鉄道(大手民鉄)

2026年6月 2日 (火)

品川界隈を歩く

大工事が進む品川駅に向かいました。暫く見なかった間に随分進んだのですね。

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目的は巨匠・広田尚敬氏の「鉄道写真」展、キヤノンギャラリーです。期間が長いからいつでも行かれるなんて思っていたら見逃します。

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港南口から南に歩くので、写真展の後は八山橋に行ってみました。現行トラス橋の右、高い位置に新トラス橋が架かりました。このトラス橋はカーブしているのですね、珍しい。

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北品川から来るこの光景も見納めになるでしょう。

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折角なので北品川駅へ。もう何年も経つのに、ここで京成電車に出会う違和感は消えません。

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北番場、南番場なんて言うのは相当昔のハナシ。今は新馬場。青物横丁と過ぎ、鮫洲で優等列車を退避します。地平の頃は対向列車の台車・床下を撮るのに適していたのに・・・。

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鮫洲の次、立会川では初めての下車でした。

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この区間は高架化に際し、用地が狭かったので地平上下線の左右に高架橋を建てたという珍しい(と思っているのはOER3001氏だけか?)工法。高架下の改札を抜けると昭和の香りが漂うアーケード「立会川 西商店街」。今度は夕刻に歩いてみたくなりました。

2026年5月17日 (日)

平沼橋で相鉄

「遠足」の締めは平沼橋から相鉄撮影タイム。西に傾いた太陽光で奇麗に撮れるはずなのですが、ヨコハマネイビーブルーという車体色は撮りづらいですね。

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上は10000系、下は9000系と、車型が違うのに黒っぽい列車としかわかりませんね。

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従来カラーの8000系なら、しっかり判別できます。

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先頭車前面の車号が9506と読みやすいのはありがたいです。

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隣のJR東海道線、横須賀線等との並びを期待してもなかなか上手く行きません。共に後追いですが辛うじてこれが。

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爺達が写真撮って楽しんでいる間、しっかり線路保守に従事る方々には感謝です。

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平沼橋を抜けたら横浜駅場内信号。列車はゆっくり到着します。

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いつか撮りたいと思っていたアングル。今回は午前中の万里橋、日中の京浜電気鉄道の面影、陽が西に傾いた頃に平沼橋と、効率的な「遠足」が楽しめました。

 

2026年5月15日 (金)

京浜電気鉄道の面影を求めて

爽やかな好天に恵まれたこの日は、古くからのオトモダチであるぼっちぼちさまとの「遠足」でした。昼前に、横浜駅東口の帷子川に架かる万里橋付近で待ち合わせと約束。昼前でなければ逆光になってしまう場所です。

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左岸には横浜第1踏切。

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ここで暫く粘ってやっと、JR京浜東北線と横浜線のE233系を絡めて撮ることができました。

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振り向けば青いのが来ました。

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踏切を越えて振り向けば、背後は線路まで迫るビル。この奥でJRが跨ぐのですが、それは撮れません。

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ジョイナス、高島屋、横浜ベイシェラトン ホテル&タワーなど、横浜駅前のビル群背景に撮るには歩道橋が最適です。

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オトモダチと合流していよいよ、京浜電気鉄道の面影を求めて歩きます。1931(昭和6)年に開業した平沼駅まで来ました。1943(昭和18)年に営業休止、翌年廃止となり、1945(昭和20)年5月29日の横浜大空襲で、駅残存施設が壊滅的な被害を受けたという遺構。

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上り列車で前方を注視していれば、プラットホームと階段が確認しっかりできます。

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旧平沼駅の先で、線路は左にカーブして横浜駅根岸道路と言うらしい道路を越えて行きます。

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横浜市内は川も多いですね、平戸橋から川面に写る列車を撮影しておきました。

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そして下り列車は戸部駅にかかります。この橋梁を渡って来る列車が島式ホームから撮れるのが嬉しい。

