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2024年4月

2024年4月30日 (火)

大きいのと小さいの

大きい、小さいとは言っても、今日の世間ではもっと小さいのを楽しむ人口が多いですが、そんなに小さいのにはジイジのOER3001氏は付いて行かれません。

小学生の頃に“一番好きだった小田急の電車”だった2扉セミクロスシートの2320形。1/45(0番)のモデルができたので、2008年に製作した1/80(16番)のモデルと並べてみました。

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1/80の16番を作る時には未刊だったこれが、1/45・0番製作の際には大いに参考になり助かりました。

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並べた写真撮るのに際し、16番と揃えるために0番も準特急「高原号」にしました。ヘッドマークは16番製作時のデーターを0番用に拡大して出力。

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この撮影をして、なんと0番の号車表示位置が違っていた(偶数番号車も新宿方側扉側が正しい)ことに気付き、撮影後に修正しました。

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実車登場時の4両固定編成で製作した16番に対し、0番は実物では無かった2両編成の「擬き」なので、作者の好みから前照灯は2灯化しています。(2320形の後は2400形HE車をデビューさせた小田急が、準特急の輸送力増強のために新造したと想定して)

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並べてみると0番の1両は16番の1.8倍くらいの大きさなので、収納方法も考えなければなりません。

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大きい分だけ細かな部分も作れるのですが、この模型は観賞用ではなく運転本位にしたので、ディテールは大幅に省略しています。

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撮影した画像を良く見て、いろいろなダメ箇所に気付くのが悲しいです。先の号車表示位置もそうですが、パンタ脇のランボードを忘れていました。

ランボードの工作より、今日はこれから待望のエンドレス試運転です。

 

 

2024年4月28日 (日)

豪徳寺

小田急線は新宿から各駅停車で9駅目の豪徳寺駅。

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駅の名前は大谿山豪徳寺という寺院から。彦根藩主・井伊家の江戸における菩提寺で、井伊直弼ほか井伊家の墓所が。

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城山通りからの参道を進むと山門。

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山門をくぐれば仏殿が。

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その左には三重塔と、立派な建築物も多く見られる寺院です。

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その中、招福殿がこの寺のシンボル(失礼)かも知れません。

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鷹狩り帰りの井伊直孝が、寺の門前にいた猫に手招きされ立ち寄ることに。その後の雷雨を避けられた上、和尚との話も楽しめ、その幸運にいたく感動したことから、福を招いた猫を「招福猫児(まねきねこ)」としてお祀りするようになったとか。

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招福殿には、家内安全、商売繁盛、開運招福を願う多くの参詣者が訪れ、願が成就したお礼として、数多くの招福猫児が奉納されています。

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その豪徳寺、複々線の小田急線が行き交いますが・・・、

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ほぼ同じ場所で撮っていた50年前の写真。新宿行4両編成の1800形がホームを後にするところです。

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 半世紀を経て小田急線の姿は様変わりしましたが、井伊家菩提寺の豪徳寺も少しづつ変化していたようです。

 

 

2024年4月26日 (金)

850000アクセス到達

あれから約1か月、一昨日の4月24日午前中に85万アクセスに到達しました。改めまして、このブログをご覧頂いている方々にお礼申し上げますとともに、引き続きよろしくお願い申し上げます。

“85”に因んだ車両画像探してみました。ずばり玉電→東急世田谷線には80形で85が在籍していました。

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グリーン1色よりクリームとの2色塗装時代の方が好きでしたが、残念ながら撮影できていません。後に前照灯をオデコから窓下に移設して2灯化されました。山下駅ホームから撮っていたようですが、上を跨ぐ小田急線が複々線化されても景色はあまり変化していません。

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80系サロ85から改造されて、クハ85となったのも居ました。出張先の松本駅で撮っていました。300番台サロからの改造されたこの車両、なんとなく好感が持てました。

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他にはあまり思いつかないので85✖✖とし、小田急8000形6両編成の小田原方先頭車を。形式はクハ8050でも車番は8500です。8000形登場は1983(昭和58)年のこと、海老名車両基地で見学・撮影会がありました。ネガカラーフィルムが黄変して見苦しいものになってしまいました(涙)。

