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現役時代には主に夜だったが、真昼間の六本木に行ったのは何年ぶりのことか? 懐かしく思い、東京メトロ日比谷線の駅を降り、地上に上がればキョロキョロ。随分変わりましたね、六本木。飯倉方向に歩くと右手にあったロアビル(共同ビル)は仮囲いで覆われていて、近いうちに解体されるようです。
OER3001氏の目的はここAXIS。定年退職後の仕事で関係が出来たJIDA(公益社団法人日本インダストリアルデザイン協会 )が本部事務所を構えるおしゃれなビル。ここで開催された「JIDA DESIGN MUSIUM Vol.25展」を見る目的でした。
1階の入り口。ブラッセリー・ヴァトウの横の空間を通り抜けます。
早速展示アイテムのひとつ、黄色いトヨタ・プリウスが中央に。エレベーターで4階へ。
優れたデザインのアーカイブを目的として1998年に発足したJIDAデザインミュージアム活動の25回目となる今回は、219点の推薦から60点がセレクションとして選定され、4階の会場他に展示されました。
対象は日用品や家具、モビリティなど、多岐にわたります。
1点1点見入りましたが、中でもとりわけこれが。とても会場に持ち込める代物ではないのでパネルですが。
京都市交通局・地下鉄烏丸線に登場した20系車両。比較的大人しく見える車両デザインは、工業デザイン専門家や公募委員などをメンバーとする懇談会を経て、市民や利用者の投票で決められたもので、近畿車輛が製造を担当しています。
先頭部のクレーモデルも展示されていました。東京に住む身には遠い存在なのですが、色々なところに気が配られた車両です。
もう一つの鉄道車両は大阪メトロ・中央線の400系。奇抜なスタイルはGMやポルシェ、フェラーリ・エンツォフェラーリ、マセラティ・クアトロポルテなどのデザインで有名になったケン・オクヤマこと奥山清行氏によるもの。大阪・関西万博に向け、「活力インフラ」の中心となる夢洲へのアクセス路線に相応しい近未来的な宇宙船イメージのデザインとしたらしく、日立製作所が製造。
財政が厳しい大阪市から民営化された途端に、高額なデザイン料が払えるようになったのですね。しかしOER3001氏にはどうも・・・。わざわざ乗りに行きたいとは思いませんが、乗ってみたら気に入るのだろうか?
時には視点を変えて、車両デザインを見るのも良いですよ。
所属する鉄道模型サークルは、メンバー各自が既定サイズのレイアウトボードを作り保有、それを持ち寄って繋ぎ、運転会を楽しむというのが特徴。数年前から新規ボードを計画、既に基礎部分の木工作業は終えていたのですが、どうしたことか急にこんなことに。
塗装です。天気の良い日に先ずは側面と裏面を合成樹脂ペイント(水性)の黒で。数日間の乾燥期間を置いてから、天面をダルブラウンで。
何れもベランダでの作業です。床面を新聞紙で養生、小テーブルに乗せて刷毛で。
今回の製作は750mm長300mm幅のものを4枚。これだけの作業でも、結構腰が痛くなってしまいました(涙)。
と言うことで、この後の作業がいつになったら着手できるのか(着手する気になれるのか)、本人もわかっていない状況です(笑)。
昨1月22日夜、82万アクセスに到達しました。790000アクセス到達(10/12)から約3ケ月、800000アクセス到達(11/14)から約2か月なので、1か月でおよそ10000アクセスということになりますが、勝手気ままに書いているのに訪問してくださる方々に感謝申し上げます。
“82”に因んで探した画像はこれ、スカ色のクモユニ82です。登場から間もない1966(昭和41)年の新宿駅でクモニ83と2両で。「回送」表示を掲載しているので、甲府か松本行きの115系に連結する前なのか、解放された後かと思われます。一斉にハトが舞いました。
ハーフサイズカメラでの撮影ですが、懐かしい光景が記録されています。
背後の建築中ビルは、西口の小田急本館(小田急百貨店)で、その並びに小田急百貨店のマークを掲げたビルは、地下鉄ビルです。建築中のビルと合わせて、「小田急全館完成」となったのはこの翌年のこと。
その小田急本館は現在解体工事が進み、新たな高層ビルに生まれ変わろうとしているのですから。半世紀後にそうなることなど誰が想像できたでしょう。
いろいろな題材に手を出しているというのに、また新規着手病と言う病が発症してしまったようです。
