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2024年12月

2024年12月30日 (月)

貸切列車で忘年会(3)

下田での8000系撮影会の後は、KD氏、AM氏と稲生沢川橋梁に向かって歩き始めたら、いきなり「踊り子」の発車でした。急遽歩いていた場所からまず1枚、12:40のことでした。

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稲生沢川の向こう側には先客が居られたので、手前から撮ることにして13:06、上り「踊り子」を。

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13:12に伊豆急100系色の8000系が来ました。向こう側の同業者を望遠レンズで確認したら、なんと例の(伊豆大川で我々の列車を撮ってくれた)後輩氏。スマホで呼びかけ、手を振りあった次第。

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13:25には下り「踊り子」が通過です。

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ここでの本命は「サフィール踊り子」でした。ダイヤ遅れで13:41にやっと来た次第。

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昼過ぎの1時間半ほどは頻繁に来る列車ですが、これを過ぎると間隔が開くので駅付近に戻ります。団体貸切の8000系が「踊り子」と並んでいました。

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この後、構内の「さかなや道場」で金目の刺身他で一杯。小一時間を過ごしてから15:24発の貸切列車の乗客になりますが、満足してこの通り。

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往路で飲みきれなかったお酒は空けなければなりません。

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ややや~、そう言わないでもう一杯と、なんだかんだで騒がしい復路です。

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夕日を浴びた伊豆大島も見送ってくれるかのようで・・・。

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最後になんと、幹事からスイーツが配られたのです。

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スイーツは「つるや饅頭」、幹事が懇意にしている南信州の菓子補から取り寄せてくれたものでした。

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ということで、忘年会列車の旅はこれまで。本年も本当にいろいろありましたが、何より無事に年が越せそうです。

「OER3001氏の優雅な生活」をご覧頂いた皆さま、ありがとうございました。新しい年も何卒よろしくお願いいたします。

 

2024年12月28日 (土)

貸切列車で忘年会(2)

伊豆急下田到着後、一旦改札を出てから再入場。入れ替えを終えた8000系の撮影会が始まりました。

ん? 行先が高島町って、東横線にあったらしいです。

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ありゃりゃ、高島町行でも8004だったはずの車号が東急時代の8034に変えられているではありませんか!

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今度は運行番号を01から55に変えて、急行・桜木町。実に懐かしい姿ではありませんか。

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やや!? 今度は急行・元町・中華街ですが、車号がまた変わっていますよ。8040ですって。

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その8040が今度は、運行番号16の各停・桜木町に。

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代わって特急・渋谷になった時には、ご丁寧に車号が渋谷方の8039、運行番号は01に変えられているではありませんか。

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8039とされたままでご愛敬、運行番号が39(サンキュウ)、「さようなら」の方向幕と、貫通扉には伊豆急100系の「伊豆急下田←→伊豆高原」、そして「8000 Thank you 8039編成さようなら」の副票まで。

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いやいやいや、実に芸が込んだ楽しい撮影会となりました。この企画は当日まで明かされず、まさにサプライズ。ご用意頂いたスタッフの方々、優しくご対応頂いた伊豆急の皆さまに感謝申し上げます。

2024年12月26日 (木)

貸切列車で忘年会(1)

少し前のことになってしまいましたが、12月15日(日)のこと。熱海発の伊豆急下田行「リゾート21」は黒船電車、1号車の展望室に座りました。

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クハ2158の乗務員室仕切り背面にはブルーリボン賞プレートの他に、シルバーのプレートが5枚も。何かと思ったらブライダルトレインとして運行された際の日付、新郎・新婦のお名前でした。

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そんな展望室でJR線区間を行き、伊東で一旦改札を出たのが8:50。朝早いので気合い入れて頑張りましたよ。

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熱海駅に「団体」の東急8000系ならぬ伊豆急8000系が入線して来たのが9:08。

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OER3001氏が乗車したクハ8004は昭和47年東急車輛製。(東急時代はクハ8034

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9:13伊東発車後は早速宴会開始、お仲間が持ち込んだ清酒「梵」でカンパ~イです。

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間を置かず幹事氏からビール、おつまみ、寿司などが配られます。

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東伊豆の朝陽を受けながら、こんな贅沢をして良いのでしょうか、良いのです。

