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2025年1月

2025年1月31日 (金)

女性と鉄道-1

前回、ちょっとしたミスから同日、同時刻に2通の記事をアップしてしまいました。本来「窓ガラス入れ」は1月31日アップの予定でした。ということで、隔日投稿のインターバルをどうするか? 1回休みか前回は特別サービス(?)とするか?

どうでも良いことですが、隔日投稿を維持することにしました。

そこで予てから考えていた“新シリーズ”(笑)です。第1回はこちらで。

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何処の駅だかお解りになる方はどのくらいいらっしゃるでしょうか? 各駅停車しか止まらない小さな駅でした。

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6両編成になっていたNHE・2600形が停車して開扉するやいなや、奥に向かっていた女性は3両目後方に乗られましたっけ。14時頃のことでした。

暑い夏の最中なのに、裾が開いたパンタロンが大流行だったようです。このシリーズの「2」はいつになることでしょう。

 

2025年1月29日 (水)

窓ガラス入れ

昨年完成させた0番の小田急2320形(擬き)、窓ガラスにはt1.0のアクリル板を使用しています。

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その残りが役立つことになりました。

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切って削って・・・

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嵌め込むことにしました。

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一つ加工するのに面倒極まりないこと。でもその効果はあったかと思っています。

 

しばうら鉄道工学ギャラリー

東京ビッグサイトでの展示会視察後、夕刻からの予定まで時間があったので、ゆりかもめ新豊洲駅を下車。豊洲方面に向かって軌道の右側を歩くと直ぐ、芝浦工業大学附属中学高等学校の校舎が目に入ります。自動連結器や車輪が並べられた壁面の中が、しばうら鉄道工学ギャラリー」です

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2017年4月、芝浦工業大学附属中学高等学校の開校に伴い、大学図書館の保存資料等を中心に「テクノロジーギャラリー」構想・計画の基にオープンした施設です。附属中高の前身が、旧鉄道省が設置した東京鉄道中学であり、鉄道とは非常に縁が深いのです。

学校の門を入り、受付で記帳して入校許可証をもらって入場する仕組みです。開館日はWebで確認するのが良いでしょう。

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展示室の外には200系新幹線の「鼻」が置かれ、その左にはこんな歯車が展示されていました。

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1954年に直角カルダンで登場した小田急2200形のスパイラルベベルギア(曲がり歯傘歯車)で、米国Gleason社のNo.26 Hypoid Generatorで切削され、Tocco社の高周波焼き入れ装置で熱処理されたという、当時の最高技術によって誕生したとのこと。

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廊下に向かったウインドウに、菊池文雄氏の模型作品が並べられていました。OER3001氏が小学生の頃、「模型とラジオ」誌に“〇〇形の作り方”を書かれていらした方は、東芝にお勤めだったのですね。

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0系新幹線と921形総合試験車。

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ED45かな? 交流電機が牽く“タバコのパッケージ”で作った貨車や当時の人気車両が見られました。

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OER3001氏にとっては何よりもSE車。パーツ類が少なかった時代に苦労して製作しておられます。

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名鉄パノラマカーも。背後の近鉄ビスタカーも、少年にはハードルが高すぎる存在でした。

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展示室内に入ると結構な広さ。中央に実物運転台が置かれ、Nゲージが運転できるようです。

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シーナリーなどは稚拙ですが、実はここの生徒たちによる鉄道研究部では、毎年のようにその種の競技で優れた賞を受賞しているのです。

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残念ながらくつろぐことはできませんが、窓辺にはリクライニングシートやボックス形シートも並んでいます。

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展示品を具に見れば、歴史上貴重な資料であることがわかります。

わざわざここだけを訪問するには少々物足りない気もしますが、序でに立ち寄ってみる価値は相当大きい施設でした。

 

2025年1月27日 (月)

