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2024年8月

2024年8月30日 (金)

お寺の運転会-2

最古の小田急自作車両、小田急2600形NHEの5両編成を走らせたOER3001氏は、最新の小田急自作車両も持ち込みました。1/80の縮尺ではないので、ここで走らせることはできないのですが、本堂の片隅で終日に渡り展示させて頂きました。

運転台のマスコン&ブレーキ弁、椅子にも目を止めて頂くことができました。

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床下機器として、MM解放スイッチも備えているので、こうして室内灯などの灯具類を点灯させての展示が叶います。クロスシート肩部の掴みや袖パイプも効果的でした。

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大きいサイズの模型は、置いておくだけで存在感がありますね。0番作って良かった!

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一方16番ゲージでの小田急最新自作は新5000形。10両編成には存在感があります。

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2019年4月19日付で福島県指定重要文化財となったご本尊「華厳の釈迦坐像」さまの目前を快走です。

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それにしてもこの車両、実車もそうですが正面の形状から反射して撮りづらい対象です。

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といううことで2日間にわたる“修行”は、今年も無事に勤めることができました。

 

2024年8月28日 (水)

お寺の運転会-1

毎年開催されるこのお寺の運転会は今回が21年目、20回目となりました。新白河駅長にもご来場いただく開通式が本堂で執り行われます。

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開通式が終わると、2日間にわたる修行の開始。無心に鉄道模型に取り組み、その楽しさを来場者にお伝えするのです。

今回OER3001氏は、現存する最古の小田急自作車両である2600形NHEの5両編成(2600形登場時は5両編成でした。)を走らせます。

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製作は中学3年生の終わり、高校進学前の春休みでした。小丸彫刻刀と“ボンナイフ”で窓抜き。塗装は刷毛塗りというもの。

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当時はパーツも少なく台車はDT24、PS16パンタとともに今は無きカワイモデル製品を使用。L-3形モーターと17:2ウォームギア減速インサイドギア駆動の動力は中間1両のみでも、このレイアウトの上り勾配も問題なく走ってくれました。

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かわって国鉄101系の基本7両編成。これも相当古いもので、小学生時代に買っていた真鍮未塗装車体や小高のペーパーキット、メーカー不詳の塗装済車体などを組み合わせた、思い出深い半世紀以上昔の編成。

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模型では2M5Tで、快調に走ってくれました。

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古い模型の困りどころは、切れた米粒球の交換が成らないことです。球切れした電球をLEDにするには、配線を全て一からせねば。今更その作業をする必要があるか?という気にもなります。

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されど所有する模型は人生の思い出だけに、たまには昔のままで走らせてみたかったので、お寺の本堂は最高の舞台だったかも知れません。

 

2024年8月26日 (月)

小田急ワールドの運転会_7

7回目となるこのシリーズ、いい加減にしろという声も聞こえそうですが・・・、そこは勝手気ままに進めるOER3001氏の自由ということでお許しを。一応最終回と致しましょう。最終回は小田急を支えた裏方の車両です。

エンドレスの内側の留置線には珍しい車両並んでいます。手前は大野工場で入れ替えを担っていたデキ1050(EB1051)、アダチのバラキットを組みましたが、小田原方には連結器アダプターを載せる台などを付けています。その向こうは経堂研修所にあったデハ1406、左は振り子試験車になったクハ1658、ともにペーパー自作です。

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1658は新宿向きだったのを振り子試験車に改造する際に方向転換、小田原向きになりました。

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この車両はとれいん誌1975年6月号に掲載されています。実車では無かった1300形との連結ですが、1658の車体が傾斜して様子が良くわかります。

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模型で振り子作用をする工夫について記載されていました。

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そこにはあの、小田急の大御所・生方良夫さんが寄稿してくださっていました。

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展示したこれらの車両の向きは全て、新宿向き/小田原向きを統一して、実車と齟齬がないように心掛けています。

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時代が違いますが、検測車両のクヤ31も加わりました。

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この日は軌道検測は無いので、検測用パンタを下げて停められています。

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売り側のエンドレスに、デキ1010(ED1012)が牽くホキが走りました。アダチのバラキットを組んだデキは、晩年のPT42パンタ、列車無線搭載の姿です。

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ホキ300他はTOMIXから発売されていたホキ800がベース。ペーパーで製作した車掌室を載せたホキフ300を両端にした3両編成は、日中走ることは無かった筈で、相武台前のバラスト積載場所に停められていました。

