旅行・地域

2026年5月29日 (金)

小湊鉄道を愉しむ―その2

その2は初めての養老渓谷です。

何度も乗った小湊鉄道でも、OER3001氏にとって養老渓谷駅は、これまで下車駅ではなく通過駅に過ぎませんでした。

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無人駅ですが、駅舎横の飲料自販機も小湊鉄道カラー。

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閑散とした駅前ロータリーにバス停標識がぽつんとあるだけ。「養老渓谷」へはここから粟又・ごりやくの湯行というバスに乗らなければ辿り着けません。

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栗又の滝バス停で降り、粟又の滝へ行ってみました。期待していた水量が無かったのがちょっぴり寂しい。

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遊歩道があるので、心地よい緑と水の流れる音が楽しめます。

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本来遊歩道は、粟又の滝から4.3キロほど歩けたようですが、台風被害などで立入禁止になっている部分が多いのが残念です。一旦国道を歩いて再び川面に下りたのは面白峡遊歩道と言う部分だったようですが、深沢の滝なんていうのもありました。

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この季節に渓谷を歩くのはとても気持ちが良い。

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迫る断崖にはタモリさんが興味を示しそうな地層がところどころ。そう言えば国際地質科学連合から選ばれたチバニアン も養老川でした。

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遊歩道の端部からひたすら階段を上がり、集落に向かえば水田で雉がお出迎え。

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歩いて歩いて再びバスに乗り、養老渓谷駅から乗った列車は飯給でお見送り。あっこの車両、往路で乗ったやつでした。

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飯給駅付近でも鷺がお出迎え、いやなんとも長閑です。

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飯給で降りた理由は踏切を撮る。そんなことある訳ないでしょ。

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踏切で撮った列車が飯給駅を発車、終点の上総中野を目指して発車して行きました。

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駅のサクラと田圃は、春には撮り鉄たちを多く集めるスポットですが、その背後には白山(しろやま)神社。

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OER3001氏の目的はアート作品の見学でした。一見女子トイレ。

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この扉を開ければ丸太の塀で囲まれた広い空間に設置された一基の水洗トイレ「Toilet in Nature」。ここで用を足したくともこれは女性用だからOER3001氏は使えません

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このアートの解説ボードも設置されています。

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隣の男性用トイレを利用し、五井行の列車に乗りました。

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それにしても歩いた歩いた、この日の歩数は23,500歩を越えました。

 

2026年3月24日 (火)

神戸電鉄粟生線に乗る

JR加古川線を粟生駅で下車した後は、神戸電鉄粟生線に初乗車です。

トイレは改札外ということで、お洒落で立派な「あお陶遊館アルテ」なる建物のトイレを使います。そして神戸電鉄の改札を探せど見つけられない。1時間に1本の列車に間に合わなくなるではないかと焦ると、JRの改札(とは言ってもフリーパス)を入って加古川線上りホームの脇に、ICカードの読み取り機がある狭い通路が。そこには1109他の3両編成が待っていました。

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新開地方は警察車両と関係あるのか?1110。

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発車時刻までまだ余裕があったので、正面も撮っておきました。

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乗務員室背後の最前部席を取りますが、ここからの乗客は他には居ませんでした。

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三菱電機の主幹制御器と制動弁はの運転台、OER3001氏の地元・小田急の香りがします。

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粟生を出ると左にカーブ、JR加古川線で渡って来た加古川を再び渡ります。

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神戸電鉄の加古川橋梁は粟生方がプレートガーター、鈴蘭台方が風格を感じるポニーワーレントラスでした。このトラス橋は1988(明治21)年に英国から輸入、国鉄水戸線で使われていたものの払下げで、日本土木学会の「歴史的鋼橋」に指定されているとのことです。

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葉多駅を過ぎると、最初の交換駅である小野駅に到着。兵庫県小野市神明町だそうです。

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その次の交換設備を有する駅は三木。三木の二駅前・樫山駅にも交換設備がありました。OER3001氏は真鍮プレスキットメーカーの“モデルパーツMIKI”で知っていた地でした。

