« 2024年9月 | トップページ | 2024年11月 »

2024年10月

2024年10月31日 (木)

広島のホテルで楽しむ

単独での鉄旅ではなく妻と一緒では、それなりにサービスしなければなりません。新幹線「のぞみ」もそうですが、ホテルにも気を使います。

30階の部屋を取ったお陰で朝には素晴らしい自然のサービス、西の方向にが‼ 左は厳島あたりから右は「エディオンピースウイング広島」の向こうへ。

20241022_0001_1620241022_0002_16

前日にはあれほど賑わっていた原爆ドーム周辺にはまだ人影は無く、ちょっと寂しい原爆ドーム前電停を発車したのは800形のようです。

20241022_0008_16_20241027163601

身支度をして朝食会場である最上階のレストランに向かうと、早朝の人影の無い平和記念公園の向こうには厳島が望めます。

20241022_0013_16

そして正面には、広電宇品線の軌道と広島港辺りが。こんな素晴らしい眺めでは朝食もままなりません。

20241022_0020_16

折角、客室とは反対側の、東南側の角テーブルを用意してくださったので、これを活かさなければ勿体無い。

20241022_0021_16

広島港から広島駅に向かう5車体の5100形グリーンムーバーマックスが、眼下の紙屋町交差点を行きます。

20241022_0032_16

代わって今度は3車体の1000形グリーンムーバーLEX。

20241022_0038_16

宮島口から広島港に向かうのは3100形でしょうか。元京都市電の1900形と交換です。食事を口にしては撮る。撮ってからまた食すの繰り返しです。

20241022_0041_16

東方を見れば新幹線! 貨物ターミナルを右に見て、東京方面に向かっていきました。

20241022_0052_16

ということで、リッチな気分でゆったり朝食と言う状況ではなくなってしまいましたが、妻は満足してくれたようで一安心といったところでした。

 

 

2024年10月29日 (火)

平和祈念の旅路

開業60周年を迎えた東海道新幹線で西へ向かいます。この姿を見ると、やっぱり嬉しいものです。

20241021_0005_16

次に心が躍るのはこれ。赤い電車も白くなりましたが、シルバーより好きです。

20241021_0009_16

今回の旅は、いつもは利用しない「のぞみ」利用です。人間としてもう一度あの悲惨さを目の当たりにしておかないといけないなと思って計画していた慰霊の旅でしたから、平和を「のぞみ」と言う意味も込めて。

20241021_0011_16

昨年から企てていた妻と一緒の旅、まさかその直前に、被団協が2024ノーベル平和賞を受賞することになるとは、思ってもいませんでした。

20241021_0014_16

今まで何回かこの地を訪れていますが、こんなに観光客が増えていたのですね。しかも、なんと外国人の多いこと。広島平和記念資料館への入場も、下手をすれば入場券を求めるのに一時間の行列です。OER3001氏はWEB予約しておいたお陰で入場はスムーズでしたが、館内は自由に歩けないほどの混雑でした。

20241021_0017_16

以前にあった原爆投下時の爆心地模型は、ほぼ同じサイズの映像型に変わり、焼けただれながら彷徨う被爆者の人形などが展示されなくなっていましたが、それでも当時の悲惨さは充分に伝わる展示。パネルの前で固まり、涙する外国人の姿もありました。

時間制限無く自分のペースで館内を進み、平和の尊さを身に染みて外に出てみれば、夕日がドームに。

20241021_0027_16

丁度やって来たのは、被爆電車とされる651号ではありませんか。

20241021_0029_16

爆心地から約700mの中電前附近で走行中に被爆した車両だと言うことで、当時の写真がありました。

Hiroshima_abomb_tram_651被爆電車 - Wikipedia 被爆直後の651号車(岸田貢宜撮影)より

今回の旅の主目的が、広島平和記念資料館や原爆ドームなどを前に、ちょっと立ち止まって考えてみることでした。だから宿泊先もちょっぴり贅沢して広島の街並みを見下ろせる高い場所にしました。

