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2026年7月 4日 (土)

新聞輸送の1300形

暑い夏の日の午後、吊り掛けモーター音を轟かせてやって来たのは両運デハ1300形を3両連結した「新聞電車」が、2600形NHEの各駅停車を抜いて颯爽と下って行ったっけ。

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一般車両に冷房車なんて無い時代。2段上昇式の側窓は全開でも、停車すれば床下の主抵抗器から発する熱がふわ~っと上げって来て不快だったこと。

「デニ」になる前の「デハ」時代の写真、いくらも撮っていないので貴重な1カットですが、最後部は試験的にP-Ⅲ台車を履いた栗色の1304。後に誕生する4000形に採用する試験だったのですね。

 

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コメント

その気になれば一晩でも語り切れないネタです。抵抗器の排熱はHE車が一番ひどく、2600形は回生ブレーキなので、そんなに苦になるほどではなかったですね。1300形の新聞電車は大学生の頃によく撮りました。これを撮るということは午後の授業をサボっていることになります。1300の更新車体は荷電代用を意識したものと思いますが、なかなかよくまとまっています。

◆ モハメイドペーパー さま
早々に嬉しいコメントですが・・・「午後の授業をサボって」なんていませんよ。8月ですから夏休み!
1300形って、新宿駅で車内覗いたらいつの間にか打席の布団(?)が板に代わっていて、扉に取っ手が付いていましたよ。この時(1969年)から「デニ」になったのですね。赤13号になったのは1971年でした。

さすが小田急、新聞輸送専用列車があったのですか。通常は旅客列車で賄いますよね。
新聞全盛期、夕刊も当たり前だったこの頃は、他の私鉄にもあったのでしょうか。

午後の授業をサボって撮影したのは私です。
シグ鉄さまへ、
私鉄ではっきり新聞専用としていたのは小田急だけだと思います。写真の3連は相模大野から先の分で、前2両が小田原行き、後ろ1両が片瀬江ノ島行きです。これの2時間くらいあとに相模大野までの分の列車がありました。

◆ シグ鉄 さま
小田急の荷物列車には「荷」の運行板が掲げられていたのに、いつの間にか「新聞」に変わっていました。
「手小荷物営業」が廃止されたのは1984(昭59)年3月のことでしたので、新聞も手小荷物として扱っていたようです。
あとはモハメイドペーパーからのコメントをご参照ください。


◆ モハメイドペーパー さま
フォローをありがとうございます。新聞輸送専用と言うより、営業上は手小荷物として扱っていた荷が、結果的に新聞だけになっていたと言うのが正しいようですね。

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