ナローゲージを楽しんだ後、桑名からこれに乗ります。
名古屋までは短い距離ですが、先頭車に乗りたいのでデラックス席12A席を確保。運転士は女性の訓練中でしたが抜群の運転でした。
さて、名鉄を目的にして降りたのはここ。予てより一度確かめてみたかった場所です。Googleマップ頼りに熱い最中を歩きはじめます。
庄内川の土手でこんな光景に出合いました。左岸に結婚式場?それとも写真スタジオ? いやいや何と、1650年創建と歴史ある黒體龍王大神社と言うらしい社があったのですね。ちょうどカップルの撮影中だったので望遠で。残念ながら赤い電車は来ませんでした。
しょうないので庄内川を渡る電車を狙いますが、ガーターが邪魔して好みの写真が撮れません。
それでも折角来たのだからと、庄内川を渡る特急を待って撮ります。暑い!
右岸から名古屋方を望みます。橋梁を渡り終えるとすぐ、名古屋本線と犬山線の分岐器。
反対側を見れば左が名古屋本線、右が犬山線。駅間で分岐するなんて、OER3001氏の育った地にはなかなか無いので興味深いです。
しかも土手に踏切があるなんてサイコー。犬山線が来ました。
名古屋方面からは普通・犬山行が。
名古屋本線からは急行・豊川稲荷行き。
とにかく日陰も無い暑い場所だったので短時間で切り上げ、名古屋本線の西枇杷島駅へ向かいます。
ここの駅前踏切からは、少々送電柱が鬱陶しいですが庄内川を渡って来た列車を捉えられます。ここに変電所があるのでやむを得ません。
次に向かったのは栄生。現役時代にトヨタ産業技術館に来ていたので懐かしい駅です。
並行するJR、新幹線を含め、列車は頻繁に往来するのですが撮りにくい。名古屋駅周辺の高層ビル背景に、正面を狙ってみます。
縦位置よりやっぱり横位置?
こうしているうちに雲行きが怪しくなってきたので退散することとした次第です。
昨年は“アレ”で賑わっていた阪神電車。神戸(元町)から大阪(難波)までの移動で楽しむこととしました。
ところが、やって来たのは“阪神電車”ではなく“山陽電車”。この車両も好きなグループなのですが、阪神車に乗りたかった。西宮で乗換えます。
対向線に来た“阪神車”5700系を撮っておきます。首都圏ではほとんど目にすることが無くなった、本線を走る4両編成。模型的で良いですね。
乗換えたのは“阪神車”8000系。左手でマスコン、右手で制動弁を操作する運転台、小田急、京王を日常利用している身には懐かしい。これぞ電車の運転だ!
4両編成の5700系とは、あっという間のすれ違い。
次にやって来たのは“山陽電車”5000系。阪神梅田-姫路間の特急運用ですっかり定着していますね。
難波に向かうためには尼崎で乗換えなければなりません。OER3001氏には「西大阪線」と言った方が判りやすいのですが、今は「阪神なんば線」。しかし充当されている車両の半数は“近鉄電車”。早速ラッピング編成が入線して来ました。
尼崎駅の折り返し線を眺めていると、山陽、近鉄、阪神の車両が行き交い楽しい。
かえって阪神の影が薄いのですが、漸くオレンジ色の奈良行き1000系が来てくれました。
現役時代には短距離ながら何度も利用していた阪神電車。短時間ながらも久しぶりに楽しめた次第です。
国鉄(現・JR西日本)の駅「三ノ宮」、次の「元町」の先が「神戸」。一方お隣に見える阪急の駅は「神戸三宮」って?
駅間距離が短かった井の頭線「駒場」駅と「東大前」駅を統合して誕生した「駒場東大前」は判りやすいですが、それに倣えば「神戸三宮」ってここじゃないでしょ! と。「三ノ宮」と「三宮」の違いもそうだけど、何とかならないのかな?