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客室で盛り上がる中でも、乗務員氏は安全運転に努めてくれています。申し訳ない思いです。

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この日の運行ダイヤ、これが配布されて大いに助かります。

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幹事様が用意してくださったのは、サッポロビール焼津工場で作られたご当地銘柄の静岡麦酒、伊東で70年の歴史を誇る「祇園」のからあげといなり寿司。それに沼津産茶葉100%の「ぬまっちゃ」。素晴らしい気づかいではありませんか。

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飲んで食べている間にふと外に目をやればなんと富戸だって(笑)。

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伊豆高原での19分停車を利用して上るホームまでダッシュ。乗って来た団体列車を撮っておきました。

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頂いた運行ダイヤのお陰もあって、ちょうど沿線撮影に興じている高校鉄研OB会後輩氏にメールで連絡したら、何と伊豆大川駅手前で乗車列車を撮ってくださるとの連絡。架線柱で隠れてしまいましたが、後輩氏が手を振ってくれました。

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その時の作品がこの1カット。光線状態も良くバッチリの写真、提供してくださった片岡さんに感謝です。

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片瀬白田での13分停車の際には、特別仕様の行先表示「貸切団体 忘年会列車 伊豆の冬」とするサービスも。

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片瀬白田を出れば有名な海岸沿い。車窓には伊豆大島、利島、新島などが広がります。

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11:00伊豆急下田着。入換の後に構内で実施された8000系撮影会では、東横線時代の列車表示にするなどしての撮影会が展開されました。

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参加者それぞれ、下田で3時間余りを過ごしました。

 

2024年12月24日 (火)

合間の電車撮影

冬らしい日差しの下出掛けた折、時間的制約が無いので先ずここで。廃車が進んでいる8000形、元気な姿でやって来ました。

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なんとこの日は不幸な日。朝8:10頃に発生した参宮橋-代々木八幡間での人身事故で、ロマンスカーおよび千代田線との直通運転は中止に。

そして帰路、祖師ヶ谷大蔵駅に来てみれば、その後に渋沢駅で人身事故だそうで、ロマンスカーは終日運転されない一日だったようです。

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5000形の上り急行を撮ったら、下って来た藤沢行急行は1000形。ホーム先端で2、3人がカメラ構えていましたが、何を期待していたのか?

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OER3001氏が乗ろうとする各停がホームに滑り込もうとしている時、下る4000形急行と上る2000形各停のツーショットを。

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気付いてみれば、最大両数を誇る3000形以外の通勤車、全形式をGetとはラッキー。ロマンスカー運行は夕刻から再開されたようですが、一日に2度の人身事故とは、鉄道事業者も堪りませんよ。

 

2024年12月22日 (日)

東急 暮らしと街の文化

久しぶりに祖師ヶ谷大蔵駅で下車。冬らしい日差しの下、歩くことおよそ30分。辿り着いた所はここでした。

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11月30日より2月2日まで開催中のこれを観るために。シニアの観覧料は1,200円と、決して安い値段ではありません。

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助かったのは撮影禁止ゾーン以外での撮影は可能。と言うことで先ずはエントランスで、渋谷で進む再開発工事で出土した玉電のレール。玉電が運行停止されたのが1969(昭和44)年だったので半世紀を経て掘り起こされたということになります。

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その奥には縮尺1/5の台車模型が並びます。最初は住友金属KS-33、3700形が履いていた台車で、晩年には枕ばねが板からオイルダンパに改造されていました。

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東急を語るうえでは青ガエルと呼ばれた5000系は避けて通れません。その5000系の台車は東急車輛製TS-301。

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我が国初のオールステンレス車両として登場した7000系が履いたは、ディスクブレーキが軸箱の外側に付いた独特の形状だったパイオニア形と呼ばれるTS-301。これらの1/5模型はいずれも天賞堂による製作。

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展示室に入ると早々に、中央の展示台に目を奪われます。

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これは目黒駅の模型。東急の発祥は目黒蒲田電鉄ですから目黒は起点駅です。

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こちらは鎌田駅。国鉄線への連絡通路が手前に延びています。

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時代は戦後の高度成長期。大井町線を延長して田園都市線が開通する時の溝の口駅。7000系祝賀列車のテープカット式典のようです。

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東急車両が納入した7000系の図面集なども見られました。

