驚愕の完全キット、眺めてばかりいても進まないので、とりあえずちょっとだけ手を出してみました。
最初にやったのは屋根上のペーパー掛け。10㎜角材に#400のペーパーヤスリを貼った道具を作り、最初はカラ研ぎ、次に水を付けて。
前照灯枠を付けてから、車体内外にMr.フィニッシングサーフェサー1500ブラックを吹きました。
Tc車の屋根の歪(?)はだいぶ消去できました。
サーフェサー吹いてみるとM車の屋根はまだちょっと。まだヤスリ掛けが必要なようです。
ともあれ4両、一度目のサーフェサー掛けを終えたところです。
3Dプリントって一見手軽なようですが、やったことが無いOER3001氏にはなかなか難儀な様子。試行錯誤が続きそうです。
6月9日に掲載の「京王井の頭線まつり」が始まりでした。
その後に持たれた反省会(?)で、3000系どうせならあと4色作ろうよ、という話になり、IMA氏が3D出力で車体用意。それにOER3001氏他にKT氏、OT氏、そしてなんとIY氏まで加わって、4色を揃えるという計画が決定(?)してしまいましたが果たしてどうなることか。
それからほぼ1か月となって、パルテノン多摩ミュージアム企画展「鉄道が街にやって来た~多摩ニュータウン鉄道開通50周年~」をご覧になりに来られたIMA氏が、素晴らしいものを持ってきてくださいました。
どこかで見たようなパッケージに入っています。
こんな素晴らしい説明書、これまでの鉄道模型では見たこともありません。
説明書の下から出て来たのは、どこかの有名メーカーによく似た紙箱ですが、あのロゴは印刷されていません。
中身はもちろん台車。有名メーカー品と同じ収まり方で、集電ブラシが備わったPⅢ-703が。
車体はご覧の通り、一見したところ既に完成状態ですが、Hゴムやら窓サッシやらと、やることはあります。
市販のパーツを含む、必要部材は配線材料、洋白線まで含めて全てが揃えられていて、至れり尽くせり。
車体標記も、競作メンバーすべてのものがプリントされているではありませんか。
いや、ま~、ここまで揃えられては!
下手なことできない恐怖感さえ覚えますが、果たしていつ着工しましょう?
多摩川畔の模型店2階レイアウトで開催の“シニアの運転会”、今回は“井の頭線まつり”となってしまいました。
京王井の頭線は1933(昭和8)年に渋谷-井の頭公園を開業、翌1934(昭和9)年に井の頭公園-吉祥寺を延長開業、現在の路線となって90年を祝おうということで。
OER3001氏はまず、開業時に用意されたモハ100形、モハ200形転じたデハ1400形を先頭にしたペーパー自作の4連。
デハ1400形は吉祥寺方ですが、渋谷方の先頭はデハ1700形。中間にはデハ1700形とサハ1300形を連結しています。
同線唯一の荷電、デニ100形も参加です。
井の頭線にはありえなかった光景ですが、トラス橋を行く4両編成の下を、単行デニが行きます。
模型では2両のデハ1700形がパワトラ装備の動力車、勾配路線も難なく快走でした。
走行が終わった2編成は、共に引き上げ線に収容です。
代わって登場したのはIMI氏が3Dプリントで自作された3000系。第1編成(ブルーグリーン)の登場時4両編成と第2編成(アイボリー)の冷房化後の5両編成が周回し始めました。
3000系は拡幅車体両開き扉になってから、試作冷房車として登場した第14編成(ライトブルー)も加わって全3編成が参加です。
いや~それは壮観。全車並べて写真撮影です。
その後に持たれた反省会(?)で、3000系どうせならあと4色作ろうよ、という話になり、IMA氏が3D出力で車体用意。それにOER3001氏他にKT氏、OT氏、そしてなんとIY氏まで加わって、4色を揃えるという計画が決定(?)してしまいましたが果たしてどうなることか。
7色揃ったら総観でしょうね。さらに地方私鉄譲渡車(上毛、岳南、松本、北陸、伊予)も加わったりして(笑)。
静岡県でのイベントですから、地元で馴染みある車両は不可欠です。中でもA3000形が揃う静岡鉄道は人気者。OER3001氏がペーパー自作したフレッシュグリーンは、来場者からのリクエストも頂いて活躍しました。
今回はメンバーのKNさんが設けたR→YY→Y→YG→Gと現示する信号機は楽しいものでした。
実車では残り1編成となった1000形も、模型では引退しません。
