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2024年3月

2024年3月31日 (日)

また一つ、消えて行く

小学館、集英社といった大手出版社、三省堂(現在建て替え中)や書泉、古書店などが集積する千代田区神保町。都営新宿線神保町駅のホーム壁は、この街を象徴していて好感が持てます。

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その街にある歴史的な建築物が消え去る運命ということを知り、乗り換え途中で散策してみました。学士会館です。

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神保町駅から歩いて行くと、その敷地に斯様な記念碑が。「日本野球発祥の地」だそうで、日本に初めて野球を伝えたとされるホーレス・ウィルソン氏の野球殿堂入りを記念して、2003(平成15)年に建立されたという比較的新しい碑。どうりでこれまで気づきませんでした。

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1990年頃だったかこの階段(北口)を上がって、職場の東大卒後輩女子の、東大卒役人との結婚披露宴に、上司として出席するためでした。

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しかし正面玄関は白山通りに面したこちら。北口にはエスカレーターが備えられるようになりましたが、正面玄関にはスロープも無く、まさに“敷居が高い”建築です。

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共立女子大学方から眺めたこちらが“正面”のようです。関東大震災後の復興建築で、玄関の半円大アーチやスクラッチタイルの外観、窓廻り2・3層の直線基調と4層の曲線基調の対比などに特徴がある鉄骨鉄筋コンクリート造地上5階地下1階建で、小田急開業の翌年である1928(昭和3)年の完成。設計は佐野利器と高橋貞太郎(増築部は藤村朗)によるものとか

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その最上部についているこれが気になるのですが、残念ながらその説明を見つけられません。

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そんな学士会館が、建て替え再開発されるのですって。これを期にいろいろ調べてみると、耐震性など今でも心配ないしっかりした建築物であり国指定登録有形文化財の指定を受けているのに・・・ですよ。

国立大学をご卒業成された優秀(?)な方々は何を考えているのやら(涙)。私学出の、優秀でなかったOER3001氏は悲しいです。

 

2024年3月29日 (金)

夜景を愉しむ

なんとか1両配線が完了しました。暗い中でほくそ笑んでいる次第。先ずは各駅停車。

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急行の時は、通過表示灯が点灯します。

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前照灯は向かって左側を点灯させていることが多かったですが、球切れに備えた右側も点灯させることがありました。

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通過表示灯は、後部になる時は赤い尾灯になります。この切換にチップLEDを収めた苦労も効果ありです。

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テープLED2列にした室内灯の効果、セミクロスシートの室内も良く見えます。赤字覚悟で乗客乗せようかと迷います。

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苦労した運転台、組み込んでしまったらなかなか写真撮りづらくて(涙)。

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電動車の方の配線が未だ。M1カット、M2カットなどの機能も装備させるので電線引き回しが大変。

配線が終わったら、ナンバー入れたり幌付けたりといったフィニッシュワークに着手する前に、一度試運転したいです。

 

2024年3月27日 (水)

初めてのスキー

孫娘が中学受験を乗り越えて無事1年の春休み、学校からバスで菅平でのスキー教室に行くと聞いて、我が身(ジイジ)も初めてのスキーが菅平だったと、ゲレンデの想い出話に盛り上がりました。

ジイジのスキーは高校時代の親友4人と、上野から信越線の急行“信州”(だったかな?)に乗って始まりました。菅平へは上田から路線バス。持って行ったフィルムの1コマ目はバス待ち時間で撮った真田傍陽線の駅構内。

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この年の4月20日に丸子線を廃止し、それまでの上田丸子電鉄から上田交通に社名変更してもなお、駅名は「電鉄上田」だったように記憶していますがどうだったでしょう。その上田駅に入線して来る真田傍陽線の車両が2コマ目。フィルムに光が入ってしまいました。

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駅舎に表示されていた駅名は「電鉄上田駅」です。それから2年後に、真田傍陽線も廃止されてしまいました。今となって思えば、この時真田まで真田傍陽線で行っておけば良かったと後悔しますが、菅平に行くのにその途中まで真田傍陽線を利用するなど、選択肢に無かったのだから、廃止されるのも仕方がないことです。

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スキーを楽しんでいる写真は無く・・・、初めてのスキーですから写真など撮る余裕、というより転んでばかりでしょうからカメラなど持っていられません。フィルムに記録されていたのは宿でワイワイ楽しんでいる光景だけ。

年が明けた1月2日に帰路に着いたようです。EF62の貨物列車を撮っていますが何処の駅だったのでしょう、上田かな?

