別準急は1968.6.30までありました。加えて荷物電車(配送列車)は新宿からは2~3両でした。
今秋現地へ行った時、名鉄、近鉄の短編成を見て驚いた次第です。

昭和の34,35年頃 豪徳寺に住み 僅かな期間でしたが 通学で利用しておりました。 思い出がうっすら と (この頃
は鉄 に縁が薄かったため・・・残念) 確かに3連の茶色の車両!! 唯一8ミリ映像で撮ったものがある位~ 一瞬ですが 貴重な写真有難うございます。

◆ こてはし鉄道 さま
心配していましたがコメント頂き嬉しく思います。
昭和34,35年頃と言えば、セミクロスシートの2320形、その後は前照灯が2灯で両開き扉になったHE車(2400形)が登場し始まった時代。1200形や1400形などのHB車がまだ多く活躍していましたね。楽しい時代だった気がします。

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