鉄道(大手民鉄)

2023年9月24日 (日)

阪急に乗って

そして、新開地で乗換えた阪急がSDGsトレインの1000。阪急マルーンへのラッピングはなかなか目立ちます。

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そう言えば、伝統的な車内ながら、優先席のシート地はグリーンではなくなっていたのですね。

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壁装材カラーもドア部は濃い色に。そして、戸袋部にあの広告が!! いよいよ来週から社名から「印刷」が無くなります。

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西宮北口で下車、改めて正面を。

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乗って来た電車を見送り、暫しこの線路配線に見とれます。

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この後急いで階上に向かい、今津線に乗ります。武庫川の鉄橋を渡れば宝塚。少し駅前を散策したかったのも諦め・・・、

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入線して来たこの宝塚線急行に乗ります。

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ホーム最後部から最前部へ歩き、西宮北口に向かう今津線を見送ります。同じホームで乗り換えができる配線は良いですね。

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梅田行は隣の4番線から発車。これに乗るので前照灯の点灯まで待つことができません(涙)。

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神戸線で乗ったのは1000、ここでは9001と、何だかラッキーな気分になります。

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2007年日立製作所製ということを収めたかったのですが、同時に撮れたこれが凄い! さまざまなお願い事項が書かれたステッカー、なるほど!と感心してしまいますが、読む人どのくらい居るのでしょう??

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日立製のこの天井デザインは優れものだと思います。

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ずっと前方を注視していたら、SDGsトレインは宝塚線にも居たのですね、1101。

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乗って来た9001は川西能勢口で下車。

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ここで降りれば、隣のホームには能勢電が接続待ちしています。

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阪急の在籍車両は、屋根R部分がアイボリー塗装されてしまったので、全身マルーンは懐かしく感じます。阪急じゃないよと、車体には能勢電マークが。

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その能勢電を見送って・・・。

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ここの改札口を出た次第。

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この日はここが目的地。この後のことはまた改めて・・・。

 

2023年9月22日 (金)

「ひかり」は西へ

そんなコピーがあったことを思い出しながら、久しぶりに「ひかり」に乗ります。

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高校の修学旅行で降りた姫路で下車です。

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姫路と言えばほとんどの人は世界遺産である姫路城、白鷺城とも言われる白い外観を思い浮かべるでしょう。その姿は姫路駅の改札を出ればすぐ見ることができます。

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OER3001氏には城見学予定は無く、駅コンコースの模型で済ませます(笑)。

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目指すところはこちら。改札は百貨店が入るターミナルビルの2階。

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小田急、京王、東急、西武、東武など、東京の大手私鉄にもターミナルビルから発着する姿がありましたが、近年地下化されたり通り抜けスタイルになるなど、“正当ターミナル”の姿が無くなりつつあるようですが、こちらは堂々としたものです。

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改札を抜ければ4線の櫛形プラットホーム。OER3001氏が好きなカタチの電車が停まっていました。

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その内の1本が発車して行きましたが、3両編成というのも模型的で好感が持てます。

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ところが、乗車予定していた特急はなんと、6両編成の他社車両です。

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しかも、こんなプレートが掲げられているではないですか!

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側面に目をやれば、窓ガラスにも。

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「あれ」ですか、「A.R.E.」(Aim! Respect! Empower!)だそうです。

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車内にもこれが。まあ時期が時期だけに、これも良い記録だとしましょう。

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そんな電車で山陽路を楽しませて頂き、車窓に広がる瀬戸内海を眺めます。

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天気にも恵まれ、明石海峡大橋や須磨辺りからの眺めは気持ち良いものでした。

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地下に潜った新開地で阪神車にさようなら。阪急車に乗換えようとすれば車番が1000ぴったり。SDGsトレインだそうです。

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久しぶりの関西訪問。先ずは山陽路の「乗り鉄」から始まりました。

 

 

2023年9月20日 (水)

