鉄道模型(小田急)

2021年5月11日 (火)

エンドウ製NSE入線

「完売御礼」との広告が掲載されるほどの人気製品、それなりに大枚はたいて購入したのだが・・・。

届いた訂正版の車号インレタを入れ、号車番号を入れて「入籍」。エンドレスを敷設して走らせてみました。

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問題点その1:先ず編成組成が大変なのなんのって、連接部分の連結・開放が思うように出来ません。無理して押し込むと直ぐに壊れそうです。

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小一時間かかって漸く11両組成。走行性には問題なく、スローも効くし音も静かで不満はありません。

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しかし走らせてみると気に入らない箇所が見えてくるものです。

問題点その2:ヘッドマークが明る過ぎて、折角の愛称が読めません。照度を下げる方法を考えます。

問題点その3:室内はシートカバーを掛けたいのですが、説明書に解説が無く思うように分解できません。無理に分解すると壊れそうです。

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問題点その4:ワイパーが貧弱です。交換する予定です。 

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問題点その5:カーブに於いて連接台車の心皿位置が、車体中央線上から内側に移動します。本来連接台車は前後車体から伸びた梁を心皿で受けるので、ここを支点にして曲がります。しかし伸縮カプラーに台車を吊したような構造なので、曲線区間への入出時に車体偏位が生じます。

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従って、折角のシリコンゴム幌が捻れることになります。

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曲線内側はなんとか見られるのに残念です。よく見ると台車がこちら側に張り出しています。

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問題点その6:パンタグラフはお粗末。碍子と一体の台枠のため、碍子はパンタと同色のシルバー。さらに、シューを上げようと引っ張ると、台枠から出た止め金具が外れるてしまいました。これではパンタの上げ下げは恐ろしくて出来ません。パンタは交換する予定です。

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問題点その7:各車とも床下に冷房ダクトの立ち上がり部がありません。加えてトイレ付の4号車、8号車に問題大ありです。

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①トイレの換気窓が磨りガラス状になっていますが残念! 

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ここは塗りつぶしの板なのでした(実車画像左矢印)。

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②次に、床下にトイレ用の水タンクがありません(実車画像中央矢印)。

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③さらにコンプレッサーもありません(実車画像右矢印)。

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問題点その8:喫茶カウンターの3、9号車にも実車と異なるところがありました。喫茶カウンターの窓が磨りガラス状となっていますがブー! 

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実車は透明ガラスなのですよ。

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税込み162,250円の製品ながら問題点がたくさん、ちょっと満足できない買い物となってしまいました。プラだから云々という言い訳は通じないはずです。残念ながらKATOやTOMIXの製品と比較すると、完成度は低いと言わざるを得ませんでした。

弊社のNSEは2編成となりましたが、自分の頭で考え、自分の手で作り上げたペーパー自作車両の価値を再認識できた次第です。

 

2021年4月12日 (月)

3000形SE車

オレンジバーミリオンとグレーの間にホワイトラインを纏って登場した、ロマンスカー3000形SE車のデビューは衝撃的でした。OER3001氏が小学生となったの1957(昭和32)年のことでした。

その憧れのSE車模型を漸く完成させたのは、昨年夏のことでした。

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コロナ禍は第4波に差し掛かった今、“ロマンスカーミュージアム”開業まで7日となりましたが、5月のグランシップトレインフェスタが予定通り開催されることを祈るばかりです。

これまで撮っていたSE車現役時代に撮影した画像を出して見ました。初めて撮ったのは5年生だった1961(昭和36)年、ボルダ版フィルムのカメラを手に、千歳船橋駅を通過する「明星」を。この写真だけが原型の姿だったようです。

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中学生になっていた1964(昭和39)年には35㎜ハーフサイズカメラのCanonDemiを買って貰い、たびたび代々木上原-東北沢間にあったホッパー引き込み線に向かい、その築堤から井の頭通りの踏切を向いて撮っていたことがありました。「はこね」が通過して行きます。この時代になると床置きのクーラーを積んだため、両側面に1カ所通風のためのルーバーが設けられています。

