旅行・地域

2025年3月15日 (土)

嵐山に

少々日が開いてしまいましたが・・・、能勢電走破の後は十三から京都線に。ちょうど来た特急9401に乗れば、カッコイイ女性運転士。

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水無瀬駅通過直後に新幹線と並走、あっという間に抜いて行かれました。何度も通っているこの区間で、こんなタイミングで新幹線並走を撮れたのは初めてです。

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最近の特急はOER3001氏が憧れていた十三から大宮まで無停車だった時代と違って、ちょこちょこ停車する。淡路、茨木市、高槻市、長岡天神、桂。かつら? ちょうど良いので桂で下車、嵐山線に乗ることにします。

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京都線特急で活躍していたあの6300系が、4両編成に短縮されて今も活躍していますから。相変わらず外国人観光客が多数乗車。この車内撮影もタイミングが重要です。

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下車客の姿が退いた時を待って嵐山駅の情景撮ったら、ホームの非常通報スイッチの表示が入ってしまいました(涙)。

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「あらしやま」副駅名は「嵯峨野」だったのですね。阪急他路線とは違うデザインの駅名標でした。

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駅舎の表示は「阪急嵐山駅」。カメラを構えて観光客が退くのを待っていたら、十人ほどの中国人グループがそれに気づいて移動してくれたことに嬉しく思いました。

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桂川に飛来していたこれ、カンボジアから指示されていた1羽だったのでしょうかね(笑)。

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この地のシンボル的存在の「渡月橋」、数年前の台風による洪水災害の復旧工事が今も進行中でした。

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この渡月橋を渡ると・・・、

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違う違う、上の「武蔵嵐山」ではなく下の「嵐電嵐山駅」です。ここまでの徒歩も、観光客の歩行速度に合わせないと歩けないということで、相当なゆとりが必要です。

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ちょうど、レトロ調に改装されたモボ21形27号が発車するところでした。

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この後は嵐山を後に、また嵐電を楽しむこととしました。

 

 

2025年2月27日 (木)

四ツ谷見附橋

ここ何回か、先に訪れた新宿歴史博物館に関連した記事を掲載しています。

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正面左側の庭園では、紅梅が楽しめました。

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玄関の左側に、1913(大正2)年に完成し、道路拡幅のために1991(平成3)年に掛け替えられた四谷見附橋の説明パネル。

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その横には、再利用できなかった部材の一部として保存された、高欄の一部が展示されています。

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架け替えられた現在の四谷見附橋がこれ。

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赤坂離宮(現在の迎賓館)の外観と調和させたという、ネオ・バロック様式の橋梁でしたが架け替え前の姿がここ八王子市の長池公園に復元されています。

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橋の中央にはしっかり右から「しはけつみやつよ」とあります。

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高欄部材の一部は別に説明が添えられて保存されていますが、

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鉄道ファンならこれをしっかり見なければいけません。東京市電→都電の軌道部分の一部も保存され、その構造もしっかり確認できるのが嬉しいです。

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何より自然にも恵まれ、四季折々の姿を楽しむことができるのです。

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都市の拡大で、架け替えを余儀なくされた橋梁ですが、110年を経た今も、その優雅な姿を維持してくれていることは素晴らしいこと。「新宿グランドターミナル」構想とやらで工事が進む新宿ですが、100年経っても通用するデザインであることを願うばかりです。

 

 

2025年2月21日 (金)

驚愕の“新宿”

ここのところ変わり行く新宿西口に触れてきたところで・・・、凄いものを見て来ました。解体前の小田急百貨店ビル(正確には小田急ビルと地下鉄ビル)、西口広場などが具に再現されたジオラマ。

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西口だけではなく、新宿駅周辺が正確に作られているではありませんか!

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東側から見ると、西口高層ビル群が正確に再現されています。

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右手前には「伊勢丹」、駅の手前は「マイシティ」、JRのプラットホームを越えたところに「小田急百貨店」と「ミロード」、「京王百貨店」。

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南側に移動してみれば、代々木駅のプラットホームとあのエンパイヤステートビル擬きのNTTドコモビル、新宿御苑。

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OER3001氏としては、この画角が気がかりでした。右の白い小田急ホテルセンチュリーサザン、左の青い山野学院ビルの間。

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ズームしてみると、しっかりあの元小田急電鉄本社のビルまで正確に。

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そして線路が伸びる南新宿駅のプラットホームまで正確でした。

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このジオラマは1/1000で作られたそうで、一連の再開発工事が始まる前の2020年の様子だということ。「安田生命ビル」も「スバルビル」も、ここでは見ることができます。

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それはここ、新宿歴史博物館

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4月13日まで、「写真と絵画でみる昭和30年代の東京風景」という魅力的な企画展示が開催中です。

 

2025年2月17日 (月)

新しいのが消えて古いのが残る

この付近に出掛けた際には必ずと言っても良いくらい、ここ旧南新宿駅跡の跨線橋に上がって電車を撮っています。右手のレトロなビルは旧小田急本社ビル。小田急電鉄本社は移転し、今は関連会社が使っていますが、HB車の時代からABF車、ABFM車、20m大型車体、ステンレスと、電車のカタチは変われどず~っと行き交う電車を眺めていたビルです。

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新宿は小田急の起点でもあり、西口はシンボルでもあったのだが・・・、新たな時代に向けた大改造が進行中。既にあのシンボルは解体されてしまい、東口のビル群が丸見え。

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これらの構造物が取り壊されて、それより遥かに古い、冒頭のレトロビルが健在という矛盾。

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新宿西口の大改良工事の完成は2046年度だそうですが、OER3001氏は96歳。果たしてみられるだろうか?

