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2026年4月

2026年4月29日 (水)

運用変更?

外出時のコンパクトデジタルカメラは必携という習慣から得られたラッキーな拾い物。到着する「特急・新宿行」は、な、なんと、都営の車両ではありませんか!

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この日、朝方に井の頭線が人身事故とは聞いていましたが、京王線に何があったのでしょう?

折角乗り合わせた都営車両の姿を収めておこうと、予定外に笹塚まで。新線ではない「京王線」に向かう姿を捉えましたが、JED表示が簾で残念。

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折り返して京王線を走る都営車を待つ間に来たのはラッキーナンバーの「7777」でしたよ。

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なんと特急・京王八王子行の先頭は8774、8両編成の8000系が充てられていたので、間違いなく何らかの支障があったのでしょう。

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中央の「京王新線」ではない両側の「京王線」に、待っていた都営車による「特急・橋本行」が来ました。

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連写しましたが、どれもLED表示器は簾になってしまったのが残念。

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普段見られない光景に出会った時に、「コンデジ持ってて良かった~!」と、つくづく実感した次第でした。

 

2026年4月27日 (月)

撮ったぞ、乗ったぞ!

ちょうど予定が無かった日、天気もまあまあという予報で急遽出掛けることにしたところで、小田急江ノ島線で人身事故発生。大和-桜ケ丘間の歩行者専用踏切だそうで、あ~あ何てこと(涙)。まあ急ぐ必要も無いし、のんびり気ままに。

目的は、前日から営業運転が開始された江ノ電の新形式700形を見ること。先ずはちゃんと外観撮影を。

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4月の月曜日だと言うのに、この場所には10人ほどの同業者。OER3001氏はリタイア組だから良いとして、遥かに若い人も多く、いったい何してる人なんだろうなどと考えてしまいます。

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ちょっとしたカメラトラブルもあって、上のアングルは2回チャレンジした結果となってしまいました。

撮影したら乗る! 一日フリーきっぷでこの日2回目の鎌倉へ向かい、先頭座席を陣取ります。

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なかなか良いですな。

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江ノ島駅も乗降が一段落したらところで、2編成の700形全景を。

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鎌倉に向けて発車して行った後姿を撮って、この日の江ノ電巡りは終わり。

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改札外のショップでは、700形関連グッズが多く売られていましたが、OER3001氏は何も買わずに帰途に着きました。

 

2026年4月25日 (土)

趣味の原点、参考書

fb友達の投稿で、「絶賛、部屋の整理中。私の原点の一冊が出てきました。鉄道は少なめですが、穴が開くほど眺めていました。」と、小学館刊「交通の図鑑」に触れられていました。

そう言えば家にもあったぞと、書棚の最上部左にしまってあったのを引っ張り出して見た次第。当家のは講談社刊でした。同じように穴が開くほど、と言うより綴じが解れるほど眺めていた“参考書”でした。

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昭和34年発行とありますが、同年4月以降は3年生。果たして3年生の時に買ってもらったものか、4年生になってからだったのか?

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編集者は“先生”とされていて、あの鷹司平通(たかつかさ としみち )さんもそのお一人。その方がどんな“先生” なのか、小学生には知る訳もありません。

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「いろいろな機関車」のページ、右中上の「時速331㎞を出したフランスの機関車」に憧れていた覚えがあります。

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当時から電車好きだっただけに、「電車とディーゼルカー」のページは何度も開いたのでしょう、綴じが裂けています。

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ところどころに、その後の“勉強”で得た知識から書き込んでいたようです。

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「客車」のページ、「あさかぜ」が登場していても展望車は「華」だったのですね。

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「電化と信号」のページ、交流電化と直流電化の差違が図解されています。

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直流で走る列車には、当時の花形列車が描かれていて、小田急ロマンスカーSE車、モハ90系、EF58と「こだま型」が並びます。

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「鉄道にはたらく人びと」ページに描かれた仕事の中で、現在は見られなくなったものも見られますね。

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考えてみれば60数年昔の1960年前後の図鑑ですから、世の中は大きく変わっているのは当たり前。でもこれが後に鉄道ファンの一員となり、鉄道模型製作を生涯の趣味とするようになったシニアの参考書だったことは、紛れもない事実なのでした。この先も、死ぬまで捨てられないことと思います。

 

2026年4月23日 (木)

