日記・コラム・つぶやき

2023年8月19日 (土)

変わり行く新宿西口

前回このタイトルでアップしたのが7月22日。ちょっと新宿に出掛けた序で、その後の変化を見て来ました。

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前回と同じ場所で撮るのって、前回のプリントを持って出掛けないと合わせるのが難しいですが、一応こんな感じで。左側の地下鉄ビル部分はほぼ2階から下を残すだけのようです。

 

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小田急ビルの北側(左)が仮囲いで覆われ、上層部が少し低くなったように見えます。

 

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この画像ももう少し右に寄って撮った方が、7月と比較しやすかったですがご勘弁を。

で、前回まで疑問だった解体の瓦礫をどこから搬出しているのか? 答えが判りました。地下鉄ビル、小田急ビルとも双方のほぼ中央にゲート1~4があり、西口広場から搬出していました。 乗降客が行き交う都会の真ん中でのビル解体。あらためて技術の素晴らしさに感銘した次第です。

 

 

2023年8月15日 (火)

続:レトロ百貨展

池袋・西武百貨店での開催だけに、今昔駅というコーナーでは西武線、中でも池袋線の歴史をモノクロ写真で展示していました。余計な話かも知れませんが、西武鉄道と西武百貨店は堤一族による西武グループでありましたが、今は全くの別企業グループ。資本的には無関係なのです。

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「レトロ・・・」と表現すると、OER3001氏の世代では昭和20年代までというイメージなのですが、ここでは秩父線が開通した1970(昭和45)年代の記録が中心だったので、若干の違和感がありましたがまあ良しというところ。

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池袋から、記録写真があった駅の風景が順に江古田、桜台、練馬、豊島園、中村橋、富士見台。

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1965(昭和40)年撮影の桜台駅。幼稚園の最寄り駅でしたが、幼稚園児だった10年前もこんな感じだったのでしょう。

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当時の自宅最寄駅だった練馬駅、橋上駅になった姿ですが小学生になった頃は島式ホーム1面2線だった筈です。

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1978年の練馬駅で、通過するレッドアローを撮っていました。

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今はハリー・ポッターのイメージにリメイクされていますが、豊島園駅は幼稚園児の頃に花見に連れていかれた思い出があります。

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当時は3線あったのですね。

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今は長編成化に対応するため中線が撤去されてご覧のように。ホーム上屋が3線だった時代があったことを伝えています。

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中村橋はギャンブレル屋根の良い雰囲気だったのですね。

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次のパネルは石神井公園、大泉学園、保谷、ひばりが丘。

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大泉学園駅も先の中村橋駅同様のギャンブレル屋根。遠くに富士山が望める駅だったと記憶しています。

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そう言えば、ホーム先端から階段を下り、線路を踏切で渡って駅舎へ。こんなのが当たり前の時代でした。

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続いて東久留米、清瀬、秋津、所沢、西所沢。

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小手指、狭山ヶ丘、武蔵藤沢、稲荷山公園、豊岡町(現・入間市)、仏子。

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元加治、飯能、東飯能、高麗、武蔵横手。

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東吾野、吾野、西吾野、正丸、芦ヶ久保。

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芦ヶ久保ではほぼ同じアングルで、窓周りがベージュの黄色い101系8連を撮っていました。

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「今昔」と言いながら気づいてみれば「今」が無く、比較ができない展示であったことに違和感がありますが、暫し懐かしい思い出に酔いました。

 

 

2023年8月13日 (日)

レトロ百貨展

既にCedarさんやモハメイドペーパーさんからの報告もありますが、OER3001氏も台風接近前に急遽観て来ました。

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モハメイドペーパーさまのブログへのコメントで、ぬか屋さまもこの日に観られる予定とのことで、会場でバッタリを期待していたのですが叶わず。その代わり入場して直ぐ、東急OB氏にお会いしました。それだけ話題の展示だったのですね。

入り口直ぐの所にあったこの模型、池袋周辺の再開発計画です。

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なるほど、ベースはこれ。この上に主要建造物をブロックで置き、再開発イメージを立体化しているのです。

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しかし、OER3001氏の注目はこちらの方です。山本高樹氏製作の昭和のジオラマ。

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例えば東口、西武百貨店前は都電や都営トロリーバスが発着していました。

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それをこのように再現してくれると、幼稚園児だった時、両親に連れられて来たときを思い出します。

