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2024年11月

2024年11月30日 (土)

0番

11月も最終日となり、気付けば今月は模型関連の情報をアップしていませんでした。

と言うことで近況を。0番の動力台車を作っていましたが、とりあえず1台車が完成しました。

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使用したモーターは、入手しづらくなったCanon・CN-16。裏(下)から見ると斯様な感じ。

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因みに付随台車は製品そのままなので、素直に組み立てれば斯様な感じに仕上がります。

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裏(下)側をご覧頂ければ違いが判りやすいかと。

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一見して「吊り掛けモーター付けただけだろ」と思われるでしょうが、その吊り掛ける部分をどうするか、試行錯誤でした。

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左側が元の枕梁。その裏(下)側に真鍮アングル材と真鍮板から製作したコの字かたパーツを作って上からビス止め。

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アングル状部分の端にφ0.7の穴を開け、そこでモーターを保持しようとした次第。

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その部分をアップするとこんな感じです。

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因みに使用した車軸の軸受部径がφ2.0。台車の軸受はφ3.0対応なので、外径φ3.0、内径φ2.4の真鍮パイプを介しています。

これでどうにか使えそうですのでもう1台車加工すると致しましょう。いったい何をしようとしているのか? それはまだ極秘ということで(笑)。

 

2024年11月28日 (木)

中央快速E233系

所要で出掛けた折、約束時刻まで余裕があったので途中下車。ホームドア設置で撮りにくくなりましたが新宿御苑の緑とエンパイアステートビル擬きを背後に狙っていたら・・・、運良くグリーン車を含む編成が!

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朝10:27、結構乗ってますね。

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OER3001氏は初めて撮りましたが、G料金無料の内に体験乗車しておかねばなりませんね。

 

 

 

2024年11月26日 (火)

近所で秋を拾う

暑い日が続き、秋を感じる日が少なかった今年。急な冷え込みもあって木々は色づくも、残念ながら奇麗に揃った色が楽しめません。

神奈中バスのカラーは、メタセコイヤ通りにぴったりです。

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こちらはモミジバフウ。赤いのもあれば、隣にはまだ緑色のもあります。

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でも、公園のベンチ周りは秋を感じますね。

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たまには鉄道から離れて、近所で秋を拾ってみた次第です。

 

 

2024年11月24日 (日)

軌道検測体制の見直しか

その昔、国鉄からマヤ34形(2008)を借りて軌道検測をしたことがありましたが、2003(平成15)年に自前の検測車両クヤ31を新造した小田急。

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毎月1度(2日間)全線を走りながら軌道と架線の検測を担っていました。

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2024年度の新造5000形の内1編成が、検測装置を備えたものになると聞いていましたが、その5063×10編成が搬入されて試運転との情報を得て出掛けました。

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小田原駅の4番線に収まりました。

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そこで期せずして斯様なシーンが。「もころん号」編成が並びました。

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OER3001氏は試運転の走行写真を撮るためではなく、細部の観察が目的でした。6号車(T・5263)の床下に、線路設備モニタリング装置の機器箱が搭載されています。

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山側(奥)のレール位置上部に何かセットされています。

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車輛端部、連結器下にもモニタリング装置が。

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屋根上では、3号車(T・5363)新宿方に測定装置が見られますがパンタグラフはありません。

20241119_1048_14(小田原方を望む)

20241119_1073_14(新宿方を望む)

9号車(M・5013)のパンタグラフは測定用を兼ねるもののようで、測定設備が屋根上に搭載されています。

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20241119_1092_14(新宿方を望む)

当分の間は今まで通りクヤ31による検測が実施されるものと思われますが、来年度以降に変化が生じるのでしょうか。技術の進化や働き方改革で、新しい体制が構築されていくようです。

 

 

2024年11月22日 (金)

変わる新京成

新京成電鉄、2025年4月からその名が消えることになっているのは承知の事実。その新京成の最新型は80000形。一見して親会社京成の3100形と同じように見えるが、実は細部に新京成のこだわりがある車両で、制御装置は京成車と異なり三菱電機製だ。

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2014年から採用されていたジェントルピンクの車体も、京成に吸収合併されると消えて行くことになるでしょうが、今はジェントルピンクの前のカラーが復刻された編成も活躍中で、目が離せません。

