文化・芸術

2025年6月29日 (日)

パブリックアート

これまで何度も訪れていた都心で、恥ずかしながら初めてじっくり観察した彫刻像。これ何処だか直ぐお分かりになる方はどのくらいいらっしゃるでしょうか?

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少女がしゃがむ彫刻の題は「はぐれっ子」。いつからこの場所に設置されていたのでしょう?

彫刻の後方には「はぐれ櫻」と名付けられたサクラの木。

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ここは数寄屋橋交番の前なのです。交番前に「はぐれっ子」って、ぴったりのパブリックアートではありませんか。

常時多くの通行人が行き交う場所だけに、彫刻をゆっくり鑑賞するには少々不自由な環境ですが、そんなことにお構いなく鑑賞してきた次第。東京造形大学教授を務めた岩野勇三(1931~1987年)という方の作品だそうです。

どうしてここに行ったかって? 有楽町のカツミ模型店に行き、その足で銀座・天賞堂に向かう途中のことでした(笑)。

 

2025年4月22日 (火)

有楽町で逢いましょう

若い人は知らないだろうな、有楽町で逢いましょう」なんていう歌謡曲を。

あなたを待てば 雨が降る
 濡れて来ぬかと 気にかかる
 ああ ビルのほとりのティー・ルーム
 雨もいとしや 唄ってる
 甘いブルース
 あなたとわたしの合言葉
 「有楽町で逢いましょう」

何度も聴いた、フランク永井が唄って大ヒットしたこの曲が、1957(昭和32)年5月に開店した「有楽町そごう」正式名称は「そごう東京店」のキャンペーンとして、3月放送開始のテレビ番組、7月発売のレコードで流行ったものだと言うことまでは知りませんでした。

「有楽町そごう」前のホームから、山手(やまて)線内回りの103系が発車します。

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55年を経た今、「有楽町そごう」だった読売会館には「ビックカメラ有楽町店」が入り、発着する電車はE233系(京浜東北線)、E235系(山手(やまのて)線)と代わりました。

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こんな有楽町で、まともに“電車”を撮ったことは殆ど無く、この時は首都圏から蒸気機関車が消えるということでの記念列車撮影に行った日でした。だから京浜東北、山手の103系も“序で撮り”でした。

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上の画像のように並走を狙っていましたが叶わず、山手線の235系だけになってしまいました。

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辛うじて逢えたのは、新幹線と東海道線の並走。

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16両編成の新幹線と、15両編成の東海道線が、殆ど寄り添うように。

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なるほど、これが「有楽町で逢いましょう」なのかも知れません。

こころにしみる 雨の唄
 駅のホームも 濡れたろう
 ああ 小窓にけむるデパートよ
 きょうの映画(シネマ)は ロードショー
 かわすささやき
 あなたとわたしの合言葉
 「有楽町で逢いましょう」

 かなしい宵(よい)は 悲しよに
 燃えるやさしい 街あかり
 ああ 命をかけた恋の花
 咲いておくれよ いつまでも
 いついつまでも
 あなたとわたしの合言葉
 「有楽町で逢いましょう」

 

 

2025年1月29日 (水)

しばうら鉄道工学ギャラリー

東京ビッグサイトでの展示会視察後、夕刻からの予定まで時間があったので、ゆりかもめ新豊洲駅を下車。豊洲方面に向かって軌道の右側を歩くと直ぐ、芝浦工業大学附属中学高等学校の校舎が目に入ります。自動連結器や車輪が並べられた壁面の中が、しばうら鉄道工学ギャラリー」です

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2017年4月、芝浦工業大学附属中学高等学校の開校に伴い、大学図書館の保存資料等を中心に「テクノロジーギャラリー」構想・計画の基にオープンした施設です。附属中高の前身が、旧鉄道省が設置した東京鉄道中学であり、鉄道とは非常に縁が深いのです。

学校の門を入り、受付で記帳して入校許可証をもらって入場する仕組みです。開館日はWebで確認するのが良いでしょう。

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展示室の外には200系新幹線の「鼻」が置かれ、その左にはこんな歯車が展示されていました。

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1954年に直角カルダンで登場した小田急2200形のスパイラルベベルギア(曲がり歯傘歯車)で、米国Gleason社のNo.26 Hypoid Generatorで切削され、Tocco社の高周波焼き入れ装置で熱処理されたという、当時の最高技術によって誕生したとのこと。

