日記・コラム・つぶやき

2024年6月13日 (木)

四谷見附橋

その名の通り、これは四谷見附橋です。

しかしこの場所は四ツ谷ではなく八王子市内。京王堀之内-南大沢間の線路から数百メートル南側の長池公園に移設され、長池見附橋となっていますが、橋の中央の銘板には「よつやみつけばし」とあります。

20240410_0014_15

この画像を撮影した時は、清掃のためか一時的に池の水が無かったのが少々残念。

20240410_0002_15

実は今放送中のNHK“朝ドラ”「虎に翼」の撮影舞台でもあります。寅子(伊藤沙莉)が歩くシーンを見て「ここだ!」とすぐわかりました。

ドラマでは背後の景色は全て差し替えられていて、大正から昭和の趣にしているのが素晴らしいです。

 

2024年5月30日 (木)

グランシップトレインフェスタ2024(4)

前日に設営と試運転を完了し“前夜祭”を楽しんだ翌朝、何故か早く目が覚めホテルの窓から上り1番電車を見送ります。

20240518_0001_16

早めにホテルを出てちょっと寄り道します。JRを静岡で下車、朝の街を新静岡駅まで歩きます。

20240518_0004_16

丁度入線して来たのはプリティピンクのA3007編成。これに乗って長沼へ向かうことにします。

20240518_0006_16

新清水方はTc車のA3507。総合車両製作所で2020年に造られた編成なのですが・・・

20240518_0008_16

2017年の鉄道友の会「ローレル賞」受賞プレートが掲げられているのです。最初のA3001編成だけでなく、その後の増備車にもプレートが取り付けられていたのですね。

20240518_0007_16  

運転台背後の仕切りは左右非対称。

20240518_0009_16

ユニークな形状の吊手は、7色のレインボーカラーとなっています。

20240518_0011_16

車内観察をしているうちに、この席に運転士さんがやって来ました。

20240518_0012_16

富士山を正面に仰いで進みます。

20240518_0013_16

下車駅の長沼では、この日に開催される「しずてつトレインフェスタin長沼車庫」の準備が進められていました。

20240518_0016_16

こちらのイベントにも興味があるのですが、後ろ髪引かれながらグランシップに向かって歩きました。

 

 

2024年5月28日 (火)

860,000アクセス到達

ほぼ1か月で10,000アクセスを上積みというペースで一昨日5月26日の夜に、総アクセス数が860,000に達しましたのでやはり「86」を。

ずばり東急デハ80形の86、最初は1973年の姿を。渋谷-二子玉川園の玉川線と砧線廃止の後に残った世田谷線、前部幕板部にあったマーカーライト(方向指示灯)が撤去され、グリーン1色塗装になってなっていたものの、オデコ前照灯でそれまでのイメージを保って活躍していました。

19730505_0009_n13

その後車体更新工事や小改造を重ね、前照灯の腰部移設・シールドビーム2灯化や、台車、駆動装置なども交換されていまいた。

19990717_261310_n13

2000年の撮影時には低床式の300形導入が開始されていたので、300形に交じって活躍を続ける80形に、特別な思いを込めてレンズを向けた思い出があります。

20000722_0012_13

 

最後に「86」ならやっぱり湘南電車の先頭に立つクハ86を。しかしいざ探してみるとなかなか良いのが見つからない(涙)。これは出張の帰りに名古屋駅で捉えていた1コマ。

19771006_050513__13

という訳で860,000アクセス到達記念。これからもマイペースで続けますのでよろしくお願いいたします。

 

 

2024年5月22日 (水)

グランシップトレインフェスタ2024(1)

今年も参加しました。

先ずは5月17日(金)、設営準備に向かいます。とても良い天気に恵まれ、休憩を取ったSAでは富士山背後にOER3001氏の3001を。

20240517_0001_16

40倍ズームにして撮ってからグランシップに向かいます。

20240517_0004_16

現地到着は13時半頃だったか、お仲間とせっせと設営に取り掛かり、17時には試運転も終えて準備万端となりました。

気付いてみればこの日の会場撮影記録は無し。次に撮ったのがこの富士山(?)があるとある名店。

20240517_0020_n16

港が近いので新鮮な刺身はサイコーですね。

20240517_0008_16

先ずはコレでしょ、カンパ~イ。

20240517_0009_16

“前夜祭”の宴も進み、元旦に発生した能登地方の悲劇、珠洲市産の銘酒にチェンジして復興支援です。

20240517_0015_16

これで仲間との絆を確認し、明日からに備えます。

20240517_0021_16

いよいよ2日間のグランシップトレインフェスタ2024が始まります。

 