残念な西武の電車

西武所沢車両工場跡地の再開発で誕生したショッピングセンター「エミテラス所沢」 内に、2000系の先頭部分が保存展示されたと聞いていたので行ってみました。

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保存されたのはシミュレーターだそうですが、その機能は停止されています。それでもこうしたものが大切に残されていることは嬉しいのですが・・・、ちょっと違和感が。

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張り上げ屋根のR部分に何やら気がかりなものが。

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埃です。溜まった埃が照明を受けてこんな見え方。

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いや、なんと悲しいことか。定期的に払ってくれれば良いのに。この日は1月14日のこと、年末の大掃除もしていなかった様子で悲しいな。

2025年1月25日 (土)

5P 7/4.5

頭部というか前面のFRP部分、塗りました。

仲間内での競作、OER3001氏の担当はライラック。マンセル値は「5P 7/4.5」とのことですが、当然ながら市販色はありません。市場調査(探索)を経て選んだ材料で調色しました。前頭部上半だけの塗装も、マスキングが大変です。

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まだちょっと明る目な感じだけど、模型では華やかに見栄て良いかなと。

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ここまでくれば後はちょいちょい、という感じもしますがそうは行きそうにありません。段々やりたいことも出て来て。まあ納期も無いことだし、楽しみながらゆっくりと。

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これです、OER3001氏の担当は。1971(昭和46)年、吉祥寺駅で3705編成を撮っていました。急行運転が開始されたのはこの年の12月15日からのことでした。

 

 

2025年1月23日 (木)

西武国分寺線のいま

小田急8000形転じた西武8000系の回送撮影に出掛けた折、その8000系が走ることになる国分寺線に行ってみました。小川で上下列車が交換です。

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一旦、国分寺まで行くことにしました。JR中央線も、グリーン車2両を増結した編成が増えて来ましたが、そのE233系と並ぶ西武2000系も、8000系に置き換わると見られなくなります。

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再び折り返しの列車に乗ってみます。

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発車して暫くJR中央線と並走した後、日立製作所中央研究所を迂回するように右カーブ。

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0.9キロ先の羽根沢信号場から複線になり、そのまま1キロほどで最初の駅「恋ヶ窪」に進入します。

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ここで国分寺行きと交換。今年の初夏になる頃は、2000系が8000系と並ぶ光景が見られることになります。

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「恋」が付く駅名は母恋(JR北海道 室蘭本線)、恋し浜(三陸鉄道 気仙沼線 ) 、恋山形(智頭急行 智頭線 )とここ恋ヶ窪の4つしか無いとのことです。

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恋ヶ窪駅の午後は、順光で国分寺行きが奇麗に撮れます。

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反対の東村山行きは逆光になるので撮りづらい。

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左にマスコン、右に制動弁という光景もここでは日常ですが、8000形が入れば左手ワンハンドルになりますね。

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小田急や京王、東急などでは見られなくなったこのツーハンドルも、ここに来ればまだ見られますよ。

 

 

2025年1月21日 (火)

作品展&写真展

久しぶりにE235系などという山手線に乗り、向かったところはここ。

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さかつうギャラリーで開催中の「イチカワ作品展_モケイ鉄道に恋をした」へ。

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OER3001氏にはとても真似できない精密なNゲージ車両群とジオラマが並べられ、イチカワ氏も居られましたが、来場者と話し込まれて居られたのでOER3001氏に気付かず。

そのままそっと失礼させて頂き、次に向かった先は初めて降りる駅。

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駅から直結の新しいホールで開催されている本橋剛氏の写真展「電機」に向かいました。

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広々したオープンな会場に、6×6版モノクロームフィルムによる正方形の写真40点他に、これらの撮影に使われたカメラなど。

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1971年から1980年にかけて、首都圏や東北、上越、中部などで撮った旧型電機の魅力が伝わる作品群でした。

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在廊されていた本橋氏は、最近拙ブログがご縁でお近づきできた方ですが、JACC(全日本クラシックカメラクラブ)の会員だそうで、写真文化の歴史を次世代に残す目的の研究機関としての活動として、今も古いカメラとフィルムを使い続けて居られるとのことでした。

