鉄道(小田急)

2023年1月27日 (金)

小田急3000Ⅱ更新車

VSE貸切列車を楽しんだ日、相模大野の車庫線に入った時に発見! 

修繕中の3266×6が停車していて、輝きを増したような車体。クハ3266の正面はパテ盛り・研磨・乾燥途上なのでしょう。良く見ると一部の床下機器が変わっているようです。

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床下機器はTIOS機器箱他が新しいものになっています。

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2両目デハ3216は、主制御器が換装されているようです。この外観からは5000形(Ⅱ)のに良く似ていますが同じものでしょうか。

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1-2両目の連結部の床下には5000形同様の連結箱が。加えて車号が幕板部に追加されています。これも5000形同様にホームドア対応なのでしょう。

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この3266×6は2001(平成13)年から投入された3000形の3次車で、竣功は2004(平成16)年。1、2次車にこの種の修繕がなされていないことを考えると、将来の動向が興味深いです。

 

2023年1月23日 (月)

VSE貸切列車に乗る

この日、最初にシャッター切ったのがこれ(涙)。永年の友人が朝から「ロマンスカー・カフェ」で手にするのはビール。

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朝からのビールなど、自粛するOER3001氏は、入線して来た赤いロマンスカー70000形GSEを撮ります。これは予行演習。

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本命は本日の貸切列車となる白いロマンスカー50000形VSE。昨年春に定期運航を終了しているので、新宿駅に入線する機会もめっきり減りました。

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ゆっくり1号線に進入して来る時、ミュージックホーンの吹鳴がサービスなのか、通常は2回なのに6回でした。この3枚は動画からの切り取り。動画撮影して大正解でした。

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「ありがとう!」のステッカーもそのままです。

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多くの人が眺めていましたが、定期列車とは違う姿に気付く人も多かったようです。展望席の座席が向かい合わせにセットされているのです。

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OER3001氏らは9号車に指定されています。「特別団体専用・Group Use」と言うのがイイですね。

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後部展望席、2006年ブルーリボン賞のプレートと共に撮っておきました。

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予定通りの時刻11:40に発車後、新宿1号踏切通過時に先頭車が確認できました。

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早速車内で配られたお弁当です。

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こうして背後に線路を写すと面白いです。こんなことしていたら、中身の撮影を失念してしまいました(涙)。

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相模大野で上りの赤い70000形GSEと遭遇、こちらは暫し相模大野車庫に入ります。

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相模大野から再出発、また赤いGSEとすれ違ったのは渋沢-新松田間でした。

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この区間は小田急沿線で数少なくなった自然が残る所。度々水害も起こす四十八瀬川に沿って進む時、カーブはで先頭が見えます。

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新松田駅の手前で四十八瀬川は線路の左側に位置を変えますが、その時にも列車先頭部が確認できます。朝から良く見えていた富士山は、残念なことに雲に隠れてしまいました。

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顔見知りの人たちで和気藹々の車内の時間は、あっという間に過ぎて13:53小田原に到着してしまいました。新宿出てから2時間13分も乗っていられた特別団体専用列車。

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最後に小田原駅で、その姿を撮っておきます。

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下車したお仲間たちも、名残惜しそうにしていました。

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今回の貸切列車乗車にあたってOER3001氏は、もう聞けなくなるであろう連接車の音を記憶に留めることを主目的に、ロングレール区間が多くなりジョイント音が聞けなくなった小田急線の内、渋沢~新松田ではずっとコンデジで動画撮影をしていた次第。(13~15番目の画像は動画から)

機会あればまた乗りたいものです。

 

2023年1月 9日 (月)

初詣?