2024年4月26日 (金)

850000アクセス到達

あれから約1か月、一昨日の4月24日午前中に85万アクセスに到達しました。改めまして、このブログをご覧頂いている方々にお礼申し上げますとともに、引き続きよろしくお願い申し上げます。

“85”に因んだ車両画像探してみました。ずばり玉電→東急世田谷線には80形で85が在籍していました。

19730505_0006_n13

グリーン1色よりクリームとの2色塗装時代の方が好きでしたが、残念ながら撮影できていません。後に前照灯をオデコから窓下に移設して2灯化されました。山下駅ホームから撮っていたようですが、上を跨ぐ小田急線が複々線化されても景色はあまり変化していません。

19990717_261320__n13

80系サロ85から改造されて、クハ85となったのも居ました。出張先の松本駅で撮っていました。300番台サロからの改造されたこの車両、なんとなく好感が持てました。

19800307_080510__13

他にはあまり思いつかないので85✖✖とし、小田急8000形6両編成の小田原方先頭車を。形式はクハ8050でも車番は8500です。8000形登場は1983(昭和58)年のこと、海老名車両基地で見学・撮影会がありました。ネガカラーフィルムが黄変して見苦しいものになってしまいました(涙)。

19830308_0020_n13

翌年登場した8257×6は小田急歴代の車体色、開通時から1960年頃までの一般色であったチョコレート、初代特急車から採用されたイエロー、SE車以降のロマンスカーで採用したバーミリオンを、アイボリーをベースにデザインされた特別色で登場。イベント列車として活躍しました。相鉄の新6000系塗装も懐かしい。ポジフィルムは変色していません。

19840630_120419__13

8000形のイベントカラーでは、1986年には向ケ丘遊園で開催された「蘭・世界大博覧会」宣伝の特別色が登場していました。ここ新百合ヶ丘ですが、今は駅周辺は商業施設、ホテルなどが建ち並ぶように変貌してしまいました。

19870504_131018__13

標準色はケープアイボリーにロイヤルブルーの帯ですが、それまでの車両が貫通扉に帯が無かったのに、正面全体に帯が巻かれたデザインになっています。急行・箱根湯本行の表示も懐かしいですね。この場所は海老名-厚木間。今は高架になってしまいました。

19880124_140307__13

急行列車では前6両が小田原行、後ろ4両が江の島行きに相模大野で分割と言う運用が主体でした。この写真では後方4両はステンレス車体の1000形と、異形式連結は当たり前でした。鶴川-玉川学園前、和光大学のテニスコート横からの撮影でしたが、今はここに入れなくなってしまいました。

19910721_171605__13

その8000形も徐々に引退する仲間も増え、6両編成の凡そ40両が“サステナ車両”として西武鉄道に譲渡されると報道されています。40両とは小田急、西武両者の報道発表ですが、6×5=30、6×7=42なので、7編成の譲渡になるのかな。

“85”に因んで、1973年以降の画像を掲載しましたが、車両とともに周囲の環境の変化も興味深いものです。

 

2024年4月22日 (月)

変わり行く新宿西口

新宿・グランドターミナルを目指して再開発が進められている新宿西口。このブログで前回取り上げたのが3月21日のことでしたが、3月25日に「A地区」での新築工事が着工されたと発表されています。解体から着工と、この目で見て来た光景をまとめてみます。