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翌年登場した8257×6は小田急歴代の車体色、開通時から1960年頃までの一般色であったチョコレート、初代特急車から採用されたイエロー、SE車以降のロマンスカーで採用したバーミリオンを、アイボリーをベースにデザインされた特別色で登場。イベント列車として活躍しました。相鉄の新6000系塗装も懐かしい。ポジフィルムは変色していません。

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8000形のイベントカラーでは、1986年には向ケ丘遊園で開催された「蘭・世界大博覧会」宣伝の特別色が登場していました。ここ新百合ヶ丘ですが、今は駅周辺は商業施設、ホテルなどが建ち並ぶように変貌してしまいました。

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標準色はケープアイボリーにロイヤルブルーの帯ですが、それまでの車両が貫通扉に帯が無かったのに、正面全体に帯が巻かれたデザインになっています。急行・箱根湯本行の表示も懐かしいですね。この場所は海老名-厚木間。今は高架になってしまいました。

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急行列車では前6両が小田原行、後ろ4両が江の島行きに相模大野で分割と言う運用が主体でした。この写真では後方4両はステンレス車体の1000形と、異形式連結は当たり前でした。鶴川-玉川学園前、和光大学のテニスコート横からの撮影でしたが、今はここに入れなくなってしまいました。

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その8000形も徐々に引退する仲間も増え、6両編成の凡そ40両が“サステナ車両”として西武鉄道に譲渡されると報道されています。40両とは小田急、西武両者の報道発表ですが、6×5=30、6×7=42なので、7編成の譲渡になるのかな。

“85”に因んで、1973年以降の画像を掲載しましたが、車両とともに周囲の環境の変化も興味深いものです。

 

2024年4月24日 (水)

シニアの運転会へ

YS氏宅で開催された運転会に、久々に参加させて頂きました。

今回は交流3線式のHOゲージ“Märklin”のレイアウトが開通したと伺っていたので、OER3001氏が所有する唯一の交流3線式HOゲージである西ドイツ国鉄420形電車2編成を持ち込みました。

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模型はMärklin規格のRöwa製品で、趣味人として尊敬していたAB氏の遺品で、ずっと収納されていたものです。ミュンヘンSバーンのブルー編成とフランクフルトSバーン(デュッセルドルフだったかな?)のワインレッド編成を持って行ったのですが・・・、

どちらも原因不明で不動。

手元にはMärklinの線路、コントローラーも無く知識も無いので修復できず残念です。

 

予想していたとは言え、持参車両が不動ではあまりに悲しいので、念のため16番車両も用意して臨みました。

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叡山電鉄810形。親友の結婚披露宴参列の時に訪れたのを記念して、ペーパー自作してから25年経過でしたが、何のトラブルも無く周回してくれました。

 

 

2024年4月22日 (月)

変わり行く新宿西口

新宿・グランドターミナルを目指して再開発が進められている新宿西口。このブログで前回取り上げたのが3月21日のことでしたが、3月25日に「A地区」での新築工事が着工されたと発表されています。解体から着工と、この目で見て来た光景をまとめてみます。

先ずはまだ何も始まっていなかった2021年3月の姿。

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それが2022年4月には仮囲いで覆われ、クレーンが動いていました。

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2023年8月には、北(左)側の地下鉄ビルの姿は無くなっていて、14階建てだった小田急ビルの解体が進められていました。

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そして今年に入り先月には、すっかり元の小田急百貨店のビルは姿を消し、東口のルミネが見渡せるようになっています。

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地下広場へのロータリーを跨ぐ形で、新しい道路の建設が始まっていました。

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で、いよいよ今月。4月18日の状況です。クレーンの姿は無く、新しい道路の整備も進んだようです。

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「定点観測場所」としていたデッキから眺める光景は、昭和30年代を思い出させます。

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良くTVニュースで、新宿でインタビューというと、必ず小田急百貨店に沿っていた歩道でしたが、その歩道は道路と共に大きくバスロータリー側にせり出しました。

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南口のミロードも、ミロードから西口に抜けられたモザイク通りも見渡せます。ぱっくり口を開けたような光景で、この後小田急線ホーム上部の工事はどうなるのでしょうか?