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木箱に並んだ駅名のゴム印。定期券発行に必要だったのです。左上の渋谷から下に代官山、中目黒・・・と東横線、右に目蒲線、大井町線、玉川線、営団、国鉄と。つぶさに見ると面白いです。

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この展示、鉄道ばかりではなく東急の街づくりや沿線居住作家の芸術作品なども展示されていますが、OER3001氏の興味対象はやっぱり鉄道。

模型や図面等が多く展示され、観覧料1,200円の価値はあったかな。1月11日(土)には荻原俊夫さんの「東急の車両設計に携わって」というレクチャーも計画されています。

 

 

2024年12月20日 (金)

ロマンスカーミュージアムの現況

開業から4年目に入ろうとしているロマンスカーミュージアム、12月4日(水)から2025年3月3日(月)までの予定で、企画展「まちの多摩線50年」が開催されています。

2021年4月19日に開業したロマンスカーミュージアムは、資料の収集・保管・展示・調査研究の体制や、学芸員その他職員の配置、施設・設備、年間開館日数などの観点から審査を受けて本年6月21日、博物館法で規定する神奈川県所管の「登録博物館」として登録されています。

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12月14日(土)には、学芸員による展示解説が行われました。学芸員による展示解説は2025年1月4日(土)、1月18日(土)、2月15日(土)にも予定されています。(各日14:00~14:15)

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ご縁があって、OER3001氏はこの展示に協力させて頂き、多摩線開業以来撮って来た写真を提供しています。

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歴代のロマンスカーが並ぶギャラリーの一角です。

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多摩ニュータウン開発と交通政策、新線開発の経緯、小田急の取り組みなどが、コンパクトにまとめられています。

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一方、モハ1形が停車するヒストリーシアターの一角では、OER3001氏の歴代ロマンスカー車両模型なども展示中です。

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年末年始の休日等を利用して、足を運ばれては如何でしょう。充実したひと時となることと思います。

 

2024年12月18日 (水)

初めての“教科書”

小学5年生になって間もない頃、OER3001氏が初めて手にしたのがこれでした。

1961(昭和36)年、改訂1版として発行されたTMS特集シリーズ№3「電車と機関車の工作」150円。初版は1957(昭和32)年なので、小学生には解読できない漢字も多く、難しい内容でした。

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トビラを開いた最初のページのこの光景が忘れられませんでした。

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目次を見ると、小田急や京王帝都の沿線育ちの身にとってはイマイチ馴染みのない対象ばかりでしたが、これを“勉強”しないと“大人”になれないと思って、必死で読んだような記憶が。

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小学校の教科書より小さい字、学校で習ったのと違う旧漢字も使われていて、なかなか読みづらいものでした。作者のT.S.K.って何でしょう? 由利 啓さんの「京阪神急行京都線711形の製作」はとにかく凄いものでした。

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漢字が読めなくても図解で解りやすいけど、無~理っていう感じ。

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車体材料は0.6~0.7の真鍮板を使用とありますが、そんな材料はどこで入手できるのか、小学生には手も足も出ません。

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当時はこんな図が描ける方がいらしたのですね。解りやすく、なんとか紙でできないかと考えたものです。

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前照灯、標識灯、アンチクライマーなど、丁寧に図解してあるのですが、製作技術が全く無し。

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下回りに移れば、モーターを直角方向に搭載した扶桑金属のFS台車、詳細な設計図があります。

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こうやって作るのだそうですが、わかるけどできない!

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軸受、バネ、なるほど、こうするのか、凄いなー! と、ただただ感心するばかり。

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おまけに室内の座席まで詳細な設計図が。

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こんな素晴らしい模型作った由利 啓さんという方、アマチュアなのでしょうか? 模型見てみたかったな。

グラフページには参考として同タイプの800形が紹介されています。四日市模型鉄道クラブ・木村義男氏の(ペーパー製)製作だそうです。

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この“教科書”後ろの広告ページ、今は消えてしまった有名店が並んでいます。百貨店の東横が、この時代は池袋にもあったことを明示しています。東横は東急になり、池袋のビルは東武に、渋谷は解体されてと、60年も経てば様変わりです。

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このページも、現存するは天賞堂とTMSだけですね。

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後表紙には売価150円と。電車は近鉄のようだけどフリーかな。並ぶ工具は鉄道模型製作には必須だったのでしょうか。