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その新京成が初めて自社発注した新性能車両は800形でした。冒頭の80000形と同じ場所で、登場直後に撮影していたものです。この時代は上半ピンク、下半マルーンの塗装でした。

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800形が登場する時代はまだ、車体長4515mほどの可愛らしい小型車、45形や300形が活躍していました。

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親会社京成からは、中型車体の250形等も移籍、増大する輸送需要に対応していた頃でした。

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そんな新京成の車両を撮っていた場所は、決まってこの京成津田沼駅。

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ここに掲載した画像は全て同じ場所、同じアングル。半世紀経ってもさほどの変化を感じない駅というのも面白いです。

 

 

2024年11月20日 (水)

「もころん号」撮る!

好天に恵まれて出掛けた帰り道、スマホを弄っていたら「もころん号」が来る時間が近いことがわかり、急遽ここで待ちました。

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小田原方の「もころん」は制服・制帽姿なのです。

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折り返して来る上りをここで待っていました。

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新宿方の「もころん」は制服・制帽を身に付けていない素です。

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撮ろうと思うと思うように会えないキャラクター編成。この日は運良く上下とも撮れました。

 

 

2024年11月18日 (月)

松山駅_国鉄からJRへ、そして高架化

OER3001氏が子供の頃は、四国は宇高連絡線で渡る遠い地というイメージでした。そんな四国の松山に初めて行ったのは1978(昭和53)年の出張でした。仕事を終えた17時過ぎ、空港に向かう前にちょっと駅に寄り道していたようです。

2番線(だと思う)にはDF50牽引の客車列車が停車中。

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跨線橋を渡って見に行けば、昭和32年新三菱重工&三菱電機製造の9号機でした。

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運良く、今治方から到着するのは急行「うわじま」。

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急行「うわじま」は17:34だったでしょうか、松山駅を発車して行った後に、DF50牽引の普通列車が発車して行きました。

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四国はディーゼル王国と呼ばれていたものです。

12年後となる1990(平成2)年に、再び出張の機会を得て松山に行った時には国鉄はJR四国に代わっています。この地を代表する企業の看板が掲げられていて、これが民営化なのだなと。この内の一つが、この出張の目的でした。

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車両はJR四国カラーになり、松山駅西側に広がる車両基地は目の保養になりました。予讃線の電化が進められていましたが、まだまだディーゼルが主役でした。

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仕事を終えてからの空港に向かう間の時間を有効活用、車両基地の南北に移動して撮影できました。

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その松山駅、前も画像と比較すると・・・、駅舎そのものは建て替えられていなかったものの、中央に三角屋根が増設されていたのですね。

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構内に入るとホームの人影はゼロ。高架新駅に以降した直後だったのです。1978年や1990年の時の思い出が蘇って来るようです。

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高架新駅には7000形単行が入線して来ました。

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その横には特急「宇和海」のN2000系気動車が。

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こちらの特急「宇和海」は2000系なのですね。

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そんな松山駅はこれから旧駅の解体と再開発が進むようで、車両基地が拡がっていた西側からは奇麗になった高架線を見ることができます。

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残念なことにこの後の豪雨で、高架下の駅施設と商業施設が水没。自動改札機などは取り換えになったようで、折角の新駅は災害対策が脆弱だったようで反省しなければなりません。

 

 

2024年11月16日 (土)

FS-321形台車

住友金属 が1958(昭和33)年、小田急2220形が使用していたFS-316をベースに設計、2217+2218が履いたアルストム型の空気ばね台車がFS-321。

新百合ヶ丘駅がまだ無い時代、百合ヶ丘-柿生間の旧線でSSEと交換した前2両が2218+2217です。

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2218を新百合ヶ丘駅で撮っていますが、残念ながらFS-321形台車が確認できない画像です。

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そのFS-321形台車とは斯様な姿。FS-316形台車と同じ軸距2,000㎜で、揺れ枕吊受け座の幅を550㎜から710㎜に広げて有効直径550㎜のエリゴ(スミプレス)形空気ばねを装着し、ボルスターアンカーが装備された。

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その台車を履いた写真はレイルロード刊小田急電車形式集.4より、矢崎康雄氏が1969年6月7日に撮影された写真を引用させて頂きます。

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1990年7月の出張の折、伊予鉄道古町車庫の奥でこの台車を発見! 京王からの譲受が進んでいた5000系に使用するのかと思っていたのですが、実際に使われたかどうか知りません。

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その懐かしい台車を今回、古町車庫で発見しました!!