帰り際に素晴らしいお土産を頂きました。明治の機関車がお好きなようで、鉄道院で活躍した機関車図面をMacで描かれたのだと。

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裏面はそれらを活かすために好みの色にした姿。考えてみれば蒸気機関車がみんな真っ黒なのは日本くらい? 英国や独逸も仏蘭西も、素敵な色に塗られていましたものね。

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楽しい時間を過ごした後は、「新」のつかない綱島駅へ。

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ホーム東端に架かる跨線橋形状が、どことなく英国調に思えてしまうのは先のカードの影響でしょうか(笑)。

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地元駅→新宿→巣鴨→目黒→新綱島/綱島→武蔵小杉→登戸→地元駅と、この日は京王、山の手、東急、南武、小田急の乗車となり、10,000歩を越えるウォーキングとなりました。

 

2025年1月19日 (日)

「おとぎ電車」の思い出

OER3001氏が幼稚園の時でした。遠足でユネスコ村に行って、初めて乗った「おとぎ電車」。

1951(昭和26)年に全通、翌年地方鉄道化で西武鉄道山口線となったナローゲージ(762㎜軌間)で活躍したバッテリー機関車が、保存されたと聞いていたので見て来ました。

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保存展示された機関車は、1960(昭和35)年に西武鉄道所沢車両工場で製造されたものなので、OER3001氏が遠足で乗った1955(昭和30)年か56年は、この機関車の一世代前のものだったはずですが、おそらくこんな光景だったのでしょう。

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幼稚園の入園式を終えてから、プロカメラマンだった伯父が撮ってくれた自宅庭先での写真がありました。こんな子が乗っていたおとぎ電車だったのですね。

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いや、ま~、なんと言ったらよいのか、この頃はまだ、みんなが汽車とか省線と言っていた時代。上半がきいろ、窓下がちゃいろがせいぶでんしゃと言う程度の知識しかありませんでした。

 

2025年1月17日 (金)

西武8000⇐小田急8000

昨年5月に小田急から西武に渡った8000形がこの日、武蔵丘車両検修所から南入曽車両基地まで回送されるとの情報を得て、本線を自力走行する雄姿を記録しに出掛けました。

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折角なので置き換えられる2000系と一緒に撮ろうと、小手指車両基地へ向かいました。

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8000形が小手指車両基地へ移送された直後に、同じ場所で撮っていたものですから。

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外観のデザイン変更は目立ちますが、細かい所にも変化が見られます。乗務員扉の手摺が改造されています。また車号が幕板部に加えて小さく側扉横の下部に。

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小田急時代の手摺は、上下分離型でしたが、扉左右共に一体型にされたのですね。

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これから試運転や乗務員の習熟運転などを経て、5月から運行されるようです。その際にまた、車内を含めて変わった部分を確かめに行きたいと思います。

 

 

2025年1月15日 (水)

2025年撮り初め<補>

今回は少々違った視点から。

同行の友がスマホを向ける先は・・・? 1501ではなく、ホームから階段を降りようとしている尾根遺産かな?

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そんな折OER3001氏は、青い空に映える架線に目が行っていました。ここは峰が原信号所の複線部分。

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左上に張られた饋電線から分岐された2線の内の1線が、鎌倉方面行線路の電車線に結線されています。

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もう1線は鎌倉方面行線路を越えて、藤沢方面行の電車線に結線されています。

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江ノ電の電力は直流600V。変電所は藤沢、鵠沼、七里ケ浜、鎌倉の4カ所にあるようです。 因みに軌道は全線にわたりPC枕木、37キロレールのようでした。

堅い話はここまでとして、同行の友ほどのセンスを持ち合わせないOER3001氏も、少しは柔らかい画像も納めて来ました。

七里ヶ浜高校生徒の下校時刻、残念ながら到着する藤沢行のラッピングがイマイチ。乗務員扉上部に「江ノ電」とあるものの、やっぱり江ノ電らしい色であって欲しかったなあ。

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車両故障の影響でダイヤ乱れ、2両編成で混雑する車内に乗り込む女子高生の姿も押さえておきます。

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夕刻が迫る海辺、素敵なお嬢様は家路を急いでいるのだろうか。

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鎌倉高校前駅に到着しようとしている車内は満員状態、見つめる女性は何処の国からかな?