乗り鉄、撮り鉄旅

実は今、OER3001氏は関西方面にいます。この記事が掲載される日に帰って来ますが、旅の経路を昔の写真で追ってみましょう。

京都市内で朝を迎えた日、これを追いかけて琵琶湖方面に。流石にこの80形はとっくに引退、写真の81のカットボディーが錦織車庫で保存されているようです。

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1997(平成9)年に開通した京都市営地下鉄東西線直通のため、大津線は1,500Vに昇圧。4両編成の800系が導入されていますが、今は塗色が変更されているのでこの姿に出会うことはありません。

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もう一泊して翌日は吉野を目指します。まだ乗っていなかったこれで大阪阿部野橋へ。

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難波から名古屋まで近鉄自慢の特急車を体験することとしているのですが、アーバンライナーはもう30年選手だったのですね。

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デラックスシートと言いましたっけ? 名古屋方先頭車の座席。この時も楽しかったことを覚えています。

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そして名古屋からは・・・。名鉄特急で豊橋へ向かうのですが、パノラマスーパーは元気なのでしょうか? 一応先頭座席を確保してはいるのですが、どんな車両が来るのか楽しみです。

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という訳で、豊橋からの新幹線は小田原で下車。小田原からはこれ。

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近鉄、名鉄、小田急と、先頭車両の1列目座席が確保できているので久しぶりにワクワクです。

 

 

2023年8月17日 (木)

西武秩父線の思い出

レトロ百貨展での写真を見て、西武秩父線を訪ねた時のことを思い出しました。

会場に展示されていた東吾野駅の光景。

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ホームの反対側からになりますが、Cedarさまが好まれそうな一枚を収めていました。電車が黄色ではなく赤いのが良いです。

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前回取り上げた芦ヶ久保駅。

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1979(昭和54)年11月4日は、レッドアロー「おくちちぶ」で来たようです。お仲間がホームを行ったり来たりしています。

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そのレッドアローを見送ります。

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暫くして赤電の急行・奥武蔵。重々しい吊り掛け音を響かせて、西武秩父に向かって発車して行きました。

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OER3001氏はお仲間2人と、横瀬川沿いの国道299号線を歩きます。窓周りがベージュではないので701系でしょうか。

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コンクリート橋上を行く上りレッドアローを流してみました。

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歩きながら常に線路を確認、電車が来たらしい音を耳にして構えます。下りのレッドアローです。

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あれ? この当時ズームレンズは持っていなかったのに、しっかり2コマ収穫していました。素早くレンズ交換していたようです。

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行き交うダンプを避けながら、横瀬までは5キロ程の道のりだったでしょうか、結構な距離だったと思います。そもそも秩父線は武甲山から産出する石灰石を原料とするセメント輸送と沿線の観光開発を目的に1969(昭和49)年に開業しただけに、武甲山を目前とした横瀬駅には、E851などの電気機関車も見られました。

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それにしても良く歩いたものです。クルマのある生活になってから、ここを再び歩きたいとは思いませんね。若い時代の良き思い出です。

 

2023年8月15日 (火)

続:レトロ百貨展

池袋・西武百貨店での開催だけに、今昔駅というコーナーでは西武線、中でも池袋線の歴史をモノクロ写真で展示していました。余計な話かも知れませんが、西武鉄道と西武百貨店は堤一族による西武グループでありましたが、今は全くの別企業グループ。資本的には無関係なのです。

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「レトロ・・・」と表現すると、OER3001氏の世代では昭和20年代までというイメージなのですが、ここでは秩父線が開通した1970(昭和45)年代の記録が中心だったので、若干の違和感がありましたがまあ良しというところ。

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池袋から、記録写真があった駅の風景が順に江古田、桜台、練馬、豊島園、中村橋、富士見台。

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1965(昭和40)年撮影の桜台駅。幼稚園の最寄り駅でしたが、幼稚園児だった10年前もこんな感じだったのでしょう。

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当時の自宅最寄駅だった練馬駅、橋上駅になった姿ですが小学生になった頃は島式ホーム1面2線だった筈です。

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1978年の練馬駅で、通過するレッドアローを撮っていました。

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今はハリー・ポッターのイメージにリメイクされていますが、豊島園駅は幼稚園児の頃に花見に連れていかれた思い出があります。