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戸部駅を発車(通過)した列車は、いよいよ起伏に富んだ丘陵地帯を貫く隧道に突入します。

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隧道に入ったかと思えば一旦抜けてまた隧道。その間に陸橋が線路を横切る場所が何カ所かあります。戸部橋で下を行く姿を収めることができましたが、金網でブロックされていてコンデジのレンズでないと(涙)。

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さらにその先、戸部警察署伊勢町連絡所の横からも。

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この後列車は野毛山隧道に入るのですが、OER3001氏らは隧道の上を歩いて越えなければなりません。結構きつい坂道を上がり、そして下る。そして漸く日ノ出町に到着です。日ノ出町駅ホームは、その野毛山隧道を抜けて直ぐ。

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日ノ出町の1番線ホーム(下り)には「野毛山動物園下車駅」と大きく表示されるようになったのですね。

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一方、2番線(上り)ホームには三浦半島のタイルアートが。レールで造られた上屋支柱とともに、京浜電気鉄道が1931(昭和6)年の開業時からあるものなのでしょう。

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横浜から日ノ出町までは営業距離2.6㎞。しかしそこを歩いた距離はおそらく倍。この日はその後に相鉄も撮り、疲れた脚を癒すための冷たいビールでの反省会と、歩数21,491歩となる楽しい「遠足」でした。

 

2026年5月 9日 (土)

動態保存車に乗って来ました!

渋谷~二子玉川園を、国道246号に敷設された軌道で結んでいた「玉川線」を地下鉄化、「新玉川線」(現・田園都市線)用として登場した8500系は400両にも及ぶ東急最大勢力を誇る車両でした。画像は1977年の新玉川線開業直後、二子玉川園駅で発車待ちの渋谷行。今とはホームが違います。

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新型車両への置き換えも進み2023年に全車両運用離脱。しかし8037Fは、10両編成から4両編成に短縮したうえで動態保存されることとなり、このGWには、臨時列車としてこどもの国線を走るとの情報を得て、出撃しました。

長津田から線路に沿って撮り歩き開始。いきなり上り列車として青帯が来ました。(以下掲載画像のクレジットが1977となっていますが、全て2026.5.6の撮影です。ちょっと安易にコピペしていまいお恥ずかしい限りです。)

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振り返れば赤帯。

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定期運行列車の方は1999年から運行されている横浜高速鉄道Y000系、全3編成の内で標準カラーはここに停まっていたY003編成だけ。

こどもの国方面に歩いて恩田川岸で待っていると、Y001の「うしでんしゃ」とY002の「ひつじでんしゃ」を連結した4両編成がやって来ました。

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    「うし」と「ひつじ」の“にらめっこ”も面白いです。

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    次に狙った場所は、東急長津田車両工場に寄った所。お目当ての8500系が来ましたが、同業者の人影をカットするには空が多くなります。

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    同じ場所で、長津田から戻って来た赤帯のお顔を。

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    恩田駅付近ではご覧のような人々。人気者なのですね、8500系って。

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    上下列車交換する恩田駅の光景にカメラを向ける人は、何故か極めて少ないのです。

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    さらにこどもの国方面に歩きます。この日は曇天だっただけに、海側/山側どちらからも強い逆光になることなく撮れた幸運。

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    こどもの国駅を発車して来た青帯を長津田9号踏切から。

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    「うしでんしゃ」のお顔もしっかり撮っておきます。

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    最後はやっぱり赤い帯のお顔。

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    歩いて来たこどもの国駅からはこれに乗って、長津田までの直流電動機の音を楽しみました。

    それにしても良く歩いたものだ。歩数は17,000歩を越えていました。

     

    2026年5月 1日 (金)

    競争? 共演?

