文化・芸術

2023年1月21日 (土)

シニアの遠足

中京地区に在住する同学年の友人が出張して来た機会を利用し、3人でシニアの遠足となりました。乗換駅で普段あまり目にすることが無い電車を撮っておきます。

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天気にも恵まれ、風も無く暖か、海も穏やかな日となりました。

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見上げれば、羽田を離陸した福岡行きJALが上昇中でした。

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何度か訪れている所なれど、“入場”は初めてでした。山下公園に係留・保存され2016年に重要文化財にしてされている氷川丸の「一等客室」。英語表記は「First-class cibin」でした。

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一等食堂にはその食事も並べられていて、豪華な雰囲気が伝わって来ます。

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こちらはさらにその上「一等特別室」、英語表記は「Delux cabin」でした。First-classより上はDeluxのようです。

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バスルームを挟んで隣にはこんなスペースまで。この「一等特別室」は天皇・皇后両陛下もご利用されたとありました。

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その氷川丸を、マリンタワーと共に収めておきました。これも初めて行ってみた大桟橋の屋上から。

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こまめに写真を撮っていませんが、日本郵船歴史博物館~氷川丸~中華街で懇親~山下公園~大桟橋~赤レンガ倉庫と歩き、帰宅時には20,000歩を越える“遠足”になっていた次第です。

 

 

2022年11月19日 (土)

千歳船橋

OER3001氏が小田急に興味を持つようになった地がこの駅でした。今は大俳優だった森繁久彌(1913-2009) の胸像が、高架下に設置されています。これは、一周忌にあたる2010年に、東京都世田谷区が千歳船橋駅から旧森繁私邸へ抜ける区道を『森繁通り』と命名したことを受け、氏が『屋根の上のヴァイオリン弾き』で演じたテヴィエ役姿の胸像「テヴィエ像」として、2014年に設置されたものです。

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駅の北東0.5㎞ほどにあった氏の大邸宅は、OER3001氏が住んでいた場所の直ぐ近くだったことから、ヨットが置かれていた庭で遊んだ思い出があります。招き入れてくれたのはご子息の一人だったようです。

その千歳船橋駅、北側(山側)から見た今の姿です。胸像の設置場所は右端の高架下です。

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OER3001氏の記憶に残る千歳船橋駅の姿はこれ。

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学校から帰るとここへ行き、行き交う電車を見ていて・・・。駅員さんもいつしかその小学生を覚えてくださり、事務室内に招き入れておやつをくれたりしました。駅や駅員さんが地域に溶け込んでいたという良き思い出です。右の交番には、拾った10円玉を届けた思い出でもあります。10円玉を預かったお巡りさん、「ぼく偉いね、ありがとう。これしっかり預かるから、ご褒美に・・・」と言って自分のポケットから取り出した10円玉をくれました。

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そんな素晴らしい思い出は、ほぼこの時代。ボルダ版フィルムの玩具カメラによる撮影で、近年着色してみた画像ですが、ここに写る跨線橋や上屋は、高架化工事まで健在でした。

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高架化工事開始直前に訪れた時は、ホームこそ延伸されていますが雰囲気は昔のまま。営団6000系も古の記録になってしまいました。

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高架複々線となった今は、同じようなアングルで撮ろうとすると、8両編成の2000形をはじめとして10両編成の最新鋭5000形まで停車します。

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通過列車の撮影にも良い場所ですが、床下機器の撮影にも適する駅になりました。是非一度、電車の撮影に訪れたら改札を抜けて、『森繁通り』の散策をされては如何でしょう。

 

 

 

2022年11月 9日 (水)

山形県 東村山郡 中山町

「五月雨を あつめて早し 最上川」松尾芭蕉の「おくの細道」にある句はあまりに有名ですが、その最上川に架かる鉄道橋のひとつが、左沢線羽前長崎-南寒河江間の橋梁。国鉄→JR東日本長井線を引き継ぐ山形鉄道(フラワー長井線)四季の郷-荒砥間の橋梁とともに、1887(明治20)年より東海道本線木曽川橋梁として使われていた150ftの単線ダブルワーレントラス橋で、左沢線に5連、フラワー長井線に3連が移設されたもので、「日本最古の現役鉄道橋」です。

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一方左沢線の羽前長崎方は、100ftの単線プラットトラス橋3連が架けられていますが、これまた九州鉄道・筑豊本線遠賀川橋梁を移設したものと知り、歴史の重みを感じる土木施設です。

その橋梁に7時7分にやって来た上り山形行列車は4両編成でした。

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先頭車両が150ft単線ダブルワーレントラス橋から100ft単線プラットトラス橋に進みました。

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一旦部屋に戻った7時25分、通過して行った下り列車はなんと6連。これちゃんと撮りたかったな~、と思っても後の祭り。

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朝食後には、頭を見せてくれるようになった標高1,984mの月山を入れて撮りたく、再び河畔に向かいます。9時10分に2両編成が来てくれました。150ft単線ダブルワーレントラス橋に差し掛かります。

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顔がトラスにかからないようにシャッターを切ります。

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ちょうど5連目を渡り切り、3連の単線プラットトラス橋に差し掛かる直前が、月山を入れてちょうどよい位置でした。

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撮影を終えれば時間を気にすることなく周囲を散策。先の豪雨による増水で荒れた河川敷を整備したのでしょうか、オートキャンプができる施設も整備され、奇麗なトイレ横のこれに目が止まりました。

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「鍋掛松」だそうで、鍋が掛けられています。山形の「芋煮会」はこの地が発祥だったようです。

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最上川舟運の時代、ここ長崎の港が米沢方面への船荷の積み替え要地だったとのこと。船頭や水夫たちが、京都から運ばれた棒鱈と地元産の里芋を材料に、河岸の松の枝に鍋を掛けて煮て食べていたというのが始まりだったようです。

土地の文化にも触れることができ、良い思い出になりました。

 

2020年12月22日 (火)

パンタロン

まだ地平だった代々木上原駅、1973(昭和48)年は地下鉄9号線(千代田線)乗り入れのための改良工事が始まっていたときでした。

3000形SSE車の「えのしま」が、東北沢からの勾配を駆け下り、代々木上原駅に差し掛かります。 カーブした代々木上原駅ではカントで通過電車は気になりませんが、停車した電車への乗降ではかなりのストレスがあったことを思い出します。

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そんな代々木上原駅で電車を待つ女性は当時の流行、裾が広がった“パンタロン”です。

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電車が停車して乗り込むスマートな女性も白い“パンタロン。”

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停車して側扉を開ける2600形は、大きく傾いています。 ラッシュ時の満員電車の尻押しでは、車体がユラユラしていたことを思い出します。

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