駿府の静岡鉄道に対し、遠州は遠州鉄道。赤い2000形を見て「えんてつだぁ!」と喜ぶこどもに出合うと、製作者として嬉しくなります。
遠鉄には田園風景がお似合いのようです。
今回、静岡県内の私鉄としては以上の3編成。伊豆箱根や伊豆急は、残念ながら荷物に収まりませんでした。
YS氏宅で開催された運転会に、久々に参加させて頂きました。
今回は交流3線式のHOゲージ“Märklin”のレイアウトが開通したと伺っていたので、OER3001氏が所有する唯一の交流3線式HOゲージである西ドイツ国鉄420形電車2編成を持ち込みました。
模型はMärklin規格のRöwa製品で、趣味人として尊敬していたAB氏の遺品で、ずっと収納されていたものです。ミュンヘンSバーンのブルー編成とフランクフルトSバーン(デュッセルドルフだったかな?)のワインレッド編成を持って行ったのですが・・・、
どちらも原因不明で不動。
手元にはMärklinの線路、コントローラーも無く知識も無いので修復できず残念です。
予想していたとは言え、持参車両が不動ではあまりに悲しいので、念のため16番車両も用意して臨みました。
叡山電鉄810形。親友の結婚披露宴参列の時に訪れたのを記念して、ペーパー自作してから25年経過でしたが、何のトラブルも無く周回してくれました。
ゆったりクロスシートに座って多摩川を渡ります。
降りたところで暫し行き交う電車を眺め・・・
シニアの運転会場に向かいました。この日のトップバッターは闘病中のMZ氏、流鉄(流山電鉄?総武流山電鉄?)の車両を持って臨まれました。いつもながらお見事なペーパー自作です。
KT氏はクモニ?いやクモヤ145かな? 宮沢のキットだったとか。
WM氏は高校時代から作り重ねたと言う73系のペーパー自作。3段窓に全金車を取り混ぜた4両でした。運転室仕切りが効果的ですね。
HT氏はモデル8のキットを組んだ上田丸子のデキ未塗装を。2両の貨車を牽いて、勾配線も問題なく快走しました。
OER3001氏の第1弾はセミクロスシート時代の小田急2320形。友人HI氏製作のペーパー自作を40年以上昔に譲り受け、後年台車交換やディテールアップを図ったものです。
この時、隣の線路にKT氏のお召列車が登場。最初はC59です。
お召列車は牽引機をEF53に代えて、ゆったり堂々とした走りを見せてくれました。
OER3001氏の第2弾は小田急の初代ロマンスカー1700形ですが、上のお召列車を追い抜いたり上を跨ぐわけには行かず、運転には神経を尖らせました(笑)。
IY氏はキットを組まれたと言う筑波鉄道のキハ821、元国鉄キハ10 47のようです。
霧で遅延した高速バスで駆けつけたというIM氏は、京浜東北線で活躍した209系、いや違います。試作車の901系に6扉サハを挿入した11両編成
小田急ロマンスカーの最新型、70000形GSEはSF氏のペーパー自作。フロントウインドウから見える座席の柄まで再現されて圧巻でした。
OT氏はいつもと違う車両を展開されでびっくり。石炭列車の先頭に立つのはKATOのD51だと仰るも、見事なウェザリングでした。
牽引機がD51の違うバージョンに代わります。
さらに最近話題の台湾の電機まで。
和気藹々と3時間以上を楽しみ、その後はまたいつものように反省会へ。反省会だか猛反省会だか知りませんが、いつしかアルコールも回って・・・。
“玉電”が無くなって、三軒茶屋-下高井戸間だけが世田谷線として残りましたが、車両の世代もすっかり入れ変わり、1999(平成11)年から2001(平成13)年にかけて登場した軽量セミステンレス製車体、IGBT-VVVFインバータ制御の300系になっています。
高校時代から慣れ親しんだ下高井戸駅、過日の「池袋 鉄道模型芸術祭」に出展されていた1/80の模型を見て、久しぶりに出掛けてみました。京王線の高架化工事も進んでいるので、線路を斜めに横断する踏切も見られなくなります。
軌間1,372㎜という共通点を持つ歴史から、世田谷線は京王線下りホームに寄り添うカタチになっています。
この雰囲気を上手く縮小されています。
一方の三軒茶屋駅は、1996(平成8)年に完成したキャロットタワーに隣接。
レンガ調外壁のモダンな雰囲気です。
アーチ状の上屋が特徴です。
それを模型ではかなり簡略化。今後アーチ状上屋を製作するのでしょうか?
