旅行・地域

2021年1月 7日 (木)

初めて乗ったヨーロッパの列車

それは1979年7月16日、西ドイツはフランクフルトからニュルンベルグに向かう列車、日本流に言えば“特急”で、あの103形電機の牽引で最高時速は200km/hです。 ニュルンベルグに向かった理由は、なんとなく鉄道模型の香りがしそうな都市だったからでした。

1等車と2等車がある編成で、ユーレールパスを買っているので当然1等車
を利用します。 こちらはもっとも標準的なコンパートメント、1室の定員は6名で、予約している乗客名と乗車区間が各客室の入り口に掲示されています。

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物珍しいOER3001氏は指定された座席に落ち着くことなどあり得るはずも無く、車内をウロチョロと見学します。 

個室の1室は列車セクレタリーの部屋になっていて、何やらビジネスの手伝いをしてくださるようでしたが、インターネットが無かった時代だからあり得たサービスですね。

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食堂車に行ってみました。 とりあえず、ビールと何かを注文した筈ですが、貴重なカラーポジフィルムではその写真は撮っていなかったのが、デジタル時代の今となっては残念です。

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こちらは編成中1両の開放車。 その開放という意味が理解しづらいのですが、ほとんどの客室がコンパートメントとなっている国だからこその表現です。 車体幅は日本国鉄の標準である2,800㎜より100㎜ほど狭いのですが、ゆったりしたフルリクライニングの3列座席です。

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斯様な列車でニュルンベルグに向かったのですが、なんと西ドイツを含むヨーロッパの客車って、編成組成に自由度が高いだけに、最後部はこんな感じで貫通扉の窓越しに過ぎ去る景色を眺められ、時速200km/hで迫力満点です。

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飛び去っていく架線と架線柱に興味を持ちました。 重錘式の自動張力調整装置です。

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どの辺りかさっぱり判りませんが、著しく芸術的なトンネルを飛び出しました。 向こう側の入り口の光が確認できるので、それほどの長さではないトンネルですが、左右にライオンのレリーフ、上部に“MDCCCLIV”と。

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トンネルを抜けた先はこの小さな駅でしたが、残念ながら駅名は確認できません。

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日本じゃ考えられないのですが、この列車のには開けることができる窓があったので、カメラを出して見ました。

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12両、いや13両編成なのか? 遙か先頭にワインレッドとクリームの103形電機、その後にネイビーブルーとクリームの2等客車8両の後が、ワインレッドとクリームの食堂車と1等車となっています。

これに乗ったことで一気にDBが気に入ってしまったのです。

さてさて、この後はまた何れということで失礼いたします。

 

 

2020年12月30日 (水)

太宰ゆかりの地

三鷹市は“太宰治が生きたまち”だそうですが、“死んだまち”なのだそうです。

1948(昭和23)年6月13日に、愛人・山崎富栄北多摩郡三鷹町(現・三鷹市)の玉川上水で入水心中したそうですから。

と、そんなことはどうでも良いのですが、こんな案内板が立てられている跨線橋があります。

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折角なので登ってみます。 早速このような魅力的な視界が広がります。

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たしか、相当昔にもここに来ていたはず、と思って探索したら・・・、ありました。 国鉄に初めてのアルミ製車体の301系が登場したときの試乗会の帰りでした。 営団5000系と並んでいました。

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この光景、車両が全てステンレス車に変わっただけで、配線などの設備もほとんど変わっていないようです。 全てが10両編成になった今なのに、電車の停車位置が奥になっているわけは・・・、奥を延長しているのでしょうか?