渋谷駅の工事に伴い、山手線外回りの終日運休となった初日、塗料の調達のため渋谷へ行きました。幸い天気予報も外れ、青空も奇麗だったので、山手線運休区間の視察と相成りました。1964(昭和39)年の東京オリンピックの時に出来た国立代々木競技場第一体育館の屋根は、60年近く経っても優雅な美しさを魅せてくれます。

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水無橋から渋谷駅方向に目を向けたら、ちょうどN'EXが。

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原宿まで歩いたので、初詣で賑わう明治神宮境内へ。しかし混雑する参道を避けて参拝せず、ただ線路に近い車道を代々木に向かって歩きます。青山街道踏切ではちょうど相鉄車両に遭遇。

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その相鉄車両とすれ違うように、湘南新宿ラインが。

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もう一つ新宿寄りの踏切に行ってみるとまたN’EXが。

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待っていてもなかなか出会わないのに、なんだか良くN'EXに出合う日です。

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小田急の旧南新宿駅方向に歩き、旧小田急本社ビルを入れて小田急も撮ります。新5000形もずいぶん増えました。

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四谷角筈線と言うらしい道路の新宿1号踏切で、新宿駅を発車して来た下り電車も撮っておきます。

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いつもは上のようなアングルでの撮影ですが、今回は初めて反対側の人工地盤から狙ってみました。

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暫し小田急を撮ってから、サザンテラスとタカシマヤ側に架かる跨線橋からJRを。通常の70%という内回り電車です。

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レンズを目いっぱいワイドにしても、docomoタワーを上まで収めるのはどうしても無理です。

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それなら諦めて、中央・総武の黄色い231系をしっかり撮っておきます。

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という訳で、山手線外回り電車が終日運休の渋谷から新宿まで、初詣で賑わう明治神宮境内を抜けて歩いてしまいました。その他の区間も含め、この日は13,500歩あまり。健康な一日でした。

 

2022年12月25日 (日)

御殿場線の小田急

小田急の御殿場線乗り入れが開始されたのは1955(昭和30)年10月1日のこと、既に67年の歴史があります。

最初は当時のロマンスカー塗装と同じ、黄/紺塗装の気動車キハ5000形でしたが、増備されたキハ5100形と共にクリームに朱帯姿になって、1968(昭和43)年の御殿場線電化まで走りましたが、今思えば僅か13年間とは短いものです。

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電化となった1968年7月1日からは、3000形SE車を5両編成に短縮改造されたSSE車に交代。キハと同じ山北-谷峨間の第一酒匂川橋梁で撮影しています。

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SSE車「あさぎり」は1991(平成2)年3月15日まで23年間に渡って運用されますが、この間は度々撮影に出掛けていました。それでも奇麗な富士山と共に収められる機会は多くありませんでした。

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国鉄の分割民営化でJR東海となって、両社共通仕様の特急車両を新造して沼津までの相互直通運転となり、小田急が用意したのが20000形RSE。谷峨駅でJR東海の371系と交換する姿は、どうしても記録しておきたいものでした。

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371系は1編成しか無いため、定期検査時には小田急車が代行。そのため2編成の20000形RSE「あさぎり」が並ぶ光景も貴重な記録となりました。

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しかし、2012(平成24)年3月17日のダイヤ改正で小田急60000形MSEの6連による片乗り入れに戻り、運転区間も当初の御殿場までとなってからは、御殿場線区間での撮影に出掛けていないのです。

華やかだった時代が忘れられませんが、60000形も撮りに行かなくてはなりませんね。

 

2022年12月 5日 (月)

架線見学

遊園地はとっくに閉園されて無いのに、駅名は“向ケ丘遊園”のまま。ギャンブレル屋根*の北口駅舎と共にレールで作られた跨線橋は、今となっては貴重なもの。昭和の歴史を伝えてくれるので好きな駅です。

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高架複々線化されて、跨線橋というものも随分少なくなった感じがしますが、電車の屋根上を観察するには無くてはならない施設です。

が、今回は鉄道施設の観察。上下線の架線ビーム上に架けられた太い2本の電線が、パンタグラフが接触するトロリー線に電力を供給する“饋電線”です。英語だとfeeder、模型と同じですね。

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跨線橋からだとその饋電線を間近に見られます。上下線とも2本の電線が使われ、大量輸送区間の設備であることが実感できます。

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鋼心アルミより線(ACSR:Aluminum Conductor Steel Reimforced)に代表される複合アルミ電線が使われているらしい。中心に亜鉛メッキ鋼より線、外周に硬アルミより線という構造のようです。

P311(一社) 電線総合技術センター電線の基礎知識より引用

 

