文化・芸術

2024年1月29日 (月)

JIDA DESIGN MUSIUM Vol.25展

現役時代には主に夜だったが、真昼間の六本木に行ったのは何年ぶりのことか? 懐かしく思い、東京メトロ日比谷線の駅を降り、地上に上がればキョロキョロ。随分変わりましたね、六本木。飯倉方向に歩くと右手にあったロアビル(共同ビル)は仮囲いで覆われていて、近いうちに解体されるようです。

OER3001氏の目的はここAXIS。定年退職後の仕事で関係が出来たJIDA公益社団法人日本インダストリアルデザイン協会 )が本部事務所を構えるおしゃれなビル。ここで開催された「JIDA DESIGN MUSIUM Vol.25展」を見る目的でした。

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1階の入り口。ブラッセリー・ヴァトウの横の空間を通り抜けます。

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早速展示アイテムのひとつ、黄色いトヨタ・プリウスが中央に。エレベーターで4階へ。

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優れたデザインのアーカイブを目的として1998年に発足したJIDAデザインミュージアム活動の25回目となる今回は、219点の推薦から60点がセレクションとして選定され、4階の会場他に展示されました。

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対象は日用品や家具、モビリティなど、多岐にわたります。

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1点1点見入りましたが、中でもとりわけこれが。とても会場に持ち込める代物ではないのでパネルですが。

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京都市交通局・地下鉄烏丸線に登場した20系車両。比較的大人しく見える車両デザインは、工業デザイン専門家や公募委員などをメンバーとする懇談会を経て、市民や利用者の投票で決められたもので、近畿車輛が製造を担当しています。

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先頭部のクレーモデルも展示されていました。東京に住む身には遠い存在なのですが、色々なところに気が配られた車両です。

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もう一つの鉄道車両は大阪メトロ・中央線の400系。奇抜なスタイルはGMやポルシェ、フェラーリ・エンツォフェラーリ、マセラティ・クアトロポルテなどのデザインで有名になったケン・オクヤマこと奥山清行氏によるもの。大阪・関西万博に向け、「活力インフラ」の中心となる夢洲へのアクセス路線に相応しい近未来的な宇宙船イメージのデザインとしたらしく、日立製作所が製造。

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財政が厳しい大阪市から民営化された途端に、高額なデザイン料が払えるようになったのですね。しかしOER3001氏にはどうも・・・。わざわざ乗りに行きたいとは思いませんが、乗ってみたら気に入るのだろうか?

時には視点を変えて、車両デザインを見るのも良いですよ。

 

 

2023年11月17日 (金)

WVSE写真展

WVSEっていったい何かと思われるでしょう。2編成が製造され、いよいよ引退間近となった50000形VSEが活躍していた記録。しかも本線上を行き交う2編成を同時に撮るという、もの凄いことにチャレンジして来られたKMさんの写真展にお邪魔しました。

「えびなめぐみ町フェスティバル」最終日の11月5日、海老名市文化会館の1室で開催された「VV写真展」でした。エレベーターホールからの廊下に、その一部が展示されています。

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つい、見とれてしまうような写真が入り口を飾ります。

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中には行って見ればいきなりこれらが!

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ちょうど会場内にいらしたKMさんの許可を頂き、写真を撮らせて頂きました。これは渋沢-新松田間でしょうね。

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こちらは? ダイヤを調べていても、当日の運行状況次第でバッチリと行かないことの方が多いと。

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そんなご苦労話は、実は過日のデハ1801保存会主催バスツアーの車内で聞きました。かけた交通費も相当なものです。

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展示されていたのは約300枚の。その1枚1枚に、想像を絶する苦労が重ねられていたのです。

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ダイヤ上で出会う場所が判っていても、思い通りに行かないことの方が多かったとのお話もありました。

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それなのに、展示されていた写真はどれも素晴らしいもの。

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連写が容易にできるデジタルカメラの時代だからこそ叶うものかも知れませんが、そうはいっても同じ場所に何度も出掛けてこそ、ようやく叶うものなのです。

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会場にあったこちらのパネルだけでも64枚ですよ!

