鉄道模型

2025年1月29日 (水)

しばうら鉄道工学ギャラリー

東京ビッグサイトでの展示会視察後、夕刻からの予定まで時間があったので、ゆりかもめ新豊洲駅を下車。豊洲方面に向かって軌道の右側を歩くと直ぐ、芝浦工業大学附属中学高等学校の校舎が目に入ります。自動連結器や車輪が並べられた壁面の中が、しばうら鉄道工学ギャラリー」です

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2017年4月、芝浦工業大学附属中学高等学校の開校に伴い、大学図書館の保存資料等を中心に「テクノロジーギャラリー」構想・計画の基にオープンした施設です。附属中高の前身が、旧鉄道省が設置した東京鉄道中学であり、鉄道とは非常に縁が深いのです。

学校の門を入り、受付で記帳して入校許可証をもらって入場する仕組みです。開館日はWebで確認するのが良いでしょう。

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展示室の外には200系新幹線の「鼻」が置かれ、その左にはこんな歯車が展示されていました。

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1954年に直角カルダンで登場した小田急2200形のスパイラルベベルギア(曲がり歯傘歯車)で、米国Gleason社のNo.26 Hypoid Generatorで切削され、Tocco社の高周波焼き入れ装置で熱処理されたという、当時の最高技術によって誕生したとのこと。

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廊下に向かったウインドウに、菊池文雄氏の模型作品が並べられていました。OER3001氏が小学生の頃、「模型とラジオ」誌に“〇〇形の作り方”を書かれていらした方は、東芝にお勤めだったのですね。

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0系新幹線と921形総合試験車。

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ED45かな? 交流電機が牽く“タバコのパッケージ”で作った貨車や当時の人気車両が見られました。

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OER3001氏にとっては何よりもSE車。パーツ類が少なかった時代に苦労して製作しておられます。

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名鉄パノラマカーも。背後の近鉄ビスタカーも、少年にはハードルが高すぎる存在でした。

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展示室内に入ると結構な広さ。中央に実物運転台が置かれ、Nゲージが運転できるようです。

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シーナリーなどは稚拙ですが、実はここの生徒たちによる鉄道研究部では、毎年のようにその種の競技で優れた賞を受賞しているのです。

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残念ながらくつろぐことはできませんが、窓辺にはリクライニングシートやボックス形シートも並んでいます。

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展示品を具に見れば、歴史上貴重な資料であることがわかります。

わざわざここだけを訪問するには少々物足りない気もしますが、序でに立ち寄ってみる価値は相当大きい施設でした。

 

2025年1月21日 (火)

作品展&写真展

久しぶりにE235系などという山手線に乗り、向かったところはここ。

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さかつうギャラリーで開催中の「イチカワ作品展_モケイ鉄道に恋をした」へ。

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OER3001氏にはとても真似できない精密なNゲージ車両群とジオラマが並べられ、イチカワ氏も居られましたが、来場者と話し込まれて居られたのでOER3001氏に気付かず。

そのままそっと失礼させて頂き、次に向かった先は初めて降りる駅。

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駅から直結の新しいホールで開催されている本橋剛氏の写真展「電機」に向かいました。

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広々したオープンな会場に、6×6版モノクロームフィルムによる正方形の写真40点他に、これらの撮影に使われたカメラなど。

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1971年から1980年にかけて、首都圏や東北、上越、中部などで撮った旧型電機の魅力が伝わる作品群でした。

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在廊されていた本橋氏は、最近拙ブログがご縁でお近づきできた方ですが、JACC(全日本クラシックカメラクラブ)の会員だそうで、写真文化の歴史を次世代に残す目的の研究機関としての活動として、今も古いカメラとフィルムを使い続けて居られるとのことでした。

帰り際に素晴らしいお土産を頂きました。明治の機関車がお好きなようで、鉄道院で活躍した機関車図面をMacで描かれたのだと。

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裏面はそれらを活かすために好みの色にした姿。考えてみれば蒸気機関車がみんな真っ黒なのは日本くらい? 英国や独逸も仏蘭西も、素敵な色に塗られていましたものね。

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楽しい時間を過ごした後は、「新」のつかない綱島駅へ。

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ホーム東端に架かる跨線橋形状が、どことなく英国調に思えてしまうのは先のカードの影響でしょうか(笑)。

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地元駅→新宿→巣鴨→目黒→新綱島/綱島→武蔵小杉→登戸→地元駅と、この日は京王、山の手、東急、南武、小田急の乗車となり、10,000歩を越えるウォーキングとなりました。

 

2024年12月18日 (水)

初めての“教科書”

小学5年生になって間もない頃、OER3001氏が初めて手にしたのがこれでした。

1961(昭和36)年、改訂1版として発行されたTMS特集シリーズ№3「電車と機関車の工作」150円。初版は1957(昭和32)年なので、小学生には解読できない漢字も多く、難しい内容でした。

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トビラを開いた最初のページのこの光景が忘れられませんでした。