左遠方に宮島、ドームが左下。中央下にはひろしまゲートパーク。

20241021_0034_16

カメラを右に振ればサンフレッチェ広島のホームグランド「エディオンピースウイング広島」など。

20241021_0035_16

さらに右に振れば、眼下に広島城と広島美術館。JR可部線が真っ直ぐ伸びている筈です。

20241021_0033_16

広島のレポート第一弾はここまで。電車のことはまた改めてとしましょう。

 

 

2024年10月27日 (日)

都電の軌道

広島、松山訪問の前に、10月15~16日に一般公開された都電の遺構を見に行きました。

とは言っても2,000人が訪れたという見学会が終了した後のこと。幕張メッセでの展示会に出掛けた折、帰路の僅かな時間で立ち寄ってみたという程度でしたが。

なんたってOER3001氏が定年退職を迎えたオフィスの目の前、日常的に渡っていた橋なのです。

20241016_0020_15

本当にこんなに価値あるものがアスファルトで覆われていたとは、全く知りませんでした。

20241016_0021_15

東京都は30日まで遺構譲渡先を募集していると言うが、はたして希望者が現れるのかどうか?

 

2024年10月25日 (金)

再訪速報

という訳で、行って来ました。

20241021_1041_16

20241023_1009_16

へ。

とてもとても一度では紹介できない情報量なので、この後何回かに分けて取り上げようと思っています。

 

2024年10月23日 (水)

再訪中

ちょうど今、この地に行っています。

つい先日、今年のノーベル平和賞を受賞した日本被団協=日本原水爆被害者団体協議会のニュースで再び世界の話題になっている広島。2か月ほど前から計画していたので、聊かタイミングが良すぎます。

人間としてもう一度、あの原爆資料館をじっくり観て、固まる時間を思い出すべく計画した旅です。勿論ついでに広電も。

19771007_050603__13

その後はこちらで汗を流そうかと。勿論ついでに伊予鉄も。

19900708_161801__13

という訳で、ブログ更新も日が空いてしまうかも知れません。悪しからず。

 

2024年10月21日 (月)

企画展「Romancecar Reborn」へ

またまたロマンスカーミュージアムに行って来ました。

ロマンスカーギャラリーは夏休み期間のテーマ展示が終わったこともあり、広々となっています。

20241017_0024_n15

その奥で10月9日(水)から11月18日(月)まで、鉄道の日(10月14日)を記念したプログラム「Romancecar Reborn(ロマンスカーリボーン)」が開催されています。

20241017_0016_15

10000形HiSEや20000形RSE横の広場の一角で、斯様な展示。

20241017_0005_15

引退した鉄道車両が、地方に譲渡されて再活躍と言うのは良く知られたことですが、鉄道車両そのものではなく、鉄道車両の一部、例えば台車や空調装置、座席なども、地方鉄道で使われているのです。

20241017_0008_15

3100形NSEの屋根上に増設された冷房装置は、高松琴平電鉄で名古屋市営地下鉄から来た車両の屋根で活躍しているのです。京王帝都電鉄の名車5000系を譲受した一畑電鉄、車内クロスシートは3100形NSEのものだったのですね。

実はこの展示に、急遽OER3001氏の写真を何枚か提供させて頂きました。この企画展は11月18日(月)まで。是非お出掛けになられては如何でしょうか。

 

2024年10月19日 (土)

赤い電気機関車走る!