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築堤から降りた線路横からも「はこね」を撮っていましたが、当時はこんな場所に入れたし、入っていても叱られない、タイフォンも鳴らされない良い時代でした。SE車の左に、乗ってきた自転車が写っていました。この自転車で、良く出掛けていたものでした。

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この年の暮れには、家族で箱根に出掛けていたようで、お決まりの箱根湯本駅に停車する姿を撮っていました。国道を行き交うクルマも少なかったようです。

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高校生になって、1966(昭和41)年には経堂駅を通過する「はこね」を撮っていましたが、この頃は理由はわかりませんがベロを出したように、非常用連結器を出したままでの運用が定着していました。

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同じ1966(昭和41)年、高価だったカラーフィルムを奮発して東北沢駅で「さがみ」を撮っています。スカートのタイフォン穴が楕円形ではない正円なので第4編成(3031~3038)でした。

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1967(昭和42)年には一眼レフを入手していて、35㎜フルサイズで撮れるようになっていました。この年にSSE改造が始まり、改造前の記念乗車を企んで「えのしま」に乗ったときの撮影です。

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原型に復元されたSE車ですが、細かいことを言えば「原型」にできる限り近づけたもので、外観では屋根、モニターはSSE改造で屋根上クーラーにした時の幅が狭いままです。

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塗色も、製造時に指定されていたマンセル値「N5」のグレーではなく、SSE時代の黄色みを帯びた色となっています。ともあれ、“ロマンスカーミュージアム”に収蔵されたSE車をいつでも見られるというのはありがたい。開業したら是非行ってみることにしましょう。

 

 

2021年1月23日 (土)

夢見ていたもう1両

小学4年生で初めて全自作のOゲージ小田急電車を完成させた時、同様の企図でもう1両夢見ていた証拠も取ってありました。

モーターは高いし、その電装技術も無いので、計画した車両は「クハ」に限り、湘南電車につなげて夢を膨らますのです。 その2作目はクハ1650形でした。

床板となる5㎜厚の板は難なく入手できた筈で、2枚購入。 1枚を屋根板とすべく両肩を削って弓形に近い断面にするのですが、小学生用工具のカンナでは苦労したようでガタガタです。

床板には復元バネが入った連結器胴受けと自動連結器、ボルスターとエアタンクが付けられ、黒く塗装されていました。

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屋根板ではかなり夢を膨らましていた様子が見られます。 パーツのブリキプレス製ベンチレーターを押し込み、ボイール紙のランボードが付いていますが、その間には学校の砂場から持ち帰った砂が撒かれています。 ヘッドライトは電線が切れた廃品をダミーとして接着していました。

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そしてその裏側、すなわち天井には例によって竹ひごとボール紙片から作られた蛍光灯、スピーカーを模したボタンが付けられ、実車に乗車したときの雰囲気を再現しようと夢見ていたのです。

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これらも単なるガラクタの一つなのは事実ですが、やっぱり捨てられずに半世紀、残してしまいました。 作者が著名人だったら、こんなものも博物館の一角に収まるのかも知れませんが、ただ手元に置いて、昔を偲ぶことしか出来そうにありません。

 

2021年1月22日 (金)

初めての自作車両

ず~っと捨てられないでいるものがあります。 小学4年生(1960年)の時に作った全自作の小田急電車です。 ちょっと捜し物をしていてこれに目が止まり、ついカメラに収めてしまいました。

この時代は、ガラレール3線式のOゲージで遊んでいて、湘南電車と東海型と称する2種類のフリー両運電車が、EB58やED58電機機関車などとともに宝物でした。

モーターは高いし、電装技術も無いので、その湘南電車につなげて走らせる目的で、所謂ボール紙に寸法を描き、ボンナイフで必死に窓抜きしたものでした。 おそらく夏休みの宿題にしたのかも知れません。