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西口に東武百貨店が誕生したころ、辺りは木造建築ばかりだったのですね。

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あまりに見入ってしまい、撮影OKの展示をカメラに収められて大満足でした。

 

2023年7月30日 (日)

ちょっと体調崩してしまいました。

多分その原因はこれかと。久しぶりの開催となった“多摩呑もレール”の集まり。いつもこの集まりの後には模型熱が上昇するのですが、今回はちょっと違う発熱でした。

いきなり綿密な調査によるこだわりの工作を見せられてしまいました。

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ペーパーキットの車体をここまでリニューアルした挙句、こだわりの主抵抗器。

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実車同様に、50系客車をベースに窓埋めや窓抜きを重ねてここまで来た北海道の気動車(だったかな?)。

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加えてこれも同様の工作で塗装に掛かった2両。正面は新製ではなく、わざわざ客車キットの妻板に窓を抜いたのだと。

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何だかんだで卓上に並びました。

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それだけでは収まらず、奇麗に光ったまま長期熟成中だとか仰る留萌の気動車。

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これが103系とは思えないほどに手を加えたJR西日本・加古川線バージョンは完成車両でした。

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それはそれは楽しい数時間を過ごしたのを1日目として、3日目夜からだるさ、4日目朝に38.3℃の発熱で元気なくしている時、この日のメンバーからコロナ感染との知らせ。

5日目も解熱せず一日中37℃台を彷徨っていましたが、6日目朝にほぼ解熱したので医者に行って処方されたのは喉の痛みを和らげる薬だけ。

コロナ感染だったかどうかは医者曰く「結局は対症療法しかないからいまの症状から検査しなくて良いでしょう」ですって。

と言うことで、コロナ感染の疑いは晴れないものの、同居家族にも体調悪化は無く一安心でした。

考えてみればこの日集まった5人のうち3人は既にコロナを経験した人。1人が新規感染で1人が疑い晴れずという状況なので、それだけ国民に浸透したという事なのでしょうね。

2023年7月22日 (土)

変わり行く新宿西口

このテーマを取り上げたのは4月13日のことでした。それから3ケ月、相当な変わりようでした。西側から広場を挟んで駅方向を眺めると、もう地下鉄ビルの部分の上層階は無くなっています。

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4月はこんな様子だったのですが、下から2本目の濃淡ブルーのラインまで解体されていることが判ります。

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旧小田急百貨店ビルのシンボルだった14階までの塔の姿も確認できません。

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西南方向にまわって眺めてみればこの通り。

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今度は地階に降りて、定点観測と比べてみます。最初は着工前の2022年6月の姿。

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それが1年後の先月にはクレーンが動いていましたが・・・、

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解体工事は順調に進んでいる様でこんな姿に。

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それにしても、何十万人もの乗客が行き交う新宿西口で、交通や通行を遮断せずに、解体した瓦礫はどうやって搬出しているのでしょう? 機会があったらそちらも見てみたいです。

 

2023年7月18日 (火)

四ツ谷で愉しむ

蒸し暑いながらも雨予報が無いこの日、いくつかの目的で都心に出向きました。最初は四ツ谷。我が家から四ツ谷に直行するならJR中央線を利用するのが一般的ですが、都内数か所を回るには東京メトロの一日乗車券がお得なので丸の内線で向かいます。

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赤坂方面改札口を出て、JRを跨ぐ四谷見附橋を眺めます。

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この四谷見附橋は新宿通りの拡幅に伴い1991(平成3)年に完成したもので、1913(大正2)年完成のそれまでの橋は1993(平成5)年、多摩ニュータウン・長池公園(八王子市)に移築され、1968(昭和43)年まで運行されていた都電のレールとともに当時を伝えてくれています。

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四ツ谷での目的はこれ。

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この方の作品を鑑賞するためでしたが、残念ながらご本人にお目に掛かることはできませんでした。

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それでも他の方を含めて、鋭い視点と見事な描写の作品の数々を愉しませて頂いた後は、四ツ谷駅周囲を散策します。

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市ヶ谷方で快速線と緩行線の位置が入れ替わるので、緩行線は上り勾配です。小学生の頃、緩行線の先頭車クモハ60(だったと思う)の乗務員室背後の座席に座って前を眺めていたら、上り勾配にかかって発車する当方を、同時発車の東京行快速の101系がどんどん加速して先に行ってしまったことを思い出します。

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それしても四ツ谷駅にはセーラー服のお嬢さんが似合います。ちょうどこの時も女子校御三家の一つ、FB学園の生徒が一人!