    久しぶりに京浜急行。近年「Keikyu」「京急」と表現されるのが標準のようですが、OER3001氏には「京浜急行」の方が馴染みがあります。品川-横浜間での国鉄とのデッドヒートは、思い出深いものです。

    横浜駅南側の踏切で待っていたら、偶然にも横浜線の233系とのツーショット。もう少し横浜線が早ければ顔がちゃんと入っていたのに😢。

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    帷子川(かたびらがわ)に架かる万里橋からは、京浜東北線233系との並走も捉えることができました。

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    この日は友人との飲み会に向かう途中でしたが、機会あればまともに撮りに行ってみたい場所となりました。

     

    2026年4月29日 (水)

    運用変更?

    外出時のコンパクトデジタルカメラは必携という習慣から得られたラッキーな拾い物。到着する「特急・新宿行」は、な、なんと、都営の車両ではありませんか!

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    この日、朝方に井の頭線が人身事故とは聞いていましたが、京王線に何があったのでしょう?

    折角乗り合わせた都営車両の姿を収めておこうと、予定外に笹塚まで。新線ではない「京王線」に向かう姿を捉えましたが、JED表示が簾で残念。

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    折り返して京王線を走る都営車を待つ間に来たのはラッキーナンバーの「7777」でしたよ。

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    なんと特急・京王八王子行の先頭は8774、8両編成の8000系が充てられていたので、間違いなく何らかの支障があったのでしょう。

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    中央の「京王新線」ではない両側の「京王線」に、待っていた都営車による「特急・橋本行」が来ました。

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    連写しましたが、どれもLED表示器は簾になってしまったのが残念。

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    普段見られない光景に出会った時に、「コンデジ持ってて良かった~!」と、つくづく実感した次第でした。

     

    2026年4月 3日 (金)

    帰路の阪急

    明石~加古川~粟生~鵯越~山陽塩屋~須磨浦公園~滝の茶屋と回って帰路につきますが、予約済みの新幹線まではゆとりありすぎと言うことで、西宮北口で下車。

    滝の茶屋でも「うん」に恵まれましたがここでも恵まれ、「Memorial 8000」に出会うことができました。

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    折角なので反対側も撮っておきます。

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    今度は1000系「カービィ号」が来ました。それにしてもここの分岐器は凄い、シーサスの一端がスリーウェイですよ!

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    これは? カーボンニュートラルラッピングだとか。なかなか普通(各駅停車と言う意味ではない)のには出会えません。

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    今津線の今津方面(今津南線)も確認しておきました。3連の6000系が往復しているのですね。

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    南線を確認した後は北線に乗り、最初の駅・門戸厄神に降ります。ホームから西宮北口方向を眺めてみれば、「これぞ閉塞信号だぁ」という光景にわくわくします。3基の信号機が順番にG、Y、Rではありませんか。

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    門戸厄神は神戸女学院大学の最寄り駅。若かった時、関西での仕事では神戸女学院大学の学生アルバイトにお世話になったものです。その内の一人が東京に来られた際、連絡を頂きお会いしたこともありましたっけ。

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    そんなことを思い出しながら、甲東園を飛ばして仁川に。仁川のホームは混雑して職員が安全確認していたようですが、何の混雑だったのでしょう? 後で調べて解りました、阪神競馬場が近かったのですね。

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    小林(✖こばやし、〇おばやし)を飛ばして次に降りたのは逆瀬川。このアングルは良く撮られているいますね。

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    そして次の宝塚南口でも一枚。「宝塚駅」の南口かと誤解するような「宝塚南口」って、なんとなく面白い駅名です。「南宝塚」ではいけなかったのでしょうか?