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廊下に向かったウインドウに、菊池文雄氏の模型作品が並べられていました。OER3001氏が小学生の頃、「模型とラジオ」誌に“〇〇形の作り方”を書かれていらした方は、東芝にお勤めだったのですね。

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0系新幹線と921形総合試験車。

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ED45かな? 交流電機が牽く“タバコのパッケージ”で作った貨車や当時の人気車両が見られました。

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OER3001氏にとっては何よりもSE車。パーツ類が少なかった時代に苦労して製作しておられます。

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名鉄パノラマカーも。背後の近鉄ビスタカーも、少年にはハードルが高すぎる存在でした。

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展示室内に入ると結構な広さ。中央に実物運転台が置かれ、Nゲージが運転できるようです。

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シーナリーなどは稚拙ですが、実はここの生徒たちによる鉄道研究部では、毎年のようにその種の競技で優れた賞を受賞しているのです。

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残念ながらくつろぐことはできませんが、窓辺にはリクライニングシートやボックス形シートも並んでいます。

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展示品を具に見れば、歴史上貴重な資料であることがわかります。

わざわざここだけを訪問するには少々物足りない気もしますが、序でに立ち寄ってみる価値は相当大きい施設でした。

 

2025年1月21日 (火)

作品展&写真展

久しぶりにE235系などという山手線に乗り、向かったところはここ。

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さかつうギャラリーで開催中の「イチカワ作品展_モケイ鉄道に恋をした」へ。

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OER3001氏にはとても真似できない精密なNゲージ車両群とジオラマが並べられ、イチカワ氏も居られましたが、来場者と話し込まれて居られたのでOER3001氏に気付かず。

そのままそっと失礼させて頂き、次に向かった先は初めて降りる駅。

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駅から直結の新しいホールで開催されている本橋剛氏の写真展「電機」に向かいました。

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広々したオープンな会場に、6×6版モノクロームフィルムによる正方形の写真40点他に、これらの撮影に使われたカメラなど。

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1971年から1980年にかけて、首都圏や東北、上越、中部などで撮った旧型電機の魅力が伝わる作品群でした。

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在廊されていた本橋氏は、最近拙ブログがご縁でお近づきできた方ですが、JACC(全日本クラシックカメラクラブ)の会員だそうで、写真文化の歴史を次世代に残す目的の研究機関としての活動として、今も古いカメラとフィルムを使い続けて居られるとのことでした。

帰り際に素晴らしいお土産を頂きました。明治の機関車がお好きなようで、鉄道院で活躍した機関車図面をMacで描かれたのだと。

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裏面はそれらを活かすために好みの色にした姿。考えてみれば蒸気機関車がみんな真っ黒なのは日本くらい? 英国や独逸も仏蘭西も、素敵な色に塗られていましたものね。

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楽しい時間を過ごした後は、「新」のつかない綱島駅へ。

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ホーム東端に架かる跨線橋形状が、どことなく英国調に思えてしまうのは先のカードの影響でしょうか(笑)。

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地元駅→新宿→巣鴨→目黒→新綱島/綱島→武蔵小杉→登戸→地元駅と、この日は京王、山の手、東急、南武、小田急の乗車となり、10,000歩を越えるウォーキングとなりました。

 

2024年8月20日 (火)

テラダモケイ1/100×100

JAMに行く序でに、観たかった銀座松屋で開催中の展示会に立ち寄りました。

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建築模型などで使われる1/100サイズのレーザーカッティングによるペーパーモデル、100作目を記念しての展示でした。

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このペーパーモデルを使った1200㎜四方程度のジオラマが3基並んでいます。

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そして反対側の壁面に、100作が順番に。

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ジオラマの中でこれは、渋谷のスクランブル交差点をイメージしているのでしょうか。

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目線を下げてみるとまた実に楽しい。

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ペーパーの切り抜きながら、なんと動きも感じ取れる。

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これらに使用されたのはこの商品ということです。

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田園地帯のジオラマを挟んで、OER3001氏の眼にはやはりこれが。大都会の駅!

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山の手線と総武線のホームに目線を下げてみます。新宿駅の雰囲気ですね。到着する山手線を待つ乗客が扉位置に並んでいます。

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停車して開扉するところでしょうか。人々の動き(動きませんが)が感じ取れます。

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これらに使用した商品はこちらだそうです。

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なかなかレイアウトに使う勇気はありませんが、ペーパーモデルで車両も商品化されています。

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中央線の201系はオレンジとブラックの2枚の紙で構成されていたのですね。

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もう一つ、OER3001氏の眼が止まったのはこちら。箱根登山電車から見える、箱根・彫刻の森美術館の「交叉する空間構造」後藤良二作ではありませんか。OER3001氏の自宅レイアウトに導入しようかな?