 

2025年2月 6日 (木)

ルーツを探る

天気も良い平日、ここで降りて外に出てみました。。

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漢字で「道灌山下」とあるのに英文では「Ookan-yama」と「shita」が無いのは何故だ? 失礼ではないか(笑)。

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ここに行ったのは「駒込動坂町」を歩いてみること。OER3001氏祖父の代からの本籍地なのですが、戦後世田谷に転居したようなので、物心ついた時から話でしか聞いていない地でした。

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「狸坂」もそうですが、この辺りには「きつね坂」とか「むじな坂」など、その昔はかなりの山だったようです。

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歩いていると由緒ありそうな建築物に出合いました。

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東京都指定有形文化財「半床庵」という茶室だそうです。

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こんなのもあったのですね、ファーブル昆虫館「虫の詩人の館」と言うことで、土日だけ開館するとのこと。

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「駒込動坂町」と思われる場所で「動坂公園」を見つけました。

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その先に歩くと「駒込動坂町」からは外れますが「神明都電車庫跡公園」が目に入りました。

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此処だったのですね、近年奇麗に修復された保存車両と言うのは。

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乙1形の乙2号。

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6000形と共に、諸元や経歴が掲示されています。

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6000形6063号の状態も本当に良く、嬉しい限りです。

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道路に面した側にあるプラットホームは9時から17時まで開放されて、車内も覗けます。

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行先が「新明町車庫」と言うのも良いですね。交通博物館が近かった須田町から走って来た系統だったのですね。ほっこりすることができた平日の午後でした。

 

 

2024年12月30日 (月)

貸切列車で忘年会(3)

下田での8000系撮影会の後は、KD氏、AM氏と稲生沢川橋梁に向かって歩き始めたら、いきなり「踊り子」の発車でした。急遽歩いていた場所からまず1枚、12:40のことでした。

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稲生沢川の向こう側には先客が居られたので、手前から撮ることにして13:06、上り「踊り子」を。

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13:12に伊豆急100系色の8000系が来ました。向こう側の同業者を望遠レンズで確認したら、なんと例の(伊豆大川で我々の列車を撮ってくれた)後輩氏。スマホで呼びかけ、手を振りあった次第。

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13:25には下り「踊り子」が通過です。

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ここでの本命は「サフィール踊り子」でした。ダイヤ遅れで13:41にやっと来た次第。

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昼過ぎの1時間半ほどは頻繁に来る列車ですが、これを過ぎると間隔が開くので駅付近に戻ります。団体貸切の8000系が「踊り子」と並んでいました。

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この後、構内の「さかなや道場」で金目の刺身他で一杯。小一時間を過ごしてから15:24発の貸切列車の乗客になりますが、満足してこの通り。

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往路で飲みきれなかったお酒は空けなければなりません。

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ややや~、そう言わないでもう一杯と、なんだかんだで騒がしい復路です。

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夕日を浴びた伊豆大島も見送ってくれるかのようで・・・。

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最後になんと、幹事からスイーツが配られたのです。

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スイーツは「つるや饅頭」、幹事が懇意にしている南信州の菓子補から取り寄せてくれたものでした。

20220601_7654062973e98624d3 (つるや菓子補HPより)

ということで、忘年会列車の旅はこれまで。本年も本当にいろいろありましたが、何より無事に年が越せそうです。

「OER3001氏の優雅な生活」をご覧頂いた皆さま、ありがとうございました。新しい年も何卒よろしくお願いいたします。

 

2024年12月26日 (木)

貸切列車で忘年会(1)

少し前のことになってしまいましたが、12月15日(日)のこと。熱海発の伊豆急下田行「リゾート21」は黒船電車、1号車の展望室に座りました。

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クハ2158の乗務員室仕切り背面にはブルーリボン賞プレートの他に、シルバーのプレートが5枚も。何かと思ったらブライダルトレインとして運行された際の日付、新郎・新婦のお名前でした。

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そんな展望室でJR線区間を行き、伊東で一旦改札を出たのが8:50。朝早いので気合い入れて頑張りましたよ。

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熱海駅に「団体」の東急8000系ならぬ伊豆急8000系が入線して来たのが9:08。

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OER3001氏が乗車したクハ8004は昭和47年東急車輛製。(東急時代はクハ8034

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9:13伊東発車後は早速宴会開始、お仲間が持ち込んだ清酒「梵」でカンパ~イです。

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間を置かず幹事氏からビール、おつまみ、寿司などが配られます。