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タキ43000(43013)も撮っていました。

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そして次のコマが、すっかり暗くなった横川駅のプラットホーム。ブレた1コマですが、ずらりと並んだ洗面台に「名物・峠の釜めし」と「碓井温泉・あたご荘」の広告。こんな時代だったのですね。帰路の169系車内から撮っていました。

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同時に停車中の下り列車、モハ30003も。デジカメの時代だったらもっと撮っていたでしょうに(涙)。

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この後は、169系車内での友人たちと戯れる光景でフィルムは終わっています。孫娘が行っている菅平スキーの思い出でした。

 

2024年3月25日 (月)

840000アクセス到達

昨3月24日、84万アクセスに到達しましたので“84”に因んだ車両画像探してみたのですが・・・(涙)。

クモハ84など撮っていないし・・・、そうだ、玉電80形に84があったと思って探したが、残念ながら84は未撮影。東武や等級に中間電動車の8400があったけれどそれも無い。えい、それなら逆にして48なら、ということでこれにしました。

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1971(昭和46)年6月18日の新津田沼駅京成津田沼駅です。この頃の新京成電鉄には、小型車のモハ45形や300形が活躍しており、趣味的には実に楽しいものでした。新京成初のカルダン車800形はまだ登場していなかったようです。

83万アクセス到達が2月23日、順調に1か月で1万アクセスというペースのようです。相変わらず勝手気ままのブログですが、引き続きよろしくお願い致します。

2024年3月23日 (土)

東急世田谷線

“玉電”が無くなって、三軒茶屋-下高井戸間だけが世田谷線として残りましたが、車両の世代もすっかり入れ変わり、1999(平成11)年から2001(平成13)年にかけて登場した軽量セミステンレス製車体、IGBT-VVVFインバータ制御の300系になっています。

高校時代から慣れ親しんだ下高井戸駅、過日の「池袋 鉄道模型芸術祭」に出展されていた1/80の模型を見て、久しぶりに出掛けてみました。京王線の高架化工事も進んでいるので、線路を斜めに横断する踏切も見られなくなります。

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軌間1,372㎜という共通点を持つ歴史から、世田谷線は京王線下りホームに寄り添うカタチになっています。

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この雰囲気を上手く縮小されています。

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一方の三軒茶屋駅は、1996(平成8)年に完成したキャロットタワーに隣接。

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レンガ調外壁のモダンな雰囲気です。

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アーチ状の上屋が特徴です。

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それを模型ではかなり簡略化。今後アーチ状上屋を製作するのでしょうか?

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中間には車両基地のある上町駅が上手く配置されていました。

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実際の上町駅は曲線部で用地に余裕が無く、上下線でホームは踏切を隔てて配置されています。

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車庫のに徒歩で近づくことができないので、先の踏切からズームせざるを得ませんでした。

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下高井戸から世田谷線で三軒茶屋に向かい、そこから線路に沿って歩いて小田急線豪徳寺駅まで。この日はそこで小田急に乗って帰宅しましたが、世田谷線全線徒歩もそう苦ではありませんよ。良いウォーキングになります。

 

2024年3月21日 (木)

新宿駅西口

新宿グランドターミナルの実現に向けた基盤整備が進む西口、2年前まではこんな風景でしたが・・・。

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西口を象徴する風景はすっかり変わって来ました。3月8日時点の記録です。

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地上に上がってみれば、小田急百貨店の本館はすっかり解体され、東口のビル街が見渡せます。

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左が小田急ハルク、右に京王百貨店。その真ん中にあった小田急本館の姿は無く、東口のルミネ エスト(旧新宿ステーションビル)が見通せます。

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解体前の光景は、海老名のロマンスカーミュージアムのジオラマで今も見ることができます。(3月6日)

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東側からの光景ですが、南口(左側)のミロードも、まもなく解体工事が始まります。

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渋谷も大工事が進み、新宿も。池袋は西武百貨店がヨドバシカメラ資本が投入されてと、東京のターミナルがどんどん変貌して行くようです。楽しみというより・・・寂しさを感じます。

 

2024年3月19日 (火)

運転台座席

運転台を作ったら、運転士さんの座席も用意しなければなりません。

先ずは0.8真鍮角棒を所定寸法にカット、90度にハンダ付けしたフレーム(?)を作りました。

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座部と背もたれの材料は桧材。ヤスリで削ったパーツを、簡単な保持具に挟んだフレームに速乾アクリアで接着するだけです。これは2セットしか作らないので楽です。

 

2024年3月17日 (日)

運転台できました!

