鉄道(大手民鉄)

2025年1月23日 (木)

西武国分寺線のいま

小田急8000形転じた西武8000系の回送撮影に出掛けた折、その8000系が走ることになる国分寺線に行ってみました。小川で上下列車が交換です。

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一旦、国分寺まで行くことにしました。JR中央線も、グリーン車2両を増結した編成が増えて来ましたが、そのE233系と並ぶ西武2000系も、8000系に置き換わると見られなくなります。

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再び折り返しの列車に乗ってみます。

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発車して暫くJR中央線と並走した後、日立製作所中央研究所を迂回するように右カーブ。

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0.9キロ先の羽根沢信号場から複線になり、そのまま1キロほどで最初の駅「恋ヶ窪」に進入します。

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ここで国分寺行きと交換。今年の初夏になる頃は、2000系が8000系と並ぶ光景が見られることになります。

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「恋」が付く駅名は母恋(JR北海道 室蘭本線)、恋し浜(三陸鉄道 気仙沼線 ) 、恋山形(智頭急行 智頭線 )とここ恋ヶ窪の4つしか無いとのことです。

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恋ヶ窪駅の午後は、順光で国分寺行きが奇麗に撮れます。

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反対の東村山行きは逆光になるので撮りづらい。

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左にマスコン、右に制動弁という光景もここでは日常ですが、8000形が入れば左手ワンハンドルになりますね。

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小田急や京王、東急などでは見られなくなったこのツーハンドルも、ここに来ればまだ見られますよ。

 

 

2025年1月21日 (火)

作品展&写真展

久しぶりにE235系などという山手線に乗り、向かったところはここ。

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さかつうギャラリーで開催中の「イチカワ作品展_モケイ鉄道に恋をした」へ。

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OER3001氏にはとても真似できない精密なNゲージ車両群とジオラマが並べられ、イチカワ氏も居られましたが、来場者と話し込まれて居られたのでOER3001氏に気付かず。

そのままそっと失礼させて頂き、次に向かった先は初めて降りる駅。

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駅から直結の新しいホールで開催されている本橋剛氏の写真展「電機」に向かいました。

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広々したオープンな会場に、6×6版モノクロームフィルムによる正方形の写真40点他に、これらの撮影に使われたカメラなど。

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1971年から1980年にかけて、首都圏や東北、上越、中部などで撮った旧型電機の魅力が伝わる作品群でした。

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在廊されていた本橋氏は、最近拙ブログがご縁でお近づきできた方ですが、JACC(全日本クラシックカメラクラブ)の会員だそうで、写真文化の歴史を次世代に残す目的の研究機関としての活動として、今も古いカメラとフィルムを使い続けて居られるとのことでした。

帰り際に素晴らしいお土産を頂きました。明治の機関車がお好きなようで、鉄道院で活躍した機関車図面をMacで描かれたのだと。

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裏面はそれらを活かすために好みの色にした姿。考えてみれば蒸気機関車がみんな真っ黒なのは日本くらい? 英国や独逸も仏蘭西も、素敵な色に塗られていましたものね。

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楽しい時間を過ごした後は、「新」のつかない綱島駅へ。

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ホーム東端に架かる跨線橋形状が、どことなく英国調に思えてしまうのは先のカードの影響でしょうか(笑)。

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地元駅→新宿→巣鴨→目黒→新綱島/綱島→武蔵小杉→登戸→地元駅と、この日は京王、山の手、東急、南武、小田急の乗車となり、10,000歩を越えるウォーキングとなりました。

 

2025年1月19日 (日)

「おとぎ電車」の思い出

OER3001氏が幼稚園の時でした。遠足でユネスコ村に行って、初めて乗った「おとぎ電車」。

1951(昭和26)年に全通、翌年地方鉄道化で西武鉄道山口線となったナローゲージ(762㎜軌間)で活躍したバッテリー機関車が、保存されたと聞いていたので見て来ました。