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それにしても外国人観光客は相変わらず多いですね。もうあの踏切では、定番アングルの撮影はできませんね。

 

2025年1月13日 (月)

2025年撮り初め

はたして“撮り初め”なんて言葉があるのかどうか? “書初め”や“お食い初め”があるのだから、“撮り初め”があっても良いだろうと勝手にそうしました。

1月2日に放送された「新春スペシャルドラマ『スロウトレイン』|TBSテレビ 」を後日ビデオで観て、急に行きたくなった江ノ電。ちょうど同じような気持ちになっていたという友を誘って出掛けました。

今回初めて「デジタル江ノ島・鎌倉フリーパス」というのを使い、小田急を降りて冬の太陽がまぶしい「湘南GATE」方向に進みます。

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学校も3学期が始まったであろうこの日、空いた構内にはちょうど最古の300形。行先も決めず、とりあえず乗りました。

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富士山の見えを確認すべく、先ずは鎌倉高校前で降りることに。降りた列車が、この先の峰が原信号所で交換した藤沢行が来るのを待って1枚。

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ところが・・・、この後スロウトレインどころかストップトレイン。車両故障で全線運転見合わせだと。やっと来た鎌倉行が撮れたのは約30分後。歩道で休んでいたトビが驚いて飛び立ちました。

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妙なラッピング車も走っているのですね、「ビビビビ!台湾」だそうです。

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この後は嵐電との姉妹提携号。

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運転再開とはいっても大幅な遅延で、次が何分後に来るのか? 歩いていると、最近更新されたと思われる真新しいレールボンド。松坂桃李くんが作業したのだろうか?(笑)。

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七里ヶ浜駅の雰囲気、イイじゃありませんか。

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雲隠れしている富士と海岸に向かって行きました。

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強風で寒い中、辛抱強く待つも、富士山にかかった雲はなかなかどいてくれません(涙)。

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風に耐えながら、何本か撮りました。

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峰が原信号所では、これまでとは違ったアングルを発見。身をかがめてこんなのも。

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友のご案内で、これまでOER3001氏が考えつかなかった場所で撮ります。ここでも何枚か試みましたが、ラッピング車両では江ノ電らしさが失われて好みの風景になりません(涙)。

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再び海へ向かってみると、なんとか富士山の稜線が確認できるようになってきました。波も高くこれはこれでまあイイかというところ。

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車両故障が発生した影響かどうか知りませんが、この列車だけは2両編成(2車体連接)で運行されていました。

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強風で寒いだけに空は青々。見上げれば旅客機の飛行機雲が。

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夕日を浴びる鎌倉高校前駅は良い雰囲気ではありませんか。

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外国人観光客に交じって、下校する鎌倉高校の生徒たちが夕日を浴びる中、電車の到着です。

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この日の日没はこんな状況。ダイヤモンド江ノ島とはならずとも、見事な日没でした。

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陽が沈んだところでまだ少しは明るい。一駅だけ江ノ電に乗り、腰越から江の島へ歩きます。

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だんだん暗くなってきても、この場所はまた良い雰囲気ですね。

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反対側(江ノ島駅)から来た2両編成を撮って、カメラをリュックに収納しました。

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その後? もちろん湘南の魚を楽しみながらの反省会です。

 

2025年1月11日 (土)

ステンレスの質感を求めて

上回りの塗装作業も進行中。1色目のTS-30シルバーリーフを塗ってあった車体に、丁寧にマスキングを施しました。

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2色目はTS-83メタルシルバーです。1缶1,100円(税込)と、先のTS-30の590円に比べて1.86倍と高価な塗料なので無駄にはできません。