などと思いながら、「三ノ宮」駅から「神戸三宮」駅に出入りする電車を眺めます。ここで山陽電車が見られるとは、ずっと昔から知ってはいても、やっぱりなんか・・・。均整とれた好みの車両です。
あの震災で被害を受けた建物も、そのイメージを残して復旧したのは嬉しいです。
そう言えば、この先のホーム先端からはこんな眺めでしたが、それは今も変わりませんね。
SDG’sトレインとやらのラッピング編成を見送りました。
50年前のここでの画像が出て来ました。JRの架線柱が鋼管に代わってしまったのに、阪急は以前と変わらない阪急独特の形状をした鉄柱ではないですか。嬉しい、これこそSDG's。
暫しここに居たら、今度は「Jackie&Hankyu」のヘッドマーク掲げた9002他が。
残念ながら“なんでもないふつーの”電車に出合うことなく、ここを後にした次第です。
『京王相模原線、小田急多摩線、 多摩モノレール「多摩センター駅」より徒歩5分』と称していますが正直なところそれぞれの改札口から5分はかからないでしょう。特に京王相模原線、小田急多摩線の改札口出て南を見れば、正面に構えているのが多摩市立複合文化施設「パルテノン多摩」です。
そこで11月2日まで開催されている企画展です。
ミュージアム企画展「鉄道が街にやって来た~多摩ニュータウン鉄道開通50周年~」 - パルテノン多摩公式サイト (parthenon.or.jp)
小田急ファンで京王にも親しみを持っているOER3001氏が、実は途中からこれにご協力させて頂くことになりました。詳細は追ってご案内させて頂くことになりますが、ニュータウン開発と鉄道の関係、興味深い内容ですので是非一度ご覧頂いては如何でしょう。
モハメイドペーパーさまのレポートに刺激され、早速26日に行ってみました。師匠の教え通りにまずはロケハンかたがた狭山ヶ丘へ向かい、車椅子スペースから連写モードで撮ります。
狭山ヶ丘からの戻りは丁度40000系が来たので、10号車パーソナルゾーンの大きな側窓から撮ります。
これで状況が判りましたので、小手指で下車。車両基地終端まで歩くのを諦めたモハメイドペーパーさまと違って、車両基地に向かってみることにしました。山側の道路を行くと、フェンスの間にコンデジのレンズを入れて斯様なのが収められました。
車両基地終端までは1.2キロくらいかと。2、3人が眺めていましたが、ここでもコンデジはフェンスの隙間にレンズを入れられるので便利です。肉眼では良く判りませんでしたが、東急の車両も後方に居たのですね。
踏切を渡って海側の道路を小手指駅に戻りながら、8000形横を行く本線の40000系とツーショット。
新宿方8251の姿も、池袋行き準急の6000系と共に撮っておきます。
西武の池袋方が、小田急車の新宿方となったことに気付きました。と言うことは・・・、
国分寺でJR中央線と並ぶことになった時、小田急新宿駅に於けるJR中央線との向きは変わらないと言うことですね。どんな西武仕様に改造されるのか、楽しみです。
ほぼ1か月で10,000アクセスを上積みというペースで一昨日5月26日の夜に、総アクセス数が860,000に達しましたのでやはり「86」を。
ずばり東急デハ80形の86、最初は1973年の姿を。渋谷-二子玉川園の玉川線と砧線廃止の後に残った世田谷線、前部幕板部にあったマーカーライト(方向指示灯)が撤去され、グリーン1色塗装になってなっていたものの、オデコ前照灯でそれまでのイメージを保って活躍していました。
その後車体更新工事や小改造を重ね、前照灯の腰部移設・シールドビーム2灯化や、台車、駆動装置なども交換されていまいた。
2000年の撮影時には低床式の300形導入が開始されていたので、300形に交じって活躍を続ける80形に、特別な思いを込めてレンズを向けた思い出があります。
最後に「86」ならやっぱり湘南電車の先頭に立つクハ86を。しかしいざ探してみるとなかなか良いのが見つからない(涙)。これは出張の帰りに名古屋駅で捉えていた1コマ。
という訳で860,000アクセス到達記念。これからもマイペースで続けますのでよろしくお願いいたします。
冒頭からクイズ。フィルムが変色してしまい見苦しいですが54年前の1970年、2600形NHEと3100形NSEが離合するこの光景は一体何処でしょう?
その先は斯様な光景でした。カーブするプラットホームに建つ駅名標でお判りですね。
ほぼ同じ場所での、とは言っても高架化されていますが今は斯様な感じです。
メトロから小田急への乗り換えの合間を利用して、EXEや2000形を撮っていました。
千代田線との相互直通運転が開始されたのは1978(昭和53)年3月31日でしたが、その前日に式典が行われました。
この頃は未だ比較的楽に撮影できたのですが、今では保安設備も多くなり、電線や設備など“邪魔”が増えてしまいしたが、何とか小田急&メトロが捉えられないかと頑張ってみますがなかなか上手く行きません。
仕方ないのでふと、上に目をやると・・・、これはJALのA350ですか、機体に大きく書かれているのですね。
続いて同じくJAL、こちらはB787ですか?
いやいや、次々にやって来るではありませんか。今度はAir DoのB767が。
駅も変わりましたが羽田空港も様変わりしたことによって、羽田に降りる航空機が次々に上空を通るようになったようです。
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