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保存展示された機関車は、1960(昭和35)年に西武鉄道所沢車両工場で製造されたものなので、OER3001氏が遠足で乗った1955(昭和30)年か56年は、この機関車の一世代前のものだったはずですが、おそらくこんな光景だったのでしょう。

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幼稚園の入園式を終えてから、プロカメラマンだった伯父が撮ってくれた自宅庭先での写真がありました。こんな子が乗っていたおとぎ電車だったのですね。

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いや、ま~、なんと言ったらよいのか、この頃はまだ、みんなが汽車とか省線と言っていた時代。上半がきいろ、窓下がちゃいろがせいぶでんしゃと言う程度の知識しかありませんでした。

 

2025年1月17日 (金)

西武8000⇐小田急8000

昨年5月に小田急から西武に渡った8000形がこの日、武蔵丘車両検修所から南入曽車両基地まで回送されるとの情報を得て、本線を自力走行する雄姿を記録しに出掛けました。

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折角なので置き換えられる2000系と一緒に撮ろうと、小手指車両基地へ向かいました。

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8000形が小手指車両基地へ移送された直後に、同じ場所で撮っていたものですから。

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外観のデザイン変更は目立ちますが、細かい所にも変化が見られます。乗務員扉の手摺が改造されています。また車号が幕板部に加えて小さく側扉横の下部に。

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小田急時代の手摺は、上下分離型でしたが、扉左右共に一体型にされたのですね。

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これから試運転や乗務員の習熟運転などを経て、5月から運行されるようです。その際にまた、車内を含めて変わった部分を確かめに行きたいと思います。

 

 

2024年12月22日 (日)

東急 暮らしと街の文化

久しぶりに祖師ヶ谷大蔵駅で下車。冬らしい日差しの下、歩くことおよそ30分。辿り着いた所はここでした。

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11月30日より2月2日まで開催中のこれを観るために。シニアの観覧料は1,200円と、決して安い値段ではありません。

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助かったのは撮影禁止ゾーン以外での撮影は可能。と言うことで先ずはエントランスで、渋谷で進む再開発工事で出土した玉電のレール。玉電が運行停止されたのが1969(昭和44)年だったので半世紀を経て掘り起こされたということになります。

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その奥には縮尺1/5の台車模型が並びます。最初は住友金属KS-33、3700形が履いていた台車で、晩年には枕ばねが板からオイルダンパに改造されていました。

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東急を語るうえでは青ガエルと呼ばれた5000系は避けて通れません。その5000系の台車は東急車輛製TS-301。

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我が国初のオールステンレス車両として登場した7000系が履いたは、ディスクブレーキが軸箱の外側に付いた独特の形状だったパイオニア形と呼ばれるTS-301。これらの1/5模型はいずれも天賞堂による製作。

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展示室に入ると早々に、中央の展示台に目を奪われます。

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これは目黒駅の模型。東急の発祥は目黒蒲田電鉄ですから目黒は起点駅です。

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こちらは鎌田駅。国鉄線への連絡通路が手前に延びています。

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時代は戦後の高度成長期。大井町線を延長して田園都市線が開通する時の溝の口駅。7000系祝賀列車のテープカット式典のようです。

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東急車両が納入した7000系の図面集なども見られました。

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木箱に並んだ駅名のゴム印。定期券発行に必要だったのです。左上の渋谷から下に代官山、中目黒・・・と東横線、右に目蒲線、大井町線、玉川線、営団、国鉄と。つぶさに見ると面白いです。

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この展示、鉄道ばかりではなく東急の街づくりや沿線居住作家の芸術作品なども展示されていますが、OER3001氏の興味対象はやっぱり鉄道。

模型や図面等が多く展示され、観覧料1,200円の価値はあったかな。1月11日(土)には荻原俊夫さんの「東急の車両設計に携わって」というレクチャーも計画されています。

 

 

2024年11月22日 (金)

変わる新京成

新京成電鉄、2025年4月からその名が消えることになっているのは承知の事実。その新京成の最新型は80000形。一見して親会社京成の3100形と同じように見えるが、実は細部に新京成のこだわりがある車両で、制御装置は京成車と異なり三菱電機製だ。