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枕梁吊りは外され、ボルスターアンカー座も有りませんが、台車枠には「FS-321」の表示が残されていました。工場内の仮台車として今も使われていたのですね。何か嬉しくなりました。

 

2024年11月14日 (木)

伊予鉄道_市内線の魅力②

大手町のダイヤモンドクロッシング、なかなか鉄道線と市内線のツーショットは撮れません。仕方ないのでガタガタガタガタを真横から眺めます。それにしてもこのモハ2100形って何ともな~。

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モハ5000形になって少しはスマートになったような気がします。

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当初から広告ラッピングに対応できるデザインにしていたのでしょうか、「伊予鉄」カラーは維持されています。

これ撮影してから“あれっ??” パンタの位置が違う!

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古町駅で交換する5100形2両で、パンタ位置が違うことを確認。そうだったのですね、運用経路で逆向きになることもあったようです。

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もう一つ感激。JRで移動するため松山駅前に来て大手町、西堀端方向にズーミング。この位置で高浜線が横切るタイミングだったらサイコーなのですが。ややっ、来た車両は2005号。

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2005号は34年前に古町駅の高浜線横断シーンで捉えていた車両ではありませんか!

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それが今は今治タオルのラッピングを纏ったオレンジカラーに。

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元気な姿に再会でき、なんとも感激でした。元京都市電、頑張れ!

 

2024年11月12日 (火)

伊予鉄道_市内線の魅力①

伊予鉄道の市内線と言えば、観光用として復元登場した坊ちゃん列車が有名です。2001(平成13)年に登場し、2編成で土日祝日に運行されています。この日は平日のため運行は無し。道後温泉駅の引込線に1編成が展示を兼ねて停められていました。

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道後温泉駅の風情ある駅舎はリニューアルされて、今も堂々とした姿を見せています。

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34年前と殆ど変わりありません。変わったのは発着する車両だけ。この時は冷房化改造された1963(昭和38)年製のモハ50形71号でした。

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市内の繁華街・大街道を入れて撮ってみたかった1コマ、低床式の新型車両の導入が進んでいる市内線ですが、1964(昭和39)年製・元京都市電の2000形が味を添えてくれました。。

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この市内線の最大の魅力、OER3001氏にとってはここです。先のダイヤモンドクロスに加えて鉄道線の横断、堂々と鉄道線を横断して行きます。

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右奥はJR松山駅前から来た大手町線(軌道法に基づく「軌道」)。それが鉄道線である高浜線の上下線を横切り、左端の城北線(鉄道事業法に基づく「鉄道」)へと進みます。

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この情景はこちらでお楽しみください。

 

2024年11月10日 (日)

伊予鉄道_鉄道線の魅力②

1回ではお伝えしきれない魅力、2回目はダイヤモンドクロスを行く電車の観察です。

線路はこんな感じ。左右方向が鉄道線。それに市内線が直角に交差します。双方が複線なので通過時の迫力も倍増です。

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殆どの人は線路だけ見て満足するのでしょうが、OER3001氏はしっかり電車線(トロリー線)も観察しておきます。これは横河原方面行線路に市内線複線が交差する部分で、鉄道線側も複線で撮りたかったのですが、クロス部分をアップしたかったので悪しからず。

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架線ですから空が入るとどうしても見えづらくなります。ビルバックにズーミングして撮っておきます。

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3501先頭の横河原行きを大手町駅方から観察します。

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ここに暫く居るうちに、横河原行き、高浜行どちらも700系(元京王5000系)が大手町駅で並ぶシーンに出合いました。左の715は2両編成、右の727は2両編成に増結されたカタチの3両編成で、幌座が異なります。

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723先頭の3両編成高浜行が大手町駅を発車しました。

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ゆっくりゆっくり、ダイヤモンドクロスに差し掛かるとガタガタガタガタと音が。

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台車・車輪に加えてパンタグラフのシューが、クロスしたトロリー線を擦って行く状況も見ものです。