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目次を見ると、小田急や京王帝都の沿線育ちの身にとってはイマイチ馴染みのない対象ばかりでしたが、これを“勉強”しないと“大人”になれないと思って、必死で読んだような記憶が。

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小学校の教科書より小さい字、学校で習ったのと違う旧漢字も使われていて、なかなか読みづらいものでした。作者のT.S.K.って何でしょう? 由利 啓さんの「京阪神急行京都線711形の製作」はとにかく凄いものでした。

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漢字が読めなくても図解で解りやすいけど、無~理っていう感じ。

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車体材料は0.6~0.7の真鍮板を使用とありますが、そんな材料はどこで入手できるのか、小学生には手も足も出ません。

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当時はこんな図が描ける方がいらしたのですね。解りやすく、なんとか紙でできないかと考えたものです。

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前照灯、標識灯、アンチクライマーなど、丁寧に図解してあるのですが、製作技術が全く無し。

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下回りに移れば、モーターを直角方向に搭載した扶桑金属のFS台車、詳細な設計図があります。

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こうやって作るのだそうですが、わかるけどできない!

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軸受、バネ、なるほど、こうするのか、凄いなー! と、ただただ感心するばかり。

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おまけに室内の座席まで詳細な設計図が。

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こんな素晴らしい模型作った由利 啓さんという方、アマチュアなのでしょうか? 模型見てみたかったな。

グラフページには参考として同タイプの800形が紹介されています。四日市模型鉄道クラブ・木村義男氏の(ペーパー製)製作だそうです。

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この“教科書”後ろの広告ページ、今は消えてしまった有名店が並んでいます。百貨店の東横が、この時代は池袋にもあったことを明示しています。東横は東急になり、池袋のビルは東武に、渋谷は解体されてと、60年も経てば様変わりです。

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このページも、現存するは天賞堂とTMSだけですね。

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後表紙には売価150円と。電車は近鉄のようだけどフリーかな。並ぶ工具は鉄道模型製作には必須だったのでしょうか。

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何だかんだで気付けば60年もこの道(鉄道模型)に嵌っているけど、やっぱりこの時代の先輩方には追い付けません。

 

 

2024年12月16日 (月)

教科書

久しぶりに、この道に入って暫くした頃に出合ったボロボロの1冊を取り出して、つい読み更けてしまいました。1963(昭和38)年発行のTMS特集シリーズ13「電車工作集」です。

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中学生になって間もない頃だったか、それはそれはどれも高尚な作品ばかりで、かなり高度な技術が必要だと思ったものでした。それにしても関西が強いですね。

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東京の中学生の興味は、湘南型80系やこだま型8連に加えて小田急SE車デハ3000形くらいしか無かったのが残念でした。

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それでも、なかお・ゆたか氏による電車の技法はバイブルでした。

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丸妻の繋ぎ方とか、オデコの作り方とか。

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切妻ではない2枚窓正面の作り方など、食い入るように見ていたものです。上は湘南型、中は小田急1700形3次車、下は阪神300形でしょうね。

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床下機器の作り方など、おカネが無い中学生にとっては凄いヒント。なるほど手帳の鉛筆で小さいエアタンク、ブレーキホイールはスナップを使えば良いのだ。

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これらのヒントは充分に取り入れさせてもらったものですが、OER3001氏が一番やってみたかったのは「小田急SE車を作る」でした。

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高尚過ぎてとても手が出ません。連接式で車高が低いだけに動力が課題。オイルジョイント(流体伝導機)の製作なんてとても手がだせるものではありません。

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ただただ眺めるだけで終わっていましたが、それにしても当時の内容は凄いです。今のように殆ど入手できる訳ではないので、懸命に考え、何とかモノにする。先人たちの凄さに驚きます。

 

2024年12月14日 (土)

天賞堂の思い出

カワイモデルの思い出を続けたので、今度は天賞堂の思い出を。

天賞堂が無くなってしまったわけではありませんが、考えようによっては今は無くなってしまったみたいなものと思うのはOER3001氏だけではないかもしれません。

そもそも高根の華の銀座・天賞堂に行くと、鉄道模型の売り場には目を引き付けるレイアウトがあったものです。今はそれが無いのですから。

旧・天賞堂ビル2階に第3次オメガセントラルと名付けられたこのレイアウトが設置されたのは1964(昭和39)年だったであろうか。

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前回、カワイモデルのレイアウトを取り上げた際に寄せられたモハメイドペーパーさまから寄せられたコメントに「基本的な線路配置もほぼ同じ」とありましたがその通りです。カワイモデルより大きい左右が約5メートル、奥行き2.25メートルを、アメリカ型に交じって、DF50が牽く10系軽量客車列車や151系特急電車が走り回る姿に惚れ込んでいたものです。

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1964(昭和39)年発行のTMS特集シリーズ「たのしい鉄道模型」に紹介されていました。この表紙の擦れが、中学生だったOER3001氏が熱心に“勉強”していたことを物語っています。

階段で2階に上がればレイアウト左側に。

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右を向けばご覧の通り。この左右が5メートルですから凄い!

