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2025年2月

2025年2月27日 (木)

四ツ谷見附橋

ここ何回か、先に訪れた新宿歴史博物館に関連した記事を掲載しています。

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正面左側の庭園では、紅梅が楽しめました。

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玄関の左側に、1913(大正2)年に完成し、道路拡幅のために1991(平成3)年に掛け替えられた四谷見附橋の説明パネル。

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その横には、再利用できなかった部材の一部として保存された、高欄の一部が展示されています。

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架け替えられた現在の四谷見附橋がこれ。

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赤坂離宮(現在の迎賓館)の外観と調和させたという、ネオ・バロック様式の橋梁でしたが架け替え前の姿がここ八王子市の長池公園に復元されています。

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橋の中央にはしっかり右から「しはけつみやつよ」とあります。

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高欄部材の一部は別に説明が添えられて保存されていますが、

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鉄道ファンならこれをしっかり見なければいけません。東京市電→都電の軌道部分の一部も保存され、その構造もしっかり確認できるのが嬉しいです。

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何より自然にも恵まれ、四季折々の姿を楽しむことができるのです。

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都市の拡大で、架け替えを余儀なくされた橋梁ですが、110年を経た今も、その優雅な姿を維持してくれていることは素晴らしいこと。「新宿グランドターミナル」構想とやらで工事が進む新宿ですが、100年経っても通用するデザインであることを願うばかりです。

 

 

2025年2月25日 (火)

都電とロマンスカー

先に取り上げた新宿歴史博物館には、鉄道好きには見入ってしまう“鉄道車両”が展示されています。

その1、都電5000形があることは前回のコメントでも触れました。忠実に再現されたレプリカですが、実車そのもの。正面から見ると良い顔しています。「驛宿新」の方向幕と覗ける車内灯のグローブが良いですね。

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1930(昭和5)年から製造された5000形(当時は東京市電気局)のこの姿での活躍を、OER3001氏は知りません。窓枠は車体色ではなくニス仕上げだったのですね。

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運転台には三菱電機製の主幹制御器、KRL型という実物が。

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「安全地帯」と表示された停留所とともにセットされています。

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台車と車輪は実物でD-12、レプリカの車体は思えない調和が取れていますが、当時の色はグレーだったのでしょうか。

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参考になるかなり細かい実車図面も展示されていたので、模型を製作する時には大いに役立ちそうです。

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その2は小田急ロマンスカー3100形NSE。先頭部分を模したこれ、なんと表現すれば良いでしょう。

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内側の運転台を造形するのに作ったものです。実際の運転台は展望室の天井上にあるため、運転士は足を延ばして座る状態でしたが、主幹制御器や制動弁、計器やスイッチ類の配置はこんな感じでした。

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座席も窓1個分の4脚8人分がセットされ、実際に座ることもできます。この他に乗降用側扉も展示されています。

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これらはロマンスカーミュージアムができる以前から展示されていたのですが、なぜ新宿区立のこの歴史博物館に収蔵されることになったのか、残念ながらその経緯を良く知りません。

 

2025年2月23日 (日)

池袋で小田急を撮る

小田急から西武に渡った8000系、国分寺線に投入されると普段は走らない路線で試運転があるとの情報を某所から入手。それならと、池袋線らしい場所で撮ろうと、池袋へ出撃となりました。

狙う場所はここ、西武鉄道の本社ビル跡地に建てた、列車のダイヤグラムをモチーフにした外観の「ダイヤゲート池袋」。その2階レベルが公開空地「ダイヤデッキ」になっています。

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詳細な時間は知らないので、概ね30分前からいろいろテスト。デッキの青みががったガラス越しですが、後で色補正すれば何とかなるだろうと踏んで。

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特急用のホームに入るのですね。暫くして折り返す発車も「ダイヤデッキ」から。ちょうど保育園児の屋外活動に重なり、賑やかでした。

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豊島園から折り返してきたのはホーム先端で待ち受けました。幸い“同業者”は現れず、のんびりと撮れた次第。

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「ダイヤデッキ」の下は、甲州街道のガード下を抜けてくる小田急新宿駅のようです。

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予定の試運転を終えて、戻っていく後方を撮って、この日の第一目的を終えました。

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OER3001氏が折角出掛けた都会、これだけで帰る筈はありませんね。その模様はまた改めて、と言うことにしましょう。

2025年2月21日 (金)

驚愕の“新宿”

ここのところ変わり行く新宿西口に触れてきたところで・・・、凄いものを見て来ました。解体前の小田急百貨店ビル(正確には小田急ビルと地下鉄ビル)、西口広場などが具に再現されたジオラマ。

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西口だけではなく、新宿駅周辺が正確に作られているではありませんか!