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この跨線橋、斯様な格好ですが、残念なことに中央部には網がかけられていて撮影には不向きです。

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しかしこの日、ここから下を行く電車を捉えようとする若い女性が、本格的な一眼レフを構えていました。

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危ない危ない、太宰治が生きていたら・・・、彼女は声をかけられたかも知れませんよ。 太宰は結構な好色男子だったようですから。

 

 

 

2020年11月11日 (水)

東北観光号で福島へ

1967(昭和42)年5月 20日の昼前、山形駅1番線に入線してきました。 初めて目にした修学旅行電車のカラーです。

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わくわくした気分で乗り込んだ後、プラットホームの光景を納めています。 向かい側の貨物ホームにはワムと荷物客車が停車していたり、「特急つばさ」乗車位置表示やや清酒「男山」の広告板が付いた灰皿があったり。 台車で運んでいるのは小生らの弁当だったのかも知れません。

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座席に座ってから山形駅構内に目を向けます。 隣のホームには2両編成の気動車、さらに向こうのホームに見える狭幅窓の客車はスハ32でしょうか? 左沢線なのかな?

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山形発車! 前方のポイントに差し掛かると、車庫から出てきた気動車とすれ違いました。 先頭はキハ22でしょうか。

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エンジン全開、速度を徐々に上げているとき、振り返ると特急用のキロ80のようなのが止まっていました。 その奥の扇形機関庫内には気動車ばかり。 山形機関区だったのでしょうね。

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こうして車内で興奮しているうちに、速度を落としてどこかの駅に侵入したと思ったら、そこが上山(かみのやま)とい温泉地の駅。 前回取り上げたDF50の540号機に出会った次第。

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再びエンジン全開で単線を駆け抜けます。 窓全開でディーゼルの香りが全身に降り注いできます。

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だんだんと勾配がきつくなり、速度が下がります。 スノーシェッドに突入しました。

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これを額田かと思えば、行く手に再び。 後年になって知るのですが、ここが板谷峠だったのでした。

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客車列車と交換しましたが、ここが峠駅だったか板谷駅だったか、写真から判断できず残念です。

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今では標準軌になって新幹線が駆け抜けるようになりましたが、今でも秋には落ち葉で列車が走れなくなることがあると、信じられないような現実がある区間だけに、それは素晴らしい車窓でした。 やがて赤い機関車ED71やED75が佇む機関区が見えました。

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続いて遙か向こうに、ベージュ色とローズレッドの電車がいる車庫を見つけました。 福島交通飯坂線だと思われます。

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プラットホームに停車したら、隣のホームがその飯坂線の発着ホームであることが解りましたが、この時は電車を間近で見られませんでした。

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間もなくして、東北観光号は福島駅のホームを後にして、一路上野に向かいます。

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この後も、36枚撮りフィルムを装填したハーフサイズカメラのキャノンDemiで、車窓を撮り続けていたようです。 鉄道好きの小生のために、ボックスシートの同級生も良く協力してくれたものです。 54年の歳月を経て、ピンボケでどうしようも内写真ながら、改めて若き日が蘇ってきました。

 

2020年11月10日 (火)

東北観光号

高校生活2年目の1967(昭和42)年5月、修学旅行の予行演習などと比喩されていた東北地方への旅行がありました。 その帰路に利用したのが「東北観光号」という気動車の団体専用列車でした。

Hm

始発は山形駅、35㎜ハーフサイズカメラのキャノンDemiで撮っていた記録によれば、乗車したのはキハ58 507。 修学旅行用の155系同様の塗色だった記憶がありますが、モノクロフィルムではどうにもなりません。 この時代は乗務員さんの許可を得て、発車前の線路に降りて撮影が叶いました。

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ほのぼのとした良き時代でした。 山形駅1番線と思われますが、ホーム先端には蒸気機関車への給水設備があります。 線路にはピットがありますが、灰落とし用だったのでしょうね。

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前方をみれば左側に貨車の留置線。 腕木式の出発信号機と、今の新幹線「つばさ」が行き交う光景とは別世界です。 操車場に時計がありますが、湿している時刻は残念ながら判読できませんが、10時半頃なのでしょうか。

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「急行」とは言え、気動車で奥羽線の勾配区間を行くのですから、速度なんて期待できないし、上野までの所要時間たっぷりでしたが、それが高校生にとっては楽しい車内になったようです。

上山駅到着の際、DF50 540が牽引する普通列車と交換しました。

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この先、板谷峠に挑むことになりますが、その様子をず~っとカメラに収めていたようです。

 

 