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偶然にも三木で交換したのは「メモリアルトレイン」1151-1251-1152と、幸運に恵まれました。。

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三木を出ると右カーブして直ぐ、一級河川の美嚢川(みのうがわ)橋梁を渡ります。

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ここで気になっていたのが、オトモダチ雄岳急行さまが撮影されたこの一枚。上画像の右上からだったのですね。この場所での撮影もしたいのですが、ダイヤ構成から難度が高くて・・・(涙)。

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で、そのまま乗り通して志染(しじみ)へ。これも難読ですね。

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この先は乗客が増えてきたこともあって、鈴蘭台まで撮影を忘れて“乗り鉄”になってしまいましたが、有馬線だけでなく粟生線でも、随所に50‰勾配がある路線。この先、押部谷から木場木津の先にある川池信号所までと、藍那間から西鈴蘭台は複線と、山間の単線と複線の郊外電車という両方が混じる魅力的な路線、大変気に入ってしまいました。

 

2026年3月22日 (日)

東経135度の地へ

JORC関西運転会と懇親会後は、神戸や大阪周辺の宿泊費が高いのでここまで移動。初めて宿泊する土地でした。明石ってあんまりホテル無いのですね。明石に泊まったからには明石に泊まった価値を最大限に活用します。

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キャッスルビューorトレインビューどちらを選択かって、そりゃトレインビューでしょ。ということで523号室に。これは翌朝5:34の撮影。東方の空には細~い月、まだ暗くてトレインがビューできません。

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が、日本標準時の場所である明石も6:00になればこの通り。523号室の窓からは東海道山陽本線(神戸線)と共に並行する山陽電鉄がバッチリですよ。

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こりゃゆっくりしてなど居られるか、と言うことで早々にチェックアウト。一応明石城址公園も確認しておきました。

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城址公園のお堀端を走るランナーを横目に駅に向かいます。駅前広場の時計は6:44を指していました。

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最初の目的は私鉄ファンとしては左程の興味は無かったのですが、JRで加古川へ向かいます。東日本では見られなくなった103系がまだ活躍しています。

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ほぼ1時間に1本しか無い西脇市行きの電車に乗ります。クモハ103-3554ってスカートに書いてあるのは好都合ですね。

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103系などと言う電車は、あまり好感は持てなかった車両ですが、相当手を加えられて、奇麗に使われているのですね。

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懐かしいMT55主電動機の音を聴きながら日岡、神野と過ぎて、加古川から7.4㎞、3駅目の厄神までは、1時間に1本の区間運転が設定されているようです。駅先には車両基地(網干総合車両所加古川派出所)がありますが、その右端を2008年3月までは、第三セクターの三木鉄道が走っていたのですね。

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厄神駅を出ると左にカーブ、一級河川の加古川を渡ります。これ「加古川橋梁」ではなく「第二加古川橋梁」だそうで、「加古川橋梁」は山陽本線の方だそうです。

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加古川を越えて右岸を進み、市場、小野町、を過ぎれば、神戸電鉄粟生線と北条鉄道との接続駅、粟生です。

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北条鉄道のフラワ2000形気動車にもお目に掛かれました。このカラーは廃止された三木鉄道から来たフラワ2000-3だったのですね。

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上り・加古川行きの列車が到着です。これを待って北条鉄道のフラワ2000-3は、左端のホームから出発します。

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これにてこの日の第一目的は達成。時刻は8時40分のことでした。

 

 

2026年3月20日 (金)

車窓を愉しむ

先日の好天に恵まれた関西行き、気が付けばずっと車窓を楽しんでしまいました。

先ずは小田原へ向かう小田急・急行の正面、第一菖蒲トンネル(492.9m)の上方には富士山が奇麗に。

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開成を過ぎて酒匂川に沿った直線区間からも富士山が見られます。

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東海道新幹線は“ひかり633号”の車窓、三島通過後は暫く眺められます。

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東名高速が並行するこの区間は“定番”ですね。

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名古屋では、JR在来線というかOER3001氏の世代にとっては“東海道本線”が寄り添って来ます。

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勿論この区間で期待するのは名鉄。パノラマカーは見られなくなって寂しいですが・・・。