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東側から見ると、西口高層ビル群が正確に再現されています。

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右手前には「伊勢丹」、駅の手前は「マイシティ」、JRのプラットホームを越えたところに「小田急百貨店」と「ミロード」、「京王百貨店」。

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南側に移動してみれば、代々木駅のプラットホームとあのエンパイヤステートビル擬きのNTTドコモビル、新宿御苑。

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OER3001氏としては、この画角が気がかりでした。右の白い小田急ホテルセンチュリーサザン、左の青い山野学院ビルの間。

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ズームしてみると、しっかりあの元小田急電鉄本社のビルまで正確に。

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そして線路が伸びる南新宿駅のプラットホームまで正確でした。

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このジオラマは1/1000で作られたそうで、一連の再開発工事が始まる前の2020年の様子だということ。「安田生命ビル」も「スバルビル」も、ここでは見ることができます。

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それはここ、新宿歴史博物館

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4月13日まで、「写真と絵画でみる昭和30年代の東京風景」という魅力的な企画展示が開催中です。

 

2025年2月19日 (水)

ロマンスカーホームのガラス窓

特急“ロマンスカー”が華やかだった時代、「はこね」は小田原までノンストップでした。その乗車ホームが、国鉄中央緩行下り線に面した1番ホーム。グリーン車のマークのようなカタチの大きなガラス窓からの外光が、箱根方面への観光に向かう気分を、なお一層明るく盛り上げてくれたものでした。

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次世代ターミナル構想「新宿グランドターミナル」の実現が最終目標とされる大改良工事が進み、この独特な窓も見納めになる日が近いような。

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JR線側からは既に、窓の内側に空調設備などが設置されたお陰でロマンスカーの姿を見ることはできなくなっています。完成後にはまた、JR側からロマンスカーが見えるようになるのだろうか。

 

2025年2月17日 (月)

新しいのが消えて古いのが残る

この付近に出掛けた際には必ずと言っても良いくらい、ここ旧南新宿駅跡の跨線橋に上がって電車を撮っています。右手のレトロなビルは旧小田急本社ビル。小田急電鉄本社は移転し、今は関連会社が使っていますが、HB車の時代からABF車、ABFM車、20m大型車体、ステンレスと、電車のカタチは変われどず~っと行き交う電車を眺めていたビルです。

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新宿は小田急の起点でもあり、西口はシンボルでもあったのだが・・・、新たな時代に向けた大改造が進行中。既にあのシンボルは解体されてしまい、東口のビル群が丸見え。

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これらの構造物が取り壊されて、それより遥かに古い、冒頭のレトロビルが健在という矛盾。

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新宿西口の大改良工事の完成は2046年度だそうですが、OER3001氏は96歳。果たしてみられるだろうか?

 

2025年2月14日 (金)

富士急共演

2月上旬のシニア運転会では、富士急(現・富士山麓電氣鐡道)2編成の持ち込みとなりました。

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元京王5000系(5100)転じた1000系富士登山電車は、元小田急2200形の5700系を走らせた後の出場となりました。5700系は実車通り、元小田急2200形の塗装変更です。

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実車が並んだ時期はありませんが、ペーパー自作模型だからこそ成る情景にうっとり。

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実車の富士登山電車は目下長期運休中。運用停止になる時期も近いと思われますが、OER3001氏自作の車内には完成以来ず~っと、何年経っても年を取らないアテンダントさん乗務中です。

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NHKのチコちゃんは永遠の5歳とされていますが、このアテンダントさんは永遠の・・・。

 

 

2025年2月12日 (水)

井の頭3000系競作

多摩川畔でのシニア運転会に、競作メンバーOK氏のサーモンピンク3709編成がデビューしました。奇麗な仕上げに驚愕です。

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折角なのでそこに、OER3001氏製作中の3705ラベンダー編成を並べさせて頂きました。

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いや~いいな~、この並び。未だやること沢山残っているけど、早く仕上げなければ。

大いに刺激を頂いたシニアの運転会でした。

 

2025年2月10日 (月)

94万アクセス到達

アクセス数到達に因んだ語呂合わせ画像の掲載は暫くサボっていましたが・・・、2月8日に94万に到達していました。90とか95とかキリの良い数字ではありませんが、OER3001氏には捨てておけない数字と言うことで小田急のデハ9400を。

1972(昭和47)年1月に登場した9000形は4両編成でしたが、4+6の10両編成を実現するため翌1973(昭和48)年10月から6両編成の登場となります。その6両口の車号が、デハ9400-デハ9500-サハ9550-サハ9650-デハ9600-デハ9700とされ、新宿方先頭車が9400~を名乗ります。

開通50周年を迎えた小田急多摩線、1974(昭和49)年6月1日の祝賀列車に充当されたのは同年2月竣功の最新車両9404×6でした。

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1978(昭和53)年3月からは地下鉄千代田線直通を担い、それに伴い地下区間での非常時通り抜け対策として、4両編成のデハ9300と共に正面の手摺形状が変更されてしまいました。

19910203_170616__n14 新松田-渋沢間)

4+6+の10両編成での運用が定着して行くと、9000形6両編成の運用に出合う頻度も低下。なかなか新宿方9400の姿を収めることも少なくなってしまいました。

19940506_200913__14 (小田急多摩センター-小田急永山間)

そもそも沿線の光線状態から小田急は、小田原(西、南)方からの撮影の機会が多く、逆光気味になる新宿方の撮影頻度が少ないのです。

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しかも、10両時に中間に入ることになる9400ですが、なんとかここに掲載できる画像が見つけられた次第です。

さてさて、アクセス数が100万に到達するのはいつのことか? 