HB車も登場

都内某所のS氏宅での運転会、懐かしい小田急は小中学生時代を思い出すHB車も登場でした。

左からクハ1450-デハ1200形-デハ1200形の3両編成は、新宿-成城学園前、向ヶ丘遊園、相模大野などの各駅停車の代表車両でした。

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これは高校時代の相模大野駅で撮ったモノクロ写真を、アプリケーションソフトで着色してみました。モーターを新造4000形に譲って廃車が進む時代でした。

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模型はペーパー自作、2両のデハ1200形夫々カワイL-3モーターとインサイドギアでの駆動。

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実車の吊り掛け式を連想するような音を立てて走ってくれます。

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栗色とかチョコレート色、茶色などと言われた暗い色では、なかなか目立ちません。

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仲間内の運転会だからこそ公開運転会のような“ショー”も必要なく、古く目立たぬ車両でも充分に楽しめた次第でした。

 

2026年4月21日 (火)

ABF車走る

都内某所のS氏宅での運転会、この日はOER3001氏が中学生時代の、懐かしい小田急を持っての参加でした。

先ずは1953(昭和28)年製、2両編成の1910形(1911-1961)は、友人H氏が製作していたペーパー車体を仕上げ、日光モデルからゲルリッツ型台車(FS-103 阪急用)が発売されたことで1994年竣功となった模型です。

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縦型DV-18Cモーターとインサイドギアと、当時の標準的駆動方式で快調に走ってくれました。

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それに黄・青ツートーンカラーの1600形(1658-1608)を連結。

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4両編成となってレイアウト周回します。

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この1600形は関西在住の友人T氏がフェニックス製真鍮キットを組んだもので、2021年に寄贈されたもの。

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こちらの動力はパワートラックですが、連結しても特に支障ありませんでした。

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小田急の1600形や1900形などのABF車が栗色からツートーンカラーになるのは1963(昭和38)年からなので、暫く混色編成が見られました。

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が、実際に栗色1911編成とツートーンカラーの1608編成が繋がることがあったかどうか?

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細かいことは置いといて、3100形NSE車が登場して間もなくの時代における日常を思い出しながら、楽しませて頂きました。Sさま、大変お世話になりました。

 

2026年4月19日 (日)

気になっていること

ここの所なかなか“手”が動いていないのですが・・・、何かと気になる題材があります。

その1>嵐電モボ1形 KYOTORAM

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幸いパンフレットを入手していました。

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車輪径はφ8.25、軸距離20.0㎜となる動力はアルモデルのC4021路面電車動力セット(アルパワーHO-20T)が使えるようだ。インダイレクトマウント台車はFS-94だが、YAMA模型のFS-93が類似している。
ワンアームパンタがな~、TOMIXの安価(とは言っても1,500円程度)なPT7113は市場から姿を消して久しい。

 

<その2>神戸電鉄1000系(デ1150形、サ1250形)

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先ずはそのものズバリの図面が無い。それでも手持ち資料の中からこの書籍。

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似た車体のデ1350形はあるのですが、寸法が入っているのは他の資料同様に全長や全幅などの主要寸法だけで、窓割などは不明。特に屋根Rは図面の感じが違います。

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台車や床下機器はどうにかなりそうなのに・・・、どなたか詳細図面などお持ちではないでしょうか?

 

ということで、この2題が気になるこの頃です。

 

2026年4月17日 (金)

一枚の写真から

ぶどう色の客車で下校する制服の女子学生、どこを見ていたのだろう? たまにはこんな“ゲージュツ”作品を(ピンボケですが)。

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これは奇麗なDE10 25号機が5両のぶどう色客車を牽いて出発しようとしていた時の一コマでした。

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因みにこのDE10 25号機は、1968(昭和43)年に国鉄四国支社松山気動車区に新製配置されてから、1984(昭和59)年に高松運転所に転属、1986(昭和61)年に廃車となる、JRに引き継がれなかった機関車だったと。

懐かしい松山駅の思い出ですが、2024年に訪問した時は既に高架線に切り替えられた後。上の写真を撮ったその後の光景は、既にフェンスで閉鎖されて入場できませんでした。

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当時の気動車区側に建設された高架線を発着するのはDE10牽引の客車列車ではなく、青帯のステンレス製2両編成の電車でした。

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冒頭の女子高校生、今はどうしているのかな? 推定65歳前後の筈だから「高齢者」仲間入りですね。