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MNK氏が持ち込んでくれたデニ1100(緑)、デニ1000(赤)、デキ1020と有蓋車、終戦直後のデハ1600他の週末温泉列車などと共に、ヤードを賑やかにしました。

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運転しない車両も、運転会では重要な存在なのでした。

 

 

2024年8月24日 (土)

小田急ワールドの運転会_6

88万アクセスに到達した7月24日から29日目となる8月22日午後、89万アクセスに到達しましたが、“89”に因む画像を見つけられなかった(涙)ので、小田急ワールドの運転会の6回目。

2200形登場の1954(昭和29)年に於ける特急ロマンスカーは吊り掛け式の1700形3両編成でしたが翌年、2200形の制御方式を使った2300形4両編成の導入を経て、1957(昭和32)年に登場したのがスーパーロマンスカー“SE車”3000形でした。

7000形LSEとの2ショットはさながらロマンスカーミュージアム。高架のホームにはMKW氏作の御殿場線直通のキハ5101他が。

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OER3001氏作のSEは、地平の外周エンドレスをミュージックホーン鳴らして快走します。

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高架複々線区間は現行の4000形。ロマンスカーミュージアムでの光景さながらです。

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一旦、MKW氏の2600形が居る高架ホーム下に停車すると、隣にはMKW氏所有のエンドウ製品が。

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原型SEと改造SSEを並べて記念撮影。

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SEは「乙女」、SSEは「はこね」。こんな光景はロマンスカーミュージアムでも叶いませんよ。

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実に楽しい運転会でした。

 

2024年8月22日 (木)

小田急ワールドの運転会_5

小田急に20m車が導入されるのは戦後の国鉄63形電車の割り当てによる1800形に始まりますが、その後は17m車が基本。本格的に20m車となるのは1964(昭和39)年登場の2600形からです。

車体幅を2,900㎜に拡幅した4扉の大型車体は当時我が国最大サイズ。2400形HE車の思想を継承したことから“NHE”と呼ばれました。当初は各駅のホーム最大長が17m車6両編成対応の105mで、20m車5両編成までしか対応できなかったため、T(2750)を除く5連で登場。Tを増結6連化されるのは1967(昭和42)年からでした。

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我がモデルは6連化後の姿、谷川の真鍮バラキットを組み立てたのですが、正面屋根Rの修正には相当苦労しています。

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新宿駅の大改良工事完成(小田急全館完成)を記念しての特別塗装(お買い物電車)として製作。カントが付けられた曲線部を行く姿は格別です。

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一方、この塗装時代には高架線を走る区間は無かったようですが、まあイイか。

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古くからの友人・MKW氏がペーパー自作した編成とも共演。

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近郊区間NHE全盛時代を思い出しつつ、豊かなひと時を楽しませて頂きました。

 

 

2024年8月20日 (火)

テラダモケイ1/100×100

JAMに行く序でに、観たかった銀座松屋で開催中の展示会に立ち寄りました。

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建築模型などで使われる1/100サイズのレーザーカッティングによるペーパーモデル、100作目を記念しての展示でした。

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このペーパーモデルを使った1200㎜四方程度のジオラマが3基並んでいます。

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そして反対側の壁面に、100作が順番に。

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ジオラマの中でこれは、渋谷のスクランブル交差点をイメージしているのでしょうか。

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目線を下げてみるとまた実に楽しい。

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ペーパーの切り抜きながら、なんと動きも感じ取れる。

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これらに使用されたのはこの商品ということです。

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田園地帯のジオラマを挟んで、OER3001氏の眼にはやはりこれが。大都会の駅!

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山の手線と総武線のホームに目線を下げてみます。新宿駅の雰囲気ですね。到着する山手線を待つ乗客が扉位置に並んでいます。

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停車して開扉するところでしょうか。人々の動き(動きませんが)が感じ取れます。

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これらに使用した商品はこちらだそうです。

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なかなかレイアウトに使う勇気はありませんが、ペーパーモデルで車両も商品化されています。

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中央線の201系はオレンジとブラックの2枚の紙で構成されていたのですね。

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もう一つ、OER3001氏の眼が止まったのはこちら。箱根登山電車から見える、箱根・彫刻の森美術館の「交叉する空間構造」後藤良二作ではありませんか。OER3001氏の自宅レイアウトに導入しようかな?