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何だかんだで気付けば60年もこの道(鉄道模型)に嵌っているけど、やっぱりこの時代の先輩方には追い付けません。

 

 

2024年12月16日 (月)

教科書

久しぶりに、この道に入って暫くした頃に出合ったボロボロの1冊を取り出して、つい読み更けてしまいました。1963(昭和38)年発行のTMS特集シリーズ13「電車工作集」です。

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中学生になって間もない頃だったか、それはそれはどれも高尚な作品ばかりで、かなり高度な技術が必要だと思ったものでした。それにしても関西が強いですね。

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東京の中学生の興味は、湘南型80系やこだま型8連に加えて小田急SE車デハ3000形くらいしか無かったのが残念でした。

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それでも、なかお・ゆたか氏による電車の技法はバイブルでした。

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丸妻の繋ぎ方とか、オデコの作り方とか。

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切妻ではない2枚窓正面の作り方など、食い入るように見ていたものです。上は湘南型、中は小田急1700形3次車、下は阪神300形でしょうね。

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床下機器の作り方など、おカネが無い中学生にとっては凄いヒント。なるほど手帳の鉛筆で小さいエアタンク、ブレーキホイールはスナップを使えば良いのだ。

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これらのヒントは充分に取り入れさせてもらったものですが、OER3001氏が一番やってみたかったのは「小田急SE車を作る」でした。

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高尚過ぎてとても手が出ません。連接式で車高が低いだけに動力が課題。オイルジョイント(流体伝導機)の製作なんてとても手がだせるものではありません。

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ただただ眺めるだけで終わっていましたが、それにしても当時の内容は凄いです。今のように殆ど入手できる訳ではないので、懸命に考え、何とかモノにする。先人たちの凄さに驚きます。

 

2024年12月14日 (土)

天賞堂の思い出

カワイモデルの思い出を続けたので、今度は天賞堂の思い出を。

天賞堂が無くなってしまったわけではありませんが、考えようによっては今は無くなってしまったみたいなものと思うのはOER3001氏だけではないかもしれません。

そもそも高根の華の銀座・天賞堂に行くと、鉄道模型の売り場には目を引き付けるレイアウトがあったものです。今はそれが無いのですから。

旧・天賞堂ビル2階に第3次オメガセントラルと名付けられたこのレイアウトが設置されたのは1964(昭和39)年だったであろうか。

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前回、カワイモデルのレイアウトを取り上げた際に寄せられたモハメイドペーパーさまから寄せられたコメントに「基本的な線路配置もほぼ同じ」とありましたがその通りです。カワイモデルより大きい左右が約5メートル、奥行き2.25メートルを、アメリカ型に交じって、DF50が牽く10系軽量客車列車や151系特急電車が走り回る姿に惚れ込んでいたものです。

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1964(昭和39)年発行のTMS特集シリーズ「たのしい鉄道模型」に紹介されていました。この表紙の擦れが、中学生だったOER3001氏が熱心に“勉強”していたことを物語っています。

階段で2階に上がればレイアウト左側に。

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右を向けばご覧の通り。この左右が5メートルですから凄い!

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中央のリバースに設けられた駅に停車するのはC51ですが、牽引する客車がどうも違う。流石国際色豊かな天賞堂。

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跨線橋などはThe NIPPONですが、隣のタンカーはちょっと合わないかな。

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などと思えど、時間になるとあの三浦慶一さんが登場して、この凄ーいコントロールボードを操作して列車が走り出します。

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天賞堂では鉄道模型は見るもの。滅多に買えるものではありませんでしたからね。レイアウトの運転が終わるまで、鼻先をガラスに付けながら眺めていたものでした。

 

 

2024年12月12日 (木)

カワイモデルの思い出_2

こんなのも見つかりました。ビルになる前の店内にあったレイアウト、多分2代目ではないでしょうか。初代は店舗入って一番奥にあった記憶がありますが、1960年代に店舗が改装された時、店舗入った左側に新設されました。

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左側の山、トンネルから157系が顔を出しています。

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奥行き(画面左右方向)は1.45m、幅(画面上下方向)3.58mだったようで、Oと8型で構成したプランで最小曲線半径は610㎜だったようです。

