天賞堂の思い出
カワイモデルの思い出を続けたので、今度は天賞堂の思い出を。
天賞堂が無くなってしまったわけではありませんが、考えようによっては今は無くなってしまったみたいなものと思うのはOER3001氏だけではないかもしれません。
そもそも高根の華の銀座・天賞堂に行くと、鉄道模型の売り場には目を引き付けるレイアウトがあったものです。今はそれが無いのですから。
旧・天賞堂ビル2階に第3次オメガセントラルと名付けられたこのレイアウトが設置されたのは1964(昭和39)年だったであろうか。
前回、カワイモデルのレイアウトを取り上げた際に寄せられたモハメイドペーパーさまから寄せられたコメントに「基本的な線路配置もほぼ同じ」とありましたがその通りです。カワイモデルより大きい左右が約5メートル、奥行き2.25メートルを、アメリカ型に交じって、DF50が牽く10系軽量客車列車や151系特急電車が走り回る姿に惚れ込んでいたものです。
1964(昭和39)年発行のTMS特集シリーズ「たのしい鉄道模型」に紹介されていました。この表紙の擦れが、中学生だったOER3001氏が熱心に“勉強”していたことを物語っています。
階段で2階に上がればレイアウト左側に。
右を向けばご覧の通り。この左右が5メートルですから凄い!
中央のリバースに設けられた駅に停車するのはC51ですが、牽引する客車がどうも違う。流石国際色豊かな天賞堂。
跨線橋などはThe NIPPONですが、隣のタンカーはちょっと合わないかな。
などと思えど、時間になるとあの三浦慶一さんが登場して、この凄ーいコントロールボードを操作して列車が走り出します。
天賞堂では鉄道模型は見るもの。滅多に買えるものではありませんでしたからね。レイアウトの運転が終わるまで、鼻先をガラスに付けながら眺めていたものでした。
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このレイアウトの記憶も今や曖昧ですが、左側にある小カーブのエンドレスが気になっていて、父親と「あれはトロリーラインだね」と話した覚えがあります。なにが走っていたかは記憶がありません。
投稿: Cedar | 2024年12月14日 (土) 09時44分
◆ Cedar さま
仰る通り一回り小さいエンドレスはトロリーラインと称していたようですが・・・
手前に門型架線柱が1組建っているだけで、天賞堂製品中にトロリーが無かったからでしょうか、0-6-0タンクがベークライト製貨車を牽いている姿が「楽しい鉄道模型」に掲載されていました。
投稿: OER3001 | 2024年12月14日 (土) 09時58分
残念ながら、カワイのレイアウトも、この天賞堂のレイアウトも走っているところは見たことがありません。天賞堂のレイアウトは、ビルを建て替えた直後の第4次(だったかな)オメガセントラルができたときに、一度だけは知っているところを拝見しました、その時も運転していたのは三浦さんでした。その後、店内改装の際取り壊されてしまいました。
投稿: 工房5丁目 | 2024年12月14日 (土) 10時36分
立体交差を入れようとすればどうしても8の字になりますね。第3次オメガセントラルの建設では、エコーモデルの阿部さんがアルバイトで参加していたそうです。
投稿: モハメイドペーパー | 2024年12月14日 (土) 11時28分
編成物や機関車製作時自宅で走行出来ない時は運転させて貰いました。
観ていた天賞堂のⅯさんからはもう少し静かでないと売り物にならないと
云われた記憶が在ります。
レイアウト撤去した後、規模の小さいレイアウトでも試運転させて貰ってました。
投稿: ぬか屋 | 2024年12月14日 (土) 13時52分
手元にある「とれいん」誌1975年10月号にオメガセントラルで撮影されたC55流線形の見開き写真が出ていますが、これが上のレイアウトでしょうか。ちなみに同じ誌面にはOER3001様と作品が掲載されていて、当時夢中になって読んでいました。
4丁目の店舗が取り壊されるまでは、確か3階にレイアウトがあって、カンタムがデモ走行していた記憶があります。
改装後の現店舗は、運転会メンバー曰く「修理受付コーナー」で、2度(うち1回は修理依頼)しか行っていません。
投稿: 所長失格 | 2024年12月14日 (土) 15時11分
◆ 工房5丁目 さま
走行シーンをご覧になっていなかったとは残念でしたね。まあ自動運転ではなく、人が手動で操作しなければならない代物だから、店員ならだれでもという訳にはいかなかったことも原因でしょう。旧ビル3階のレイアウトが撤去されたのは寂しかったですね。三浦さんの退職と関係しているのかな?
◆ モハメイドペーパー さま
電車ファンのOER3001氏としては、8の字は良いとしてもリバースは微妙でした。電車の向きが変わっては問題がありますからね。
阿部さんがアルバイトしていたとは知りませんでした。
◆ ぬか屋 さま
売り物ではないとして、音を静かにと指摘された代物はどんな手段で低騒音化できたのでしょう?
試運転させてくれるのはありがたいですね。手の届かない向こうで止まっちゃったらどうするのでしょうか。
◆ 所長失格 さま
「とれいん」誌1975年10月号、引っ張り出して見ました見ました。
オメガセントラルが3次なのか4次なのかちょっと判りませんが、C55の背後にもトンネルポータルが見えますので4次のようですね。
何とその「とれいん」誌、恥ずかしながら若きOER3001氏も・・・、お恥ずかしい。
投稿: OER3001 | 2024年12月14日 (土) 18時04分
天賞堂のオメガセントラルのレイアウトは数次分拝見しております。運転時間になると三浦さんが運転していましたね。
時々運転する車両の動きが悪い時、運転席から長い根性棒?でツンツンして動かしていましたね。レイアウトを解体した時、コントロールボードパネルをもらいました。
投稿: 八千代運転所 | 2024年12月14日 (土) 19時08分
走行音が大きいといってもアマチュアから見れば気にならないので
そのままで走行させこなれて来れば問題ないですよ。
トンネルは台枠の下から入ったり、池の様な穴を開けておき台枠の下から
上半身が出せる様に成って居ます。
投稿: ぬか屋 | 2024年12月14日 (土) 21時03分
◆ 八千代運転所 さま
流石大先輩です。コントロールボードを頂いた?って、それだけ貰っても使い道は無いでしょ。スイッチ類やパイロットランプを再利用するくらいですか。でも良い思い出ですね。
◆ ぬか屋 さま
やっぱりそうでしたか、ありがとうございます。
投稿: OER3001 | 2024年12月14日 (土) 22時05分
確かにこれだけもらっても使い道はありません。これがあのオメガセントラル・レイアウトのコントロールパネルだったという自己満足です。
投稿: 八千代運転所 | 2024年12月15日 (日) 10時19分