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実車で登場したばかりのHE車の刺激を受けていますが、勿論図面など当時は入手する手段も無く、完成品の湘南電車のサイズを参考にして、窓割りをHE車に仕立てています。

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2段上昇式側窓だったのですが、残念ながら中桟はその後に切れてしまいましたが、両開扉中央には当てゴムの意味なのか、たこ糸を付けています。

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床板を固定式、屋根板が外れるようにしていましたが、屋根板も屋根Rが削り出されたものなど無く、平板の中央部に角材を接着し、それをボール紙で覆うことで適度な屋根Rを出していると言うものなのですから、4年生にしては上等じゃないかと自負する次第。

その屋根板の裏、天井には竹ひごで蛍光灯、紙片で整風板、ボタンで扇風機をイメージしていました。 丸い部分に金属製の飾りボタンを淡緑色に塗って付け、扇風機に見立て、ていたのです。

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当初履いていたDT23形台車はその後、2線式にするために供出、貨車用台車に履き替えていますが、先頭連結器は立派な胴受けに収まっています。

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妻板側連結器は密着ではないですか。 これ凄く気に入っていたパーツです。

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訳のわからない床下機器が付いていますが、これらは多分、太子堂にあった模型屋さんで買ったような気がします。

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駅前商店街の文房具屋さんで買った島田塗料店の“マメラッカー”を、絵の具用の筆で塗ったたことも良い想い出です。 ラッカーパテとかラッカーサーフェーサーなどというものも、未だ知らないときでした。

ということで、取ってあったところで何の価値も無い代物ですが、OER3001氏がこの趣味に嵌まることになる第1号作品としての存在、どうしても廃棄できないでいる次第です。

 

2021年1月 8日 (金)

転入

お預けしていた資料の返却と共に、大阪在住のT.Tさんから思いがけないプレゼントが届きました。 なんと、彼が80年代に製作した小田急1600形の模型!  たった1編成の小田急が大阪に居ても可哀想だからという理由で。

いや~良く実車を調査され、かなり正確な仕上がりではありませんか。 一部を当社仕様に合わせつつ、後はT.Tさんの味を大切にして保存したく思います。

永く眠っていた車両らしく、足回りが心許なかったのを調整すると共に、方向幕に自家製の幕を入れ、制動管に赤/白の色差しをしました。

新宿向きのクハ1658。

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小田原向きはデハ1608。

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フェニックス製真鍮キットの発売早々に入手、組み立てたそうで、ウェザリングが施されています。 足回りは当社所有の1600形と同仕様なので好都合、1600形だけの6連が組成できることになりました。

T.Tさんありがとうございます。 大切に保存させて頂きます。

 

2020年12月21日 (月)

O,OJゲージ運転会へ

前々から主宰のKSさまからご案内頂いていながら、なかなか参加する機会がなかった運転会に行って来ました。 開催場所はここ、アートフォーラムあざみ野、明るくて立派な施設です。

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その2階のセミナールーム2と3が会場です。 入り口には何やら書かれています。

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 新型コロナ感染防止のため、入室前に紙コップをもらって洗面所でうがいと手洗いを指示されます。 その後、手のアルコール消毒と検温という徹底ぶりです。 当然ながら37度以上の方は入室できません。

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既に10名以上の方が入室、広い部屋いっぱいに敷設された複線エンドレスを快走する車両が目に入ります。

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今回の最大の目的は、OER3001氏が所有するたった1両の2線式0番、1600形を走らせて頂くことでした。

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早速、本線に繰り出させて頂きました。 目前を通過して行きます。

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なかなかカメラを止められません。

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数メートルの直線でしたが、念入りの試運転をしたお陰で快調です。

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大きな曲線区間を行きます。

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向こう側の壁面前を飛ばします。

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実車には存在しない両運の更新スタイルなので、車号は1611です。