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小学生の時に見ていた光景が蘇ってくるような、不思議な時間でした。

 

2024年4月20日 (土)

ED251

このブログの「他社線ご案内」でリンクさせて頂いている「ぬか屋の徒然日記」では、4月11日に1977年の上田丸子電鉄を取り上げられました。そのトップに上田原車庫でのED251がありました。

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これを見て懐かしくなり、OER3001氏もED251を取り上げます。上の撮影より4年前の上田駅構内です。似た角度ですが、良く見れば反対側面と言うことが判り、貴重な記録となりました。

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この日は大学卒業式後、入社式前に卒業記念スキー旅行として友人たちと菅平に行った帰路でした。

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バスを降り、上りの急行「信州」を待つ間、上田丸子の駅員さんに一声かければホームから降りての撮影が叶った時代でした。

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西側だけの撮影しかできませんでしたが、ぬか屋さまと反対側面であることに気付き、なにか嬉しくなりました。この後、隣に見えるワラ16778でも牽いて行ったのでしょうか。

(追記)この撮影時には既に丸子線は廃止となっていたので、貨物運用は無かったようです。

 

 

 

2024年4月18日 (木)

つい、調子に乗って・・・

0番の2320形(擬き)が完成したら、これまで唯一の2線式0番作品だった1600形(擬き)との共演をしたくなりました。

1600形と2320形の共演は直ぐにでも実現できそうですが・・・。

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1600形の横を颯爽と通過する2320形。いつ実現できるでしょう?

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並ぶ光景を眺めては一人悦に入ってしまいます。両形式とも運転室内、客室内まで作った甲斐があります。

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窓越しに見える運転席と仕切り版は、1/45の0番では必須でしょうね。

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エンドレス走行が待ち遠しいです。

 

2024年4月16日 (火)

0番小田急擬き_一応竣功

少年時に一番好きだったセミクロスシートの2320形。実車の登場時は4両固定編成でしたが、台車の手持ち事情から2両編成として0番のペーパー自作を進めて来ましたが、この度一応竣功としました。“一応竣功”としたのは、自宅でエンドレスでの試運転ができないため、何れお仲間の線路を拝借しての試運転後、諸調整を経てから正式竣工としようと思っています。

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2両口は4両固定編成への増結用として増備したものと想定、実車の続番として2329-2330、号車番号は6、5号車としました。だから“小田急擬き”なのです。小田急の社紋、OER文字、急行サボは、幸いなことに昔、小田急から頂いた実物を保有していたので、デジカメで撮影して所定寸法にプリントしたもです。

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ナンバーは少々大きいのですがDARUMAYAの洋白製切り抜き文字(大)を使用。床下器具は主なものだけとして全て手作り、MGはφ8真鍮パイプの両端を塞ぎ、桧材の脚(?)を付けました。

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コンプレッサーは桧材と桧丸棒の組み合わせ。2mmビスで圧縮部頭部を表現しました。右の元空気溜と、次の2室空気溜は共にφ10真鍮パイプ利用、端部には真鍮たいこ鋲なるパーツを見つけてハンダ付け後に整形、取付脚は桧材。

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小田急ABFM車特有の形状である蓄電池も桧材。

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以上の床下器具は所謂ダミー。一方これが本来の床下器具で、接触器とでもしておきましょうか、スライドスイッチ群です。因みに右から、M1、M2は主電動機スイッチ。H1、H2は前照灯スイッチで、H1をONにすると向かって左側、H2をONにすると右側が点灯します。PLは通過表示灯、TLは尾灯、RLは室内灯のスイッチです。

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簡単にサボ受けも作り、写真からのサボを落とし込み様に接着。サボは山側と海側では「新宿ー箱根湯本」が「箱根湯本ー新宿 」 と逆転します。社紋を丸く切り抜くのに苦労しました。

