鉄道(小田急)

2021年3月 4日 (木)

想い出の光景:26

想い出の光景:25」からほぼ半年後の1976(昭和51)年4月の記録がありました。

代々木八幡-代々木上原間の高架化工事が進捗に伴い、廃止された踏切に変わって架けられた跨線橋から代々木八幡方向を望んでいます。代々木八幡駅の改造工事模様については別途取り上げたく思っていますが、この時既に上りホームは山側への移設工事が完了しているようで、敷設された線路への切り替えを待つような線形です。

上りはNSE車、下り急行はHE車と言うのも懐かしい時代です。

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振り返って代々木上原駅方向を見れば、高架線には線路が敷かれ、架線工事も進んで居ます。折しも通過して行った9000形の走る位置は、完成後は千代田線の線路位置になる場所です。

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海側へ回って、代々木八幡方向を望みました。完成間近となった新線の先が、HE車が走る線路への接続を待っていることがわかります。

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間もなく小田急線が高架に切り替えられ、現小田急の線路部分に営団線の線路工事となって行きます。

 

 

2021年2月28日 (日)

想い出の光景:25

代々木上原駅付近変貌の記録、「想い出の光景:24」から3ヶ月後の1975(昭和50年)年8月 には、改札口前の踏切まで高架橋の鉄筋が建ち始めました。

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2ヶ月後の10月になると、高架橋はすっかり出来上がっています。線路はまだ元の位置なので、高架橋の下になった踏切を電車が通過していきます。

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その踏切からの光景は斯様な感じになりました。下り電車の通過です。

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東北沢方向を望むと、駅舎が無くなっています。遙か先の高架下に仮駅の看板が見えています。

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その状況が次の画像。元のプラットホームの東北沢方終端辺りから向こう側に、仮ホームが設けられています。そしてその上には新駅ホーム上屋の鉄骨が確認できます。

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上り仮ホームに停車中の5159他4連新宿行き、その上方には新駅ホーム上屋の鉄骨が確認できるので、この仮ホームはほぼ現在のプラットホーム位置と一致します。

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その上りホームが次の画像ですが、曲線区間に設けられていたプラットホームがほぼ直線になりました。

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SSE車の下り「あさぎり」が通過する画像では、新宿方が僅かに曲線区間に掛かっていることが確認できます。

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こうして徐々に徐々に、千代田線接続の設備が構築されて行きました。このシリーズはまだ続きます。

 

 

2021年2月25日 (木)

想い出の光景:24

前回の「想い出の光景:23」から3ヶ月後の1975(昭和50年)年5月には、代々木上原駅前の踏切脇に完成予想図が掲示されていました。左方の代々木八幡駅から右方の営団引き上げ線終端までが、結構詳細に描かれていました。

ほぼこの通りに完成している現在ですが・・・、一つだけ実現していないのが高架ホーム下側(北側)に描かれている駅前広場。まだこの計画が生きているのでしょうか?

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まだ1800形が現役バリバリの頃ですが、この頃に事実上の4両固定運用になり、両端に出る先頭車だけ貫通扉をステンレス製の新しいものに交換、窓が上下方向に拡大されました。そして方向幕が手動から電動になりました。

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プラットホームの時計が15時5分を指している時、新宿15時00分発の「あしがら」が通過して行きました。

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この線路位置、今はメトロの線路になった場所、NSE先頭車の先に確認できる踏切が井の頭通り。そこが現在のホーム下ということになりますが、開業からこの時代まで、小田急の線路位置は変わっていなかったのです。

 

2021年2月18日 (木)

想い出の光景:23

このシリーズは、ここ暫く代々木上原を取り上げていますが、今回は1975(昭和50年)年2月の記録を。 カラーポジからのスキャンニングですが、どれも色が薄くなってしまっているのはお許しを。

だいぶ高架橋が出来てきて、駅舎が右の高架橋下に収まっています。 下り「あしがら」が通過して行きました。

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その場所から代々木八幡方向を望んだところですが、既存線路の両側には高架橋が連続してきました。

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そこからもう少し代々木八幡方向に移動して海側から見下ろしたら、下り本厚木行き各停の2600形NHE車が通過するところでした。

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今度はその先の、八幡3号踏切だったと思われる代替跨線橋に上って、夕刻の代々木上原方面にカメラを向けています。 3000形SSE車は「さがみ」、これも懐かしい想い出です。

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まだ高架橋は繋がっていませんが、急ピッチで工事は進んでいました。

 

 

 

2021年2月17日 (水)

今日の一枚 No.100

この「今日の一枚」シリーズも100回目になりました。 記念すべき(何を?)100回目としてふさわしい(かどうかはわかりませんが)一枚は・・・これにします。

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久しぶりの級友との待ち合わせで出掛けた新百合ヶ丘。 級友から5分ほど遅れるとのメールを受信したので、それなら撮れるぞ! と判断して撮れた一枚。 まさにこの日の一枚なのです。

例の女性蔑視発言で辞任したM会長といい、コロナ禍といい、果たしてオリンピック・パラリンピックが開催されるかどうか?