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入場無料の展示会。9月9日(月)まで開催ですので、ご興味ある方は是非。

 

2024年8月18日 (日)

小田急ワールドの運転会_4

2200形から2220形、2300形、2320形までのオールM車をABFM車と称しますが、その後に登場するのは経済性を重視してMT比を1:1とした“High Economical Car=HE車”2400形でした。(右方)

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当時の標準だった17m車4両編成長70mという条件下で、M車の粘着性能を最大化するために採られた措置が、先頭Tcが16m、中間Mが19mというアンバランスな編成。車輪径も軽量化するTcは762φ(模型で9.5φ)、Mは910φ(11.5φ)。

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走行したのは新塗装化されたバージョン、旧塗装と新塗装の2200形4連と併結した8両編成の急行として走らせます。

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この時代、相模大野で箱根湯本行と片瀬江ノ島行きの分割・併合がされていたので、模型ではKDカプラーを採用しています。2400形HE車は、1960年代~70年代の主力車両だっただけに、OER3001氏は3編成も制作しています。

 

2024年8月16日 (金)

小田急ワールドの運転会_3

1954(昭和29)年に誕生した2200形の後、1958(昭和33)年からは駆動装置が直角カルダンからWN駆動になり、正面貫通の4両固定編成の2220形が登場します。

〇急運板を掲げた箱根湯本行が、引き上げ線に停車する2320形、2400形HEを横目に、セントラルステーションを発車して行きます。

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この時代は側面にも「急行 新宿←→箱根湯本」のサボが掲げられていました。

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模型はペーパー自作。コアレスモーターのMPギア駆動という現代仕様で、スムーズな走りが楽しめました。

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小田急ワールドの運転会、まだまだ続きます。

2024年8月14日 (水)

小田急ワールドの運転会_2

メインテーマの2200形は3編成(①原型・前照灯1灯、②2灯化改造旧塗装、③アイボリー新塗装)を持っての参加でしたが、走行したのは②+③の4両編成となりました。②はHR氏のペーパー自作に手を加えたもの、③はアマミヤ真鍮キットをベースとしつつも顔を作り変えた作品。

メインステーション上り急行線を発車します。

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向こう正面の高架線では2600形NHEお買い物電車塗装編成と交換しつつ・・・

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ほぼ終日に渡り快走してくれました。

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全7エンドレスを擁するレイアウトは、小田急車両で埋め尽くされました。

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・・・つづく

 

2024年8月12日 (月)

小田急ワールドの運転会_1

ご縁がありまして、解体が決定した小田急2200形を救い、ポッポの丘での保存を実現しようとの一般社団法人CARB 2200形電車保存会によるプロジェクトに協力させて頂きました。

会場となったSoulyouline16」、ホームドアが設置されたメインステーションに、最新型の5000形と4000形が並びました。

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5000形が停車しているのは中線、さながら相模大野駅のようです。

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この日のテーマは2200形なので、この編成がほぼ終日走り回りました。車両の向きが違いますが、新百合ヶ丘駅先の多摩線への高架線を連想します。

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お買い物電車特別塗装の2600形NHEと高架線上で交換です。

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引き上げ線には旧塗装時代のABFM車が並びました。左から特急車時代の2300形(M氏作)、2200形(ペーパー自作)、2400形HE(谷川キット加工)、2320形原型(ペーパー自作)、2220形原型(ペーパー自作)。

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この日の“小田急ワールド”は、あのロマンスカーミュージアムに劣らない内容となりました。・・・つづく

 

2024年8月10日 (土)

お泊り運転会

小田急の車両がなかなか出場させられない事情もあって、先の横浜市・野毛地区センタ「夏休み!鉄道フェスタ~鉄道模型運転会」公開運転会に続き、友人宅での運転会へは日頃と毛色の違った車両で参加させて頂きました。

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1970年代の天賞堂製、EF62に“軽量客車”という重量客車を牽引させました。EF62割れたホイールギアを交換してから初の舞台でした。工房5丁目さまのお陰です。

カニ38、オユ12、ナハネフ11、ナハネ11、オロネ10、オシ17、ナロ10、ナハ11、ナハㇷ11で構成した11両編成を牽かせて。重厚な音を響かせながら、平坦な線路では牽引力不足という心配も無用、快調な走りが楽しめました。

 

2024年8月 8日 (木)