2020年4月11日 (土)

今日の一枚 No.1

「今日の一枚」と題して、外出自粛令のもと、シコシコ進めているスキャンニングした写真から。

始めはOER3001氏らしからぬカットを。

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1975(昭和50)年10月11日、夕張線・沼ノ沢です。体育の日を含む連休を活用して飛んで行ったことを思い出します。

蒸機の終焉近い北海道でしたが、事情に詳しくない、社会人2年目のOER3001氏は、会社の先輩鉄に誘われるままに付いて行った次第でした。

 

2020年3月17日 (火)

常陸大子駅

先の列車旅、代行バスで辿り着いた常陸大子駅は、なかなかの雰囲気の立派な駅舎でした。

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改札口は中央より右に寄った位置にありますが、郵便ポストがなんとも懐かしいタイプです。

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駅の規模は2面ホームで3線。 これは郡山方から見ています。

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駅手前には2線の検修庫あり、中にはキハE130系が2編成収まっています。

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水戸方から見るとこんな状況。 検修庫の横の引き上げ線の奥には収容線が2線。

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キハE131-13とキハE132-13の編成が休んでいました。

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そして、ここには転車台もありました。 まだ使われている感じに見えました。

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反対側に回ってみました。 模型化にも程よいサイズと形状ではないですか!

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おまけに何と懐かしい国鉄コンテナが!

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そんな常陸大子駅ですが、その裏手を流れる押川。 昨年の台風19号で相当暴れた様子が見られました。

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堤防の一部が押し流されたようですが、その奥にはプラットホームが見えます。

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斯様な場所は随所に見られ、修復工事が進められているようですが、まだまだ時間がかかりそうです。

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そんなことも構わず、シラサギは長閑なものです。

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駅周辺を散策後、列車代行バスで西金に戻りました。

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2020年3月15日 (日)

C12187号機

形式入りの堂々たる赤いナンバープレートを掲げ、綺麗な姿でC11187号機が保存されていたのは常陸大子駅。

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暫しその雄姿をご覧頂くこととしましょう。

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ん? 正副2灯の後部前照灯の左にあるものは一体何でしょう? 蒸気に明るくないOER3001氏にはわかりません。 ご存知の方有れば是非ご教示ください。

(追記)

後部前照灯の左にある漏斗状のものは、キャブの換気口であり、主に九州のタンク機関車に、装備されていたもの。主灯の両側についていたと、工房5丁目さまからご教示頂きました。この機関車は、副灯を増設していますが、その後ろに穴があるとのことです。

また八千代運転所さまからは、換気口は石炭庫の中をパイプが貫通してキャブに通じていたとご教示頂きました。
九州ではこの通気口に加えて、密閉キャブの乗務員扉を外すなど、暑い地方ならではの対策をしていたそうです。

工房5丁目さま、八千代運転所さま、ありがとうございました。

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因みにこのC12187号機は1932(昭13)年日本車輛名古屋工場製。 西唐津、豊後森、宮崎、鹿児島機関区と、30年あまりを九州で活躍の後、1967(昭和42)年に水戸機関区所属となり、1970(昭和45)年の廃車まで水郡線で活躍したとのことです。

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車輪・動輪の踏面がシルバーに塗装されているからでしょうか、今にも動きそうな姿でした。

併せて保存機の横に、銅像が接地されていました。

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根本 正(ねもと しょう)氏だそうで、水郡線開通の功労者とのこと。

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水郡線の歴史に触れることができた駅前でした。

 

2020年3月13日 (金)

2019年台風19号の被害

「青春18きっぷ」で訪れることになったのはここ、大子町役場でした。 東京生まれと聞いていた母の、誕生時の本籍地だったのです。 もっとも当時は茨城県久慈郡の村だったようですが、町村合併で今のカタチに。

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その大子町は2020年3月1日現在で世帯数7,293、人口16,620人ということです。

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その大子町役場は、久慈川に合流する押川の河岸にありますが、その押川には台風19号被害の痕跡が確認できました。 手前の叢はまだ倒れています。