この用紙はアートポスト0.22t。側外板と内張り①、妻外板と内張り①、②。
続いて同じくアートポストですが少し厚くなって0.29t。側内張り②、③、④と、妻板内張りスペーサー。
次は同じくアートポスト0.29t。妻板の内張り③、④、⑤など。
次はアートポスト0.29tで内張り⑤と車体上部補強板など。
次が特に取扱注意。アートポスト0.14tと薄い用紙で窓サッシ。
ユニットサッシ改造後にしたい人はこちらと選択できますが、加えて側扉や窓のHゴムなど。
全部で6枚から、必要なものにカッターを入れて切り抜くが、まだ先は遠い。
ペーパーキットって、一見楽そうに思うのは大きな間違い。他人様の設計によるキットは、その構造を理解するのも大変です。計算上は外板厚1.6tになるようですが、実際には接着剤の厚みも加わるので2.0t程になるのでしょう。
これは1両ものではないので、大変なキットに手を出してしまったようです。
「小田急の変電所(3)」はいつのことになるか? と記したのは1月13日のことでしたが、早くも「3」です。
この日、「もころん号」が唐木田車庫に数時間居るようなダイヤだったので行ってみました。組織上は喜多見検車区唐木田出張所だそうですが、道路からの入り口に掲げられている表札は「唐木田車庫」。屋根のある「庫」はありませんが「車庫」です。
「もころん号」が午後の陽射しを受けて休んでいました。
その唐木田車庫の全景がこれ。多摩線唐木田駅の先に拡がる敷地面積43,271㎡に留置線10線、洗浄線1線、列車検査線2線、引き上げ線1線を擁し、176両の収容能力だということです。
この車庫の手前にある建屋他が、出力6,000kWを担う唐木田変電所のようです。変電所の表札は、車庫用地に入れば確認できるのかも知れませんが、外部からは確認できません。付近に東京電力の高圧鉄塔は見当たりません。
変電所前には給電のための鉄塔が建っています。
変電設備と給電鉄塔の位置関係はこんな状況ですが、給電鉄塔へのケーブルは地下から上がっています。
線路を跨ぐビームの矢印部分に給電しています。
ズームアップしてみると・・・、左から①百合丘-唐木田下り線、②百合丘-唐木田上り線、③唐木田構内、を示すプレートが掲げられています。
このビームの彼方に、先の「もころん号」も確認できました。
「もころん号」の唐木田車庫停泊を確認しに行った序でに実現した「小田急の変電所(3)」でした。
日常的に使用している30㎝ステンレス定規を更新しました。
これが今まで使用していた30㎝ステンレス定規。カッティングガイドにするときには問題ないのですが、照明が反射すると目盛りが見づらいこともあります。
長年の、多分半世紀にわたって使用していたので、白色の目盛りも部分的に消えかかっています。
そこで、新宿の大型画材店に出掛けた折に、ちょっと高いのですが思い切って買いました。
とにかく目盛りが読みやすい。ユニバーサルデザインという概念が広まりつつあった2000年代当初、コクヨが考案した目盛りが採用されています。距離に加えて高さという二重の表現で冗長性を高めた目盛り線が、老眼の高齢者に優しいのです。
これを「快段目盛」と名付けて商品化していたのは新潟精機という企業。目盛り線に加えてステンレス材表面を、反射を抑えるダルフィニッシュにしていることも気に入りました。
これまでのものと比較して、使いやすさは抜群に向上する筈です。
これでペーパー車体のケガキ、切り抜き作業も捗りそうです。
能登の大地震と津波という災害から幕を開けた2024年、日々のニュースを見る度に胸が痛みますが、この日は旧知の仲間で新年会。平日のこの日、現役は週末の仕事に追われている筈ですが、リタイアしたシニアですから開始時刻は15時半。15時半から飲める店には限りがありますが、とりあえずカンパ~イ!
先ずは大根サラダ。
続いてお造り盛り合わせ。
烏賊焼き、エイヒレにししゃもと焼き物3品。
会話も弾んで 2時間ほど経過したところで問題発生! ラストオーダーの注文取り。「何言ってんの? 注文しているものが未だ出てきていないのにそれは失礼だよ!」と腹が立ちました。
やっと出て来たハイボール。まだ焼き鳥は出て来ません。
やっと出て来た焼き鳥を平らげ、腹が立ったので店を変えることに。
仲間の一人に気づかいして、エレベーターのある店にしていたのに、階段を余儀なくされても最初からこっちにすれば良かったねと、向かった先は正統ビアホールでした。
ドイツの伝統料理の一つ、ザワークラウト。
これ何だっけな??
