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2024年9月

2024年9月29日 (日)

憎き人身事故

早朝に出掛けて直ぐ、スマホで斯様なニュースを確認。

6時22分ごろ、阪急京都線正雀駅で人身事故発生。この事故の影響で阪急京都線と阪急千里線が全線で運転を見合わせ。運転再開は8時10分ごろの見込み。

いや~嫌なニュース。京都河原町発11:10のPRiVACEの座席指定券購入済みなのに、阪急HPには14時台の列車まで座席指定サービス中止とあります。列車運用が変更になるのかなとも思いつつ、一応予定時刻に京都河原町駅に行ってみました。

予定の列車はしっかり入線して来たではありませんか。

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所定の場所へ行ってみると、PRiVACE車両の窓には全てカーテンが下りています。

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車両中央部の扉が開くと、左右の掴み棒に斯様なシートが掛けられていて、他車を利用しろと。何だよ、そこの12Aは俺の席だよ。

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なるほど、側面表示にもサービス中止と。先のシートとともに、こんなのも用意していたのですか。PRiVACE初乗車がNGになり、人身事故が憎らしいのなんの。

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それなら仕方がない、先頭車だ。

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9306のクロスシートで、梅田まで何とか予定通りの時間で行けました。

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梅田駅ではPRiVACEのアピールが凄い!

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神戸線、宝塚線の方まで、柱にはPRiVACEの広告が目立ちます。

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いつものようにホーム先端で、暫し出入りする列車を撮っていましたが、次にやって来たPRiVACEもご覧の通り、窓にはカーテン。

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ちなみに座席指定料金の払い戻しは、

Web予約のお客様

  • 上記に当てはまる場合、当社のシステム操作により、自動で予約をキャンセルし、メールをお送りします。なお座席指定料金については、購入された決済手段へ払戻しされます。その際手数料はかかりません。

とのことでした。

本当に「事故」なら気の毒だが、人為的飛び込み等だったら許せない。あ~あ、PRiVACEに乗れるのはいつになるのかな? 

 

2024年9月27日 (金)

車窓から

この日は朝6時過ぎに家を出て、これに乗換えます。

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そして小田原からはこれ。小田原から乗れる数少ないN700S の「ひかり」。

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この日の車窓は富士山は雲隠れ。そうなればこれに集中します。名古屋到着前の名鉄との並走はいつも楽しい。この日はラッキーなことにパノラマスーパーでした。

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名古屋を出たらまた並走、栄生駅手前でしょうか。前の画像と同じ列車のようです。

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岐阜羽島には定刻に到着したのですが・・・、後続列車が遅れているのでその通過を待って発車とのアナウンス。おかげでまたしても名鉄をゆっくり眺められました。

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顔だけ赤い名鉄電車も増えましたね。「顔だけ赤い」まさに酩酊(めいてっ)でしょうか? OER3001氏にはスカーレットのパノラマカーイメージが定着していますが・・・、

名古屋鉄道 - MEITETSU

コーポレートマークにはスカーレットは無くブルー、なんだかな~。

2024年9月25日 (水)

ロマンスカーミュージアムで展示中

小田急創始者・利光鶴丸と、小田急の“中興の祖”ともいえる安藤楢六に焦点を当てた夏休み期間の特別展示を終えた後、期間中の反響もあって、展示の一部が今年度いっぱい継続されることになりました。

エントランスからエスカレーターを下りた1階 ヒストリーシアター「モハ1」の前です。

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正面のゾーンがほぼそのまま継続されるも、実は展示模型が増強されました。

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小田急創始者・利光鶴丸の功績が解説されたパネルの下には、 戦前の乗車券や沿線案内など共に、創業時の車両モハニ101形の模型が。

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マルーンの塗装はライティングされてもなかなか見づらいですが、101号と102号の2連が。

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左側は安藤楢六の業績に関連するパネルで、戦後復興と週末ノンストップ特急に始まり、ロマンスカーの礎を築いたことが紹介されています。

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このケース内はこれまで1600形、1910形、2300形、3000形SEが展示されていましたが、パルテノン多摩で展示されていた1700形が移動、ここに加わりました。

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1700形に加えて、2300形もロマンスカーミュージアム所蔵品に代わって、OER3001氏の作品に交代しました。