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2編成のVSEが大活躍していた“日常”を、気が遠くなるほどの時間と費用を投じて追い続けた熱意に感動しました。

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そんなことを話してくださったKMさんが、「あと10分くらいでVSEが通りますよ」と会場で教えてくださりました。文化会館3階からでも眺められるのですが、急いで厚木街道の陸橋へ向かいます。

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厚木街道の反対車線側に廻ることは叶わなかったものの、海老名構内に進入しようとするVSEの雄姿を捉えることができました。

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多くの苦労話と共に、この日のVSE通過情報を教えてくださったKMさん、ありがとうございました。

 

 

2023年6月14日 (水)

「春の小川」歌碑

梅雨の合間の晴れ間を有効にと、この日は新宿都庁で開催中の写真展(関東大震災から100年、震災復興の記録)を見てから、紫陽花を求めて歩いてみることにしました。

結果は予想通り、小田急線の脇に紫陽花は見られません。花らしい花を見たのはここ(参宮橋4号踏切)だけでした。

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そのまま線路に沿った小径を進んでみましたが、参宮橋6号踏切までの間ではやっぱり線路際に紫陽花はありません。

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そこで視点を変えてみることにしました。上の画像に見える参宮橋5号踏切へ戻り線路脇を暫く進むと、この春の小川記念碑に出合います。

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一度、この記念碑を入れて撮ってみたかったのです。

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ここにはかつて清らかな小川(河骨川こうほねがわ)流れており、この地に住んでいた国文学者・高野辰之がしばしば散策していて、後に小学唱歌となる「春の小川」を作詞したということです。

現在、河骨川は暗渠となって、線路脇を流れています。

ということで、文学に触れた後はまた「鉄」に。代々木八幡駅を通過して来た5000形を撮ります。

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代々木八幡駅駅ホーム新宿方にある参宮橋6号踏切まで歩いたら、一応定番の画像も収めておかなければなりません。慌てて撮ったので高層ビル上部が切れてしまいました。

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この後は勢いで京王線・幡ヶ谷まで歩いてしまうという、良いウォーキングとなりました。

 

 

2023年1月21日 (土)

シニアの遠足

中京地区に在住する同学年の友人が出張して来た機会を利用し、3人でシニアの遠足となりました。乗換駅で普段あまり目にすることが無い電車を撮っておきます。

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天気にも恵まれ、風も無く暖か、海も穏やかな日となりました。

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見上げれば、羽田を離陸した福岡行きJALが上昇中でした。

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何度か訪れている所なれど、“入場”は初めてでした。山下公園に係留・保存され2016年に重要文化財にしてされている氷川丸の「一等客室」。英語表記は「First-class cibin」でした。

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一等食堂にはその食事も並べられていて、豪華な雰囲気が伝わって来ます。

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こちらはさらにその上「一等特別室」、英語表記は「Delux cabin」でした。First-classより上はDeluxのようです。

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バスルームを挟んで隣にはこんなスペースまで。この「一等特別室」は天皇・皇后両陛下もご利用されたとありました。

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その氷川丸を、マリンタワーと共に収めておきました。これも初めて行ってみた大桟橋の屋上から。

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こまめに写真を撮っていませんが、日本郵船歴史博物館~氷川丸~中華街で懇親~山下公園~大桟橋~赤レンガ倉庫と歩き、帰宅時には20,000歩を越える“遠足”になっていた次第です。

 

 

2022年11月19日 (土)

過去vs現在-13 千歳船橋

OER3001氏が小田急に興味を持つようになった地がこの駅でした。今は大俳優だった森繁久彌(1913-2009) の胸像が、高架下に設置されています。これは、一周忌にあたる2010年に、東京都世田谷区が千歳船橋駅から旧森繁私邸へ抜ける区道を『森繁通り』と命名したことを受け、氏が『屋根の上のヴァイオリン弾き』で演じたテヴィエ役姿の胸像「テヴィエ像」として、2014年に設置されたものです。

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駅の北東0.5㎞ほどにあった氏の大邸宅は、OER3001氏が住んでいた場所の直ぐ近くだったことから、ヨットが置かれていた庭で遊んだ思い出があります。招き入れてくれたのはご子息の一人だったようです。