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2014年から採用されていたジェントルピンクの車体も、京成に吸収合併されると消えて行くことになるでしょうが、今はジェントルピンクの前のカラーが復刻された編成も活躍中で、目が離せません。

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その新京成が初めて自社発注した新性能車両は800形でした。冒頭の80000形と同じ場所で、登場直後に撮影していたものです。この時代は上半ピンク、下半マルーンの塗装でした。

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800形が登場する時代はまだ、車体長4515mほどの可愛らしい小型車、45形や300形が活躍していました。

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親会社京成からは、中型車体の250形等も移籍、増大する輸送需要に対応していた頃でした。

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そんな新京成の車両を撮っていた場所は、決まってこの京成津田沼駅。

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ここに掲載した画像は全て同じ場所、同じアングル。半世紀経ってもさほどの変化を感じない駅というのも面白いです。

 

 

2024年11月14日 (木)

伊予鉄道_市内線の魅力②

大手町のダイヤモンドクロッシング、なかなか鉄道線と市内線のツーショットは撮れません。仕方ないのでガタガタガタガタを真横から眺めます。それにしてもこのモハ2100形って何ともな~。

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モハ5000形になって少しはスマートになったような気がします。

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当初から広告ラッピングに対応できるデザインにしていたのでしょうか、「伊予鉄」カラーは維持されています。

これ撮影してから“あれっ??” パンタの位置が違う!

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古町駅で交換する5100形2両で、パンタ位置が違うことを確認。そうだったのですね、運用経路で逆向きになることもあったようです。

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もう一つ感激。JRで移動するため松山駅前に来て大手町、西堀端方向にズーミング。この位置で高浜線が横切るタイミングだったらサイコーなのですが。ややっ、来た車両は2005号。

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2005号は34年前に古町駅の高浜線横断シーンで捉えていた車両ではありませんか!

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それが今は今治タオルのラッピングを纏ったオレンジカラーに。

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元気な姿に再会でき、なんとも感激でした。元京都市電、頑張れ!

 

2024年10月 7日 (月)

半世紀ぶりの国府宮

前にこの駅に降りたのは何年前だったか?

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ちょうど50年前のことだったのですね。しかも同月ではありませんか! 名鉄と言えばパノラマカーというフラッグシップトレインの特急・豊橋行をしっかり記録していました。

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半世紀後の状況を見たく、南海・高野線から近鉄“ひのとり”経由でここへ行ってみましたが、橋上駅舎になってホーム上屋も立派になったお陰で、「国府宮」の看板塔は写せません。

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懐かしいので暫し行き交う電車の観察と撮影です。やっぱり全身スカーレットの電車は名鉄らしいですね。

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上下線ともスカーレット。線路敷地外の「国府宮」看板塔は左なのですが、電車と一緒には撮れませんでした。

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車体はシルバーでもスカーレットフェイスの2両編成は普通・岐阜行き。

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豊橋までの前面展望を楽しむ前に、ちょっと観察してきた次第です。

 

 

2024年10月 5日 (土)

「こうや」に乗る

極楽橋ではスイス製車体のこれを見送り。

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そして極楽橋-橋本間のローカル専用の2300形を見送ります。この車両はなかなか好みです。

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それからもう一つの目的、ずっと見て居るだけだった「こうや」乗車。登場から40年経つ車両でも、手入れが行き届いて奇麗でした。

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最前席を確保したので、山岳路線の前面展望を満喫します。

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この橋梁上の軌道は半径123mで50‰の下り勾配ですよ。

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2017年の台風21号に伴う地すべりの影響で交換設備が撤去された上古沢駅を通過します。

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すると間もなく、全長67.6m、高さ33.4mの「中古沢橋梁」に。トレッスル橋なのですが、乗っていてはわかりません。下から見上げる機会を作らなければいけませんね。