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この辺の魅力は、なかなか静止画では伝えきれません。

YouTubeに「地方鉄道の電車が路面電車の線路を横断! 」をアップしてみましたので併せてご覧ください。

 

2024年11月 8日 (金)

伊予鉄道_鉄道線の魅力①

今回は未乗車だった横河原線の走破。生憎の小雨でしたが、乗っているならさほど気にせず。横河原駅は松山市内ではなく東温市、愛媛県内唯一の大学病院である国立・愛媛大学付属病院を擁する住宅地に位置するようだ。

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駅舎撮影後、早々に乗って来た電車(3309-3109-3509)で折り返します。元京王井の頭線3000系のこの電車は、IGBT素子によるVVVFインバータ制御に改造された1M2Tで、従来の2両編成より消費電力を抑えて輸送力増強を果たしたと言う素晴らしい車両。

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往路で気になっていた石手川公園駅です。ホームが石手川橋梁の上まで伸びています。

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「白線の内側」は橋梁のトラス。点字ブロックの「黄色い線」はありません。トラスの間を潜り抜けて電車から離れることはできそうです。

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横河原線の電車はそのまま高浜線へ直通します。接続駅となる松山市駅を過ぎると、次の楽しみは大手町。「大手町」とは言えど、東京とは違います。3両編成対応の相対式ホーム2面2線の有人駅。前後は踏切という状況ですが・・・、

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高浜方の踏切が最大の魅力かと。ちょうど700系(元京王5000系)がやって来ましたが、踏切前後には立派な鉄柱が。ビームも鉄柱同様のトラスです。

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700系迫る踏切の右側で、当方にカメラ(スマホ?)を向けている男性が居ます。

OER3001氏が乗車している3309編成がノッチイン。ここここ、今や全国でここだけになった市内線との平面クロス“ダイヤモンドクロス”をガタガタと音を立てて進むのです。(ここから古町駅までの動画は→伊予鉄道高浜線、大手町駅ダイヤモンドクロスを進みます。

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このダイヤモンドクロスの魅力、お伝えしきれませんのでまた次回。

 

2024年11月 6日 (水)

伊予鉄道鉄道線のいま

高浜駅からはこれに乗車しました。ICカード乗車が出来ないので券売機で格闘していたら、駅員氏が「もう発車時刻だからそのまま乗って、車内で買ってください」と。(別に次の電車でも良かったのに、折角だから誘導されるままに乗ってしまいました。)

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最後部に座ると女性の指導車掌。新人の男性の実地指導中でした。この女性と新米の男性が、二人とも何と礼儀正しい優しい人物なのだろうかと感心する一幕が。めっきり見ることが無くなった「車内補充券」を丁寧に発行してくれるのですが、「お一人000円なので、お二人で0000円です。0000円お預かりします。」暫くして「0000円お預かりしましたので00円の御返しになります。ありがとうございました。」と。こちらの方が緊張してしまう丁寧な接客ぶりに大感激です。

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客室はまさに、ある日の“昼下がりの井の頭線”のようです。

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妻を同行していながらも、どうしても古町で下車してしまいます。下車した横河原行きを見送った後にやって来た高浜行を撮ります。

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古町車庫には懐かしい京王5000系だった700系が。

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暫く古町駅であちこち観察しているうちに、試運転から戻って来た700系と並びました。オレンジカラーはこれまで画像で見て居てなんとなく違和感があったのですが、実車を見ると段々好感が持てるようになって来たのが不思議です。

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伊予鉄社員の印象が、オレンジカラーに好感を持たせるように働いたのでしょうか? ステンレス車も似合っているようで。

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伊予鉄独自の新型車両7000系の第1陣6両(3両編成×2本)が、近畿車輛から古町車庫に搬入されたそうです。この新車で、元京王5000系が消えて行くことになります。

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暫く行っていなかった伊予鉄道鉄道線、また面白くなりそうです。

 

 

 

2024年11月 4日 (月)

広島から松山へ

鉄道好きな身として、普通なら鉄路を利用するのですが、妻同行での慰霊の旅としては、、、。スーパージェットと称するこれで、瀬戸内海クルージングとしました。

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折角2階席スーパーシートとしたのに、残念ながら雨交じりの空模様。広島港を後にしました。