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入場無料の展示会。9月9日(月)まで開催ですので、ご興味ある方は是非。

 

2024年7月11日 (木)

「鉄道が街にやって来た~多摩ニュータウン鉄道開通50周年~」に協力

多摩センター(小田急多摩線、京王相模原線、多摩モノレール)駅南側に建つ多摩市立複合文化施設 「パルテノン多摩」。ミュージアムで開催中の企画展「鉄道が街にやって来た~多摩ニュータウン鉄道開通50周年~」に、OER3001氏協力の展示が加わりました。

パルテノン多摩は多摩センター駅の南側、多摩中央公園の入り口にあります。

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右側「ウエスト」の入り口を入った正面がミュージアム。

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お越しの際は休館日と開館時間にご注意ください。

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常設展示場の一角に、企画展示が展開されており、その一部がこのパネルと模型車両たち。小田急、京王、モノレールの模型が並びます。

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OER3001氏が展示協力させて頂いた16番ゲージ模型は全てがペーパー自作のもの。先ずは①1700形、特急専用車時代の姿です。

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②2100形は模型でも吊り掛けモーター4台/1両を装備しています。

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③旧4000形はその昔、TMSデビューを果たした作品です。

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④9000形はまだ製品が無かった時代、そのフェイスを形作るのに苦労したものです。

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⑤そして半ば維持意地で製作した新3000形の5形式が、Nゲージやプラレールと共に、背後の写真パネルと連携してケースに陳列されました。多摩線を走り抜けた形式としての選択です。

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またこれらとは別に4階廻廊では、「多摩ニュータウンで活躍した鉄道写真展」が展開されています。小田急多摩線の開業初日から撮り続けて来た写真を何枚か協力させて頂きました。

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4階にはエレベーターでお越しください。入場無料の展示ですから、お序での時に気軽にご覧頂けましたら幸いです。

追伸:模型と写真では掲出されている名前が異なりますが・・・、その辺は知る人ぞ知るということで。

 

 

2024年6月15日 (土)

神田駅北口 1967

ちょっと写真探索していて目に止まった一枚。

1967(昭和42)年8月19日撮影とあるので、高校2年の夏休みですね。SEからSSEへ改造されつつあった小田急3000形ロマンスカーに乗車するため、江の島まで往復して来た日のことだったようです。

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このブログをご覧頂いている大方の人は、都電(19系統・王子駅行 3036)に目が行くことと思いますが・・・

左に前部が切れたスバル360、その後方にはブルーバード。電柱の看板は「性病科 今川橋医院」「質 きくや」、ガード上を行くのは言うまでも無くオレンジ色の101系ですが、そのガード下には「JAPAN TRAVEL BUREAU」「神田駅 アカデミー酒場劇場」と。

いやま~、何気なく撮っていた一枚に、今日では見られなくなった、時代を感じる情報がどれだけ詰まっているのか、面白くなってきました。

因みに、「着彩!モノクロ写真」なるアプリケーションで着色してみました。

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う~ん・・・、まあね。

 

 

2024年4月28日 (日)

豪徳寺

小田急線は新宿から各駅停車で9駅目の豪徳寺駅。

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駅の名前は大谿山豪徳寺という寺院から。彦根藩主・井伊家の江戸における菩提寺で、井伊直弼ほか井伊家の墓所が。

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城山通りからの参道を進むと山門。

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山門をくぐれば仏殿が。

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その左には三重塔と、立派な建築物も多く見られる寺院です。

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その中、招福殿がこの寺のシンボル(失礼)かも知れません。

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鷹狩り帰りの井伊直孝が、寺の門前にいた猫に手招きされ立ち寄ることに。その後の雷雨を避けられた上、和尚との話も楽しめ、その幸運にいたく感動したことから、福を招いた猫を「招福猫児(まねきねこ)」としてお祀りするようになったとか。

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招福殿には、家内安全、商売繁盛、開運招福を願う多くの参詣者が訪れ、願が成就したお礼として、数多くの招福猫児が奉納されています。

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その豪徳寺、複々線の小田急線が行き交いますが・・・、

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ほぼ同じ場所で撮っていた50年前の写真。新宿行4両編成の1800形がホームを後にするところです。

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 半世紀を経て小田急線の姿は様変わりしましたが、井伊家菩提寺の豪徳寺も少しづつ変化していたようです。