先ずはまだ何も始まっていなかった2021年3月の姿。

20210319_0015_16

それが2022年4月には仮囲いで覆われ、クレーンが動いていました。

20230409_0003_16

2023年8月には、北(左)側の地下鉄ビルの姿は無くなっていて、14階建てだった小田急ビルの解体が進められていました。

20230808_0035_16

そして今年に入り先月には、すっかり元の小田急百貨店のビルは姿を消し、東口のルミネが見渡せるようになっています。

20240308_0008_16

地下広場へのロータリーを跨ぐ形で、新しい道路の建設が始まっていました。

20240308_0013_16

で、いよいよ今月。4月18日の状況です。クレーンの姿は無く、新しい道路の整備も進んだようです。

20240418_0011_16

「定点観測場所」としていたデッキから眺める光景は、昭和30年代を思い出させます。

20240418_0017_16

良くTVニュースで、新宿でインタビューというと、必ず小田急百貨店に沿っていた歩道でしたが、その歩道は道路と共に大きくバスロータリー側にせり出しました。

20240418_0019_16

南口のミロードも、ミロードから西口に抜けられたモザイク通りも見渡せます。ぱっくり口を開けたような光景で、この後小田急線ホーム上部の工事はどうなるのでしょうか?

20240418_0021_16

小学生の時に見ていた光景が蘇ってくるような、不思議な時間でした。

 

2024年4月 2日 (火)

お茶の水

模型材料調達に、あの画材店に行ったついでに、お茶の水で楽しんでしまいました。

<その1>JR御茶ノ水駅、あの狭いホームの上に、しっかり建てちゃいましたね。神田川の工事用仮設もそろそろ解体できるのでしょうか。

20240401_0008_16

上の画像は停車前の中央快速東京行ですが、停車した位置は下の画像。随分先に行っているように見えますが・・・。

20240401_0010_16

停車位置の後方には2両分のホームが用意されていました。そうか、グリーン車挟んだ12両編成への準備だったのですね。

20240401_0011_16

 

<その2>丸ノ内線東京方面行ホームから、神田川渡って来る電車の撮影を試みました。最初は去っていく電車と来る電車のタイミングが合わず(涙)。

20240401_0012_16

乗る予定の電車を見送り、2本目も狙ってみました。しかしもう少し引いてからにすれば良かった(涙)。

20240401_0020_16

近づいてきたところでも狙ってみましたが、流れてしまいました(涙)。

20240401_0022_16

もう1本やり過ごし。3本目にチャレンジ。まあこの辺が限界のようです。

20240401_0028_16

ということでここで諦め、銀座に向かいました。

<おまけ>銀座での所用を終えた後は、上野方面に行くために京橋まで歩いてしまいます。東京スクエアガーデンと言うのでしたっけ、京橋駅に降りる階段縁で、ちょうどサクラが咲き始めていました。

20240401_0031_16

高層ビル背景にサクラ。う~ん、我が家界隈とはずいぶん違った光景に驚きました。

20240401_0032_16

これらは4月1日のことでしたが、決してエイプリルフールではありません。

 

2024年3月31日 (日)

また一つ、消えて行く

小学館、集英社といった大手出版社、三省堂(現在建て替え中)や書泉、古書店などが集積する千代田区神保町。都営新宿線神保町駅のホーム壁は、この街を象徴していて好感が持てます。

20240313_0001_16

その街にある歴史的な建築物が消え去る運命ということを知り、乗り換え途中で散策してみました。学士会館です。

20240313_0002_16

神保町駅から歩いて行くと、その敷地に斯様な記念碑が。「日本野球発祥の地」だそうで、日本に初めて野球を伝えたとされるホーレス・ウィルソン氏の野球殿堂入りを記念して、2003(平成15)年に建立されたという比較的新しい碑。どうりでこれまで気づきませんでした。

20240313_0004_16

1990年頃だったかこの階段(北口)を上がって、職場の東大卒後輩女子の、東大卒役人との結婚披露宴に、上司として出席するためでした。

20240313_0005_16

しかし正面玄関は白山通りに面したこちら。北口にはエスカレーターが備えられるようになりましたが、正面玄関にはスロープも無く、まさに“敷居が高い”建築です。

20240313_0008_16

共立女子大学方から眺めたこちらが“正面”のようです。関東大震災後の復興建築で、玄関の半円大アーチやスクラッチタイルの外観、窓廻り2・3層の直線基調と4層の曲線基調の対比などに特徴がある鉄骨鉄筋コンクリート造地上5階地下1階建で、小田急開業の翌年である1928(昭和3)年の完成。設計は佐野利器と高橋貞太郎(増築部は藤村朗)によるものとか