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エンドレス内側の駅構内と機関区(?)が配置されていましたが、機関庫は中村汪介氏の作だったと。

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機関庫に限らず、実はこのレイアウトは中村汪介氏の手で仕上げられたものだったようです。

1965(昭和40)年発行のTMS特集シリーズ17「小レイアウトと小型車両」に紹介されていました。

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Nゲージ誕生以前はHO、16番ゲージで、工夫を凝らしたレイアウトを作るのがファンの夢でした。

 

 

 

2024年12月10日 (火)

カワイモデルの思い出

こんなモノが見つかりました。

本年3月に廃業となった“日本最古の鉄道模型メーカー”カワイモデルのカタログ、1967(昭和42)年12月発行の第11版。OER3001氏が16番ゲージを始めたのは1961(昭和36)年12月、神田のカワイモデル店舗で28吋曲線他の木製道床レールとパワーパックを父に購入してもらったのが始まり。63年前のことでした。

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当時、毎年(?)のように改訂されたカタログが発行されていて、この第11版の前にも何冊か買っていた筈なのですが、これ以前のものはまだ発見されません(涙)。

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ページをめくっていくと、懐かしさと共に河合さんの魂のようなものが伝わって来ます。

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第11版は表紙を除き全62ページ。これを眺めながら、お年玉などの財源と相談しつつ夢見ていた車両増備の計画でした。

 

 

2024年12月 7日 (土)

吊り掛け駆動を楽しむ

多摩川畔でのシニア運転会、今回は吊り掛け式駆動を楽しみました。

その理由は、先般0番の台車2台を吊り掛け式で動力化したもので、同じ構造で製作していたこれを、広い線路で走らせたくなりました。

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小田急の車両史上、新性能車両群が登場する前の1950年代に登場した2100形は、車体構造を軽量化したものの足回りは旧仕様で、最後の吊り掛け駆動車(ABF)となりました。

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そんな2100形をペーパー自作したOER3001氏は、足回りに“いさみや”の吊り掛けモーターを採用、実車通りデハ2100形に4個装備してノーウエイトで、クハ2150形との1M1Tで勾配線にも対応できるものかと、試験的に取り組んだものです。

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結果はモーターの特性から2個直列としてもなお高速なので、スピードコントロールにはテクニックを要しますが、このレイアウトの勾配線は何の問題も無く快走してくれます。

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久しぶりの出場だったので始めは少々ギクシャクしていましたが、時間と共に快走してくれ、2両編成×2の4両編成(計8個モーター)の6Vでの走行時の電流は0.05Aと、相当な省電力でした。

 

2024年12月 6日 (金)

衝動買い

近所のGMSで、こんなモノに眼が止まり思わず買って来てしまいました。行先等のシールまで入っています。

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だって、10月に行った時にも元気な姿に遭遇してしまったのですから。

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結構特徴を捉えているではありませんか、これで437円(税込)ですよ!

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でも・・・、この集電装置はちょっと残念ですね。くの字にならない(涙)。

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ま、イイか、それでも。

Nゲージ線路に乗せてみたら一応イメージ通り。動力化なんてできるものなのか?

 

 

2024年12月 4日 (水)

0番台車

CN-16モーター吊り掛け駆動の動力台車、2台目もできました。

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手持ち在庫のCN-16モーター、吊り掛け駆動ユニットはこれで無くなったので、これ以上はできません。

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とりあえず2台車4個モーターということで、OER3001氏の計画には支障ありません。はたしてこれからどうなることか?

 

2024年12月 2日 (月)

JR大井町駅の改良工事

海側を東海道線が通過する京浜東北線・大井町駅の改良工事が進んでいます。改良ポイントはこの画像の手前左側。

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りんかい線や東急大井町線との連絡通路を拡張するために、北行き線路の移設を移設してホームを拡張するというもの。

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工事は11月17日に運転を取りやめて実施されました。その前日が上画像、移設後が26日撮影の下画像 。

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良くわからないかと思われるのでので、まだ線路移設に対応されていないホーム上屋で見てみましょう。

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上屋先端は線路のカーブに合っていたものが、線路だけ移設されている状態では斯様な状況で、雨天乗降時には濡れることになります。

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上屋の張り出しは、この後実施されることは間違いありませんが、はたしてどんな様子になるのでしょうね。

 

 

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