 

 

2026年4月15日 (水)

今は無き・・

中学生時代の家族旅行写真の中に、こんなのを見つけました。 何処だったか一生懸命調べてみたものの、現在の様子が全く分からず。

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車両には「湯の花」 と書かれていて、2005年に廃止された伊豆箱根鉄道駒ヶ岳鋼索線だと判明しました。

軌道上には架線が2列、何故だろう。

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中間地点で交換する車両は「駒ヶ岳」だったそうで、共に赤とクリーム色の塗装でした。

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2両で個別に使う架線、パンタグラフの取り付け位置も2両で左右の違いがあったようです。これまで鋼索鉄道にはあまり興味が無かったので、その構造は知りませんが、もしかして“あたりまえ”のことだったのでしょうか。

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軌間1,067㎜、路線距離0.7㎞、高低差282mの最急勾配は490‰だったそうですが、富士箱根伊豆国立公園の指定地域内であることから、廃止後は自然公園法の適用から、施設、軌道等の跡地は山林に復旧する原状回復工事が行われたことから、全く痕跡が無くなってしまいました。

何も考えずに撮っていた写真が、今となっては貴重なものになりました。

2026年4月13日 (月)

新車の香り

ホームにいた電車(メトロ車)を見送って次を待っていたら、偶然にも運用開始2日目の新車でした。

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下回りもピッカピカ、まさに入学式を終えた1年生のようです。通常は他車と連結することが無い密着連結器には空気管が無いのですね。

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アクリル製ではなくステッカーになって残念な製造所銘版ですが、昔からの形状を踏襲していることは嬉しい。

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汚れの無い奇麗な車内、新車の香りが漂っていました。

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これで5000形も15編成となり、16本目も間もなく営業線に投入されるようなので、それにもまた早々に乗れると良いのですが。

 

2026年4月11日 (土)

C57激走 京阪100年号

このタイトルはなんだ? OER3001氏にしてはおかしいぞ。と思った方も多いことと思います。当然です。

「ぬか屋の徒然日記 別府鉄道」や「モハメイドペーパーの何が出てくるか 2.2 : 別府鉄道つながりで 」に端を発し、「ハフ5とDC302に会いに - 青春Mの鉄路回送 」に行きつきましたところ、青春Mさまとのコメントやり取りから表題の投稿をご紹介頂きました。

なんと、まだお会いしたことが無い方と50年前に、同じところで同じ日時に同じもの撮っていたという偶然。それならOER3001氏もコラボレーションさせて頂こうとお願いしてみたところご快諾頂いた次第。

物語は青春Mさま撮影の、この画像から始まります。ここにOER3001氏の姿は確認できませんが、この群衆と近い位置に居たことは間違いありません。

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先ず「にでん」ならぬ「ゆでん」クモユ141を撮られています。

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それ、これですよね。

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続いて485系「雷鳥」&103系ですが、103系はお顔が微かに。

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ここまで同じように撮っていたとなると、不思議なご縁を感じざるを得ません。

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EF65は84号機でしょうか、ヨの後にコキを連ねて。

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青春Mさまは見事な流し撮りをされていらっしゃいました。

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「ゆのくに」キター!

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OER3001氏もしっかり同じ「ゆのくに」を。

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当時はマンモスと言われていたEH10も大活躍でした。

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EH10に繋がる貨車のカタチからも、同じ列車を撮っていたことが証明されます。

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そんなことをしながら“本番”を迎えますが、フィルムカメラの時代ですから緊張してシャッター切ったことでしょう。

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OER3001氏もそうでした。先ずは遠くで捉え・・・、

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近づいてきたところでもう一枚。

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別のカメラでも。

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もう一枚。当時はズームレンズなど持っていなかったし、モードラも無く精々オートワインダーだったような。

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そして目前を通り過ぎたところでも。

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ホントにほぼ同じアングルではありませんか! 自転車を前にした男、とその後ろに並ぶ人々の姿から、間違いなく近かったのですね、カメラを構えていた場所が。

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本当に何とも不思議なご縁です。青春Mさま、これを期に何卒よろしくお願い致します。

 

2026年4月 9日 (木)

座間から海老名へ

座間から海老名までの区間距離は3.3キロですが、撮影しながらの歩行距離は4キロ以上だと思います。

最初は座間1号踏切、座間駅の直ぐ先です。

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いつかは歩いてみたかった線路に沿った道を、海老名方向に歩きます。座間1号の次は座間3号、座間6号踏切と続き、2、4、5号は在りません。座間6号踏切がこちら。