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このケース内の3000形SE車はロマンスカーミュージアム所蔵ですが、SE車までのロマンスカーは全てOER3001氏のペーパー自作です。

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来場者の合間を見てつい、正面から、右から左からと、記録写真撮影に興じてしまいました。

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永年に渡る趣味で作って来た模型ですが、なかなか並べられる機会や場所も無かったので、今回は嬉しい機会となりました。

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入館料が900円と少々高いかもしれませんが、実車の保存車両に触れることもできる価値あるものと思います。機会があれば是非ご訪問ください。

 

 

 

2024年9月23日 (月)

900,000アクセスに到達

昨9月22日未明に、アクセス数が90万に到達しました。いつもご覧頂いている皆さまありがとうございます。

そこでご期待(誰が期待してるって?)通り「90」に因んで、撮って来た写真を探したのですが90形はこれだけでした。クモハ101 900番台となってからの姿ではありますが、元はモハ90 500番台の奇数車。小田急2220形同様の箱型ベンチレーター、雨樋が埋め込み式ですっきりしていました。

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こちらは鉄道博物館にあるモハ90 500番台偶数車(パンタ付き、その後のクモハ100)の模型ですが、車体にはクモハ100-901とあります。

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鉄道博物館でクモハ101-902が保存展示されていますが、雨樋は外付けに改造され、ベンチレーターも箱型からグローブ型に変えられた晩年の姿なのが残念です。

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小田急には9000形がありました。斬新な姿でデビュー間もなくの試乗会では9002×4に乗車しました。

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その9000形は、サンフランシスコのBARTを連想するような斬新なフェイスで登場していた営団6000系に引けを取らないデザインをと、開発された車両でした。

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営団千代田線との相互直通運転のために開発された9000形は、1978(昭和53)年3月31日から千代田線への直通運転に活躍しました。

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モハ90形も9000形も既に引退した車両ですが、鉄道車両の歴史に刻まれる革新的な車両でした。

 

2024年9月21日 (土)

混結時代

3年前ほどになろうか、ある出版企画でご一緒したことをきっかけにお付き合い頂いているこの方の情報発信「Odapedia」に、小田急の車両がケープアイボリーにロイヤルブルーの帯を巻く姿に変わって行った経緯が取り上げられました。塗装変更の過程では、当然ながら新塗装と旧塗装が連結されていた期間があり、「1971年に旧塗装車が走っていた実績があるのか気になるところ」とありましたので、撮っていた写真を探してみました。

1970(昭和45)年4月に撮影していた中に、カラーがありました。鶴川から玉川学園前への上り勾配をモーター音高らかに駆け上がる2220×2(新塗装)+2220×2(旧塗装)+2400×4(新塗装)の8連急行。新塗装化された車両もまだ側窓下に方向板を掲示していることが判ります。

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カラーフィルムが高かった時代なので、主体はモノクロフィルムの時代。同じ年の6月に海老名-厚木間の水田から撮っていたのは2320×2(旧塗装)+2220×2(新塗装)の各停、おそらく本厚木行と思われます。

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翌1971(昭和46)年の3月、足柄の収容線に旧塗装1912+1962が収容されていた記録がありました。この時は大学生でしたが、今で言うインターンシップのようなカタチで、大野工場で定期検査を終えた車両の試運転に同乗させてもらっていました。

 

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この写真を細かく観察すると、ウインドシル、ヘッダーのある1700形、1900形とも、ノーシル、ノーヘッダーの車両に合わせた塗り分け高さだったため、塗り分けがウインドシルに架かっていました。その後、塗り分けはシル下に変更されています。

ということで1971(昭和46)年は3月の1912+1962の記録が最後でした。

 

2024年9月19日 (木)

十年ひと昔

と言いますが、10年前にどんな模型を製作していたのか? 記録を辿ってみました。

2014年の今頃は国鉄クモニ13、ホビーモデルのプラキットを組んでいたようです。手慣れたペーパーではない分、何かと手こずった記憶があります。

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さらにひと昔前に遡ってみると、2004年には伊豆箱根鉄道駿豆線の7000系ステンレス車両。ステンレス車両ではこれより30年ほど前に取り組んだ営団東西線5000系以来でした。

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という訳で今は・・・。

前回掲載の井の頭線3000系もありますが、今年も残すところあと3ケ月ほどに。果たして何が完成することでしょう?