ちょうど、この駅で折り返す東京メトロの車両が入線して来ました。

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こうして電線にまで興味を持って鉄道を見ると、鉄道資産が如何に大きな資本がを必要とするものなのかが実感できます。

模型で考えてみれば、レイアウトに必要な電線やプラグがどれだけ必要なのか。レールの必要本数は直ぐ考えられても、電線の必要長さや収納スペースについては中々頭が回らないという現実も(涙)。

 

*小田急電鉄社史などで称されているマンサード屋根とは、左図のように4方向に向けて2段階に勾配がきつくなる「外側四面寄棟二段勾配屋根」、対してギャンブレル屋根は「二面切妻二段勾配屋根」のことだそうです。

Th Photo_20221130180501Wikipediaより引用)

  従って、向ヶ丘遊園駅舎はギャンブレル屋根と言うことになります。

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2022年11月19日 (土)

千歳船橋

OER3001氏が小田急に興味を持つようになった地がこの駅でした。今は大俳優だった森繁久彌(1913-2009) の胸像が、高架下に設置されています。これは、一周忌にあたる2010年に、東京都世田谷区が千歳船橋駅から旧森繁私邸へ抜ける区道を『森繁通り』と命名したことを受け、氏が『屋根の上のヴァイオリン弾き』で演じたテヴィエ役姿の胸像「テヴィエ像」として、2014年に設置されたものです。

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駅の北東0.5㎞ほどにあった氏の大邸宅は、OER3001氏が住んでいた場所の直ぐ近くだったことから、ヨットが置かれていた庭で遊んだ思い出があります。招き入れてくれたのはご子息の一人だったようです。

その千歳船橋駅、北側(山側)から見た今の姿です。胸像の設置場所は右端の高架下です。

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OER3001氏の記憶に残る千歳船橋駅の姿はこれ。

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学校から帰るとここへ行き、行き交う電車を見ていて・・・。駅員さんもいつしかその小学生を覚えてくださり、事務室内に招き入れておやつをくれたりしました。駅や駅員さんが地域に溶け込んでいたという良き思い出です。右の交番には、拾った10円玉を届けた思い出でもあります。10円玉を預かったお巡りさん、「ぼく偉いね、ありがとう。これしっかり預かるから、ご褒美に・・・」と言って自分のポケットから取り出した10円玉をくれました。

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そんな素晴らしい思い出は、ほぼこの時代。ボルダ版フィルムの玩具カメラによる撮影で、近年着色してみた画像ですが、ここに写る跨線橋や上屋は、高架化工事まで健在でした。

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高架化工事開始直前に訪れた時は、ホームこそ延伸されていますが雰囲気は昔のまま。営団6000系も古の記録になってしまいました。

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高架複々線となった今は、同じようなアングルで撮ろうとすると、8両編成の2000形をはじめとして10両編成の最新鋭5000形まで停車します。

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通過列車の撮影にも良い場所ですが、床下機器の撮影にも適する駅になりました。是非一度、電車の撮影に訪れたら改札を抜けて、『森繁通り』の散策をされては如何でしょう。

 

 

 

2022年11月11日 (金)

久々にVSEを撮る

平日の11月4日のこと、50000形VSEが走ることを知り、ちょうど世田谷美術館に行く予定があったので、その前に撮ることにしました。

最初は喜多見車庫から新宿への回送を、千歳船橋駅ホームで待ち受けると11時7分、目前を通過して行きました。

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乗客を乗せた営業列車、当初は千歳船橋駅で撮ろうとしましたが、線路脇のビル影が車両にかかることを発見。祖師ヶ谷大蔵駅に移動して待ち受けました。

11時51分、軽快な連接台車の通過音を残して、目前を通過して行きました。

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この時傍らには学生風の若い人がスマホで動画撮影していただけ。ゆっくりとカメラに収めることができました。

 

2022年11月 3日 (木)

今日の一枚 No.148

55年前の情景を。2200形と2400形HE車の6連急行が迫るここは何処でしょうか? 現在の風景と対比したかったのですが、今は覆いが付いて撮れなくなってしまいました。代々木八幡の山手通り陸橋からの眺めです。