 

 

2024年3月31日 (日)

また一つ、消えて行く

小学館、集英社といった大手出版社、三省堂(現在建て替え中)や書泉、古書店などが集積する千代田区神保町。都営新宿線神保町駅のホーム壁は、この街を象徴していて好感が持てます。

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その街にある歴史的な建築物が消え去る運命ということを知り、乗り換え途中で散策してみました。学士会館です。

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神保町駅から歩いて行くと、その敷地に斯様な記念碑が。「日本野球発祥の地」だそうで、日本に初めて野球を伝えたとされるホーレス・ウィルソン氏の野球殿堂入りを記念して、2003(平成15)年に建立されたという比較的新しい碑。どうりでこれまで気づきませんでした。

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1990年頃だったかこの階段(北口)を上がって、職場の東大卒後輩女子の、東大卒役人との結婚披露宴に、上司として出席するためでした。

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しかし正面玄関は白山通りに面したこちら。北口にはエスカレーターが備えられるようになりましたが、正面玄関にはスロープも無く、まさに“敷居が高い”建築です。

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共立女子大学方から眺めたこちらが“正面”のようです。関東大震災後の復興建築で、玄関の半円大アーチやスクラッチタイルの外観、窓廻り2・3層の直線基調と4層の曲線基調の対比などに特徴がある鉄骨鉄筋コンクリート造地上5階地下1階建で、小田急開業の翌年である1928(昭和3)年の完成。設計は佐野利器と高橋貞太郎(増築部は藤村朗)によるものとか

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その最上部についているこれが気になるのですが、残念ながらその説明を見つけられません。

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そんな学士会館が、建て替え再開発されるのですって。これを期にいろいろ調べてみると、耐震性など今でも心配ないしっかりした建築物であり国指定登録有形文化財の指定を受けているのに・・・ですよ。

国立大学をご卒業成された優秀(?)な方々は何を考えているのやら(涙)。私学出の、優秀でなかったOER3001氏は悲しいです。

 

2024年1月29日 (月)

JIDA DESIGN MUSIUM Vol.25展

現役時代には主に夜だったが、真昼間の六本木に行ったのは何年ぶりのことか? 懐かしく思い、東京メトロ日比谷線の駅を降り、地上に上がればキョロキョロ。随分変わりましたね、六本木。飯倉方向に歩くと右手にあったロアビル(共同ビル)は仮囲いで覆われていて、近いうちに解体されるようです。

OER3001氏の目的はここAXIS。定年退職後の仕事で関係が出来たJIDA公益社団法人日本インダストリアルデザイン協会 )が本部事務所を構えるおしゃれなビル。ここで開催された「JIDA DESIGN MUSIUM Vol.25展」を見る目的でした。

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1階の入り口。ブラッセリー・ヴァトウの横の空間を通り抜けます。

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早速展示アイテムのひとつ、黄色いトヨタ・プリウスが中央に。エレベーターで4階へ。

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優れたデザインのアーカイブを目的として1998年に発足したJIDAデザインミュージアム活動の25回目となる今回は、219点の推薦から60点がセレクションとして選定され、4階の会場他に展示されました。

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対象は日用品や家具、モビリティなど、多岐にわたります。

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1点1点見入りましたが、中でもとりわけこれが。とても会場に持ち込める代物ではないのでパネルですが。

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京都市交通局・地下鉄烏丸線に登場した20系車両。比較的大人しく見える車両デザインは、工業デザイン専門家や公募委員などをメンバーとする懇談会を経て、市民や利用者の投票で決められたもので、近畿車輛が製造を担当しています。

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先頭部のクレーモデルも展示されていました。東京に住む身には遠い存在なのですが、色々なところに気が配られた車両です。

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もう一つの鉄道車両は大阪メトロ・中央線の400系。奇抜なスタイルはGMやポルシェ、フェラーリ・エンツォフェラーリ、マセラティ・クアトロポルテなどのデザインで有名になったケン・オクヤマこと奥山清行氏によるもの。大阪・関西万博に向け、「活力インフラ」の中心となる夢洲へのアクセス路線に相応しい近未来的な宇宙船イメージのデザインとしたらしく、日立製作所が製造。

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財政が厳しい大阪市から民営化された途端に、高額なデザイン料が払えるようになったのですね。しかしOER3001氏にはどうも・・・。わざわざ乗りに行きたいとは思いませんが、乗ってみたら気に入るのだろうか?

時には視点を変えて、車両デザインを見るのも良いですよ。

 

 

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