ミニチュア家具製作(笑)の勢いで、運転台作りました。先頭車2両分なので2セットです。

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マスコン、BC弁、計器盤、スイッチ箱など、材料は桧材ベース。

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  • マスコンハンドル本体は1㎜真鍮角線に、ノブ部分はゴム系接着剤を丸めたもの。
  • BC弁の首部はハトメにφ1.8真鍮線のハンドルをハンダ付け。ハンドルのテーパーは速乾アクリアを付けてそれらしく。下方の目盛り(?)はラグ板加工。

木工加工→接着→整形→塗装→真鍮素材系加工→組み立て→塗装→計器盤&マスコンノブ、BCハンドル等色差しといった工程。我ながらうまく表現できたものだと、眺めてほくそ笑んでいます。

 

2024年3月15日 (金)

続々:座席の製作

小物塗装に使った廃材の寸法がちょうど良かったので、端に溝掘り、角にRを付けました。

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ここにφ0.8洋白線を載せ・・・、

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ヤットコでがっちり咥えます。

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で、両端を指で曲げ・・・、

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斯様なカタチに成形します。クロスシートのひじ掛けです。

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塗装しておいた座席に速乾アクリアで接着します。肩部の掴み金具は割りピンの材料から作りました。

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1基づつ両クロスが8セット、片クロスが8セットの計16基をシコシコと。

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ロングシートの袖もφ0.8洋白線から。2両分の座席が完成しました。ホント、鉄道模型というよりミニチュア家具の製作でした。

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さて、これらを室内にセットしなければなりませんが、楽しいですよ。

 

 

2024年3月13日 (水)

スイス国鉄オフィシャル鉄道ウォッチ

初めて永世中立国・スイスに行った時から気になっていました。金融業、電力、観光業、化学薬品工業などと共に、精密機械工業の産業が国際的に強いだけに、時計は有名でした。

SBB(Schweizerische Bundesbahnen スイス国鉄 1999年からスイス連邦鉄道(株))の各駅に掲げられた見やすい時計デザインが気に入ってしまいました。(写真はバーゼル中央駅で)スイス人技術者ハンス・ヒルフィカー(Hans Hilfiker)によって1944年にデザインされたものだそうです。

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いつ頃だったか、そのデザインの腕時計があることを知りましたが、愛用のセイコー製腕時計はなかなか壊れない。それがこのたび40年ほど使って遂にご臨終に(涙)。

そこで、決心して新しい腕時計を購入しようと思ったら、思いがけず「スイス国鉄オフィシャル鉄道ウォッチ」が愛妻からプレゼント。

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遂に、OER3001氏の左腕で時を刻んでくれることになりました。

いや実に見やすい! 年寄りの目にも優しいし、テキストだけのデジタルよりシェイプ(カタチ)で読めるので人間工学的にも優れています。

久しぶりにスイスものを手にしたので序でにこれを眺めてしまいます。ゴッタルド線で使用された本線用ユニバーサル駆動式電気機関車のAe4/6形電気機関車。

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今は殆ど(全て?)の列車が電車列車に変わってしまったようですが、やっぱりこの時代が好きですね。窓上に1等の黄色いラインを入れた濃いグリーンの客車。シュリーレン台車の乗り心地は結構硬かったような記憶があります。

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久しぶりにスイスの模型列車も走らせたくなってしまいました。

 

2024年3月11日 (月)

ロマンスカーミュージアムへ

2年ぶり、4回目かな? 久しぶりのロマンスカーミュージアムは、出展写真家のお一人からのご案内がきっかけで、この日から始まった写真展「白いロマンス、ふたたび」を見るのが目的でした。

エスカレーターを下り、モハ1を過ぎるとロマンスカーギャラリーと称する代表的なこの空間。

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写真展はここで展開されています。

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15人の方々の素晴らしい作品と共に、VSE活躍の映像が流れています。

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ちょうどご案内頂いた方が会場に居られ、暫し歓談することもできました。

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写真は、⼩⽥急電鉄の歴史をまとめた企業年表が掲げられている<ロマンスカーアカデミアⅠ>でも展示されています。