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7号踏切までの中間地点を少し過ぎた辺りに40キロポストがあります。

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次は座間7号踏切、ドラッグストア「ウェルシア」(踏切道の右手)の横です。

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ウェルシアの角から2000形を撮ります。

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さらに進んで座間8号踏切、大型トラックの駐車場角へ。

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少なくなりつつある8000形6連の急行でした。

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そしてなんとラッキー、60000形MSEの4両口が! 定期では見られない4両の本線走行、試運転列車でした。

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ロマンスカーはやっぱり展望席が無くては。展望ロマンスカーは、70000形GSEだけになってしまいました。

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次はハックドラッグの横、市道2号線が横切る座間9号踏切。

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ここで面白い注意看板に気付きました。描かれている電車は最新の5000形だから、新しいものなのですね。後で気付いたら、殆どの踏切に掲げられていました。

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次はクルマは通れない座間10号踏切が斜めに。次の11号との間に41キロポストがあります。

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そして座間11号踏切。

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座間12号踏切は国道246号の陸橋近くで1車線です。

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その先に13号は無く、座間14号踏切です。ここは交通量も多く、手前の曲線部分に41.5キロポストが在りました。

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海老名からの勾配を駆け上がって来る上りEXEを撮ります。

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41.5キロポスト方向から迫る3000形6連の急行を。

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次の座間15号踏切は1車線、海老名までの区間で最後の踏切となります。

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ちょっとズーミングすると、サクラを入れて撮ることができました。

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15号が最後の踏切でしたが、その先で線路を横切れるのは歩行者専用跨線橋。画像奥のブルーの橋ですが、意地悪な金網ガードで電車の撮影不能。この画像は市道62号線の高架橋手前から。

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海老名車両基地が右手に拡がりますが「関係者以外立ち入り禁止」が表示されていて下りて行かれません。

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車両基地の奥では箱根登山線用になった1000形が、構内を行ったり来たりと試運転していました。

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最後に海老名駅コンコースから、サクラと電車基地を撮ってこの日のウォーキング終了。

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相武台前から座間、海老名と営業距離5.6キロの線路に沿って歩いた距離はいったい何キロだったのだろう。この日のスマホには18,546歩とありました。

 

 

 

2026年4月 7日 (火)

サクラを求めて小田急沿線

サクラ開花の時期は、つい線路端に出向きたくなるものです。

半世紀前は玉川学園の見事なサクラを背景に、1978(昭和53)年はこんな位置での撮影が可能でした。

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翌年は校内開放日に、松陰橋の上からも。

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しかし玉川学園のサクラも老木化、年々その数を減らしてしまいました。

そこで撮影場所を相武台前-座間間へ変更することになります。

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が、ここも安全面から法面への立ち入りが出来なくなってしまい、老木の伐採も見られます。

そこで今年2026年はアングルを変えて臨むこととし、相武台前から線路海側を進み、緑が丘第2公園で撮ることにしました。

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やって来る車両は3000形、4000形、5000形と、ステンレス車ばかり。

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仕方の無いこととはいえ、やっぱり塗装車の方が華やかですよね。

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その点、アルミボディーの70000形GSEはバーミリオンを纏い華やかです。

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最古となった30000形EXEは鋼製車体なので塗装が不可欠。このブロンズカラーも貴重な2編成となりました。

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供養坂と言うらしいこの跨線橋からは、ピントを車両に合わせると手前の電線が邪魔になるので、サクラに合わせて撮ってみました。

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そのまま線路山側を歩き、以前撮っていたサクラを逆方向から狙ってみます。

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ぶらぶらと座間駅に歩く途中、狭い踏切の向こうに見事なサクラ。それならこうして見ようと、通過するEXE-αを狙ってみたのですが・・・、

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あと1メートル手前でシャッター切れればサイコーだったようです。

結局この日は海老名まで歩きましたので、それも近日ご紹介することとしましょう。

 

2026年4月 5日 (日)

都心の光景

38年間務めた会社における、ある10年間程だったか一緒に過ごした仲間との“同窓会”(?)に出掛けた序で、OER3001氏にとってはは必須の“鉄活動”です。

好天に恵まれたので空を入れて。

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横断歩道を渡る人の波ははけたのに、新幹線と手前の京浜東北の位置がイマイチ。