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それでも特急車両に出会えれば良しとしましょうか。

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次に名鉄を見られるのは岐阜羽島。ダイヤ改正初日のこの日、名鉄竹鼻線、羽島線ではダイヤ乱れ発生でした。

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春の伊吹山を撮ったのは初めてだったかも知れません。

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米原を過ぎれば琵琶湖の東側を望みますが、琵琶湖は殆ど見られません。それでも交差する近江鉄道万葉かね線の線路と、雪をかぶった山は滋賀の名峰と言われる武奈ヶ岳(標高1214.4m )でしょうか。

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京都鉄道博物館を確認したかったのですが・・・、手前に列車が居て残念。

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阪急京都線との並走を楽しみにする大山崎付近では、サントリーのウイスキー蒸溜所を拝みます。

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その後は・・・、あっという間の出来事でしたが願いが叶いました。

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上牧辺りでは新名神高速道路の橋脚工事が進んでいます。

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50年前のこの地では、こんな撮影が出来たのですが、もう叶わなくなりました。

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新大阪に着いてみれば、やって来るのはこんなのばかり。

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いやそれにしても何と外国人が多くなったことか。まあ外貨を稼げるので良しとしなければなりませんが、構内歩くのにも苦労します。

 

2026年1月25日 (日)

Stadtbahn Karlsruhe

ドイツ語の標題は、カールスルーエ都市鉄道(?)、今ならLRTとした方が適切かもしれません。

OER3001氏が訪れたのは1979年、47年前のことになりますが、初めてのドイツ、当時は西ドイツでした。西ドイツ国内を南北に貫く、日本で言うなら東海道本線のような幹線に位置する都市。工科大学や音楽大学で有名だったことくらいしか理解していなかった都市でした。

国鉄の主要駅はどこの都市へ行っても「Hauptbahnhof」、即ち「中央駅」なので、駅舎にも「Karlsruhe」とは表示されていませんが、重厚で立派な造りです。

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駅前広場からは路面電車が頻繁に発着していましたが、車体色には2種類ありました。黄色に赤いストライプを纏っているのが、所謂カールスルーエ市電。

それに対してグリーンの車両はAVG(Albtal Verkehrs Gesellschaft)、アルブタール交通という企業が運営する鉄道。

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AVGはこの時既に、ドイツ連邦鉄道の路線へ直通運転していたということです。今では「カールスルーエモデル」と言われるように、都市交通網の再編モデルとされているようです。

当時、駅前広場に設置されていたAVGの路線案内が洒落ていました。

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HOゲージのフレキシブルレールが使われていたのです。流石に鉄道模型の西ドイツだと感心したものです。

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先のグリーンのAVG、行先の「Bad Herrenalb」は路線案内板の上左端。模型の線路が使われていた路線案内の写真からの話でした。

 

 

2025年11月28日 (金)

日光市内でブラ歩き

今回の旅は鉄友3人ですが、鉄を愉しんだのは往路のスペーシアXと駅前の保存車100形くらい。あとはインバウンドで賑わう市内をぶらぶら。先ずは国鉄(JR)日光駅舎から。

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その次は腹ごしらえ。日光なら何と言っても湯葉でしょ。これで2,200円と手頃な店を見つけ、湯葉の刺身を追加して3人でシェア。栃木県産の地酒と相まって旨かったこと。

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とりあえず神橋まで歩くことにしたのですが・・・。

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小学校の修学旅行で泊まった旅館からの光景が忘れられず。旅館の窓からボルダ版のカメラで撮っていたこの一枚しか証拠がありません。

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懐かしくなってその旅館を探してみるのですが・・・。

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現存するのはここだけのようです。なんとなく2階大部屋の窓が記憶と重なります。

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思い切って玄関に入り。ちょうど居られたご主人と思われる高齢女性にお話し伺えば、昭和30年代はこの通り沿いに何件か旅館が建ち並び、修学旅行生も受け入れていたとか。良いお話しが伺えました。

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神橋は逆光になって撮りづらい。外国人で溢れていましたが、鉄3人は日光軌道線の橋台を見て満足します。

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橋を渡ったところで、日光社寺入口の紅葉を愛でただけで引き返します。

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神橋近くでこんな銅像を発見! 一体何方の銅像かお分かりになりますか?