 

 

2024年9月17日 (火)

作業開始:井の頭3000系-4

暫く放っておいたヤツ、残暑厳しく高湿度の下でしたが、直射日光が強い時間帯にちょっとだけ進めました。

最近の小規模塗装ではベランダの養生も省力化、セットにさほど時間は要しません。

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毎年末に、卒業した会社から送られてくるカレンダーの梱包材料を流用します。

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とりあえず1色目のシルバーを吹きました。

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この後は丁寧にマスキングし、2色目のシルバー、3色目のシルバーと重ねて行くことになりますので、完了はいつのことになるか??

 

 

2024年9月15日 (日)

たまには斯様な車両も

国民の祝日「敬老の日」はもともと9月15日。ず~っと箱の中に収められたままでは可哀そうと言うことで、先日のシニア運転会に持って行った“高齢車両”。

青22号に塗られた73系の2両編成。富山港線で活躍していたクモハ73 355とクハ79 244で、1974年3月に入籍して来たWD氏のペーパー自作品です。

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OER3001氏が初めて訪れた1975(昭和50)年の城川原車庫には、車体更新を受けた車両しか居ませんでした。

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今となっては若かった時代の思い出。昔の車両が懐かしくなります。

 

 

2024年9月13日 (金)

ロマンスカー移動

とは言っても、模型の話です。

7月からパルテノン多摩ミュージアムでの特別展「鉄道が街にやって来た~多摩ニュータウン鉄道開通50周年~」で展示中だった1700形3次車の1705×3の編成、今度はロマンスカーミュージアムでの展示に供するため、代替車両に交代となりました。

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この展示は11月10日までの予定と、結構な長期間。先日、展示内容をまとめた冊子が出来上がり、会場で販売(600円)されています。

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代替車両は1900形の4両編成。多摩線で走行した時はケープアイボリーにロイヤルブルーの帯という新塗装になってからでしたが、展示模型は旧塗装時代でお許しください。

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奥で展示の2100形と同時代、1960年代後期の姿です。

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こちらが2100形。車体はカルダン駆動になった2220形に似ています。

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1900形は複雑な歴史を辿っただけに、中間サハ1950形の奇数車は川崎車輛製の軸梁式OK-17形台車を履きます。

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一方、偶数車の台車は国鉄車両からの供出品、TR-11です。

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戦後の高度成長時代を生き抜いてきた車両、模型化した1903-1953-1954-1904の編成は、多摩線でお別れ運転が実施されています。

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この時掲げられた2種のヘッドマーク、右側のはOER3001氏の作でした。

 

 

2024年9月11日 (水)

新型ロマンスカー

前回9月9日にアップした町田駅でのEXE画像に際し、「小田急線開通から100年となるのは3年後の2027年。新型ロマンスカーの登場はあるのでしょうか?」と結んだら何と!!

その日に小田急電鉄のニュースリリースに『2028年度の運行開始を目指し「新型ロマンスカー」の設計に着手』と。いやま~何というタイミングでしょうか!

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掲載画像は7000形LSEの第1編成がEF58 94号機に牽引されて東海道線を上って来る時、湯河原駅で待ち受けました。この当時は小田原駅の連絡線から入線したのですが、今は御殿場線松田駅となり、しかも終電後の深夜。次期新型ロマンスカーは撮れませんね。

2024年9月 9日 (月)

町田で“小田急”

この日、海老名へ向かう途中で一旦下車。こんなアングルを思いつきました。

新宿では取り壊された小田急百貨店ビル(正確には小田急百貨店が営業していたビル)ですが、町田では小田急百貨店開業時からのマークが見られます。西武への譲渡も決まり、徐々に姿を消して行く8000形との取り合わせも、貴重な記録になるかも知れません。

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ロマンスカーも入線して来たのでもう一枚。だけどこのEXEじゃ華やかさに欠ける気がして。

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小田急線開通から100年となるのは3年後の2027年。新型ロマンスカーの登場はあるのでしょうか?