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そんなロマンスカーミュージアム、収蔵車両が奇麗に維持されているのは彼女達の丁寧な清掃作業によるものです。伺ったところでは水拭きだそうですが、車体外板を丁寧に拭く他、手すりや溝も。「ありがとうございます」と声を掛けました。

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立ち入ることができる車内では、窓ガラス、壁面やテーブルを拭く他、1座席づつ粘着ローラーで埃を取っていました。

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本当に丁寧な作業ぶりに、小田急ファンとして嬉しくなりました。

写真展「白いロマンス、ふたたび」 は3月25日(月)までです。

 

2024年3月 9日 (土)

嵐電の今

この日は午前中から京都鉄道博物館。そこから四条大宮までのおよそ2.3㎞、壬生通経由で歩いてみました。

踏切で待つと、四条大宮駅を発車して来たのが「もり」のラッピングがされたモボ631形の632。「もり」って、漬物だったのですね。

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「もり」ラッピングも左程違和感は感じずにすみましたが、631の江ノ電カラーは似合っています。

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車庫を眺めたくて西院で下車。ここ「西院」は嵐電では「さい」と読みますが、阪急京都線は「さいいん」と異なるのです。ああややこしい!この車庫に立ち入ることはできませんが、ホームから充分見渡せ、驚異的なポイント配線に驚くばかりです。しかし京紫」というらしい塗色はどうも気に入らないのはOER3001氏だけでしょうか。

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車庫の脇を、帷子ノ辻嵐山から北野白梅町四条大宮に向かうモボ101形の102が来ました。嵐電の「モボ」という独特な形式、「モ」はモーターで「ボ」はボギー車という意味だそうで。

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102が出発するとき交換したのはモボ500形502。モボ501は1984(昭和59)年に嵐電初の冷房車として、旧モボ111形・モボ121形の機器を流用して登場した車両。

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北野線常盤での光線状態が良かったので途中下車。モボ2001形2002を。2001年登場の初のカルダン駆動、VVVF駆動だとか。

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北野白梅町まで行き、レトロ調のモボ21形の27を捉えることができました。モボ621形を設計基本としながらも、1994平成6)年の平安京遷都1200周年を記念して登場した車両。これはこれでまあ良しかな。

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上田の丸窓電車を思い出す車内です。

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室内灯はあの昔の白熱灯を思い出すような形状で、おそらく蛍光灯。LED電球に交換しているのだろうか。

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全線乗りつぶしの最後は嵐山へ。車止め界隈が賑やかになっていました。

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降車ホームは“エキナカ”化され、京風飲食や物販店が。

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そして乗車ホームには足湯(有料)まで。

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OER3001氏が知っている嵐山駅とはずいぶん変わってしまったもので、駅前はアジア系外国人で賑わっていました。

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この日は金曜日だったのでこの程度でしたが、土日やシーズンには凄いことになっているのでしょうね。まあ姉妹鉄道の江ノ電も同じですから。

因みにOER3001氏の記憶にある嵐山駅はこの時代でした。

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車両の塗色はやっぱりこれですよ。

 

 

 

2024年3月 7日 (木)

続:座席の製作

コツコツと、ヤスリ掛けして整形。接着剤で組み立てて・・・と、なんとか必要数が用意できました。

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ひじ掛けやグリップが未だですが、塗装後にしようと思います。

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こんな風に並べてみると実感が掴めます。

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と言うことで、一応サフェーサースプレーをしておきました。

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鉄道模型と言うより、ミニチュア家具ですよ、これは。まだまだ修行が続きます。

 

2024年3月 5日 (火)

江ノ電?

江ノ電と言えば、すっかり湘南の海辺を目の前にした鎌倉高校前駅が有名な場所になってしまいました。

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それが・・・、行先は「嵐山」。埼玉県の「らんざん」ではありませんよ、京都の「あらしやま」に向かう電車です。

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京福電気鉄道が運営する、京都市下京区の四条大宮駅と右京区の嵐山(あらしやま)駅を結ぶ嵐山本線7.2㎞と、途中の帷子ノ辻(かたびらのつじ)駅から北野白梅町(きたのはくばいちょう)駅を結ぶ北野線3.8㎞の2路線を合わせて「嵐山(あらしやま)線」通称「嵐電(らんでん)」と言うようで難しい。

四条大宮駅に停車中の電車がまさに江ノ電。

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なるほど、「江ノ電号」だったのです。2009年10月14日に江ノ島電鉄と「江ノ電・嵐電姉妹提携」調印されていました。