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この方ですよ、100円札に描かれていた・・・、

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板垣退助、100円札で知ってはいたものの、悲しいかな詳細は知らなかったのでWikipediaを見てしまいました。

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次に向かったのは旧日光市役所。風格があってなかなかの建築です。

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観音寺薬師堂瑠璃電などというところにも寄ってみました。なかなか風情がありますね。

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カトリック日光教会を眺めつつ坂を下ったところで思わぬショーウインドウを発見したのは同行のSW氏。この建物の左端です。

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暗~い店内を覗けば何やら鉄道模型が。恐る恐る扉を押して入店すると・・・。「OPEN」と札が架かっていましたが未だ来店客が居なかったので店内照明が点いていなかったのです。

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Nゲージ4列車走行のレイアウトを囲んでカウンター。

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ここは日本ワインのバーだったのです。この日は北海道から広島県までのワイナリーから取り寄せたものがあり、その中から折角なので地元栃木県産のを頼みました。

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オーナー氏も気さくにいろいろお話下さり、誠に素晴らしい思い出の昼下がりとなりました。

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結局3人とも、前述のワインを2杯飲んでしまいましたが、ワインケラーにはご覧の通りの品揃え。

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気分良く過ごし、最後にホスピタリティ富むオーナー氏と記念写真。

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オーナー氏はバランスの取れた紳士です。決して所謂「鉄オタ」ではありませんので、どちらかと言えば鉄分濃い方はお断り。欧米や豪州からの外国人が多いそうですよ。OER3001氏にとって至福のひと時となりました。

 

2025年9月29日 (月)

「ひかり」で西へ

新幹線と言えば東海道新幹線しか無かった時代から、岡山までの山陽新幹線が開業したのは1972(昭和47)年。その時のキャンペーンが「ひかりは西へ」でしたが、OER3001氏は「ひかり」で西へ。

OER3001氏の場合、多くは小田急で小田原を目指します。この日、酒匂川橋梁上から富士山が確認できました。

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が、残念ながらちょっとしたミスで確保できた指定席は海側のA席。いつもの山側E席なら富士山、名鉄を楽しめるのですが、A席では名古屋到着直前の近鉄が最初の喜び。

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ここで「のぞみ」通過を待っていても、名鉄は反対側なので見られません(涙)。

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その代わり米原では、保存されているこれら歴代の新幹線試験車両を見ることができます。残念ながら写真は電柱の合間から。

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この日の目的地は川西能勢口。京都から地下鉄経由で阪急に向かえば、なんだか凄い車両が停車しているではありませんか。

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観光用の特別車両「京とれいん雅洛」 と言うのだそうです。

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つい見惚れて、外観、車内を急いで撮っておきます。

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号車によって車内は何種類かあるようで、外国人観光客も多いです。

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折角なので発車を撮って見送り。予約や料金不要だったと知ったのは後の祭り。

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OER3001氏はその後に発車するこちらを予約していたのですから、仕方ありません。

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今度は山側。山崎のサントリーを拝みます。

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梅田に着いてみれば、キャラクターラッピング編成は人気があるのですね。

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お仲間の発信情報で知っていた、ずらり並んだ電車が眺められるカレーショップに初めて入りました。

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その後に漸く、宝塚線急行の最前席に座り目的地に向かいます。

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さてさて目的だったこの集まり。ペーパーモデラーとの情報交換なので、今回はこれを持っての参加となりました。

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1981年に竣功させた小田急ロマンスカー3100形NSEの模型。

一番奥に見えるのが高校入学前の春休み1965年に試作した第1号から、接着剤もセメダインCくらいしか無かった時代に、何度かペーパーの展開方法や組み立ての試作を重ねた苦節16年の道のりを、一挙に並べてのご紹介でした。

 

2025年9月 5日 (金)