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ということで、広~い線路の上で思い切り走らせることができ満足ですが、それ以上に参加者の作品を目の当たりにでき、いろいろとご教示頂けたことが収穫です。 この辺はまたあらためて、後日のご報告とさせて頂きます。

運転会を主宰されて居られるKSさま、横浜模型鉄道倶楽部のみなさま、大変お世話になりありがとうございました。

 

 

2020年11月21日 (土)

1972年の小田急集合

ちょっとした縁があって、TMS誌上で有名な土屋一生氏製作のNSE車を我家で一時お預かりした際に、未だロマンスカーを作っていなかった身としては、記念撮影しておかなければなりませんでした。 1972(昭和47)年5月19日のこと。

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小道具として実車の社紋、OER、急行サボを並べてみました。 黄色と青からケープアイボリーにロイヤルブルー帯への塗装変更で、帯に架かるサボと社紋が外されることになり、当時の広報課の方のご厚意から頒布頂いたお宝です。

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小道具無しでの並びも撮っていました。 センターは4000形ですが、NSE車とHE車は編成を分割して先頭車を並べているのはお許しを。 この時の最新作は左端の1800形でした。

 

 

2020年10月31日 (土)

振り子試験車両

1970(昭和45)年10月31日。 この日、振り子試験車登場という情報から、大野工場を訪問しました。 未だ学生だったこの時代、工場事務所に「電車が見たい」と言って記帳するだけで、構内に入れてくれたことが今になっては信じられません。 立ち入り禁止エリアの説明を受けた後は、貸与された黄色い帽子をかぶって 自由に歩けました。

お目当ての振り子試験車となったクハ1658は庫の中での試験中でしたが、ロイヤルブルー1色となった姿はなんとか顔だけ撮ることができました。

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最大のポイントはその台車。 FS080と言う住友金属製の台車には、“運輸省補助金交付対象物件”としっかり表示されていました。

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その台車も庫内のスペースの制約から、真横からは撮れず残念。 ここで車体傾斜試験を実施中で、ボルスターアンカーが上がったり下がったりする光景が面白かったことを思い出します。

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本線での試験走行は終電後の深夜に行われたようで、その姿をこの目で確認することはできませんでしたが、早速模型の世界でで試験走行することにして、屋根板使用のペーパー車体として製作。 当時の住居でベランダ手摺に載せて撮影したことから、都合良く内側に傾斜してくれています。

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あれこれ考えて、曲線で台車がセンターピン中心に回転する動作を、車体傾斜に直結する運動にする方法を考案。 実際に750R程度の曲線で2度ほど傾斜するようになった次第でした。

 

2020年9月16日 (水)

SE車の思い出

海老名に建設中のロマンスカーミュージアムへの収蔵に備え、しばらく相模大野に仮住まい、一連の保全関連工事が行われていました。

相模大野駅から江ノ島線が分岐してすぐ、SE車が収容されていた庫の脇を通過します。

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左にカーブする時に右側を注視すると・・・

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ブルーシートで閉ざされた後方に、きれいになったSE車が確認できました。

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そして、9月13日未明に、ゆっくりゆっくりと姿を現し、海老名に向けて回送されていきました。

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きっとこんな具合に、ロマンスカーミュージアムに並べられた暁に再会できるのでしょうね。

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2021年春、その時が楽しみです。

 

2020年8月30日 (日)

ミュージックホーン

先の寺子屋運転会で正式デビューとなったSE車、最大の特徴はミュージックホーンを鳴らしての快走です。 

新型コロナウイルス感染防止のため、‘3密’を避けるとなるとなかなか公開チャンスがありません。 そこで、なんとかここで動画が紹介できないかと試みました。 お見苦しい撮影ですが、ご了承ください。

データサイズの制約から短時間のもの、しかも1映像しか取り上げられませんが、雰囲気をお掴み頂けましたら幸いです。

 

 

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