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当時は3線あったのですね。

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今は長編成化に対応するため中線が撤去されてご覧のように。ホーム上屋が3線だった時代があったことを伝えています。

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中村橋はギャンブレル屋根の良い雰囲気だったのですね。

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次のパネルは石神井公園、大泉学園、保谷、ひばりが丘。

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大泉学園駅も先の中村橋駅同様のギャンブレル屋根。遠くに富士山が望める駅だったと記憶しています。

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そう言えば、ホーム先端から階段を下り、線路を踏切で渡って駅舎へ。こんなのが当たり前の時代でした。

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続いて東久留米、清瀬、秋津、所沢、西所沢。

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小手指、狭山ヶ丘、武蔵藤沢、稲荷山公園、豊岡町(現・入間市)、仏子。

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元加治、飯能、東飯能、高麗、武蔵横手。

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東吾野、吾野、西吾野、正丸、芦ヶ久保。

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芦ヶ久保ではほぼ同じアングルで、窓周りがベージュの黄色い101系8連を撮っていました。

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「今昔」と言いながら気づいてみれば「今」が無く、比較ができない展示であったことに違和感がありますが、暫し懐かしい思い出に酔いました。

 

 

2023年7月18日 (火)

四ツ谷で愉しむ

蒸し暑いながらも雨予報が無いこの日、いくつかの目的で都心に出向きました。最初は四ツ谷。我が家から四ツ谷に直行するならJR中央線を利用するのが一般的ですが、都内数か所を回るには東京メトロの一日乗車券がお得なので丸の内線で向かいます。

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赤坂方面改札口を出て、JRを跨ぐ四谷見附橋を眺めます。

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この四谷見附橋は新宿通りの拡幅に伴い1991(平成3)年に完成したもので、1913(大正2)年完成のそれまでの橋は1993(平成5)年、多摩ニュータウン・長池公園(八王子市)に移築され、1968(昭和43)年まで運行されていた都電のレールとともに当時を伝えてくれています。

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四ツ谷での目的はこれ。

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この方の作品を鑑賞するためでしたが、残念ながらご本人にお目に掛かることはできませんでした。

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それでも他の方を含めて、鋭い視点と見事な描写の作品の数々を愉しませて頂いた後は、四ツ谷駅周囲を散策します。

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市ヶ谷方で快速線と緩行線の位置が入れ替わるので、緩行線は上り勾配です。小学生の頃、緩行線の先頭車クモハ60(だったと思う)の乗務員室背後の座席に座って前を眺めていたら、上り勾配にかかって発車する当方を、同時発車の東京行快速の101系がどんどん加速して先に行ってしまったことを思い出します。

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それしても四ツ谷駅にはセーラー服のお嬢さんが似合います。ちょうどこの時も女子校御三家の一つ、FB学園の生徒が一人!

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再び四谷見附橋にまわって赤坂方面を。JRと丸の内線は複雑な位置で交差しています。新宿方面に向かうJRは向こうに走るのに、丸の内線は右手前方向に進むのですから。

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ここから望む赤坂の高層ビルも、以前とはだいぶ変化したようです。

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これらを確認した後、再び丸の内線に。

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都心へ出ると交通費を有効に使いたいと考える世代になりました。さてこの後は・・・。

 

 

2023年6月28日 (水)

桜上水で

高校時代に慣れ親しんでいた京王線桜上水駅、残念ながらろくに撮影しておらず、こんな写真しかありません。OER3001氏が創設した鉄道同好会の社会貢献活動として、登校前に駅前広場清掃をしている光景。今では母校の校史資料室に掲載されているのですから、凄いことをやっていたものです。

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桜上水駅での他の写真は、下校時に後輩女子を撮っていたこれだけだったというのは笑えます。今はどうしているのだろう?