腹が立ってお腹が空いた? かどうかはわかりませんが、勢いでアイスバインを。これぞドイツの伝統料理。
ということで合計5時間ほどになったでしょうか、楽しい新年会でまた、趣味仲間との新たな一年が始まりました。
「小田急の変電所(1)」を掲載したのが2022.11.27のこと。その際(2)がいつのことになるのか、全く不明と記していましたが漸く(2)です。
ここは生田-読売ランド前間の海側(南)です。駆けて来た上り4000形が、厳つい鉄塔下を抜けて来ます。
厳つい鉄塔を海・小田原方から見上げれば斯様な感じ。太い電線が何本も(数えるのを忘れました)海側に延びています。
その先は五反田川(神奈川県川崎市麻生区および多摩区を流れる河川。多摩川水系の支流で全長4.7kmの山地性急流河川
)を越えた高台へ。
そこが、出力9,000Kwの小田急電鉄生田変電所です。
電気の流れとは逆に、電車線から送電線、変電所と川上ならぬ電気の上流に目をやると、変電所の敷地に建つ高い高圧鉄塔から先に電線が伸びています。
これは東京電力川崎支社が管理する「生田線」だと言うことです。
この小田急電鉄生田変電所は、高圧鉄塔の生田線から受電しているのでした。
フェンス越しに変電所内部が覗けますが無人。ふと、テロに襲われたら大変なことになってしまいます。
東京電力生田線から受電し、生田変電所から流される直流1,500V他の電源を受けて、青空の下、今日も多くの電車が行き交います。
さて、「小田急の変電所(3)」はいつのことになるか? 小田急の変電所は29か所もあるようですから、本気で調べるのは気が遠くなります。
日に日に増える死者数、寒さと闘いながら避難を続けざるを得ない能登を思うと・・・、ちょうど2024年の撮り初めから帰って来た時、駅前で市の社会福祉協議会がお見舞い金の募集をしていました。迷うことなく協力させて頂きました。
この日の目的は、年末に撮れなかった小田急「もころん号」の新宿方を撮ること。朝、小田急アプリで時間を調べ、光線状態の良さそうな地に向かいます。最初は読売ランド前-生田間で小田原からの快速急行新宿行を。光線状態は予期した通りでしたが、右手の派手な黄色い建物と「すき屋」の看板処理が難儀でした。
新宿で折り返し、唐木田行急行(新百合ヶ丘から各停)で戻って来ます。それを一応、小田急永山で待ち受けてみましたが、フロントガラスが空を写して室内の「もころん」が判りにくい。
そこでこれを押さえておきました。
小田急永山は唐木田から折り返した新宿行(新百合ヶ丘から急行)を狙うのが目的です。どうせ午後の陽射しは車両に届かないだろうと踏んで正解!
この場所、直前に年配の鉄1名が来ました。
これで一応、「もころん号」の両正面を撮ることができたので良しとしますか。あとは「機会あればまた」ということに。
既にリタイアしているシニアに年末年始などという休みはありませんが、趣味活動は少しづづ進めていました。
忘年運転会で仲間に披露した時には小田原方にしか無かった正面の手摺。新宿方の正面にも付きました。若干ハンダが多いですが、0番とは言えこのハンダをキサゲでゴリゴリはできないので諦めます。
忘年運転会の時にモハメイドペーパーさまから譲って頂いた貴重なスプリングベルトで、片側台車の駆動もできるようになりました。
12月21日にアップした、0.5mm厚のアイボリー紙から切り出した14φの円盤は、四角いベンチレーターの下部のものでした。車体中央に見えます。
反対側は円盤は見えず、通風孔の蓋が付きます。
こうしたパーツも手作りしなければならないのが0番。だから試行錯誤を重ねつつのんびり進めています。
元旦夕刻に発生した大地震と津波被災、その翌日の羽田航空機事故と、新年早々悲劇が重なり心苦しい限りです。そんな中、平穏な日々を過ごせていることに感謝・感謝です。
半世紀以上にわたりお付き合い頂いている方々などが、埼玉県内の別宅に集まって開催される忘年運転会、今回で3回目となりました。OER3001氏は皆様のご期待(?)に反し、いつもとはガラリと違う車両を持っての参加となり、小学生時代からコツコツ集めた車両から自作のもの、キット組み立てや近年のKATO製品などの2軸貨車群を抱えての参加です。