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車庫を見たくて西院(さい)駅で下車、「江ノ電号」を見送りました。

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これまであまり興味が無かった嵐電、今回は全線乗車して来ましたが、その成果はまたの機会に。

 

 

2024年3月 3日 (日)

座席の製作

座席の製作に着手しました。セミクロスなので形状いろいろです。桧材を材料に、多々検討しながら進めます。

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必要数をカットしました。これだけのカットをするにはサーキュラソーが無ければ大変です。切ったはイイけど、この後のヤスリ掛けが気が重い。

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電気配線は一時中断。先に製作した前照灯と標識灯は車体に組み込みました。(床から見上げます。)

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乗務員室仕切り上部からコードを客室側に。運転席後方は下部を除いて前が見られませんでした。

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その先は車体裾の角材に付けた銅板にハンダ付けしますが、座席の取り付けと併せての作業になります。

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大きな0番なので、室内灯はシリコンケースに収まったテープLEDを使い、実車同様に2列にしてみましたが、先ずは座席5種で計32脚を作らねばなりません。まあのんびりやりますよ。

 

2024年3月 1日 (金)

神宮前1977

「神宮前」と言って、営団地下鉄・銀座線の駅を連想する人はどのくらい居るだろうか? 営団・神宮前駅は、1938(昭和13)年に東京高速鉄道の青山六丁目駅として開業、翌年に神宮前駅に改称。戦時中の1941(昭和16)年から帝都高速度交通営団の駅となり、1972(昭和47)年の千代田線開業の時に表参道駅に改称されました。

明治神宮前(東京メトロ:東京都渋谷区)、橿原神宮前(近畿日本鉄道:奈良県橿原市)、近江神宮前(近江鉄道:滋賀県大津市)など、アタマに神宮名が付き明確ですが、「神宮前」は愛知県名古屋市熱田区の熱田神宮の前なのに「熱田」が付いていません。

830000アクセス達成で掲載したクモニ83に頂いたシグ鉄さまからのコメント(この写真は非常に興味深いです。西口側(画面右)にまだ名鉄百貨店がない!現在そのビルも壊されましたから、二世代前の姿と言えます。この時撮られた名鉄写真もご紹介下されば幸いです。)に嬉しくなり、標記のタイトルで名鉄のご紹介です。

この日の出張、一体どこに行ったのか記憶はありませんが、当時は名古屋市内、常滑、知多半田などに行く機会があった筈です。日帰り出張は用件を終えれば帰るだけ、帰りの新幹線は陽が沈んでからとして、明るいうちは電車を撮っていました。

クハ2313を先頭に、常滑線の6連の到着です。今は配線が変わっているのでこれも貴重な記録かも知れません。

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右方の名古屋本線、豊橋方から入線して来たのがブルーリボン賞を受賞したばかりの6000系、慌てて撮ったのでした。

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豊明行き各停(名鉄では普通と言うようですが)となって折り返して来ました。

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この後改札を出て、駅北側の跨線橋に上がっています。名古屋方面に向かうパノラマカーと交換するのは河和行きのモ808他の4連。

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跨線橋で振り返れば、今度はモ2905を先頭に鵜沼行き準急が発車して行きます。広幅の側窓で好みのスタイルでした。

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また、逆を見ます。パノラマカーは7000系でしょうか、弥冨行き準急を見送ります。その右手には貨車も留置されていたのですね。

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“パノラマカー”と言っても前面展望席の無いバージョンも登場していました。名古屋止まりの特急を担っているのは7700形なのでしょうか。それにしてもここ神宮前の踏切は凄かった。名鉄と国鉄で一体何線の線路を越えていたのだろうか。

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跨線橋の東側に寄ってみると、隣の国鉄線路が良く見られます。岡崎行きで来た4連、先頭にはクリーム/赤帯塗装と混結でした。

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クリーム/赤帯塗装が来ないかと待っていたのかも知れません。ク2855先頭の岐阜行きが来てくれました。

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踏切は名鉄4線、国鉄5線の合計9線もあったようです。名鉄線路を越えて来た人が、今度は国鉄踏切で待たされていました。

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この踏切も今ではエレベーター完備の歩道橋に生まれ変わったと聞きます。安全になったのは良いですが金網のフェンスで電車が撮りにくくなってしまっているようで・・・(涙)。

 

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