「第22回 鉄道模型関東合同運転会 in埼玉けんかつ」では、鉄道模型界の巨匠H.A氏とK.A氏を偲び、K.A氏による“特製品”を走らせました。

先ずはOER3001氏が、自分の住まいを持った時のお祝いに頂いたED75。

20241013_0070_15

高校時代に小高のペーパーキットを組んだマニ32に、KATOのオハフ33、オハ35を繋げて、常磐線ローカルをイメージして。

20241013_0085_15

しっかり整備して臨んだので、広々したエンドレスを快調に周回してくれました。

20241013_0092_15

お次は奥羽本線板谷峠を越えて、福島-山形間を担ったED78。K.A氏実兄のH.A氏の遺品です。35系客車は板谷峠に挑む普通列車のイメージでしょうか。

20241013_0038_n15

板谷峠と言えば、急曲線を通る光景が思い出されます。

20241013_0047_15

 これはED78ではなくEF71ですが、こんな光景でした。

19781009_061309__14

こちらも存分に周回してくれました。

20241013_0049_15

ローカル列車を楽しんだ後には、青い電気機関車も登場です。

20241013_0106_15

14系客車による特急「つばさ」51号、上野-黒磯間の直流電化区間はEF65が担いました。

20241013_0110_15

黒磯からの交流電化区間はED75。番台が違うようですが細かいことには目をつぶって。

20241013_0123_15

逆光でしたが、南福島-福島間の荒川橋梁でこんなの撮っていました。

19781008_061106__n13

当時のことが思い出されます。

20241013_0132_15

そして福島からは奥羽本線に。機関車はEF71、ED78に代わります。

20241013_0157_15

こうして14系客車の牽引機を順番に変えて、当時の特急「つばさ」51号を思い出しながら楽しみました。

20241013_0169_n15

巨匠K.A氏の遺作は、今となっては古いモーターが使われていますが、力強く走ってくれました。

20241013_0188_15

OER3001氏が機関車列車を走らせるなんて、きっとお仲間たちも想像できなかったでしょうね。

20241013_0187_15

実に楽しい時間でした。

 

2024年10月17日 (木)

第22回 鉄道模型関東合同運転会 in埼玉けんかつ で走らせた車両

今回は、小田急の車両のいくつかを外部貸し出し中と言うこともあって、ここでは思い切って小田急車不参加としました。

代わって走らせたのは、前回アップの151系特急「こだま」に続くは蒸気機関車D51 791号機牽引の貨物列車です。

20241012_0041_15

D51 791号機は、高島線電化による「さよなら蒸気機関車」を東京駅から牽引した機関車です。京浜東北線車内から撮ったこの写真、大森付近ではないかと思われます。

19701018_0011n_15

OER3001氏のD51 791号機は、アダチの廉価版キット。メルクリンの発煙装置を組み込んだので煙突から白く出るはずだったのですが・・・。

20241012_0033_15

続く貨物の先頭はコキ5000。オリエンタル模型だったかプラモデルを組んで、近年になってレストアしてみた車両。その後の2軸貨車群は最近のKATO製の他に、天賞堂、エンドウ、つぼみなど懐かしい製品他を連結したもの。

20241012_0025_15n

真横からロッドの動きを流し撮りと試みたり、スムーズに走り続けてくれましたよ。

20241012_0027_15

このほかの車両群はまた次回とさせて頂きましょう。

 

2024年10月15日 (火)

第22回 鉄道模型関東合同運転会 in埼玉けんかつ へ

サークルの共有資材と個人荷物等のマイカー積み込みは前夜に完了。9時前の現地着を予定し、7時前に自宅を出たのですが、、、高速に入るまでの滝山街道で30分近い渋滞、高速に入って鶴ヶ島ICを抜けるのにまた渋滞と、カーナビの示す所要1時間30分は2時間30分となり、現地着は9時半になってしまいました。

20241012_0001_15

わがサークルの場所は体育館の中央左側。約12m×7mの場所にレンタルテーブル44脚で展開します。

20241012_0003_15

11時過ぎの設営状況は斯様な感じ。計画に従って着々と進めます。

20241012_0002_15

16時近くになって、先ずは小中学生時代に憧れの存在だった151系特急「こだま」を走らせます。

20241012_0006_15

今年が新幹線60周年だということに因み、パーラーカーを含む豪華特急電車引退から60年と言うことで企てたものでした。

20241012_0009_15

12両編成は、こうした広い会場でなければ満足に走らせることはできませんからね。

20241012_0017_15

準備日である初日は、線路設営終了と共に夕食時間まで、各自好きなものを走らせることができました。

 

 

2024年10月13日 (日)

