初めてのスキー
孫娘が中学受験を乗り越えて無事1年の春休み、学校からバスで菅平でのスキー教室に行くと聞いて、我が身(ジイジ)も初めてのスキーが菅平だったと、ゲレンデの想い出話に盛り上がりました。
ジイジのスキーは高校時代の親友4人と、上野から信越線の急行“信州”(だったかな?)に乗って始まりました。菅平へは上田から路線バス。持って行ったフィルムの1コマ目はバス待ち時間で撮った真田傍陽線の駅構内。
この年の4月20日に丸子線を廃止し、それまでの上田丸子電鉄から上田交通に社名変更してもなお、駅名は「電鉄上田」だったように記憶していますがどうだったでしょう。その上田駅に入線して来る真田傍陽線の車両が2コマ目。フィルムに光が入ってしまいました。
駅舎に表示されていた駅名は「電鉄上田駅」です。それから2年後に、真田傍陽線も廃止されてしまいました。今となって思えば、この時真田まで真田傍陽線で行っておけば良かったと後悔しますが、菅平に行くのにその途中まで真田傍陽線を利用するなど、選択肢に無かったのだから、廃止されるのも仕方がないことです。
スキーを楽しんでいる写真は無く・・・、初めてのスキーですから写真など撮る余裕、というより転んでばかりでしょうからカメラなど持っていられません。フィルムに記録されていたのは宿でワイワイ楽しんでいる光景だけ。
年が明けた1月2日に帰路に着いたようです。EF62の貨物列車を撮っていますが何処の駅だったのでしょう、上田かな?
タキ43000(43013)も撮っていました。
そして次のコマが、すっかり暗くなった横川駅のプラットホーム。ブレた1コマですが、ずらりと並んだ洗面台に「名物・峠の釜めし」と「碓井温泉・あたご荘」の広告。こんな時代だったのですね。帰路の169系車内から撮っていました。
同時に停車中の下り列車、モハ30003も。デジカメの時代だったらもっと撮っていたでしょうに(涙)。
この後は、169系車内での友人たちと戯れる光景でフィルムは終わっています。孫娘が行っている菅平スキーの思い出でした。
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1枚目と2枚目の右は、元鶴見臨港の車両のようですね(銚子のデハ300と同じ)。モハ30は5両だけの少数派で、信越ローカルでは41-30-67の3連を組んでいました。EF62は軽井沢のような気がします。
投稿: モハメイドペーパー | 2024年3月27日 (水) 15時59分
◆ モハメイドペーパー さま
鶴見臨港からの車両、モハ4250形ですね。1コマ目が4256、2コマ目が4255と思われます。
因みに2コマ目の左はモハニ4250形だったのですね。
EF62の撮影駅、う~ん軽井沢の感じもしますね。ありがとうございます。
投稿: OER3001 | 2024年3月27日 (水) 16時36分
上田の真田傍陽線は信越線からちらっと見ただけで結局訪ねていません。電鉄上田駅は模型にしたい素敵な駅舎ですね。
投稿: Cedar | 2024年3月27日 (水) 19時08分
◆ Cedar さま
「電鉄上田駅は模型にしたい素敵な駅舎」そうなんですよ。しかし当時はそんな気は起らず、限られたフィルムで撮っていたのはこれだけ。今になって後悔しています。まあボロ電車よりゲレンデの華に目が行ってましたから仕方ないかも知れません。
投稿: OER3001 | 2024年3月28日 (木) 00時27分
この頃は子供で、買い始めたばかりの月刊誌に真田傍陽線の廃止の話題が出ていました。まず「傍陽」という文字が小学生には読めませんでした。当時電鉄上田駅からは真田傍陽線と別所線の両方が出ていたのでしょうか。
投稿: 所長失格 | 2024年3月28日 (木) 08時42分
◆ 所長失格 さま
「傍陽」本当に難読ですよね、「添え字」が無ければOER3001氏も「そえひ」と読めませんでした。
国鉄上田駅を挟んで西側(現温泉口)に別所線ホーム、真田傍陽線「電鉄上田」駅は東側(現お城口)にありました。因みに上田丸子電鉄は真田傍陽線が直流1,500Vで、別所線は750V、丸子線は600Vでした。
投稿: OER3001 | 2024年3月28日 (木) 09時34分
私は1970年の夏に菅平を訪れて上田交通を見ています。旅日記には「夏の合宿の帰り」と書いてありました。
http://bocchibochi.livedoor.blog/archives/cat_225644.html
投稿: ぼっちぼち | 2024年3月28日 (木) 12時40分
◆ ぼっちぼち さま
「夏の合宿の帰り」でしたか。OER3001氏はスキーの途中という“ついで”でしたが、ここを目的にしておけば良かったと思います。
投稿: OER3001 | 2024年3月28日 (木) 13時17分