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再び四谷見附橋にまわって赤坂方面を。JRと丸の内線は複雑な位置で交差しています。新宿方面に向かうJRは向こうに走るのに、丸の内線は右手前方向に進むのですから。

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ここから望む赤坂の高層ビルも、以前とはだいぶ変化したようです。

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これらを確認した後、再び丸の内線に。

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都心へ出ると交通費を有効に使いたいと考える世代になりました。さてこの後は・・・。

 

 

2023年7月12日 (水)

76万アクセス到達記念にクハ76を

モハメイドペーパーの何が出てくるか」では良く、累計アクセス数に因んだ画像をアップされますが、当ブログも昨日夕刻、76万アクセスに達成したので、これに因んでクハ76の画像を取り上げたく思います。

クハ76と言えば横須賀線ですが、手元にあった写真で一番古いのは1966(昭和41)年6月、新宿駅に停車する中央線のクハ76057でした。今は新宿グランドターミナルの実現に向けた再開発工事で解体途上の小田急百貨店ビルが、この時は未だ建設中だったようです。

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同じ年の8月、301系の試乗・見学会で三鷹電車区を訪れた時、クハ76他を撮っているのですが、同じ車両でしょうか? 車号が確認できず残念です。

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70系唯一のカラー撮影がありました。1967(昭和42)年9月、東京駅です。これこそ、横須賀線用として誕生した70系の“正しい姿”かと。正面窓も木枠のママ。背後のビルには確かJAL日本航空が入っていましたっけ。仕事で当時は日本航空社員でもあり、「炎熱商人」や「スチュワーデス物語」などで人気だった作家・深田祐介さんのインタビューに行ったこともありました。有楽町方にあった都庁も見えます。

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いやはや、ちょっと70系・クハ76の画像を探したら、懐かしい記憶が蘇って来ます。

気ままに発信する拙ブログをご覧いただいた方々にお礼申し上げますとともに、これからもよろしくお願い申し上げます。

 

2023年6月18日 (日)

梅雨にはやっぱり

雨中の外出は嫌なものですが、梅雨と言う季節を積極的に楽しむことも大切かと。

鍵はアジサイでしょうね。

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井の頭線も撮ったことだし、次はここへ出掛けることにしましょうか。

 

2023年6月10日 (土)

ロマンスカーに変化あり

ロマンスカーとは言っても、「のようなもの」の方ですが、海老名に2021年春オープンしたロマンスカーミュージアムの前には、ロマンスカーのような木製のオブジェ(?)がありました。

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一体何に使うものなのかわかりませんが、受付カウンターとしても使うものなのでしょうか? 

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それが、ふと立ち寄った6月7日、まさにNSEやLSEのカラーになっていたのでびっくり。

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室内側は従来のまま木肌です。

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この角度からみれば、屋根上の運転台窓も表現されていて、LSEに見えて来ます。

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経年変化した木肌を保護する目的だったのかどうかわかりませんが、これはこれで面白いですね。

 

一方、ロマンスカーミュージアム前のペデストリアンデッキには、NSE、LSEの意匠を纏った飲料自販機が置かれていました。

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それが、左側にSEが追加されて3台となっていたのです。

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ご丁寧に背面も描き分けられています。

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右のSEの連結部は、本来バーミリオンなのですがね。まあいいか。

 

 

2023年6月 6日 (火)

京王

デニーズの駐車場を出ようとしていた矢先、入って来たベンツに接触されて損傷した後部の修理に愛車を出した折り、まだ雨が降っていなかったのでここへ。

ちょうど新5000系がやって来たので慌てて1枚。

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少し待って、8000系の特急も収めておきます。

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次の予定もあったので、早々に移動しようと河原を後にした時、思いがけぬアングルに遭遇。これこそ「京王」です。

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このビルが京王電鉄本社ビルです。

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そう言えば首都圏の大手私鉄各社は、本社機能の郊外移転が流行りのようです。新宿に遭った京王がここ、聖蹟桜ヶ丘に移転したのは1988(昭和63)年でした。

小田急も新宿にも本社機能が残るようですが、鉄道事業にかかわる機能は海老名本社として移転しています。

西武は池袋から所沢へ、京急は品川から横浜へ、京成は押上から八幡へと移転済み。残るは東急と東武だけになってしまいました。

 

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