その千歳船橋駅、北側(山側)から見た今の姿です。胸像の設置場所は右端の高架下です。

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OER3001氏の記憶に残る千歳船橋駅の姿はこれ。

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学校から帰るとここへ行き、行き交う電車を見ていて・・・。駅員さんもいつしかその小学生を覚えてくださり、事務室内に招き入れておやつをくれたりしました。駅や駅員さんが地域に溶け込んでいたという良き思い出です。右の交番には、拾った10円玉を届けた思い出でもあります。10円玉を預かったお巡りさん、「ぼく偉いね、ありがとう。これしっかり預かるから、ご褒美に・・・」と言って自分のポケットから取り出した10円玉をくれました。

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そんな素晴らしい思い出は、ほぼこの時代。ボルダ版フィルムの玩具カメラによる撮影で、近年着色してみた画像ですが、ここに写る跨線橋や上屋は、高架化工事まで健在でした。

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高架化工事開始直前に訪れた時は、ホームこそ延伸されていますが雰囲気は昔のまま。営団6000系も古の記録になってしまいました。

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高架複々線となった今は、同じようなアングルで撮ろうとすると、8両編成の2000形をはじめとして10両編成の最新鋭5000形まで停車します。

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通過列車の撮影にも良い場所ですが、床下機器の撮影にも適する駅になりました。是非一度、電車の撮影に訪れたら改札を抜けて、『森繁通り』の散策をされては如何でしょう。

 

 

 

2022年11月 9日 (水)

山形県 東村山郡 中山町

「五月雨を あつめて早し 最上川」松尾芭蕉の「おくの細道」にある句はあまりに有名ですが、その最上川に架かる鉄道橋のひとつが、左沢線羽前長崎-南寒河江間の橋梁。国鉄→JR東日本長井線を引き継ぐ山形鉄道(フラワー長井線)四季の郷-荒砥間の橋梁とともに、1887(明治20)年より東海道本線木曽川橋梁として使われていた150ftの単線ダブルワーレントラス橋で、左沢線に5連、フラワー長井線に3連が移設されたもので、「日本最古の現役鉄道橋」です。

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一方左沢線の羽前長崎方は、100ftの単線プラットトラス橋3連が架けられていますが、これまた九州鉄道・筑豊本線遠賀川橋梁を移設したものと知り、歴史の重みを感じる土木施設です。

その橋梁に7時7分にやって来た上り山形行列車は4両編成でした。

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先頭車両が150ft単線ダブルワーレントラス橋から100ft単線プラットトラス橋に進みました。

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一旦部屋に戻った7時25分、通過して行った下り列車はなんと6連。これちゃんと撮りたかったな~、と思っても後の祭り。

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朝食後には、頭を見せてくれるようになった標高1,984mの月山を入れて撮りたく、再び河畔に向かいます。9時10分に2両編成が来てくれました。150ft単線ダブルワーレントラス橋に差し掛かります。

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顔がトラスにかからないようにシャッターを切ります。

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ちょうど5連目を渡り切り、3連の単線プラットトラス橋に差し掛かる直前が、月山を入れてちょうどよい位置でした。

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撮影を終えれば時間を気にすることなく周囲を散策。先の豪雨による増水で荒れた河川敷を整備したのでしょうか、オートキャンプができる施設も整備され、奇麗なトイレ横のこれに目が止まりました。

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「鍋掛松」だそうで、鍋が掛けられています。山形の「芋煮会」はこの地が発祥だったようです。

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最上川舟運の時代、ここ長崎の港が米沢方面への船荷の積み替え要地だったとのこと。船頭や水夫たちが、京都から運ばれた棒鱈と地元産の里芋を材料に、河岸の松の枝に鍋を掛けて煮て食べていたというのが始まりだったようです。

土地の文化にも触れることができ、良い思い出になりました。

 

2020年12月22日 (火)

パンタロン

まだ地平だった代々木上原駅、1973(昭和48)年は地下鉄9号線(千代田線)乗り入れのための改良工事が始まっていたときでした。

3000形SSE車の「えのしま」が、東北沢からの勾配を駆け下り、代々木上原駅に差し掛かります。 カーブした代々木上原駅ではカントで通過電車は気になりませんが、停車した電車への乗降ではかなりのストレスがあったことを思い出します。

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そんな代々木上原駅で電車を待つ女性は当時の流行、裾が広がった“パンタロン”です。

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電車が停車して乗り込むスマートな女性も白い“パンタロン。”

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停車して側扉を開ける2600形は、大きく傾いています。 ラッシュ時の満員電車の尻押しでは、車体がユラユラしていたことを思い出します。

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