因みにAS-12シルバーメタルは726円、TS-17アルミシルバーが590円と、銀色系でもいろいろ値段が異なります。

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こちらが1色目のTS-30シルバーリーフを吹いた状態。

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TS-83メタルシルバーを吹いてからマスキングを剥がすと斯様な感じ。

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左が2色目塗装完了車体、左が1色目だけの状態。差が判りますかね。

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いや、ま~、何せマスキングが面倒で面倒で。根気が続かず1両終えては一休み、そのあと暫く放棄といった状態では、何時になったら3色目のシルバーに移れることか?

まだ年が明けたばかりだからゆっくりやりましょう。

 

 

2025年1月 9日 (木)

下回り製作中

古くからの友人が設計した3Dの出力品ですが、作りなれた普段の仕様とは大幅に異なるため右往左往していますが、やっとここまでたどり着いた次第。

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MPギアを組み込んだ動力台車はP-Ⅲ703形。

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台車も3Dの出力品なので、集電には一工夫が必要です。

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設計者の意図とは違う方法で、モーターに結線してみました。

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この姿でとりあえず走りました、台車と床板だけの姿で(笑)。

 

2025年1月 7日 (火)

着々? or 黙々?

こんなモノ作るのにどれだけ時間を要していることか。途中で何回も中断。気を取り戻して再開するも直ぐ飽きてまた中断。だって仕事でもないし、余りにも単純な作業が続くので、集中力が持ちません。

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手元に残っていたt1.0床板用真鍮板の余りを所定幅に切断。サーキュラソーを使うも15ミリくらい進めると変な音になるのでいったん中断。板をひっくり返して反対側から進めるもまた変な音。刃が割れるのも怖いので諦めて、残る部分は糸鋸で。やっと切断出来たらヤスリ仕上げ。

次はセンターに0.5ミリのドリルで皿もみ。次に0.7ミリで、さらに1.0ミリで。そこまで来たらテーブルドリルで穴開け。最初は2.0ミリ。次に2.4ミリで穴径を拡げ、さらに3.0ミリ、最後は4.0ミリと拡大。

最後に穴周囲をヤスリ仕上げでようやくここまで。あ~疲れました。暫く他のことに手を出すことにしました。

 

2025年1月 5日 (日)

除雪列車出動

この年末年始期間、日本海側では相当の積雪で、交通機関にも影響が出ています。

そこで、先の某所での運転会では、除雪列車を出動させました。

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ラッセル車は近年になってオークションで入手したエンドウ製のキ100。

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窓ガラス入れて前照灯などを点灯化しようと企んでいたのですが、床板がハンダ付けとツメ折で簡単には分解不能、残念です。

それでも新潟交通モワ51(フクシマ製キット組)に繋いで楽しみました。

 

2025年1月 3日 (金)

試運転列車

新年最初の鉄道模型記事は、単なる試運転ではなく試運転列車です。

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1970(昭和45)年に振り子試験車に改造されたクハ1658は、同年11~12月にかけて終電後、2220形4連に連結されて本線高速試験が実施されています。

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住友金属で製造されたFS080形台車で、空気ばねによる車体傾斜装置が採用されていました。

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ペーパー自作の模型には当時、実用新案こそ申請しなかったものの、曲線部で車体傾斜できるボルスターを考案し試用しています。

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斯様な列車は一般公開運転会では登場させる機会が無く、仲間内の運転会で何も気にすることなく走らせることができました。

2025年1月 1日 (水)

あけましておめでとうございます

迎春

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本年もよい年でありますよう

心からお祈り申し上げます

2025.1.1

 

 

2013年の元旦から始めた当ブログも満12歳になりました。

13年目突入ですが、本年はどんな年になるでしょうか。

ますます健康維持に努めて充実した趣味時間を重ね、

また気ままに発信して行こうと思っています。

本年もよろしくお願い申し上げます。

 

 

 

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