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東伊豆の朝陽を受けながら、こんな贅沢をして良いのでしょうか、良いのです。

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客室で盛り上がる中でも、乗務員氏は安全運転に努めてくれています。申し訳ない思いです。

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この日の運行ダイヤ、これが配布されて大いに助かります。

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幹事様が用意してくださったのは、サッポロビール焼津工場で作られたご当地銘柄の静岡麦酒、伊東で70年の歴史を誇る「祇園」のからあげといなり寿司。それに沼津産茶葉100%の「ぬまっちゃ」。素晴らしい気づかいではありませんか。

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飲んで食べている間にふと外に目をやればなんと富戸だって(笑)。

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伊豆高原での19分停車を利用して上るホームまでダッシュ。乗って来た団体列車を撮っておきました。

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頂いた運行ダイヤのお陰もあって、ちょうど沿線撮影に興じている高校鉄研OB会後輩氏にメールで連絡したら、何と伊豆大川駅手前で乗車列車を撮ってくださるとの連絡。架線柱で隠れてしまいましたが、後輩氏が手を振ってくれました。

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その時の作品がこの1カット。光線状態も良くバッチリの写真、提供してくださった片岡さんに感謝です。

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片瀬白田での13分停車の際には、特別仕様の行先表示「貸切団体 忘年会列車 伊豆の冬」とするサービスも。

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片瀬白田を出れば有名な海岸沿い。車窓には伊豆大島、利島、新島などが広がります。

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11:00伊豆急下田着。入換の後に構内で実施された8000系撮影会では、東横線時代の列車表示にするなどしての撮影会が展開されました。

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参加者それぞれ、下田で3時間余りを過ごしました。

 

2024年11月26日 (火)

近所で秋を拾う

暑い日が続き、秋を感じる日が少なかった今年。急な冷え込みもあって木々は色づくも、残念ながら奇麗に揃った色が楽しめません。

神奈中バスのカラーは、メタセコイヤ通りにぴったりです。

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こちらはモミジバフウ。赤いのもあれば、隣にはまだ緑色のもあります。

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でも、公園のベンチ周りは秋を感じますね。

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たまには鉄道から離れて、近所で秋を拾ってみた次第です。

 

 

2024年11月 4日 (月)

広島から松山へ

鉄道好きな身として、普通なら鉄路を利用するのですが、妻同行での慰霊の旅としては、、、。スーパージェットと称するこれで、瀬戸内海クルージングとしました。

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折角2階席スーパーシートとしたのに、残念ながら雨交じりの空模様。広島港を後にしました。

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呉を経由します。2005年の出張の際、OER3001氏が務めていた会社が関わった開館直後の大和ミュージアムを見学していました。

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その大和ミュージアム前の桟橋を後に、一路四国を目指します。

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途中、倉橋島を結ぶ音戸大橋を抜けますが、この間は100mも無い狭さです。その操舵に感心しつつ、

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1時間20分の船旅を終え、松山観光港に到着です。松山観光港からは連絡バスで伊予鉄高浜線の高浜駅へ。

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1978年4月の出張時の夜、初めて行ってみた時とは車止めの位置が変わっているようにも見えます。

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今度は駅舎も入れて、全体の雰囲気を押さえておきました。いや~電車は井の頭線ですね~。

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この画像、実はカメラを構えるOER3001氏を見つめる妻が写っていたのですが、ここはちょっと隠れて頂いた次第。でもホントに隠れてもらっては困ります。

 

 

2024年10月31日 (木)

広島のホテルで楽しむ

単独での鉄旅ではなく妻と一緒では、それなりにサービスしなければなりません。新幹線「のぞみ」もそうですが、ホテルにも気を使います。

30階の部屋を取ったお陰で朝には素晴らしい自然のサービス、西の方向にが‼ 左は厳島あたりから右は「エディオンピースウイング広島」の向こうへ。

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前日にはあれほど賑わっていた原爆ドーム周辺にはまだ人影は無く、ちょっと寂しい原爆ドーム前電停を発車したのは800形のようです。

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身支度をして朝食会場である最上階のレストランに向かうと、早朝の人影の無い平和記念公園の向こうには厳島が望めます。

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そして正面には、広電宇品線の軌道と広島港辺りが。こんな素晴らしい眺めでは朝食もままなりません。

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折角、客室とは反対側の、東南側の角テーブルを用意してくださったので、これを活かさなければ勿体無い。

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広島港から広島駅に向かう5車体の5100形グリーンムーバーマックスが、眼下の紙屋町交差点を行きます。

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代わって今度は3車体の1000形グリーンムーバーLEX。

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宮島口から広島港に向かうのは3100形でしょうか。元京都市電の1900形と交換です。食事を口にしては撮る。撮ってからまた食すの繰り返しです。

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東方を見れば新幹線! 貨物ターミナルを右に見て、東京方面に向かっていきました。

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ということで、リッチな気分でゆったり朝食と言う状況ではなくなってしまいましたが、妻は満足してくれたようで一安心といったところでした。

 

 

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