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中央のリバースに設けられた駅に停車するのはC51ですが、牽引する客車がどうも違う。流石国際色豊かな天賞堂。

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跨線橋などはThe NIPPONですが、隣のタンカーはちょっと合わないかな。

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などと思えど、時間になるとあの三浦慶一さんが登場して、この凄ーいコントロールボードを操作して列車が走り出します。

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天賞堂では鉄道模型は見るもの。滅多に買えるものではありませんでしたからね。レイアウトの運転が終わるまで、鼻先をガラスに付けながら眺めていたものでした。

 

 

2024年12月12日 (木)

カワイモデルの思い出_2

こんなのも見つかりました。ビルになる前の店内にあったレイアウト、多分2代目ではないでしょうか。初代は店舗入って一番奥にあった記憶がありますが、1960年代に店舗が改装された時、店舗入った左側に新設されました。

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左側の山、トンネルから157系が顔を出しています。

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奥行き(画面左右方向)は1.45m、幅(画面上下方向)3.58mだったようで、Oと8型で構成したプランで最小曲線半径は610㎜だったようです。

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エンドレス内側の駅構内と機関区(?)が配置されていましたが、機関庫は中村汪介氏の作だったと。

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機関庫に限らず、実はこのレイアウトは中村汪介氏の手で仕上げられたものだったようです。

1965(昭和40)年発行のTMS特集シリーズ17「小レイアウトと小型車両」に紹介されていました。

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Nゲージ誕生以前はHO、16番ゲージで、工夫を凝らしたレイアウトを作るのがファンの夢でした。

 

 

 

2024年12月10日 (火)

カワイモデルの思い出

こんなモノが見つかりました。

本年3月に廃業となった“日本最古の鉄道模型メーカー”カワイモデルのカタログ、1967(昭和42)年12月発行の第11版。OER3001氏が16番ゲージを始めたのは1961(昭和36)年12月、神田のカワイモデル店舗で28吋曲線他の木製道床レールとパワーパックを父に購入してもらったのが始まり。63年前のことでした。

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当時、毎年(?)のように改訂されたカタログが発行されていて、この第11版の前にも何冊か買っていた筈なのですが、これ以前のものはまだ発見されません(涙)。

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ページをめくっていくと、懐かしさと共に河合さんの魂のようなものが伝わって来ます。

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第11版は表紙を除き全62ページ。これを眺めながら、お年玉などの財源と相談しつつ夢見ていた車両増備の計画でした。

 

 

2024年12月 6日 (金)

衝動買い

近所のGMSで、こんなモノに眼が止まり思わず買って来てしまいました。行先等のシールまで入っています。

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だって、10月に行った時にも元気な姿に遭遇してしまったのですから。

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結構特徴を捉えているではありませんか、これで437円(税込)ですよ!

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でも・・・、この集電装置はちょっと残念ですね。くの字にならない(涙)。

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ま、イイか、それでも。

Nゲージ線路に乗せてみたら一応イメージ通り。動力化なんてできるものなのか?

 

 

2024年8月20日 (火)

テラダモケイ1/100×100

JAMに行く序でに、観たかった銀座松屋で開催中の展示会に立ち寄りました。

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建築模型などで使われる1/100サイズのレーザーカッティングによるペーパーモデル、100作目を記念しての展示でした。

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このペーパーモデルを使った1200㎜四方程度のジオラマが3基並んでいます。

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そして反対側の壁面に、100作が順番に。

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ジオラマの中でこれは、渋谷のスクランブル交差点をイメージしているのでしょうか。

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目線を下げてみるとまた実に楽しい。

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ペーパーの切り抜きながら、なんと動きも感じ取れる。

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これらに使用されたのはこの商品ということです。

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田園地帯のジオラマを挟んで、OER3001氏の眼にはやはりこれが。大都会の駅!

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山の手線と総武線のホームに目線を下げてみます。新宿駅の雰囲気ですね。到着する山手線を待つ乗客が扉位置に並んでいます。

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停車して開扉するところでしょうか。人々の動き(動きませんが)が感じ取れます。

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これらに使用した商品はこちらだそうです。

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なかなかレイアウトに使う勇気はありませんが、ペーパーモデルで車両も商品化されています。

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中央線の201系はオレンジとブラックの2枚の紙で構成されていたのですね。

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もう一つ、OER3001氏の眼が止まったのはこちら。箱根登山電車から見える、箱根・彫刻の森美術館の「交叉する空間構造」後藤良二作ではありませんか。OER3001氏の自宅レイアウトに導入しようかな?

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入場無料の展示会。9月9日(月)まで開催ですので、ご興味ある方は是非。

 

2024年5月18日 (土)

グランシップトレインフェスタ

本日18日(土)と明日19日(日)、OER3001氏らのグループはこれに協力参加いたします。


お越しになられたら、一声お掛け頂けましたら幸いです。

因みにOER3001氏は、3線式Oゲージから16番ゲージを始めた時からお世話になり3月に廃業となった、我が国最古の日本最古の鉄道模型メーカーとして長らく知られていたカワイモデルの製品を中心に、大ホールの一角で走らせます。

 

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