 

 

2024年9月 7日 (土)

シニアの運転会

普段の公開運転会などではなかなか出番に恵まれない単行の荷物電車を走らせました。

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1960(昭和35)年に車体を乗せ換えて荷室拡大を図る直前の小田急デユニ1001。OER3001氏も実車を見たのは僅かでした。

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たった1両の小型電車、今回は流し撮りにチャレンジです。

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トラス橋に差し掛かり・・・、

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快調に抜けて行きます。

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渡り終えてなお快走。

短い小型電車も、広いレイアウトを走り回れて良かったです。

 

 

2024年9月 5日 (木)

小田急小田原線 線路脇盛土流出_復旧

台風10号による大雨で、8月30日から運転見合わせだった区間は、9月1日の16時すぎに運転再開。久しぶりに夏の陽射しとなった9月2日、早速現地視察に出掛けて来ました。

先ずは車内から撮った動画から、まだ重機が残る現場は時速45キロ制限。

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現場は駅間距離4.7㎞の東海大学前-秦野間、秦野駅から2㎞ほど手前。一旦、秦野まで行き、徒歩で現地に向かいますが、線路に沿った道は無いのでかなりの遠回りで、道のりはほぼ3㎞。途中小田急線を越える天神橋から現場を見ると、作業員が並んでいます。

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秦野駅から炎天下を歩くことおよそ45分、ようやく現地に着きました。60キロポスト近くの架線柱は海側に補強が施されていました。

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EXE-αが現場に差し掛かります。

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流出した場所にはブルーシートが掛けられ、復旧工事で活躍した銃器が休んでいます。

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水田の稲穂はまだ収穫には至りません。数日前に豪雨をもたらした空、この日は白い雲の浮かぶ青い空。

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ブルーシートで覆われた流出現場と青い空の組み合わせとは、なんと皮肉なのでしょう。

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などと思いながら佇んでいたら、思いがけず5000形“もころん”編成が! このアングルだと悲劇は起きなかったように見えます。

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しかし現実は、赤いGSEが通ると侘しいです。

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1時間半ほど現場付近で撮影後、東海大学前ではなく下車した秦野駅に戻ることとしました。天神橋を通る際にはちょうど上りEXE-αが。

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秦野駅まではちょっとした距離だけに、折角なのでちょっと寄り道。獣道のような狭い路地を歩きました。

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一度は通ってみたかった歩行者専用跨線橋にも寄ってみます。ここは確か、早朝に人の首が吊るされていた事件があったという場所で気味が悪いです。

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しかしそこそこ良い眺めでした。

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秦野駅近くまで戻ると、ラッキーなことに小田原から折り返してきた“もころん”に遭遇。

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クルマでは何回か出掛けていた場所ですが、駅から歩いたのは初めて。遠かったけど、歩いただけの収穫があった一日でした。

 

 

2024年9月 3日 (火)

部分運休日の唐木田

東海大学前-秦野間での盛土流出による伊勢原-秦野間の運転見合わせは9月1日も終日と報道されていましたが、16時03分頃に運転が再開されました。

復旧工事を急いでいる間、OER3001氏は唐木田駅近くで行き交う電車を見て来ました。8000形による新宿行急行は定刻通りの発車。

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それと小田急多摩センターで出会ったであろう3000形ワイドドア編成の各駅停車は、唐木田構内入線前に行先表示を「新百合ヶ丘」にして1分遅延の到着。

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先ずは早期の復旧が叶って何よりでした。

 

2024年9月 1日 (日)

小田急小田原線 線路脇盛土流出

台風10号の影響から8月30日、「小田急小田原線の一部区間で終日運転見合わせ 線路脇の盛土流出の影響で」とのニュースが流れました。

OER3001氏としては大いに気になるニュースだけに、早速ネットサーフィンです。東海大学前ー秦野間と聞いていたのでおおよそ見当がつきましたが、東京新聞に掲載されていた小田急電鉄提供画像で明確になりました。

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さらに、ANNのニュースにもっと良く判る映像がありました。

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映像を見て居るとカメラが右に振られ、〇で囲んだ部分に60キロポストが確認できます。

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そう、この場所だったのです。NSEとHiSEの離合を撮った地。

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矢印の箇所が流出してしまったと言うことでした。

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早い復旧を望みますが、復旧の暁にはどんな光景になっているのでしょうか。

 

 

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