中間には車両基地のある上町駅が上手く配置されていました。
実際の上町駅は曲線部で用地に余裕が無く、上下線でホームは踏切を隔てて配置されています。
車庫のに徒歩で近づくことができないので、先の踏切からズームせざるを得ませんでした。
下高井戸から世田谷線で三軒茶屋に向かい、そこから線路に沿って歩いて小田急線豪徳寺駅まで。この日はそこで小田急に乗って帰宅しましたが、世田谷線全線徒歩もそう苦ではありませんよ。良いウォーキングになります。
多摩川畔の模型店、2階運転場でのシニア運転会。今回は古くからの友人IM氏が長野から参加してくださると言うことから標記の通りとなりました。OER3001氏だってKTR5000を作っているよと、1次車登場時の5070系+5000系の6連特急を走らせます。
吊り掛け駆動5070系の重々しいモーター音と、カルダン駆動5000系の軽快な音のハーモニーを思い出します。
当時は正面と側面に、赤地に白文字の「特急」表示を掲げていたのが懐かしい。
5000系はやがて、“京王”から地方私鉄数社に転じて活躍しますが、中でも富士急行で“富士登山電車”となって活躍する2両の模型製作では、あのデザイナーのお陰でやたらと車体に書かれた文字やマークなどの表現に苦労したものです。
京王帝都と富士登山電車の共演を楽しみました。
その後はIM氏が製作した3Dプリントによる5070系3編成と5000系1編成を加えて、往年の桜上水駅を思い出しながら並べて記念撮影。
5070系+5000系2編成を並べると、連結部では“顔”が4つ。なんとも言えない満足感に浸ります。
と言うことでで今回も、仲間と共に幸せな数時間を過ごすことができ、その後の反省会ではさらに盛り上がった次第です。
いろいろな題材に手を出しているというのに、また新規着手病と言う病が発症してしまったようです。
この用紙はアートポスト0.22t。側外板と内張り①、妻外板と内張り①、②。
続いて同じくアートポストですが少し厚くなって0.29t。側内張り②、③、④と、妻板内張りスペーサー。
次は同じくアートポスト0.29t。妻板の内張り③、④、⑤など。
次はアートポスト0.29tで内張り⑤と車体上部補強板など。
次が特に取扱注意。アートポスト0.14tと薄い用紙で窓サッシ。
ユニットサッシ改造後にしたい人はこちらと選択できますが、加えて側扉や窓のHゴムなど。
全部で6枚から、必要なものにカッターを入れて切り抜くが、まだ先は遠い。
ペーパーキットって、一見楽そうに思うのは大きな間違い。他人様の設計によるキットは、その構造を理解するのも大変です。計算上は外板厚1.6tになるようですが、実際には接着剤の厚みも加わるので2.0t程になるのでしょう。
これは1両ものではないので、大変なキットに手を出してしまったようです。
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