箱根ゴールデンコースのひみつ

小田急が小田原から先、箱根湯本までの線路を3線化(箱根登山鉄道1,435㎜軌間、小田急1,067㎜軌間)して、新宿から箱根湯本まで直通運転を行うようになったのは1950(昭和25)年8月のこと。今年で75年を迎えました。

その10年後、1960(昭和35)年9月には登山電車、ケーブルカー、ロープウェイ、観光船、バスによって箱根周遊ルート「箱根ゴールデンコース」が開通してからは65年。

それを期にロマンスカーミュージアムでは、企画展示「箱根ゴールデンコースのひみつ」が9月15日まで開催されています。

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前記の各種のりものについて、特徴や見どころが紹介されていますが、OER3001氏にはどうしても登山電車に目が向きます。我が国の粘着式鉄道における再急勾配80‰を、1/80の模型でわかりやすく紹介しています。

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登山電車の再急曲線であるR30(半径30メートル)も、1/80のアレグラ模型で。

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う~ん、我が家の登山線レイアウトの最急曲線は、もっときついR280㎜なのでした。

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いくらR30がきついとは言っても、模型レイアウトではスケールよりきつくしないとスペースに収まり切れませんね。

2025年8月24日 (日)

馬車軌間

この線路は軌間1,372㎜、4フィート6インチの所謂「馬車軌間」。この期間を採用する都市高速鉄道は世界中でここ京王線と、直通運転している都営新宿線のみという貴重なものです。

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東京馬車鉄道に端を発する東京市電(→都電)への直通を目論んで創業した京王電軌軌道も、気付けば新宿~笹塚間と京王八王子付近、そして国領~調布間まで地下線になってしまっています。

その調布駅を地上に上がり、西方に進めば面白い光景が展開されます。

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鉄道ではなく「てつみち」と称された、地上線の跡地。2本線で描かれた「て」は、八王子方面と橋本方面に分岐するこの地をデザインしています。

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そして再現されていた線路も、軌間はちゃんと1,372㎜「馬車軌間」で敷設されていたのです。

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この遊歩道を西方に進むと、水木しげる先生が。

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墓場鬼太郎の像も。

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そう、漫画家水木しげる氏が50年近く住んだことから、調布市の名誉市民に選ばれこの妖怪が並ぶ遊歩道が作られたのです。

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炎天下でさえ、歩くだけで楽しくなります。

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西の端には鬼太郎広場。

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その西端には調布駅方面を見る妖怪「一反木綿」が。

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京王線はここで地下に潜るのです。

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残念ながら「一反木綿」と電車を一緒に撮ることは叶いません。

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実は、ここから電車が撮れないものかと目論んでの外出でしたが、上記の始末。この後は、相模原線の地上部に展開される遊歩道「映画のまちゾーン」に向かってみました。

因みに本日(8月24日)から、京王電鉄では調布市制施行70周年を記念した調布市の魅力投稿キャンペーン「うふふな調布、こっそり教えて」を実施しています。この機会に現地を訪れては如何でしょう。

 

2025年4月28日 (月)

常磐線原ノ町

2011(平成23)年3月11日のあの大震災では、津波と原発事故で多大な被害を被った常磐線。暫くの間は列車が走れない歳月がありました。

福島県南相馬市原町区の「原ノ町」駅に降りたのは何年ぶりだろう?

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初めて来たのは、平(現・いわき)~仙台間を担っていた平区所属のC62牽引の急行「十和田」に乗るために来た時だった。乗車車両はスハフ42 2072だったと記憶。

深夜の原ノ町駅で給水するので機関士に断って、ホーム先端を降りて撮影することもできた優雅な時代。

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これが原ノ町での深い思い出でした。

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この光景は今、どうなっているのか確かめたくて、下りホームに行ってみましたが、58年の歳月を重ねると・・・。

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ホームも少し延伸されていたのかも知れませんが、広々した構内だけが当時と同じようです。

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C62の急行「十和田」が出て行ったホームから、特急「ひたち」が発車して行きました。

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齢を重ねると、若い時の思い出を辿ってみたくなるものです。短い時間でしたが、ここでも良きひと時を楽しみました。

 

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