2200形は原型に近く、前照灯は1灯、屋根上のランボードはまだ撤去されていません。方向幕は新設され、電気連結器は56芯に交換。連結器はNCB-Ⅱ、密着自連の時代です。

良く見ると2200形は、他の2200形と異なる部分が多い2211-2212でした。

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乗務員扉両側の手摺は、通常の縦形ではなくステップ状の横形。この手摺形状は2300形、3000形SE車、ディーゼルの5000・5100だけが採用していました。

2211の台車は本来のアルストム形FS203ではなく、三菱MD101。この写真でも2列の枕ばねが確認できます。この日、この時間に何しにここへ出掛けたのかさっぱり覚えていませんが、夕刻に撮った一枚でも、様々なことがわかる貴重な記録となりました。

 

2022年11月 1日 (火)

野川改修事業

(本編は昨日アップ後、SEとSSEが逆に表記されていたことに気づき、本文を一部修正しました。)

昨日、山王川改修工事について触れたところ、花見牛さまから「子供の頃の野川改修で成城学園前-喜多見間が大きく迂回していたのを思い出します。」とのコメントを頂きました。「NSEが身をくねらせて急なカーブを通過していくのを、陸橋から見おろすのが楽しみでした。」とのこと。

それなら当時を思い出してみようと探したところ、1967(昭和42)年の記録を見つけた次第。御殿場線乗り入れに備えてSSEへの改造が始まったとき、8連のSEの記憶を留めておこうとして乗った時でした。先ずは新宿から新装なったSSE(3015×5)に乗車。成城学園前を過ぎ、喜多見にかけての下り勾配を駆け下ります。が・・・、「制限70」の標識。

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元の上下線を左に、大きく右カーブします。仮線は木製架線柱だったのですね。

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以上は下り線を行くのSSE車からの撮影。

 

代わって上り線も。今度は8連のSE(3021×8)車内からです。喜多見を通過して上り勾配にかかるあたりで70㎞/hに減速。ちょうど速度制限標識がピラーにかかってしまいました。

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迂回する仮線を進んでいるとき、1700形が下って来ました。

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元上下線を右方に見つつ、勾配を駆け上がります。

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ここがちょうど、仮・野川橋梁の上です。先の左カーブを過ぎれば成城学園前。

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実は運転台、SEとSSEとでは微妙な相違点があるのですが、これらの写真でお判りになったかどうか?

 

1968(昭和43)年秋に、改修工事が終わって元の直線となった線路を下って来る列車を撮影していました。この時は特別塗装の2600形。「フルーツ号」の運板を掲げていました。

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それからおよそ3か月後となる1969(昭和44)年2月、仮線の盛り土が残るも立派な橋梁と架線柱となった本線を、あの跨線橋から撮影していました。

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さらに20年後に再び大工事が行われ、NSEが進む先は地下線に。写真右手は喜多見電車基地となるなんて、想像もしていませんでした。

 

2022年10月29日 (土)

千歳船橋駅1961年

OER3001氏が初めて手にしたボルダ版フィルムの2眼レフで、最初に撮った小田急電車がこれ、1961(昭和36)年の千歳船橋駅下りホームでした。

車両は最新型のHE車、2466-2416-2415-2465の編成。撮影月日不明ですが、前後のコマから推測すると真夏にはなっていないようです。

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方向幕が2行なので折り返し運用なのでしょう。右は「新宿」ですが左は上が「成」からの3文字 、「成城学園前」と思われますが「成城?」です。こんな表示があったのですね。

そのフィルムの次は、立川駅北口行の西武バス。どこへ何しに行ったのかさっぱり分かりませんが、日野のエンブレムとブルーリボンというブランドネーム、ナンバープレートが懐かしいです。国旗が掲げられているので「旗日」だったのでしょう。

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で、2枚目の小田急が1600形1606。同じ千歳船橋駅下りホームでの撮影です。

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こちらは方向板を下げる時代で、「新宿 向ケ丘遊園」。その方向版上部にアルファベット表記もありましたが、スペルがはっきりしません。訓令式だったかも知れません。

それにしても改めて60年前の写真を見ると、ボルダ版のフィルムからでも忘れていた様々なことが思い出されます。

 

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