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凝ってみたかったのが幌。なかなかGoodなイメージに仕上がりました。

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φ0.3ミリ真鍮線の骨に医療用ゴム手袋を張り付けたもので、車体側に開けた穴に差し込みます。ポイント通過でもグニャグニャしてくれることと期待しています。

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早くエンドレス試運転したいな。

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軽快に飛ばしてくれることを期待しているのですが、それはまだ先のことになりそうです。仕方ないので写真で遊んでみます。

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複線でのすれ違いができ来たら嬉しいですが、2両固定1編成では無理。

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まあイメージで我慢することとしましょうか。

(追伸)乗客フィギュアは試運転後に考えようと思っています。

 

 

2024年4月14日 (日)

京都鉄道博物館へ(湘南電車)

OER3001氏誕生の前年に登場した“湘南電車”は憧れの存在でした。そのトップナンバーを見るのが楽しみでしたが、ゲート入場でまず目に入ります。

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これこれ、この顔。3枚窓でオデコの前照灯が飛び出ている。

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下から見上げてみます。運行窓の「086」は愛嬌です。

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連結器上部の台枠部分に足掛けがあったと思っていたら無かったのですね。

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側扉は3段窓でしたが、これは当時製造されていた73系用の流用だったからなのでしょうか。

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パンタもPS13、懐かしい~!

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奇麗に磨き上げられた車体は惚れ惚れするものですが、どこか妙な感じ。そう、雨樋に違和感あり。クハ86001の表記は柵で撮ることできず残念。

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車内を覗き込めば、父に乗せてもらった時の記憶が戻って来ます。

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妻面から覗けますが、アクリル板に自分の姿が映って見づらいのが残念です。グローブに収められた電球の室内灯が懐かしい。

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ここの展示車両は、ホームが設けられているので台車や床下が見られないことがとても残念です。

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モハ80001の表記の上になんと、「広島車両所 昭和60年11月修復」のプレートが! ここに付けなくてもイイだろうと思うのですが。

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まあ、いろいろ不満はありますが、午前中の早い時間だったのでまだ来館者も少なく、ゆっくり見学できたことで良しとしましょうか。

 

 

2024年4月12日 (金)

京都鉄道博物館へ(プロローグ)

この日、のぞみ291号の乗客となり、ここ梅小路京都西には10時前に到着しました。お多福のように見える先頭車間転落防止幌はどうも気に入りませんが “前パン”はカッコイイ。

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梅小路京都西駅の東側(西の東?)には京都市電の2001号が保存されています。

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現役時代の写真が無いかと探してみましたが・・・、残念ながら2001号はありませんでした(涙)。活気があった京都駅前の画像で我慢。背後のビルは京都中央郵便局ですね。

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日立KL-11形台車もしっかり見ておきます。

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初めて訪れることになる京都鉄道博物館、正面入り口横には風格ある建築物が。明治37年建設で京都市指定有形文化財に指定された旧二条駅舎です。

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その前には動輪が。残念ながらこの動輪に関する説明が立ち入り可能な場所に無く、詳細は判りませんでした。

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その二条駅、現在は高架島式ホームになっているのです。

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周辺を見てからいよいよ入館することとします。早くに到着したので、駐車場もまだ空いています。

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ゲートから直ぐ、懐かしい車両の姿が見えます。

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ここに入館したらいったいどのくらいの時間が経過するのか? 以後の予定は無計画として、JR東の鉄道博物館、JR東海のリニア・鉄道館、JR九州の九州鉄道記念館と比較してみたいと思います。(以後不定期掲載)

 

2024年4月10日 (水)

京都駅の変化

写真整理していて見つけた京都駅。半世紀の変化が確認できました。

50年前の1974(昭和49)年は未だ市電がありました。この写真に市電乗降場は写っていませんが、右のバスの向こうにありました。駅舎は一部に8階の塔のような部分があったものの、他は3階建てでした。

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昨年秋に撮った画像ではこんな状況に。

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だいたい駅舎など、OER3001氏にとっては“序での一コマ”なのでしっかり撮ったものではありませんが、こうして比較してみると様々なことが思い出されるものです。

