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2024年11月18日 (月)

松山駅_国鉄からJRへ、そして高架化

OER3001氏が子供の頃は、四国は宇高連絡線で渡る遠い地というイメージでした。そんな四国の松山に初めて行ったのは1978(昭和53)年の出張でした。仕事を終えた17時過ぎ、空港に向かう前にちょっと駅に寄り道していたようです。

2番線(だと思う)にはDF50牽引の客車列車が停車中。

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跨線橋を渡って見に行けば、昭和32年新三菱重工&三菱電機製造の9号機でした。

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運良く、今治方から到着するのは急行「うわじま」。

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急行「うわじま」は17:34だったでしょうか、松山駅を発車して行った後に、DF50牽引の普通列車が発車して行きました。

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四国はディーゼル王国と呼ばれていたものです。

12年後となる1990(平成2)年に、再び出張の機会を得て松山に行った時には国鉄はJR四国に代わっています。この地を代表する企業の看板が掲げられていて、これが民営化なのだなと。この内の一つが、この出張の目的でした。

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車両はJR四国カラーになり、松山駅西側に広がる車両基地は目の保養になりました。予讃線の電化が進められていましたが、まだまだディーゼルが主役でした。

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仕事を終えてからの空港に向かう間の時間を有効活用、車両基地の南北に移動して撮影できました。

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その松山駅、前も画像と比較すると・・・、駅舎そのものは建て替えられていなかったものの、中央に三角屋根が増設されていたのですね。

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構内に入るとホームの人影はゼロ。高架新駅に以降した直後だったのです。1978年や1990年の時の思い出が蘇って来るようです。

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高架新駅には7000形単行が入線して来ました。

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その横には特急「宇和海」のN2000系気動車が。

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こちらの特急「宇和海」は2000系なのですね。

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そんな松山駅はこれから旧駅の解体と再開発が進むようで、車両基地が拡がっていた西側からは奇麗になった高架線を見ることができます。

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残念なことにこの後の豪雨で、高架下の駅施設と商業施設が水没。自動改札機などは取り換えになったようで、折角の新駅は災害対策が脆弱だったようで反省しなければなりません。

 

 

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コメント

出張ついでの立ち寄り鉄も積み重ねると良い思い出になりますね。

今まで北海道、九州に入ったことがあります。ただし北海道は富良野くらい、九州は熊本以南へは行ったことがありません。岡山、広島、山口はあちこち行きましたが、四国にはいまだ、足を踏み入れていません。私にとっては、近くて遠い場所かもしれません。

.私が初めて四国に行ったのは1977年2月なので、ほぼ同じ時期です。広島から水中翼船で松山、松山から高知はバスの「なんごく号」、高知からはフェリーで大阪というルートで、国鉄にはほとんど乗っていないという臍曲がりな行程でした。高知駅の構内でDF90を撮っています。

◆ ぼっちぼち さま
「立ち寄り鉄」は必須でしたよ。


◆ 工房5丁目 さま
それは残念ですね。機会をがあれば良いのですが。


◆ モハメイドペーパー さま
なんと、ホントに臍曲がりですよ。架線が無い鉄路には興味なしということだったのでしょうか?

仕事柄、出張というものに縁がなかった(都内日帰りはあったが)ので皆さんが羨ましいです。でも仮に泊まりの出張があったら仕事そっちのけになりそうです(笑)

◆ 所長失格 さま
お陰様で結構いろいろな所に行っていましたね。でも、しっかり仕事はしていましたよ、念のため。

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