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何分間か粘って、横断歩道も車道も一瞬の静けさを取り戻した時、す~っと通り過ぎてくれました。

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この後の宴会、誰々さんと誰々さんは亡くなった、そうそうあの時はああだったな、こうだったな、等など近況報告に加えて所謂シニアの話題に盛り上がるも、誰一人として暇な御仁は居らず、夫々の趣味生活を満喫している様子、流石です。

 

2026年4月 3日 (金)

帰路の阪急

明石~加古川~粟生~鵯越~山陽塩屋~須磨浦公園~滝の茶屋と回って帰路につきますが、予約済みの新幹線まではゆとりありすぎと言うことで、西宮北口で下車。

滝の茶屋でも「うん」に恵まれましたがここでも恵まれ、「Memorial 8000」に出会うことができました。

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折角なので反対側も撮っておきます。

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今度は1000系「カービィ号」が来ました。それにしてもここの分岐器は凄い、シーサスの一端がスリーウェイですよ!

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これは? カーボンニュートラルラッピングだとか。なかなか普通(各駅停車と言う意味ではない)のには出会えません。

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今津線の今津方面(今津南線)も確認しておきました。3連の6000系が往復しているのですね。

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南線を確認した後は北線に乗り、最初の駅・門戸厄神に降ります。ホームから西宮北口方向を眺めてみれば、「これぞ閉塞信号だぁ」という光景にわくわくします。3基の信号機が順番にG、Y、Rではありませんか。

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門戸厄神は神戸女学院大学の最寄り駅。若かった時、関西での仕事では神戸女学院大学の学生アルバイトにお世話になったものです。その内の一人が東京に来られた際、連絡を頂きお会いしたこともありましたっけ。

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そんなことを思い出しながら、甲東園を飛ばして仁川に。仁川のホームは混雑して職員が安全確認していたようですが、何の混雑だったのでしょう? 後で調べて解りました、阪神競馬場が近かったのですね。

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小林(✖こばやし、〇おばやし)を飛ばして次に降りたのは逆瀬川。このアングルは良く撮られているいますね。

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そして次の宝塚南口でも一枚。「宝塚駅」の南口かと誤解するような「宝塚南口」って、なんとなく面白い駅名です。「南宝塚」ではいけなかったのでしょうか?

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結局、今津北線で降りなかった駅は甲東園と小林だけ。そして宝塚からは大阪梅田行き急行に。

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その1003-1503-1603-1053-1153-1553-1653-1103編成を運転してくれたのは、ポニーテールが可愛くカッコイイ女性運転士、最後まで「うん」の良い旅となりました。

 

2026年4月 1日 (水)

シーサイドエクスプレス山陽へ③

新年度4月1日になりましたが、シニアのOER3001氏には無関係。関係あるのはせいぜい暫定予算が国会を通過して、年金がちゃんと受け取れると安心したことくらいかな? いやいやそんなことは無い。諸物価の値上げがあるじゃないか、困ったものだ。

須磨浦公園から再び乗車、「史跡敦盛塚」の後方を、歩いてきた塩屋方向に向かいます。

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向かった先はここ。半世紀前には“山陽カラー”の好ましい更新車が元気に活躍していたものです。

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周りの景色に大きな変化はありませんが、今は同じ3両編成でも華やかな新型車両が。と同時に、電車線上部にある饋電線が2重(2本)になっていました。

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そして乗り入れてくる阪神車両は山陽姫路に向けて通過して行きます。饋電線の2重化は、列車編成長拡大への設備強化なのですね。

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シーサイドエクスプレスと言うに相応しい光景を探して、駅を出てみます。

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少し塩屋方に歩けば、これこそまさにシーサイドエクスプレスじゃありませんか。

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駅から逆に東垂水方は、ちょっと海の広がりが感じられないのが難点。そして、折角JR山陽線との並行区間なのに、ひな壇状の線路なので下を行くJRは見られません。

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諦めて引き上げようとしたその時、誠にGoodな光景をGet!

運良くEF210-314牽引のコンテナ貨物列車と並走ですよ。遠くに明石海峡大橋も望めるし、絶好の撮影ポイント。

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(この間に記載した一部内容は、都合により削除させて頂きました。)

今まで撮っていた「山陽電車」で最も気に入った一枚が得られました。

 

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