 

 

2024年4月 8日 (月)

ひたちなか海浜鉄道へ

またまた京王OB会さまからのお声掛けで、バスツアーに参加させて頂きました。

今回の行先は茨城県のひたちなか海浜鉄道。京王の譲渡車は居ませんが、DMH17Cエンジン音を楽しむことでした。八王子から圏央道~常磐道経由は渋滞も無く10:45には那珂湊に到着、概ね3時間の所用でした。

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ひたちなか海浜鉄道の駅名標は2015年のグッドデザイン賞を受賞したユニークなものです。那珂湊は反射炉、ケハ601、駅ネコが描かれています。

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那珂湊は上下列車交換駅。その横の留置線に、貸切のキハ205が待機しています。

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先ずは阿字ヶ浦行き定期列車を撮ります。JR東海および東海交通事業から譲受したキハ11形で、写真の11-6は元東海交通事業203。

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貸切列車の出発前に、車両基地外を一回り。駅名標にも描かれたケハ601廃車体は変化なく一安心。

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貸切列車は定期列車として運行する新型のキハ37100形への併結となります。オリジナルカラーで登場した筈のキハ37100も、今はご覧のようなラッピング。広告収入は重要な収入源なのです。

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対して貸切したキハ205は、車体のいたるところに経年劣化が確認できる悲しい状態。

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1965(昭和40)年の帝国車両製造なので御年59歳。いやいやサラリーマンの定年退職まであと1年は頑張らなくては。最近は雇用延長もありますから。

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その2両編成が運行に向けて入れ替えを始めました。

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キハ205の出自は1996年に水島臨海鉄道から譲受したキハ20形キハ210。国鉄→JR西日本からの譲受車で、元車号はキハ20-522、そうキハ20形のラストナンバーであり、元国鉄キハ20形で唯一の現役車両という価値あるものです。

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那珂湊12:17発の列車内でお弁当とお茶を頂きます。「食べる門(かど)には多幸(たこ)来る!」と言う「みなとのたこめし」。

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具だくさんで満足のいく美味しい弁当でした。

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阿字ヶ浦には12:29着。近くにある温泉、釣り針と海藻、あんこうが描かれた駅名標が迎えてくれます。

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元羽幌炭礦鉄道キハ22(222)であったキハ222がご神体として祭られた「ひたちなか開運鐵道神社」に“お参り”して・・・、

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ひたちなか海浜公園への延伸が決まっているので、間もなく見られなくなるであろう線路終端の車止めを撮っておきます。列車は12:37折り返し。

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それにしてもこのキハ205、外された蛍光灯のグローブは開いたまま、球切れの蛍光灯もそのまんまという荒れ放題の車内(涙)でした。

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勝田には13:06着。駅名標はひたちなか海浜鉄道のシンボルカラーであるオレンジ色で、車両とロゴマークが描かれたものです。

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13:17に折り返し、那珂湊着13:31で、DMH17Cエンジンの音を楽しむ乗車を終えました。

復路も道路渋滞なく、なんと14:45には八王子に戻ることができたという素晴らしい行程でした。京王OBの幹事の皆さま、関係者各位に感謝申し上げますとともに、お知り合いになれた方にお礼申し上げます。

 

2024年4月 6日 (土)

シニアの運転会

ゆったりクロスシートに座って多摩川を渡ります。

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降りたところで暫し行き交う電車を眺め・・・

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シニアの運転会場に向かいました。この日のトップバッターは闘病中のMZ氏、流鉄(流山電鉄?総武流山電鉄?)の車両を持って臨まれました。いつもながらお見事なペーパー自作です。

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KT氏はクモニ?いやクモヤ145かな? 宮沢のキットだったとか。

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WM氏は高校時代から作り重ねたと言う73系のペーパー自作。3段窓に全金車を取り混ぜた4両でした。運転室仕切りが効果的ですね。

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HT氏はモデル8のキットを組んだ上田丸子のデキ未塗装を。2両の貨車を牽いて、勾配線も問題なく快走しました。