夏休み!鉄道フェスタ~鉄道模型運転会:補

貨物列車の他には、懐かしい模型を走らせました。1950年代の花形“湘南電車”80系です。

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これを走らせたのは、今春廃業したカワイモデルを偲んでのこと。真鍮ボディを販売していたのはカワイモデルの他には鉄道模型社、つぼみ堂くらいしか無かったと記憶しています。1970年代になってから入手した車体をレストアして仕上げた5連、快調に走ってくれました。

 

2024年8月 6日 (火)

夏休み!鉄道フェスタ~鉄道模型運転会

今年も、横浜市・野毛地区センターの自主事業「夏休み!鉄道フェスタ~鉄道模型運転会」に協力、2日間にわたる公開運転会を開催しました。

いつもの小田急車両群は、パルテノン多摩やロマンスカーミュージアムでの展示に貸し出し中もあるため、思い切って一切“運休”とし、いつもとはガラリと違う車両での参加となりました。

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先頭はEF60、3年ほど前にオークションで入手、レストアした代物です。

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当社の歴史的保存車両とも言えるコキならぬチキ5000や、自作コラ1他と2軸貨車群を繋いで走らせました。

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タン、タン、タン、タン、タン、タン、 タン、タン・・・と続く通過音。懐かしいね~!

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貨物列車と言えば、コンテナ列車やタンカーばかりになってしまった日本の貨物列車。

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踏切を通過する貨物列車の両数を数えていた時代が思い出されたひと時でした。

 

 

2024年8月 4日 (日)

新宿西口の今

所用で出掛けた折、いつもの定点観測です。

激変する過程にある新宿駅西口の姿、7月下旬はこんな状況でした。

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中央通りから従来の地下駐車場へ向かう道ではなく、駅を越えて行こうとしているのか、仮設道路の建設が進んでいます。

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これまで西口は小田急と言う印象が強かったのに、今は小田急の香りが感じ取れません。

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小田急の駅入り口はかなりズームしてからでないと確認できません。

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ということで、小田急と京王の西口での乗り換えには、西口交番の近くまで迂回させられます。当分不自由な同線を強いられるのですね。

 

2024年8月 2日 (金)

ロマンスカーミュージアム夏休みプログラム

ロマンスカーミュージアムで夏休みプログラムが始まっています。小田急創始者・利光鶴丸と、小田急の“中興の祖”ともいえる安藤楢六が、共に大分県出身者ということから、JR九州、原鉄道模型博物館と連携のプログラムです。

お知らせ | ロマンスカーミュージアム | 小田急電鉄 (odakyu.jp)

海老名駅ペデストリアンデッキから入館し、順路に従ってエスカレーターで下に降りた1階 ヒストリーシアター「モハ1」の前で展開されています。

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最初は小田急創始者・利光鶴丸の功績、ここに飾られた創業時の車両モハニ101形が、OER3001氏の作品です。

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今は無い、山谷駅からの乗車券や当時の沿線案内などと同じケース内に展示されています。

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その隣が安藤楢六の業績に関連する展示。戦後復興と週末ノンストップ特急に始まり、ロマンスカーの礎を築いたということから、1600形、1910形、2300形、3000形SEが展示されています。

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ロマンスカーミュージアムの所蔵品に無い1600形と1910形の模型展示に協力させて頂きました。

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小田急が目指した箱根を擁する神奈川県と、利光鶴丸、安藤楢六両氏の出身地・大分県が、温泉地を抱えるという共通点があるのは偶然でしょうか。

 

右のホーロー製サボは先日、寄贈させて頂いたコレクションのひとつなのです。あの西條八十&中山晋平作、佐藤千夜子が唄う東京行進曲レコードと共に展示です。

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こちらは戦後、急行に付けた〇急運板と、2400形までが使っていた側面の“サボ”も寄贈させて頂いたOER3001氏コレクションです。

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全体はこんな感じでコンパクトに、モハ1フロントで展開されています。

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ロマンスカーギャラリーに並ぶ実車、夏休み相応しくと、7000形LSEのヘッドマークには1990年代に運転された「湘南マリンエクスプレス」に代わっています。

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同じ趣旨で3000形SSEのヘッドマークは「江の島・鎌倉EXPRESS」に。いずれも先日、寄贈させて頂いたコレクションから複製されて用いたとのことです。

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このロマンスカーギャラリーの入り口部分で、JR九州関連や原鉄道模型博物館からの「或る列車」模型展示他が展開されています。

 

海老名駅下車で直ぐのロマンスカーミュージアム。

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8月26日までの展示ですので、お時間の許す方は是非お運びください。

 

 

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