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役場の駐車場、押川から溢れた土砂がまだ残っているではありませんか。 

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暫く土手を歩いてみました。 左手に見えるガーター橋は不通区間の水郡線です。

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近付いてみると、流れて来た草などが橋脚にどっさり。 こちらは川下方。

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川上方はさらに多くの流木草が纏わり付いたままです。

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土手の上から常陸大子駅が望めますが、その間の田にも被害跡が確認できました。

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その光景を見て悲しくなった時、天から「ピ~」と長閑な音が。 見上げれば鳶が輪を書いているではありませんか。

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長閑な地でしたが、台風被害は当分残りそうです。 水郡線の早期復旧を願うばかりです。

 

 

2020年3月11日 (水)

列車旅

2018年に登場した新5000系による座席指定列車「京王ライナー」、当初は夕刻~夜の新宿発下りだけだったのが、翌年から朝方の上りも新設されていましたが、その上り列車に初乗車となりました。 6時代は満席でしたが、この時間なら乗車可能ということで5時54分発。

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乗車率は半分程度でした。 新宿着は6時20分。

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JR中央線快速と上野東京ラインを乗り継いで、上野からは7時03分発のこれに乗ります。

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勿論乗車券は青春18きっぷ。 目指した地はここ水戸、9時00分着でした。 が、続きがあります。

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向こうのホームは非電化の水郡線。 これに乗らなければなりません。

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ところが! これを失念していました。 なんと、目的地は常陸大子なのです。

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仕方なく西金などという、降りたことの無い駅を目指し、9時23分発に乗ります。 「にしがね」かと思ったら正解は「さいがね」だということも初めて知った次第です(笑)。 

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4両編成の先頭キハ132-4に乗りましたが、車内はご覧の通り閑散としています。

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それにしても軽快に走るキハ、見ていた中では時速95キロまで題していました。 西金駅に進入するところ、保線用のホキ800が並んでいます。

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ちょうど1時間の乗車で10時22分着、列車から降りる乗客も少ないです。

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ホームから階段を登れば、なんと立派な駅舎ではないか。 

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ここから列車代行バスというのに、初めて乗車することとなりました。 バスは茨城交通です。

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30分ほどバスに揺られ、11時4分に目的地の常陸大子駅着 ここも立派な駅舎になっていました。

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わざわざここへ来た目的、それは・・・。 (多分)つづく

 

 

 

2017年5月24日 (水)

「はつかりクラブ山形運転会」の帰り道-3-

磐梯町-東長原間で「フルーティアふくしま3号」を撮影した後は、1968(昭和43)年に会社倒産により休止され、翌年廃止となった旧・沼尻鉄道の保存車両を見に「猪苗代緑の村」に向います。

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駐車場から一段高くなった場所に、ディーゼル機関車が2両の客車を牽いて保存され、沼尻鉄道の歴史が記されています。

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先頭の機関車はDC12形の1号車。 蒸気機関車のようにサイドロッドで3軸を駆動します。

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砲金製の社紋と形式が綺麗な姿を保っています。

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製造は1953(昭和28)年、福島県内の協三工業によるものです。

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この機関車に繋げられた客車、車内に入ることができます。 綺麗に保たれていて今から発車すると言われても違和感がないほどです。

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その客車には2両ともボサハ12と書かれていますが、手前の車両は本来ボサハ13だということです。 理解していなかった職人さんが2両とも同じ車号を書いてしまったようです。

1928()丸山車輌製の木造ボギー客車が前身で、栗原鉄道から1956年に譲受したものだとか。 全長8,738mm、全幅2,100mm、全高2,845mm、自重3.8t、定員50名、座席定員30名。

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台車は軽便鉄道の標準的なもの。 

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所謂朝顔形連結器でしっかりと連結されて、

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屋根の掛けられたプラットホームに止められていました。

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ただ、沼尻鉄道の駅ではプラットホームが設けれれておらず、ステップを介して乗降していたようです。

軽便鉄道がまだ営業していた時代にはあまり興味がなかったのですが、こうして保存車両を見ると復活させて欲しくなります。

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