 

2025年2月 8日 (土)

御茶ノ水

神田川沿いのJR御茶ノ水駅の東方下、東京メトロ丸の内線が顔を出します。

絵本で描くのは簡単ですが、実際に赤い丸ノ内線と、JRのオレンジ色&きいろの電車を収めるのは至難の業です。

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ちょっと粘っていたら、何とかオレンジ中央線とのツーショットが撮れました。

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きいろい総武線とも、辛うじて。しかしこの時はオレンジ色は居ませんでした(涙)。

 

2025年2月 6日 (木)

ルーツを探る

天気も良い平日、ここで降りて外に出てみました。。

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漢字で「道灌山下」とあるのに英文では「Ookan-yama」と「shita」が無いのは何故だ? 失礼ではないか(笑)。

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ここに行ったのは「駒込動坂町」を歩いてみること。OER3001氏祖父の代からの本籍地なのですが、戦後世田谷に転居したようなので、物心ついた時から話でしか聞いていない地でした。

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「狸坂」もそうですが、この辺りには「きつね坂」とか「むじな坂」など、その昔はかなりの山だったようです。

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歩いていると由緒ありそうな建築物に出合いました。

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東京都指定有形文化財「半床庵」という茶室だそうです。

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こんなのもあったのですね、ファーブル昆虫館「虫の詩人の館」と言うことで、土日だけ開館するとのこと。

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「駒込動坂町」と思われる場所で「動坂公園」を見つけました。

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その先に歩くと「駒込動坂町」からは外れますが「神明都電車庫跡公園」が目に入りました。

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此処だったのですね、近年奇麗に修復された保存車両と言うのは。

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乙1形の乙2号。

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6000形と共に、諸元や経歴が掲示されています。

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6000形6063号の状態も本当に良く、嬉しい限りです。

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道路に面した側にあるプラットホームは9時から17時まで開放されて、車内も覗けます。

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行先が「新明町車庫」と言うのも良いですね。交通博物館が近かった須田町から走って来た系統だったのですね。ほっこりすることができた平日の午後でした。

 

 

2025年2月 4日 (火)

1600形快走

東武亀戸駅、OER3001氏はこれまで2番線に列車が居る情景を見たことが無かったのですが、この日初めて目にすることができました。しかもいつもの8000系ではなくステンレスの10000系ではありませんか!

丁度乗車する列車が到着寸前、回送で出て行ったので離合が撮れました。

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向かった先はS氏宅での運転会。この日は小田急1600形の2+2を持っての参加です。

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こんな時代を回想しての走行です。この写真は奇数編成同士の連結で、連結した2編成共にデハが新宿向き。

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ペーパー自作でリベット表現もした1601-1651+1652-1602の2M2Tは、クハが中間に挟まれる格好です。

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この日はS氏はじめ総勢8名の参加。順調な走りをお見せできてホッとしました。

運転会の後は・・・、あの吉田類の酒場放浪記にも取り上げられた、エコノミーで旨い老舗焼き鳥屋へ。実に楽しい懇親会でした。

 

2025年2月 2日 (日)

都電杉並線の写真展へ

ちょうどライラック編成が入線して来ました。

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改札を出た先、電車が見える場所があるではありませんか。すっかり都会になってしまいましたが踏切もあって、東京の郊外電車というカラーを充分残しているような帝都線、いや井の頭線。

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目的地は永福町駅から住宅街を縫うように歩いて20分弱の杉並区立郷土博物館。杉並区指定有形文化財となっている長屋門が入り口です。

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すると中に本館が。入館料100円を払って入ります。

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常設展示場などがある1階から階段を上がります。

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2階回廊で開催されている故・道村博氏の都電杉並線写真展を観るのが目的でした。

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回廊壁面に掲示された写真は全部で26枚だったか、撮影OKと言うのが嬉しいです。

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その中から主なものを取り上げれば、昭和30年代の蚕糸試験場前。

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同じく昭和30年代の天沼陸橋。広々していてクルマも少なかったのですね。

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昭和30年代の荻窪など、まだビルも少ない。

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昭和30年代の杉並車庫。

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そして昭和38年11月30日、営業最終日の装飾された電車や、

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富士銀行の看板も懐かしい鍋屋横丁の光景など。

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期間は4月20日までなので、まだ充分日があります。都電唯一の1,067㎜軌間だった杉並線の懐かしい光景を楽しまれては如何でしょうか。

 

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