混結時代
3年前ほどになろうか、ある出版企画でご一緒したことをきっかけにお付き合い頂いているこの方の情報発信「Odapedia」に、小田急の車両がケープアイボリーにロイヤルブルーの帯を巻く姿に変わって行った経緯が取り上げられました。塗装変更の過程では、当然ながら新塗装と旧塗装が連結されていた期間があり、「1971年に旧塗装車が走っていた実績があるのか気になるところ」とありましたので、撮っていた写真を探してみました。
1970(昭和45)年4月に撮影していた中に、カラーがありました。鶴川から玉川学園前への上り勾配をモーター音高らかに駆け上がる2220×2(新塗装)+2220×2(旧塗装)+2400×4(新塗装)の8連急行。新塗装化された車両もまだ側窓下に方向板を掲示していることが判ります。
カラーフィルムが高かった時代なので、主体はモノクロフィルムの時代。同じ年の6月に海老名-厚木間の水田から撮っていたのは2320×2(旧塗装)+2220×2(新塗装)の各停、おそらく本厚木行と思われます。
翌1971(昭和46)年の3月、足柄の収容線に旧塗装1912+1962が収容されていた記録がありました。この時は大学生でしたが、今で言うインターンシップのようなカタチで、大野工場で定期検査を終えた車両の試運転に同乗させてもらっていました。
この写真を細かく観察すると、ウインドシル、ヘッダーのある1700形、1900形とも、ノーシル、ノーヘッダーの車両に合わせた塗り分け高さだったため、塗り分けがウインドシルに架かっていました。その後、塗り分けはシル下に変更されています。
ということで1971(昭和46)年は3月の1912+1962の記録が最後でした。
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混色編成は私もハーフ判のポジで撮ったしょぼいカットが何点か残っています。8連で2220が小田原寄りというのは珍しいですね。4連の各停は私も同じ時に撮ったと思われる紙焼きがあります。これって相鉄2000系(アルミ車)の見学会の時ではないでしょうか。後方の相鉄厚木留置線に見えているのがその2000系だと思います。
投稿: モハメイドペーパー | 2024年9月21日 (土) 11時34分
◆ モハメイドペーパー さま
喰いついてくださると思っていました(笑)。
この時代、カメラも腕も貧弱で、まともな写真が少なくて(涙)。
海老名でのコマ、その通りです。
投稿: OER3001 | 2024年9月21日 (土) 18時45分
私も2320形(旧塗色)+2220形(新塗色)の編成ですが、後追いで撮ってました。
https://bocchibochi.livedoor.blog/archives/6123410.html
投稿: ぼっちぼち | 2024年9月21日 (土) 20時13分
◆ ぼっちぼち さま
おや、同じ日でしたか? ご一緒していたのですね。
投稿: OER3001 | 2024年9月21日 (土) 21時46分
1971年月28日海老名の信号所(?)附近での画像が出てきました。
相模鉄道の見学会でしたね。
投稿: ぬか屋 | 2024年9月22日 (日) 10時33分
◆ ぬか屋 さま
あれま、ぬか屋もご一緒していましたか!
永いお付き合いをありがとうございます。これからもよろしくお願いいたします。
投稿: OER3001 | 2024年9月22日 (日) 17時25分
蒸し返しになるけど、これですね。みなさん、写っています。
https://jorc.livedoor.blog/archives/6129293.html
投稿: モハメイドペーパー | 2024年9月22日 (日) 20時45分
◆ モハメイドペーパー さま
そうそう、これです、この時の撮影です。
こういう時、人を撮っておくべきだったと思えど、何せフィルムが高い時代でしたからね。どうしても人は後回しになってしまいます。
投稿: OER3001 | 2024年9月22日 (日) 21時12分