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上古沢駅から移設された設備で、下古沢駅で列車交換です。

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山間部を抜けて橋本に下りて来ました。しかしここで、気がかりな列車無線が聞こえたのです。「難波駅信号設備支障」だと。

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綿密な計画が立てられている帰路に影響が出そうで心配です。三日市町駅で一時“抑止”に。心配していた時、折しも隣には話題のコレ。まあゆっくり見られたことは良しとしますか。

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先が読めず、河内長野で降ろしてもらって近鉄に迂回することも考えたが、何とか30分程の遅延でなんばに到着。

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計画の一部は諦めざるを得なくなったものの、なんとか近鉄“ひのとり”には間に合いました。

ところで帰宅後に整理していて、撮った時には気付かずにいたこの連結器はなに? 蓋がれて連結できない密着連結器ではありませんか!

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と言うことで、南海高野線に興味が湧いてきて、斯様な“参考書”を購入することになってまいました。

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表紙の12000系車両も同じ塞がれた密着連結器。この書籍ではまだ謎が解明できていません。

 

2024年10月 3日 (木)

「天空」に乗る

何回目の南海だったか、今回の目的のひとつが「天空」でしたので、先ずはここを目指します。

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橋本はOER3001氏の地元に近いJR横浜線、京王相模原線にもある名前ですが、全く異なる地。南海の方は標高が示されており92mだそうです。ここから極楽橋までは登山鉄道路線となるのです。

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ここからは全長20mを越える車両は入線できず、17m級限定と言うのが魅力的です。「天空」が15周年のヘッドマークを掲げて入線して来ました。

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側面には、この路線が50‰勾配の登山線であるこがしっかり表示されていて、なんかいいな。

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車内は高野山方向に向かって右方を向く座席配置が基本。この座席指定券、インターネットでは予約不能で、乗車日の2週間前から電話受付、空席がある時のみ橋本駅ホームで販売と言うもの。それ故、橋本駅には早めに到着する必要があったのです。

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一部側扉は風を楽しむために開放して走るため、乗客はまるで檻に入れられたようになるのが滑稽。

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OER3001氏は2号車10番席を確保、満席で外国人も少なくありません。“山線”に入ると長閑な光景が車窓に広がります。

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橋本より低い標高79mの学文路(かむろ)で最初の列車交換。

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標高94mの九度山、1600年に関ヶ原の戦いで西軍に与して敗れた真田昌幸・信繁(幸村)親子が流罪となった地。NHK大河ドラマで記憶にあります。

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丹生川(にゅうがわ)に沿って、道路は線路よりかなり下。

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高野下を過ぎるといよいよ本格的山岳路線の様子を呈し、半径100m以下の急曲線と50‰の勾配が続きます。下古沢(しもこざわ)で赤い2300系と交換しました。

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上古沢までの間で、鉄道橋としては日本で10箇所だけで供用されているトレッスル橋、全長67.6m、高さ33.4mの「中古沢橋梁」を通ります。2011年に土木学会選奨土木遺産に認定されている橋梁です

紀伊細川を過ぎて辿り着いた紀伊神谷の標高は473m。山中の当駅で最後の列車交換です。

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到着した極楽橋の標高は539m、橋本から447mを登って来たのです。OER3001氏が勝手に決めた民鉄登山電車の中で、箱根登山線・箱根湯本から強羅までは標高差541m、富士山麓鉄道・大月から河口湖までの標高差499mに次ぐものです。

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天気に恵まれましたが残暑がなかなかのパワー。そんな中を上り勾配に挑んだ「天空」を慰労です。

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昭和の香り満タンの老体で頑張る「天空」に、ココロが・・・。

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住友金属製FS-17A形台車もしっかり撮っておきます。昭和だな~。

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「檻」如何ですか?

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「天空右」は橋本方には2100系2両(ロングシート自由席)を連結した4両編成なのですが、その2100系を真面目に撮っていなくて残念。

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まあ、模型製作熱まで出ないので一応OKですが、帰宅してみると反省点が少なくありません(涙)。

 

 

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