これらはきぬやまスカンクさまが、最近レストアされた天賞堂製DD13旧塗装を持って来られるであろうと予測して、用意したのでした。1両でも充分牽けましたが、OER3001氏所有の新塗装バージョンとの重連も楽しませて頂きました。
ぼっちぼちさまは福島交通の連接車5000形を。OER3001氏も作りたいと思っていた題材、お見事なペーパー自作品です。
モハメイドペーパーさまは、みどりや製の京浜急行1000系ペーパーキットを利用、側扉間3側窓を4窓に切り継ぎした武蔵野急行2000系だったか3000系だったか。
ぬか屋さまは、最近自作された5両の0番スイス風客車中、2両を持ち込まれました。モハメイドペーパーさまが小宮のキットで製作されたEF65に繋げて眺めます。
連結器の高さなど確認のため、OER3001氏製作中の小田急2320形も仲間に加えて頂きました。
渋~い8620蒸機が3両の渋~いペーパー自作客車を牽いて力走します。黒とぶどう色1号若しくは2号の塗料しか必要としない作品は、勿論きぬやまスカンクさまのものです。
ドイツ好きのくまくまさまは、・・・説明を受けたのですがさっぱり忘れてしまいました(涙)。旧ドイツのお偉い方専用のS3/6機関車と客車だったかな。
懐かしい塗装の東武8000系はぼっちぼちさまのペーパー自作。1969(昭和44)年10月に開催された、交通博物館の企画展のために製作したものでした。
その企画展がこの「首都圏の鉄道展」、開場は確か3階。
各社の新鋭車両を16番ゲージで展示すると言うので、揃わないものは皆で分担製作して臨んだものです。OER3001氏は相鉄6000系を製作しています。
ぼっちぼちさま製作の東武8000系は最下段、その上はWD氏製作の営団5000系アルミ車でした。
この日の運転会、OER3001氏は小田急のホッパ列車(ED1012牽くホキフ300-ホキ300-ホキㇷ300)も。
加えて貨物ではなく荷物、デユニ1001も。
田舎での開催だったこともあり、この日はクルマで駆けつけていたメンバーも居ましたので反省会の酒宴は翌日に。なんと2日間にわたる忘年会でした。
コロナ禍を経た人々の行動変化に対応して、大晦日の終夜運転を取りやめた鉄道路線も少なくありません。
そんな折、小田急関連の情報をアップされているOdapediaでは、「初詣号」「ニューイヤーエクスプレス号」を取り上げられました。このサイトを運営されている方はOER3001氏よりお若いので、初めて「初詣号」 が運転された1969年1月1日のことはご存じない筈です。
そこで、これがその「初詣号」1号(と言ったかどうか不確かですが、事実上の第一列車)です。新原町田(現町田)駅始発の新宿行。この当時はホームから降りて撮影しても特に叱られるようなことはありませんでした。
小田原方を撮ってから新宿方に移動。出発前でまだ前照灯を点灯させていませんが、運転室下部の通過表示灯はしっかり点灯しています。
この日、希望学部合格を祈念して最前部左の11号車1148座席を確保、新宿までの乗車を楽しみました。この願掛けの効果があったかどうかは別として、浪人することなく進学できたことに感謝です。
この写真が小田急の「初詣号」「ニューイヤーエクスプレス号」 の始まりだったという事実。ハーフサイズのCanon demiでの撮影故、ボケボケなことはお許しを。
明けましておめでとうございます
皆さま方のご健康とご多幸をお祈り申し上げます。
本年もどうぞよろしくお願い申し上げます。
2024.1.1
今年の干支「辰」と来年の干支「巳」を一緒にしたような「辰巳」という駅が東京メトロ有楽町線にあります。駅上には都立の海上公園(東京都港湾局所管)「辰巳の森緑道公園」が整備されていて、三ツ目通り西側の入口付近に「辰のオブジェ」があります。TOKYO2020での水泳競技などが開催された東京辰巳国際水泳場や東京アクアティクスセンターも近くです。一度訪れて見られては如何でしょうか。
このブログも、開設から12年目となりました。ますます健康維持に努め、趣味を楽しむ時間を重ねて行きたく、また気ままに発信して行こうと思っています。何卒よろしくお願い申し上げます。
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