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呉を経由します。2005年の出張の際、OER3001氏が務めていた会社が関わった開館直後の大和ミュージアムを見学していました。

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その大和ミュージアム前の桟橋を後に、一路四国を目指します。

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途中、倉橋島を結ぶ音戸大橋を抜けますが、この間は100mも無い狭さです。その操舵に感心しつつ、

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1時間20分の船旅を終え、松山観光港に到着です。松山観光港からは連絡バスで伊予鉄高浜線の高浜駅へ。

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1978年4月の出張時の夜、初めて行ってみた時とは車止めの位置が変わっているようにも見えます。

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今度は駅舎も入れて、全体の雰囲気を押さえておきました。いや~電車は井の頭線ですね~。

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この画像、実はカメラを構えるOER3001氏を見つめる妻が写っていたのですが、ここはちょっと隠れて頂いた次第。でもホントに隠れてもらっては困ります。

 

 

2024年11月 2日 (土)

久しぶりの広島電鉄

広島を訪れた前回はいつだったろうか? 手元の画像DATAを探ってみると・・・、

2006年10月のことでした。2日間にわたり開催された“・・・・・  SOLUTION WORLD 2006 in 広島”(・・・・・ は社名)という展示会に行った序で、時間をやりくりして広電撮っていました。

今は広電のJR広島駅ビルへの延伸・線路付け替え工事が進んでいるので、この猿猴橋町(えんこうばしちょう)電停はもうすぐ無くなってしまいます。

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今回はあくまで“平和祈念の旅”なので、電車は序で。とは言え、出会ったものはしっかり記録しておきます。この日の白島線の運行を担う1本は、元・京都市電の1900形でした。

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広電初のVVVFインバータ制御方式を採用した連接車3800形は、市内線・宮島線の両方で元気に活躍しているようです。この塗色好きだなあ。

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1999年以降は超低床車両の導入となり、この5200形は2019年から導入された最新鋭の5車体連節車。ここで「連接車」と「連節車」としたが誤字ではありません。日本産業規格(JIS)では「連節車は運用中に分離可能な連結器を使わずに、半永久的、直接的に車体同士を接続した車両全般を指す」と規定、車体間を連接台車で連結している車両を「連接車」、台車を用いないで連結している車両を「連節車」としています。

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5200形は単車3両で、台車を持たない浮き車体を保持している構造なので「連節車」です。5208編成は全身ブルーのラッピング。

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オレンジ色のラッピングも走っているが、良く見ればこのオレンジラッピングは、2005~08年に製造された一世代前の5100形で、5200形より座席数が2席少ないらしい。

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次々に新型車両が行き交うメインストリートは楽しい。紙屋町東で広島駅に向かう5100形と交換する広島港行1000形に乗ることにしました。

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1000形はグリーンムーバー・レックス(LEX:Light Excursion)の愛称を持つ3車体連節で全長18.6m、広電の全路線運行に対応します。

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広島港という駅(停留所)名も以前は宇品港と言われていましたが、2001年から現在のように「広島港(宇品)」と表示されるようになりました。広島駅行「1」5100形が発車して行きました。

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こちらは同じ広島行でも「5」の紙屋町を通らないルート。乗客数が少ないからなのか、3車体連節の1000形でした。

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「1」ルートの1000形が来ました。このカラーは広電バスの標準色らしいです。

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ここ、広島港(宇品)は車両撮影には良い場所ですね。この日は小雨も降っていたので、逆光の心配もありませんでした。横川行「7」の700形、運転士は女性ですよ。カッコイイ!

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ホーム奥に停車していた802、800形の中で1983年に製造された2両だけ、他車と違うフェイスなのですね。

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その後に増備された800形は、前照灯&尾灯の配列が縦から横に変わるなど、細部が少しづつ異なるようです。な、なんと、この運転士も女性。

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広島では、原爆被災後の復興に、女学生を乗務員に育成し運転士として乗務させていたという事実を、『堀川恵子、小笠原信之「チンチン電車と女学生」日本評論社2005年7月(ISBN 4535584257 )』で読んでいたが、時代が変わった今も、立派な女性運転士が多く活躍していることに嬉しい思いです。

 

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