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桜上水駅の当時の写真が無いので、京王本線 (fc2.com)から見つけました。OER3001氏が卒業して11年後の撮影ですが、地下駅化されていてもまだ、構内踏切は職員専用として残っていたのですね。写真右方には桜上水工場がありました。

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その桜上水駅、高架化工事も進んでいて、海(南)側には橋脚も建ち始めました。

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工場があった山(北)側の場所は、留置線と駐車場になっています。

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その留置線、収容可能両数に限界があります。緑線でくくった9番線には6両編成までしか入線できないのですが、定期利用が無くなったからなのか、線路が妙です。

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アップするとこんな感じ、「入線注意!」と警戒色にペイントされているような。

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でも良く見ると塗装ではなく錆のようですが、こんなに奇麗に錆を発生させるのも素晴らしいではありませんか。

 

構内踏切の地上駅から地下駅を経て橋上駅となった今、この日はコンコースから西の山並みは見られませんでしたが、昭和の時代には富士山も見られたはずです。

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やがてここも高架と変わり、13m級の車両が走っていた時代のことなど、記憶のかなたとなる日も近そうです。

 

2023年6月16日 (金)

明大前にて

京王線・明大前は、小田急線・下北沢とともに井の頭線における唯一の他線との乗り換え駅。下北沢は小田急線の地下化に伴う大改良工事が終了し、今は京王線の高架化に伴う大改良工事が進行中。外出時の乗り換えはしょっちゅうなのに、なかなか観察、撮影の機会はありませんでした。

この日は乗り換え時間を利用して、ホームで観察していました。京王ライナーが登場してから、客扱いをしないのに明大前に停車していたという謎は、ホーム先の明大前1号踏切の列車検知と作動時間が関係していると聞きました。下高井戸から勾配を下って来た上り列車が、その明大前1号踏切に差し掛かります。

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それにしても、結構な勾配だったのですね。ズームしてみると良くわかります。

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その線路の海(左)側一体は、一部を除いて立ち退きも進んでいました。

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新宿方を見ると、上りホーム中央部が上下に波打っているように見えます。長年にわたり列車編成長に合わせてホーム延長を重ねて来たこともあり、ホーム形状もマチマチであることが良くわかります。

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走行しているうちにやって来たのは、ピンク色のサンリオピューロランドのラッピング編成でした。

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さらに続けて、グリーンのラッピング編成が。2本続けてラッピング編成とは、なんと珍しいことかと。

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と言うことで、乗り換え時間を有効に使うことができた日となりました。。

 

 

2023年6月12日 (月)

紫陽花を愉しむ

紫陽花の季節です。大雨になる予報の前に、薄いながらも確認できた陽射しを逃すまいと、急遽出掛けてみることにしました。

西永福で降り、線路に沿って場所探し。結局浜田山を過ぎ、高井戸との中間地点くらいまで歩いたところで落ち着きました。

運良く「あじさい」のヘッドマークを掲げたラベンダー色が。

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この場所には他に3人。適度な間隔で譲り合って撮ることができました。

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ベージュ色は少々地味ですね。

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グリーンだと映える気がします。

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ブルーもイイですが、アジサイとのコーディネーションと言う面で如何でしょう。

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やっぱりピンクはフィットしますね。

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残念ながらこの日はレインボーカラーの編成は出動していませんでした。また折を見て出撃するとしましょうか。

 

2023年6月 6日 (火)

京王

デニーズの駐車場を出ようとしていた矢先、入って来たベンツに接触されて損傷した後部の修理に愛車を出した折り、まだ雨が降っていなかったのでここへ。

ちょうど新5000系がやって来たので慌てて1枚。

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少し待って、8000系の特急も収めておきます。

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次の予定もあったので、早々に移動しようと河原を後にした時、思いがけぬアングルに遭遇。これこそ「京王」です。

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このビルが京王電鉄本社ビルです。

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そう言えば首都圏の大手私鉄各社は、本社機能の郊外移転が流行りのようです。新宿に遭った京王がここ、聖蹟桜ヶ丘に移転したのは1988(昭和63)年でした。

小田急も新宿にも本社機能が残るようですが、鉄道事業にかかわる機能は海老名本社として移転しています。

西武は池袋から所沢へ、京急は品川から横浜へ、京成は押上から八幡へと移転済み。残るは東急と東武だけになってしまいました。

 

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