そんな中でムードを高めようと、オリパラ装飾電車が走り出しています。 これも「中止」なんてことになったら、早々にラッピング剥がされてしまうのでしょう。 撮るなら早めにですね。

 

 

2021年2月16日 (火)

2月16日という日

母が95歳で旅だった日です。 漸く一年が経ちました。

それはそれとして、2月16日に撮影した画像を探してみました。 先ずは13年前の2008年、経堂駅で撮っていた中から、真っ白い富士山をバックに来たのは5053先頭の新宿行き急行。 後ろは8000形でしょう。

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まだ10000形HiSEも現役の時代でした。 すれ違った上りのロマンスカーが50000形VSE、その後ろ姿もありました。

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4年前の2017年には“都電”も撮っていました。 京王多摩センター駅に到着する10-000系を。

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2月16日撮影の鉄道関連画像の中から取り上げてみましたが、いずれも今は母同様に亡きものとなってしまいました。

 

2021年2月14日 (日)

想い出の光景:22

今回も代々木上原の想い出、1974(昭和49)年です。

フィルムを節約して撮っていたこともあり、最悪の色になってしまっていますが、ここは代々木上原駅東の山側から。 地下鉄9号線乗り入れ工事たけなわの時に降雪。 仮柵の向こうですれ違う上下列車は2600形NHE車(左)と4000形です。

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その場所を、上りホームから見ていました。 新宿行き各停は4063が最後尾、まだ日中は3両編成が走っていたのです。

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上りホームから東北沢方向を見れば、山側には鉄筋コンクリート製連続ラーメン形式の高架橋が建ち始めています。

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この後、みるみるうちに長閑だった光景が変わって行きました。

 

 

 

2021年2月13日 (土)

今日の一枚 No.99

つい、昨日のことだと思っていたら・・・、もう10年前のことだったのですね、この顔が引退してから。

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記念のヘッドマークを掲げた5268F、黒川の陸橋で待ち受けました。 この後、相模大野への回送も撮りたくて、鶴川-町田間へ急ぎましたっけ。 

 

2021年2月11日 (木)

江ノ島散歩(1)

としましたが、江ノ島には行っていません。 お仕事の打ち合わせに出掛けた折に、折角なので少々足を伸ばしてみた次第。

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日中は春の暖かさという天気予報通り、気持ちの良い昼時間。 緊急事態発令中と言うこともあって、人が少なく撮影に最適です。

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片瀬江ノ島駅の上屋はなかなか見物だと思っていましたが、よ~く観察してきました。

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車止めの正面には、新江ノ島水族館をPRする水槽がありますが、ちょっと待てば見入っていた乗客も居なくなって撮影できました。

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改札口の天井には凝った彫刻が飾られていたこと、今回初めて気づいた次第です。 人手が少ないと遠慮せずにキョロキョロできます。

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その外観も、青空の下で人を入れずに撮れたのが嬉しい。

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半世紀ほど前にここで撮影した時を思い浮かべながら、ホーム先端へも回って見ました。 当時のホームは6両長までだったのに、左のホームは10両用に延長されています。

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もう一つ向こうの踏切まで行ってみました。 やっとダブルクロスを入れて撮れました。

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反対側から「各停・相模大野」の表示の片瀬江ノ島行きが来ました。 この前の鵠沼海岸駅を出ると行先表示を切り替えるので、終点で待っていても「各停・江ノ島」は撮れないのです。

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お仕事の打ち合わせ場所まで海岸を歩くことにして、歩き出したら後方で踏切警報機が鳴り出して・・・。

思わずCedarさまの真似して“隙間電車”を。

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この日の歩数は17,000歩を越えました。

 

2021年2月 8日 (月)

想い出の光景:21

代々木上原駅周辺の想い出を続けます。

地下鉄9号線(千代田線)乗り入れ工事が行われていた1973年7月の改札口からです。 神戸銀行は既に移転し、建物は解体されています。

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翌8月には完成予想図が掲げられました。 乗り入れのために造られた9000形が、地上区間で活躍しています。

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駅東の海側(南)のこの場所、余り記憶が無いのですがもともと道路だったのでしょうか。

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東北沢方向では測量が行われていました。

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そこから駅を眺めます。 車体を傾けた2600形NHE車の新宿行きが発車したようです。

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この場所、まだ背後にはイスラム教寺院のドーム屋根がよく見えました。 NSE車3100形もほぼ原型の時代で、屋根上には増設クーラーが載っていないスマートな姿、膨らんでいた幌も懐かしい。

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建ち始めた新宿の高層ビルが良く見えていました。 中央の薄く白いのが京王プラザホテル、左が住友三角ビルでその間の黒く見えるのは建築中の三井ビルと思われます。 一番右は建築中のKDDIビルではないだろうか。 1800形も元気な時代でした。

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この踏切から東北沢方向を撮っていました。 この辺りが今の駅なのです。

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駅山側に回って見れば、商店が立ち退いた場所で鉄筋が建ち始めました。 駅はまだそのままです。

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暑かった8月のこの日、13時56分に通過するのはSSE車の「えのしま」でした。

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ちょうどこのプラットホームの端から向こうが、今の代々木上原駅になっていますが、ここを毎日利用していた時代が懐かしいです。

 

 

 

 

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