20240313_0006_16

その最上部についているこれが気になるのですが、残念ながらその説明を見つけられません。

20240313_0007_16

そんな学士会館が、建て替え再開発されるのですって。これを期にいろいろ調べてみると、耐震性など今でも心配ないしっかりした建築物であり国指定登録有形文化財の指定を受けているのに・・・ですよ。

国立大学をご卒業成された優秀(?)な方々は何を考えているのやら(涙)。私学出の、優秀でなかったOER3001氏は悲しいです。

 

2024年3月27日 (水)

初めてのスキー

孫娘が中学受験を乗り越えて無事1年の春休み、学校からバスで菅平でのスキー教室に行くと聞いて、我が身(ジイジ)も初めてのスキーが菅平だったと、ゲレンデの想い出話に盛り上がりました。

ジイジのスキーは高校時代の親友4人と、上野から信越線の急行“信州”(だったかな?)に乗って始まりました。菅平へは上田から路線バス。持って行ったフィルムの1コマ目はバス待ち時間で撮った真田傍陽線の駅構内。

19691231_0001n14

この年の4月20日に丸子線を廃止し、それまでの上田丸子電鉄から上田交通に社名変更してもなお、駅名は「電鉄上田」だったように記憶していますがどうだったでしょう。その上田駅に入線して来る真田傍陽線の車両が2コマ目。フィルムに光が入ってしまいました。

19691231_0002_14

駅舎に表示されていた駅名は「電鉄上田駅」です。それから2年後に、真田傍陽線も廃止されてしまいました。今となって思えば、この時真田まで真田傍陽線で行っておけば良かったと後悔しますが、菅平に行くのにその途中まで真田傍陽線を利用するなど、選択肢に無かったのだから、廃止されるのも仕方がないことです。

19691231_0003_14

 

スキーを楽しんでいる写真は無く・・・、初めてのスキーですから写真など撮る余裕、というより転んでばかりでしょうからカメラなど持っていられません。フィルムに記録されていたのは宿でワイワイ楽しんでいる光景だけ。

年が明けた1月2日に帰路に着いたようです。EF62の貨物列車を撮っていますが何処の駅だったのでしょう、上田かな?

19700102_0006_14

タキ43000(43013)も撮っていました。

19700102_0007_14

そして次のコマが、すっかり暗くなった横川駅のプラットホーム。ブレた1コマですが、ずらりと並んだ洗面台に「名物・峠の釜めし」と「碓井温泉・あたご荘」の広告。こんな時代だったのですね。帰路の169系車内から撮っていました。

19700102_0009_14

同時に停車中の下り列車、モハ30003も。デジカメの時代だったらもっと撮っていたでしょうに(涙)。

19700102_0010_14

この後は、169系車内での友人たちと戯れる光景でフィルムは終わっています。孫娘が行っている菅平スキーの思い出でした。

 

2024年3月25日 (月)

840000アクセス到達

昨3月24日、84万アクセスに到達しましたので“84”に因んだ車両画像探してみたのですが・・・(涙)。

クモハ84など撮っていないし・・・、そうだ、玉電80形に84があったと思って探したが、残念ながら84は未撮影。東武や等級に中間電動車の8400があったけれどそれも無い。えい、それなら逆にして48なら、ということでこれにしました。

19710618_0013_13

1971(昭和46)年6月18日の新津田沼駅京成津田沼駅です。この頃の新京成電鉄には、小型車のモハ45形や300形が活躍しており、趣味的には実に楽しいものでした。新京成初のカルダン車800形はまだ登場していなかったようです。

83万アクセス到達が2月23日、順調に1か月で1万アクセスというペースのようです。相変わらず勝手気ままのブログですが、引き続きよろしくお願い致します。

より以前の記事一覧

フォト
2024年6月
            1
2 3 4 5 6 7 8
9 10 11 12 13 14 15
16 17 18 19 20 21 22
23 24 25 26 27 28 29
30            

他社線ご案内

無料ブログはココログ