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    結局、今津北線で降りなかった駅は甲東園と小林だけ。そして宝塚からは大阪梅田行き急行に。

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    その1003-1503-1603-1053-1153-1553-1653-1103編成を運転してくれたのは、ポニーテールが可愛くカッコイイ女性運転士、最後まで「うん」の良い旅となりました。

     

    2026年3月20日 (金)

    車窓を愉しむ

    先日の好天に恵まれた関西行き、気が付けばずっと車窓を楽しんでしまいました。

    先ずは小田原へ向かう小田急・急行の正面、第一菖蒲トンネル(492.9m)の上方には富士山が奇麗に。

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    開成を過ぎて酒匂川に沿った直線区間からも富士山が見られます。

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    東海道新幹線は“ひかり633号”の車窓、三島通過後は暫く眺められます。

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    東名高速が並行するこの区間は“定番”ですね。

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    名古屋では、JR在来線というかOER3001氏の世代にとっては“東海道本線”が寄り添って来ます。

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    勿論この区間で期待するのは名鉄。パノラマカーは見られなくなって寂しいですが・・・。

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    それでも特急車両に出会えれば良しとしましょうか。

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    次に名鉄を見られるのは岐阜羽島。ダイヤ改正初日のこの日、名鉄竹鼻線、羽島線ではダイヤ乱れ発生でした。

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    春の伊吹山を撮ったのは初めてだったかも知れません。

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    米原を過ぎれば琵琶湖の東側を望みますが、琵琶湖は殆ど見られません。それでも交差する近江鉄道万葉かね線の線路と、雪をかぶった山は滋賀の名峰と言われる武奈ヶ岳(標高1214.4m )でしょうか。

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    京都鉄道博物館を確認したかったのですが・・・、手前に列車が居て残念。

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    阪急京都線との並走を楽しみにする大山崎付近では、サントリーのウイスキー蒸溜所を拝みます。

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    その後は・・・、あっという間の出来事でしたが願いが叶いました。

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    上牧辺りでは新名神高速道路の橋脚工事が進んでいます。

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    50年前のこの地では、こんな撮影が出来たのですが、もう叶わなくなりました。

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    新大阪に着いてみれば、やって来るのはこんなのばかり。

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    いやそれにしても何と外国人が多くなったことか。まあ外貨を稼げるので良しとしなければなりませんが、構内歩くのにも苦労します。

     

    2026年3月 4日 (水)

    電車を待つホームで

    暑い日だった。いったい何の目的で出掛けたのか、前後のフィルムには成城学園前、相模大野とここ大和で撮った小田急しかなく、相鉄は大和駅小田急ホームから見下ろして撮ったこの1枚だけ。急行・海老名行きの6000系を撮っていました。

    6000系は当時の最新型車両、横浜方からMc-T-M-Tcと奇麗な4両編成を組んでいたので、写真から判断すればこの編成は、海老名方からはクハ6514-モハ6114-サハ6614-モハ6014だったはず。八千代信用金庫などと、今は無い懐かしい看板も写っていました。

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    相鉄の大和駅は1993(平成5)年から地下化されているので、同じアングルで今はもう撮れません。この日も出掛けた序でにホーム撮りでした。

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    上は10000系と思われるが、下は東急目黒線からの車両3000系。

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    ヨコハマネイビーブルーと称する濃紺の車両を期待しましたが、他社線からの直通車両も多く、なかなか来ないものですね。

     

     

    2026年2月28日 (土)

    桜上水駅

    55年という年月を経るとどう変わっているのか?

    桜上水駅で比較してみました。

    1971(昭和46)年11月の京王帝都電鉄桜上水駅。上りホーム八王子方にある近代的な信号所(?)が特徴でした。車両は当時の花形5000系。

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    高架化工事が進む今、この光景も大きく変化するでしょう。

    そこで2026(令和8)年1月、上の画像と同じアングルで撮影してみようと試みました。

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    京王帝都電鉄ではなく京王電鉄と、「帝都」が無くなってしまいました今では、信号所らしき建物は残っていましたが使われていない様子。ホームは10両編成対応に延伸され、駅舎は階上に。列車も18m車6~7連ではなく20m車8~10両となっては、上と同じような位置での撮影では走り出した列車を捉えるしかありません。

    ここにあった車両工場は若葉台に移転。新宿方にあった検車庫も既に無く、ここが京王線の心臓部だったという面影はもう感じ取れなくなっています。線路南側には高架の脚も建ちはじめ、この景色が消えるのももうすぐのことでしょう。

     

     

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