新幹線60年だって

実はその日のことより、前日の151系特急電車引退の方が強く記憶に残っています。東海道の花形は、何と言っても「こだま」「つばめ」でしょ。

と思っているシニアの一人ですが、「夢の超特急」も現実となって「夢」はとっくにどこかに消えてしまったような。現実に戻ってその新幹線の画像を探してみたのですが、流石に開業時の画像は無し。それでも1964(昭和39)年の東京オリンピック開催期間中に、父がハーフサイズカメラでこんなの撮っていました。浜松町駅ホームからですね。上には「空を行く」東京モノレールの軌道が。

19640000_0001_13

振り返って下り列車も撮っていました。それにしてもこの辺り、汐留に出入りする東海道貨物列車が一時停車していたのですね。ワム90000に交じって、レ2900らしき冷凍車やツム1000なども確認でき、貴重な記録です。

19640000_0002_13

東海道貨物列車と0系新幹線電車、ほぼ10年後の1975(昭和50)年2月に根府川で、捉え損なった1コマがありました。牽引機はEH10に交じってEF65が活躍し始めていたようです。

19750202_011513__n15

さらに20年以上が経過した1997(平成9)年の大晦日、富士山バックのこの撮影地で捉えられたのは2階建てグリーン車を含む100系でした。

19971231_0001_26

さらに26年後となる2023(令和5)年に於ける富士山バックの新幹線は、車両はN700Aに代わり・・・

20230320_1054_15

さらにN700Sの導入による車両交代が進められています。

20230320_1080_15

この新幹線技術、開発に当たった先人は凄い。その魂はしっかり受け継がれているのだろうか? 最近不安な事故が続いて心配しています。

 

 

2024年10月11日 (金)

赤い電気機関車

遂に、半世紀以上お付き合い頂き、多くのことを学ばせて頂いた鉄道模型界の巨匠であるK.A氏が8月15日に亡くなられたとのお知らせを頂きました。享年88歳は決して早くはありませんが、それでも残念です。

OER3001氏が初めて自分の家を持った時、お祝いに頂いたのがこのED75電機でした。有名ブランド品の設計・製造を担っておられたK.A氏が、完成品を越える特別仕様で製作された逸品です。

20241009_0004_16

K.A氏が製作された特製品の内、こちらのED78はK.A氏実兄のH.A氏が大切にされていたのですが、H.A氏が亡くなられて遺品として頂いていました。

20241009_0003_16

H.A氏もK.A氏も鉄道模型界の巨匠とお呼びするのに相応しいお方。ご縁あってその2両を所蔵するOER3001氏は幸せ者です。

20241009_0016_16

ということで、明日からの「第22 回鉄道模型関東合同運転会 in 埼玉けんかつ」では巨匠ご兄弟を偲んで、これらを走らせようと思います。

運転会での模様は後日改めて。

 



2024年10月 9日 (水)

豊橋でお遊び

関西方面に出掛けた帰路は、特別の制約が無い限り近鉄で名古屋、名鉄で豊橋というルートを楽しみます。そして豊橋で上り「こだま」を待つ間の時間の使い方がこれ。

先ずは18:31、N700Sの「のぞみ」が飛び込んで来ます。カメラをしっかり構え、列車に合わせて左に振ります。

20240924_1040_14

20240924_1041

20240924_1042_14

 

あっという間に過ぎ去って、息つく間もなく18:32に下りN700Aの「のぞみ」が。今度はカメラを右に振っていきます。

20240924_1044_14

20240924_1045_14

20240924_1046_14

今回はISO25600、シャッター速度を1/1000秒としてみましたが、シャッターはもう少し遅くした方が動きが強調されたかも知れませんね。今後の課題です。

 

2024年10月 7日 (月)

半世紀ぶりの国府宮

前にこの駅に降りたのは何年前だったか?