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OER3001氏の第1弾はセミクロスシート時代の小田急2320形。友人HI氏製作のペーパー自作を40年以上昔に譲り受け、後年台車交換やディテールアップを図ったものです。

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この時、隣の線路にKT氏のお召列車が登場。最初はC59です。

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お召列車は牽引機をEF53に代えて、ゆったり堂々とした走りを見せてくれました。

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OER3001氏の第2弾は小田急の初代ロマンスカー1700形ですが、上のお召列車を追い抜いたり上を跨ぐわけには行かず、運転には神経を尖らせました(笑)。

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IY氏はキットを組まれたと言う筑波鉄道のキハ821、国鉄キハ10 47のようです。

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霧で遅延した高速バスで駆けつけたというIM氏は、京浜東北線で活躍した209系、いや違います。試作車の901系に6扉サハを挿入した11両編成

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小田急ロマンスカーの最新型、70000形GSEはSF氏のペーパー自作。フロントウインドウから見える座席の柄まで再現されて圧巻でした。

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OT氏はいつもと違う車両を展開されでびっくり。石炭列車の先頭に立つのはKATOのD51だと仰るも、見事なウェザリングでした。

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牽引機がD51の違うバージョンに代わります。

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さらに最近話題の台湾の電機まで。

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和気藹々と3時間以上を楽しみ、その後はまたいつものように反省会へ。反省会だか猛反省会だか知りませんが、いつしかアルコールも回って・・・。

 

 

 

2024年4月 4日 (木)

まるで傘の骨

半世紀以上にわたり懇意にして頂いているモハメイドペーパーさまはなんと、傘の骨まで修理されてしまうようです。

OER3001氏は傘の骨の修理までする気にはなりませんが、同じようなことをすることになってしまいました。初めに3ミリ厚のアガチス材から斯様なものを作りました。

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それに、φ0.3真鍮線を巻き付けます。R部分は焼き鈍しなどせず、ヤットコで現物合わせで曲げています。

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曲げた真鍮線を両側から合わせ、内径φ0.3、外径φ0.5の細密パイプに通して接続、ハンダでジュっと。

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それを外すと斯様な“骨”の出来上がり。

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φ0.3の穴(内径)にφ0.3の真鍮線を差し込むという、高齢者の目にはとても優しくない困難、面倒な作業をコツコツと、なんとか6個作りました。

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ここで息切れ。さて、一体何だと思われますか?

続きはまた後日ということで・・・。

 

 

 

 

2024年4月 2日 (火)

お茶の水

模型材料調達に、あの画材店に行ったついでに、お茶の水で楽しんでしまいました。

<その1>JR御茶ノ水駅、あの狭いホームの上に、しっかり建てちゃいましたね。神田川の工事用仮設もそろそろ解体できるのでしょうか。

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上の画像は停車前の中央快速東京行ですが、停車した位置は下の画像。随分先に行っているように見えますが・・・。

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停車位置の後方には2両分のホームが用意されていました。そうか、グリーン車挟んだ12両編成への準備だったのですね。

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<その2>丸ノ内線東京方面行ホームから、神田川渡って来る電車の撮影を試みました。最初は去っていく電車と来る電車のタイミングが合わず(涙)。

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乗る予定の電車を見送り、2本目も狙ってみました。しかしもう少し引いてからにすれば良かった(涙)。

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近づいてきたところでも狙ってみましたが、流れてしまいました(涙)。

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もう1本やり過ごし。3本目にチャレンジ。まあこの辺が限界のようです。

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ということでここで諦め、銀座に向かいました。

<おまけ>銀座での所用を終えた後は、上野方面に行くために京橋まで歩いてしまいます。東京スクエアガーデンと言うのでしたっけ、京橋駅に降りる階段縁で、ちょうどサクラが咲き始めていました。

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高層ビル背景にサクラ。う~ん、我が家界隈とはずいぶん違った光景に驚きました。

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これらは4月1日のことでしたが、決してエイプリルフールではありません。

 

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