20240924_0137_152

ちょうど50年前のことだったのですね。しかも同月ではありませんか! 名鉄と言えばパノラマカーというフラッグシップトレインの特急・豊橋行をしっかり記録していました。

19740917_011213__n13

半世紀後の状況を見たく、南海・高野線から近鉄“ひのとり”経由でここへ行ってみましたが、橋上駅舎になってホーム上屋も立派になったお陰で、「国府宮」の看板塔は写せません。

20240924_0151_15_2

懐かしいので暫し行き交う電車の観察と撮影です。やっぱり全身スカーレットの電車は名鉄らしいですね。

20240924_0141_15_2

上下線ともスカーレット。線路敷地外の「国府宮」看板塔は左なのですが、電車と一緒には撮れませんでした。

20240924_0145_15_2

車体はシルバーでもスカーレットフェイスの2両編成は普通・岐阜行き。

20240924_0148_15_2

豊橋までの前面展望を楽しむ前に、ちょっと観察してきた次第です。

 

 

2024年10月 5日 (土)

「こうや」に乗る

極楽橋ではスイス製車体のこれを見送り。

20240924_0086_n15

そして極楽橋-橋本間のローカル専用の2300形を見送ります。この車両はなかなか好みです。

20240924_0098_15

それからもう一つの目的、ずっと見て居るだけだった「こうや」乗車。登場から40年経つ車両でも、手入れが行き届いて奇麗でした。

20240924_0104_15

最前席を確保したので、山岳路線の前面展望を満喫します。

20240924_0105_15

この橋梁上の軌道は半径123mで50‰の下り勾配ですよ。

20240924_0107_15

2017年の台風21号に伴う地すべりの影響で交換設備が撤去された上古沢駅を通過します。

20240924_0108_15

すると間もなく、全長67.6m、高さ33.4mの「中古沢橋梁」に。トレッスル橋なのですが、乗っていてはわかりません。下から見上げる機会を作らなければいけませんね。

20240924_0109_15

上古沢駅から移設された設備で、下古沢駅で列車交換です。

20240924_0112_15

山間部を抜けて橋本に下りて来ました。しかしここで、気がかりな列車無線が聞こえたのです。「難波駅信号設備支障」だと。

20240924_0114_15

綿密な計画が立てられている帰路に影響が出そうで心配です。三日市町駅で一時“抑止”に。心配していた時、折しも隣には話題のコレ。まあゆっくり見られたことは良しとしますか。

20240924_0117_15

先が読めず、河内長野で降ろしてもらって近鉄に迂回することも考えたが、何とか30分程の遅延でなんばに到着。

20240924_0122_15

計画の一部は諦めざるを得なくなったものの、なんとか近鉄“ひのとり”には間に合いました。

ところで帰宅後に整理していて、撮った時には気付かずにいたこの連結器はなに? 蓋がれて連結できない密着連結器ではありませんか!

20240924_1019_40

と言うことで、南海高野線に興味が湧いてきて、斯様な“参考書”を購入することになってまいました。

Img_0001_15_20241003095901

表紙の12000系車両も同じ塞がれた密着連結器。この書籍ではまだ謎が解明できていません。

 

2024年10月 3日 (木)

「天空」に乗る

何回目の南海だったか、今回の目的のひとつが「天空」でしたので、先ずはここを目指します。

20240924_0046_16

橋本はOER3001氏の地元に近いJR横浜線、京王相模原線にもある名前ですが、全く異なる地。南海の方は標高が示されており92mだそうです。ここから極楽橋までは登山鉄道路線となるのです。

20240924_1015_16

ここからは全長20mを越える車両は入線できず、17m級限定と言うのが魅力的です。「天空」が15周年のヘッドマークを掲げて入線して来ました。

20240924_1019_16

20240924_1022_16

側面には、この路線が50‰勾配の登山線であるこがしっかり表示されていて、なんかいいな。

20240924_1023_16

車内は高野山方向に向かって右方を向く座席配置が基本。この座席指定券、インターネットでは予約不能で、乗車日の2週間前から電話受付、空席がある時のみ橋本駅ホームで販売と言うもの。それ故、橋本駅には早めに到着する必要があったのです。

20240924_1027_16

一部側扉は風を楽しむために開放して走るため、乗客はまるで檻に入れられたようになるのが滑稽。

20240924_1028_16

OER3001氏は2号車10番席を確保、満席で外国人も少なくありません。“山線”に入ると長閑な光景が車窓に広がります。

20240924_1031_16

橋本より低い標高79mの学文路(かむろ)で最初の列車交換。

20240924_1033_16

標高94mの九度山、1600年に関ヶ原の戦いで西軍に与して敗れた真田昌幸・信繁(幸村)親子が流罪となった地。NHK大河ドラマで記憶にあります。

20240924_1034_16

丹生川(にゅうがわ)に沿って、道路は線路よりかなり下。

20240924_1035_16

高野下を過ぎるといよいよ本格的山岳路線の様子を呈し、半径100m以下の急曲線と50‰の勾配が続きます。下古沢(しもこざわ)で赤い2300系と交換しました。

20240924_1036_16

上古沢までの間で、鉄道橋としては日本で10箇所だけで供用されているトレッスル橋、全長67.6m、高さ33.4mの「中古沢橋梁」を通ります。2011年に土木学会選奨土木遺産に認定されている橋梁です

紀伊細川を過ぎて辿り着いた紀伊神谷の標高は473m。山中の当駅で最後の列車交換です。

20240924_1038_16

到着した極楽橋の標高は539m、橋本から447mを登って来たのです。OER3001氏が勝手に決めた民鉄登山電車の中で、箱根登山線・箱根湯本から強羅までは標高差541m、富士山麓鉄道・大月から河口湖までの標高差499mに次ぐものです。

20240924_0090_16

天気に恵まれましたが残暑がなかなかのパワー。そんな中を上り勾配に挑んだ「天空」を慰労です。

20240924_0073_16_16

昭和の香り満タンの老体で頑張る「天空」に、ココロが・・・。

20240924_0075_16

住友金属製FS-17A形台車もしっかり撮っておきます。昭和だな~。

20240924_0076_16

「檻」如何ですか?

20240924_0077_16

「天空右」は橋本方には2100系2両(ロングシート自由席)を連結した4両編成なのですが、その2100系を真面目に撮っていなくて残念。

20240924_0078_16

まあ、模型製作熱まで出ないので一応OKですが、帰宅してみると反省点が少なくありません(涙)。

 

 

2024年10月 1日 (火)

ターミナル駅で

ずらり並んだ改札口を入るとずらり並んだ櫛形ホームが目の前に。これぞ憧れのターミナルです。

20240924_1001_16

阪急・大阪梅田駅の光景を見た後、久しぶりに足を向けたのは南海・なんば駅。ずらり並んだ電車を撮ろうとはしたものの、つい、こうしたアングルに。8時20分台は女子高生の通学タイムだったようです。

20240924_0002_16

女子高生を乗せた各停(当地では普通と言うのがふつうのようです)が発車して行った後、線路方向を向くといきなり南海線に現れたのがリバイバル塗装となった7100系。

20240924_0010_16

これとそっくりな現行カラーリングにはどうしても馴染めません。

(関電工HPより引用)

泉北の9300系は、小田急線に居ても違和感無さそうに思るデザインです。

20240924_0019_16

この日の目的の一つはこれに乗ることですが、ここではとりあえず撮るだけに。

20240924_0027_16

6200系と呼ぶのだそうですが、「急行・橋本」の前面表示で入線して来たこれに乗るのです。

20240924_0030_13

これが入線したところでホーム側を見渡すと、すでに女子高生の姿は見られず、広々としたターミナルが目に入ります。

20240924_0031_16

どうしても首都圏と比較してしまうので・・・、

南海なんば駅の一日平均乗降客数は 217,969人(2023年度)、同じ年度の統計では阪急梅田444,572人。小田急新宿駅439,840人、京王新宿駅654,492人、京王井の頭線渋谷駅285,759人なので、5両編成が2線2面のホームに発着する井の頭線渋谷駅より少ない。

他は西武池袋419,228人、西武新宿143,181人。だいぶ路線状況が異なりますが、京成上野45,083人、東武浅草 38,346人、京急品川214,527人(2022年度)。

ここにホームドア設置するとなると・・・、かなり狭くなるし、その必要性もあまり無さそうですね。

 

« 2024年9月 | トップページ | 2024年11月 »

フォト
2025年7月
    1 2 3 4 5
6 7 8 9 10 11 12
13 14 15 16 17 18 19
20 21 22 23 24 25 26
27 28 29 30 31    

他社線ご案内

無料ブログはココログ